神田雑学大学 4月14日 講義録

木彫り看板にみる日本文化

                      講師 細野 勝(看板彫刻師)


目次

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★看板彫刻師・細野勝さん登場!
☆看板のはじまり
☆木彫り看板
☆木彫り看板にみる日本文化
★看板彫刻師・細野勝さんの心意気!


★看板彫刻師・細野勝さん登場!

カラーで描かれた社名広告や商品広告、夜になれば煌めくネオンサイン。 街を歩けば、いろんな「看板」がいやというほど目につきます。が、ちょっと待ってください。 世間は派手な看板ばかりではありません。老舗などの前に立つと、暖かみのあ る木彫りの看板などが目に入ります。
今日、登場してもらう方は、その木彫り看板をつくって60年という職人中の職 人・細野勝さんです。
細野さん(昭和10年生まれ)は、東京・江戸川・葛西で『工房 まちす』を開業され ている看板彫刻師です。 この看板彫刻師というのは、版材に字や意匠を陰陽刻し、漆や箔で仕上げるの のです。15歳でこの道に入り、以来看板彫刻一筋の職人中の職人といっても過言 ではないでしょう。 しかしながら、残念なことに現在は、この看板彫刻師は東京にわずか10人ぐら いしかいないといいます。もはや、伝統工芸の域に入ろうとしているのです。

☆看板のはじまり

701年の『大宝律令』(編纂:藤原不比等)では、看板について次のように決めら れていました。すなわち「都で毎月開く市では、商品を標識で示すこと」と。
これから分かることは、
1)日本の看板の歴史は古いということと、
2)看板を出すことが法律で決められていたということです。

とはいっても、当時の看板がどのようなものであったか想像することは難しく、 たぶん当時のそれは今でいう「看板」というより、許可証的なものだったのでは ないかと私は想像しています。
ですから、字は「官」の字を使ったのではないでしょうか。 それがその後、字が「官」→「鑑」→「看」と変わってきて、広告的 な看板になったのだと思います。

では、その看板はどのようなものであったのでしょうか。おそらく識字率の問 題からいって、見てすぐ分かるようなな簡単なものだったのでしょう。 さて、時代は下りまして15.16世紀になりますと、そのころ描かれた絵巻物に店 やその看板が描かれているものがあります。
たとえば、『星光寺縁起絵巻』(京都・15世紀)には 筆売りの店とその看板が、 『洛中洛外図』(京都・16世紀)には 筆屋・髪結床・烏帽子屋・扇屋・薬種屋・箔屋・占 い師などが描かれ看板らしきものも添えて描かれていますが、ほとんどが絵的な 看板です。

日本で残っている看板で最古のものは安土・桃山時代の(淡交社発刊の『日本の 看板』を掲げながら)『香屋』の看板(150×58cm・細田コレクション蔵)ですが、 これはいかにも安土桃山風の絵の看板ですね。
先程から私が言っている「看板」というのは、この香屋のような絵看板やある いは江戸時代に「浮世絵」の源となった芝居小屋の絵看板ではなく、実物の形(模 型)を彫った看板のことをいいます。
たとえば、筆屋は筆の形に彫ったものを、扇屋は扇の形を、櫛屋は櫛を、造り 酒屋は酒樽を、茶屋は瓶を、数珠屋は数珠を、桶屋は桶を、八百屋は大根などを 彫って看板にしたわけです。ここでいっている看板屋とは木彫り師のことです。 それが安土・桃山ごろから絵馬のような絵看板が登板し、そして寛文年間(1661 ?1672)ごろから文字看板が隆盛となったのです。
ですから、当初は篆刻・版木・看板師が一緒でしたが、江戸末期ごろから各々 が分化し専門化していきました。

私の収集している骨董看板のうち一番古いのは、この(わざわざ運ばれてきた実 物を見せながら)「温泉大明神」です。栃木辺りのものと言われていますが、もし それが本当なら那須の余市で知られる那須温泉あたりのものでしょうか。もちろん、 これは想像ですが。
裏を見ますと「宝暦8年(1758)」と書いてあります。あの良寛(1758?1831)さ んと同時代のものです。ただ、彫られた字のハネ具合を見ますと、篆刻のくせが ありますから、看板師の作品ではなく、はんこ屋さんの仕事のようです。

☆木彫り看板

看板の字は陰刻すなわち凹に彫り、印鑑・版木は陽刻すなわち凸に彫ります。 その看板の陰刻は「薬研彫り」といってV字型に彫るのが主技法です。 「薬研」の語源は、薬種を粉にする舟形の器がV字型ですので、そこからきて います。

私が見たもののなかでは、称徳天皇(718?770)の発願によって製作された「百 万塔陀羅尼」、韓国の国宝である「八万大蔵経」(製作:7?8世紀)、「聖徳太 子十七条憲法」の版木に彫られた施入名(製作:1285年)が薬研彫りでした。  これらのことからも「薬研彫り」が看板彫刻の主技法であることはお分かりい ただけるものと思います。

木彫りの作業は、板に布海苔を塗って和紙を貼る→さらにその上に字を書いた 和紙を貼る→字を彫る→漆を塗る→和紙を剥がす→漆を塗った字の部分だけが残 ってできあがります。
また、私たち職人は道具を大切にし、また愛着をもっています。が、道具と工 具は違います。道具というのは自分の手に馴染んだもの、あるいは合うように作 り直したもので、工具というのは製造されたままのものをいいます。
(ここで細野さんの仕事場での映像がビデオで放映された。 握りしめた小刀を引きながら字を彫るそのさばきは、まるで彫刻刀が舞ってい るように見事でした。)


☆木彫り看板にみる日本文化

収集した江戸期の看板には面白いものがあります。
先ずは、裏を見てください。お寺の額や倒産した店の看板になっています。言 えば、江戸時代はリサイクル社会だったのです。  このことを私たち職人の目から見ますと、モノひいては仕事(技術)を大切にし た江戸期の職人の心が伝わってくるような気がします。

  また、菊の御紋・葵の御紋を意匠のように利用した看板もあります。 権威づけのために用いたのでしょうが、これも日本の看板の特長のひとつでは ないでしょうか。
次に、看板には、屋根看板・建看板・下げ看板・箱看板・衝立看板などがありま す。屋根看板というのは、屋根の上に掲げている看板ですが、これはお寺の独占 状態、仕事は「額師」と呼ばれ人たちがやりました。ただし、いまは「額師」は 一人もおりません。店の場合は、建看板・下げ看板・箱看板・衝立看板などをわ れわれ看板彫刻師が手がけたわけです。

そんなことから閉店になると外に出していた看板をしまわなければなりません。 そこから「看板です」という台詞が生まれたのです。また、「金看板」「看板娘」 「看板をおろす」など言うように、看板という言葉は私たちの生活に密着してい ます。ただ、?看板?は商品広告、?暖簾?は店名・社名広告に主として使用されてい ます。このことはご承知おきください。
 最後に、余談になるかもしれませんが、この(『日本の看板』を示しながら)桶 屋の看板(明治頃・38×43cm・神戸日笠健一コレクション)にしてある桶の底に 「大」「風」という字が書いてありますが、これは何の意味か分かりますか。  そうです。「風が吹けば、桶屋が儲かる」からきたものです。こうした洒落や 語呂合わせや言葉遊びしたものを「判じ物看板」と称しています。日本の商人の ユーモアがうかがえます。
 判じ物といえば、饅頭屋の看板に荒馬(→あらうまい)を描いたり、櫛屋を十三 屋(くし→九四→9+4→十三)と言ったりしていましたし、また焼き芋のことを 栗より(九里四里)うまい十三里などと言っていました。
 現在のCMの世界でも、駄洒落は健在ですが、日本では昔(江戸期)からあった ようです。これらは山東京伝(1761?1816)のチラシ広告が最初だとされていま すが、いずれにしても、こうしたユーモアも日本の商人文化の特長でしょうか。

 ともあれ、これまで私が日本の看板というものを見てまいりまして思うことは、 ひとつは日本は商人の国であるということと、もうひとつわが国には工芸・書画 という素晴らしい技をもっているということです。  看板というのは、このふたつが融合して生まれた素晴らしい日本文化だと痛感 しています。
 言えば、【商売+工芸・書画=看板】という図式が成立するわけです。

最後に、私たち職人の気持を狂歌にしましたものをご披露して終わりにしたい と思います。
 彫刻師 朝から晩まで せみ奴   木にしがみつき 堅て?堅て?と泣く

★看板彫刻師・細野勝さんの心意気!

今日は、お話の最中から熱心な質問が続きました。
 それはおそらく私たちが細職人技のということに対して何かに男のロマンれの ようなものを感じてるせいでしょうか。  併せて私たちは、彫刻刀一筋だった細野さんの眼が広い世界(看板史)に向けら れたというにその生き方に感銘をおぼえました。
いや、そればかりではありません。  『神田雑大』の三上代表によれば、新聞に掲載された『雑大』の記事を見て細 野さんの方から電話されてきて、今日の会があるといいます。  その行為に私たちは、細野さんの木彫り看板の世界を守りぬこうという篤い心 意気を感じることができるのです。
今、私たちはアイデンティティめぐる大きな危機に直面しています。「われわ れはいったい何者か」という問いであります。  その視点で細野さんのお話に耳を傾ければ、ひとつの回答がそこに潜んでいる ようにも思えます。  そうしたとき、私たちは私たちのために細野勝さんの心意気を是が非でも応援 しなければならないでしょう。



(文責:ほし ひかる)

会場写真撮影:橋本 煬
HTML制作:田口和男
画像選定、編集、HTML編集:田口和男