神田雑学大学8月18日 

「系図+自分史作成のすすめ」

講師 小路谷秀樹、西村昌巳(ヴァリス)
ゲスト 山中伊知郎(フリーライター)  


           
目次

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   <はじめに>
  1、「源 GEN 」
  2、山中伊知郎 「ルーツ探しの旅」
(1)まず父に聞いてみた
(2)除籍謄本
(3)武州中川村
(4)若御子神社と紀貫之
(5)守屋武前
(6)綱島家
3、「源」の機能紹介
(1) 系図作成画面
(2) 自分史作成
(3)事例(スライドショー)
4、将来展望


はじめに

潟買@リス代表の小路谷秀樹(こうじたに・ひでき)さんは、同社の西村昌巳さんらと、パソコンを利用して系図を作成するソフト「源 GEN」を開発した。

現在それを使って系図を作成しながら、自分史も作るというノウハウを広めている。
本日の講座は、このソフトウェアの紹介と、ライターとして幅広い活動をしておられる山中伊知郎さんの「ルーツ探しの旅」、それに西村さんによる「源」の使い方と事例紹介(スライドショウ)だった。

アメリカは比較的歴史の新しい国であるが、アメリカ人は家系・ルーツ探しへの関心が高いという。

そういえば昔、A・ヘイリーの『ルーツ』という作品がベストセラーになった。
カーター大統領の先祖に馬泥棒がいたらしいとか、アイルランドに残るレーガン大統領の先祖の小屋が話題になったこともある。
いま「源」のようなソフトが、アメリカではたくさん出回っているそうだ。日本ではシニアを中心に静かな自分史ブームが起きている。
そのうちにアメリカのような、ルーツ探しブームが起きるかもしれない。


1.「源 GEN」

このソフトは、2000年5月5日を期して全国一斉に発売された。

基本コンセプトは、「繋ぐ」、「伝える」、「創る」であり、次の三つの基本機能からなっている。

(1)簡単にできるビジュアル系図作成機能

(2)系図作成と連動した自分史作成機能

(3)自分史の画像・音声をスライドショー化する機能

また、これらの機能を助けるため、20世紀の主要な出来事や人物の写真を収録したCD−ROMが添付されている。

詳細は源のホームページ(http://www.gen.valis.to/)で見ることができる。
またこのホームページで購入することもできる。

2,山中伊知郎「ルーツ探しの旅」

若い頃から墓参りにもあまり熱心でなかった私が、ふと先祖というものに関心を持つにいたったのは4年前、平成8年の秋、父方の祖母ミツコが97歳で亡くなったことが契機である。

明治生まれで、夫を早く亡し母一人子一人で、私の父を育てた祖母は気が強い反面、孫の私には過保護だった。
私にとっては思い出の多い祖母だが、世間では全く無名の人である。
そして父母や、私や弟までが死んでしまう頃には、もう祖母が生きていた痕跡すら忘れさられてしまうだろう。

祖母に限らず、祖父やそのほか自分の先祖に当たる人たち、彼等の誰一人欠いても私という存在はない。
無名のまま生まれ、死んでいった祖先の人たちのことを調べて、わずかな光でも当ててあげたいと思った。

それから4年、今年ヴァリスの小路谷秀樹氏から、「源」という家系図作りのソフトを作る話を聞いた。
「そうだ、ルーツを探してやろう」と思い立った。

(1)まず父に聞いてみた

最初に、山中という父方の家系を追ってみることにした。
まず生き証人である父から、知っている限りの祖父・伊佐美の情報を引き出した。

父の話から、祖父・伊佐美は
秩父・中川村出身であり、かつて地元に自分の両親の墓を作ったらしいこと、
その墓は「触ると笑う木」の下にあると聞かされていたこと、
このふたつの手がかりが得られた。

(2)除籍謄本

さっそくルーツ探しの第一段階として、死んだ祖父の除籍謄本を取る。残念ながら、昭和初期に住んでいた文京区根津の謄本は戦災で焼けていた。
しかしその前、大正時代に住んでいた文京区柳町の謄本が残っていて、祖父・伊佐美の父が「恵作」、母が「やま」という名であるところまでつきとめた。

除籍謄本をしらべていくと、ルーツだけでなく、人生の縮図みたいなものまで見えてしまう。
祖父伊佐美は、三歳年上の姉さん女房こうと離婚しているが、そのわずか1ヵ月後に3度目の妻ミツコと再婚した。
この二人はあきらかに一時期不倫していたに違いない。

またミツコは「母・増淵フク」とあるが、父親の名前がない。
どうやら私生児だったらしいが、祖母の生前そんな話は一度も聞いたことがなかった。

(3)武州中川村

次はいよいよ地元、伊佐美の生まれ故郷である秩父である。
そこの役場に残っていた明治時代の除籍謄本を頼りに、伊佐美が「秩父郡久那」で生まれたことを知る。
そして、地元の山中家系の生き字引みたいな、山中信章さんという人物の案内で、山中家の墓にたどり着いた。

それは光西寺という、今は無住の寺にあった。そこには祖父が寄贈した前机までが残っていた。

「触ると笑う木」というのは、山中家の墓が集まっているあたりにある、一本の百日紅の木であった。
枝分かれするあたりが人間の脇の下のようになっていて、そこに触ると、まるで枝が笑うように動く。
だから「触れると笑う木」なのだ。

中川村はすでに合併によって、荒川村の一部になっていたが、村役場は秩父鉄道の武州中川駅近くにあった。役場の職員は東京と違って、あまりやかましくなく、親切だった。
ここに百年も前の山中伊佐美の謄本が残っていた。
そして、伊佐美の父「恵作」は守屋武前という人のニ男で、山中山登と読める人の養子になったこともわかった。

そして、山中信章さんが、「ウチから面白い資料が見つかったよ」と見せてくれた一枚の「小作寄せ」と呼ばれる証文から、曽祖父恵作の人となりが想像できた。
「光西寺宗代」だったのだから、地元の有力者であったらしいが、その繊細な達筆からは「顔役」というより、インテリの面影が偲ばれる。

(4)若御子神社と紀貫之

「山中家」の資料集めはひとまず終わらせて、曽祖父「恵作」の生家「守屋家」の方もやっておきたい。

すでに秩父荒川村での除籍謄本で、私の曽祖父にあたる「山中恵作」が「守屋武前」と名乗る人物の実子で、 山中家に養子に出されたことはわかっていた。
また、その「守屋」の家が代々、今の秩父鉄道の武州中川駅にほど近い若御子神社の神主の家柄だったらしいことも、調べるうちにわかってきた。

その守屋家の直系である守屋媛尾氏に電話をすると、「ウチの家系についてだったら、資料が残っている。
2千年前から辿れる」という。
4月の末、私はまたしても西武池袋線に乗り、秩父へと向かったのであった。

しかし、『土佐日記』の紀貫之で知られる貴族・紀氏にまで、つながっているという守屋家の膨大な系図の原本は、満州で焼失していた。
戦前最後の神主さんが、満州への分村化運動に参加し、敗戦後共産軍に殺されてしまったからである。
この話を聞いて、世界史のうねりのようなもの、時代の節目に遭遇した気持ちだった。
家系図の歴史は、焼失の歴史である。

ともかくその写しを見せてもらった。
もともと神主の家系は古い家が多いが、孝元天皇や武内宿禰まで遡るという話はともかくとして、江戸時代以降は信用できる。
私としては守屋家がどんな先祖に繋がっているかよりも、まず、私の曾祖父「山中恵作」の実父にあたる「守屋武前」なる人物が本当にいるのかを確認しておきたかった。

(5)守屋武前

「恵作」の生まれは嘉永4年で、死んだのが明治24年。
となると、その父親の生まれは文政年間くらい、明治維新を40歳くらいの中年で迎えている人物が、ちょうどピッタリだろう。
家系図の写しの最終ページを見て、それに相応しい人物を探してみる。

そして「守屋豊前守吉信」という人物が浮かんできた。
守屋家は神官として、江戸時代は代々従五位の位を朝廷から貰っていた。
その際、「○○守」の称号も必ず貰うのだ。

江戸、明治の人は漢字の当て字をけっこう平気で使っていたから「豊前」とは「ぶぜん」、それを「武前」と表記するのはさして珍しくなかった。

「守屋豊前守吉信」が「守屋武前」と簡略化されて戸籍に残るのは十分に納得できる。明治21年に死んだとの年代的なものも、没年60歳くらいとみれば「恵作」の父としてはちょうど適合する。
「守屋豊前守吉信」が私の曾祖父さんの実のオヤジであり、つまり私のひいひいジイサンであるのは間違いなさそうだ。

山中家の墓がある無住の光西寺を管理する法長寺にも、山中家の過去帳はなかった。
しかし住職や山中信章さんの話から、祖父伊佐美が父の言うように「ビンボウがイヤで、家出同然に秩父を出てきた」のではないこともわかった。
両親を看取ったのち、ちゃんと役場に届け出て、林業での経験を生かし東京で家具商をする目的で出てきたのであろう。

    

[山中家の家系ツリー]

このあたりで、とりあえず秩父での山中家のルーツ探しに一区切りつけ、次に私の母方である埼玉県浦和市の綱島家について、いま調べ始めている。

(6)綱島家

私の母は旧姓・綱島幸子。その父綱島猪吉から前に遡ること5代、100年に渡って綱島家は、埼玉県内で盛んだった「柳剛流」という剣道の一派の使い手だった。家に道場を持って師範をしていた家系であることまでは、すんなりわかった。
現在、浦和市芝原となっている江戸時代の農村に住んでいたまずは裕福な農民、というのが綱島家の実像であろう。
これから先は一筋縄ではいかないと思うが、もう少しやってみたいと思っている。

この綱島家のルーツ探しの旅も、引き続き「源」のホームページに連載中である。

3.「源」の機能紹介

次は西村さんによる、「源」の使い方説明。3人ほどの受講者が実際にパソコンの前に座り西村さんの説明にしたがって操作してみた。

(1) 系図作成画面

中央に(図の例では)荒川真成というボックスがある。
この人を中心に「父」、「母」、「妻」のように逐次ボタンをクリックすることによって、簡単に家系図の概略が出来上がっていく。
そのツリーのどれかのボックスをダブルクリックすると、その人の個人情報画面が出る。

これらの情報は宛名印刷や、EXCELなどのソフトと連携して利用できる。
また明治初期以前の旧暦、太陰暦と現在の太陽暦との対応がきちんと出来ていることも、このソフトの特徴である。

        

[系図作成画面]

(2) 自分史作成

先ず自分史のデータ入力画面から始める。

イベントがあった年月日・イラストの入力、それに写真を貼り付けることができるようになっている。
データ入力の助けになるよう、各年代にふさわしい質問300問と回答例が用意してあるので、それらを参照しながら入力していくこともできる。

また同時代の出来事として、700項目を含む20世紀の年表、83枚の写真も用意されている。
これらを利用して、例えば左側に自分史、右側に同時代史、あるいは歴史上の人物の履歴を対比させた、オリジナル年表を作成することができる。

最後に、このようにしてできあがった自分史をお好みのレイアウトに編集・印刷することができる。

        

[自分史作成画面]

(3)事例(スライドショー)

スライドショーは実際の例として、西村さんが父上の喜寿のお祝いに作った個人史が紹介された。

バックグランドミュージックが流れる中に、
誕生、幼少時や生まれ故郷の風景などの古い写真、
そして小学校、中学校、高校、大学での生活、社会人(教育者)となってからのご活躍の様子など
個人の歴史を、その時代の歴史・世相・出来事・人物の映像を交えて立体的に構成したものであった。

4.将来展望

人の生は遠い過去からの、無数の先祖の命の連らなりの中にあり、また遠い未来の無数の子孫へと連なってもいるのである。
「源」の出現によりわが国でも、先祖に感謝し子孫に思いをはせて、家系図や自分史を作る人が増えてくる可能性がある。
またインターネットを通して、祖先の同じ人を探すというような、新しい交流が生まれるかも知れない。
−おわり−

               (文責 大野令治) 


会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:鍜治 正啓