神田雑学大学

2000年10月13日講義録

 

テーマ:「中世人のどよめき

講 師:

近藤喜佐雄

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目 次

1.はじめに
2.資料
3.中世芸能研究会
4.中世人のどよめき
5.能狂言の見どころ
6.おわりに


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1.はじめに

本日の講師近藤喜佐雄さんは、さくら銀行勤務の元サラリーマン、ご在職中から中世の芸能史を研究されていた。当時は多忙で思うにまかせなかったが18年前現役を引退してから反動で、のめり込んでいらっしゃるとのこと。

当雑学大学の三上代表とは15年来のお付き合い、難しい能も近藤さんのお話を聞いてから観ると非常によくわかるという。そういうわけで、この度神田雑学大学にお越し願い、中世芸能史の要点、能狂言の見どころ、面白さなどをわかり易く話して頂いた。

講師の近藤さん

2.資 料

本日ご用意頂いた資料は次の通りである。

1−(1)新猿楽記 雲州消息 (藤原明衡)

  (2)年中行事絵巻 田楽の図 

  (3)古代中世芸術論  

     永長の大田楽 大江匡房 (守屋毅)

2−(1)梁塵秘抄から、主に庶民のよろこび・なげきの歌

  (2)二条河原の落書

  (3)閑吟集 小唄

  (4)能 「放下僧」の一節

3−(1)狂言 末広がり

  (2)狂言 附子、棒縛り

  (3)狂言 武悪

 

3.中世芸能研究会

近藤さんの現役時代は多忙な毎日で、芝居や芸能はあまり観たことがなかった。引退後はその反動で、歌舞伎、長唄、小唄など何でも観に行ったが、特に能狂言のなかに魅力を見出すようになった。特に乱世をしたたかに生きる庶民の姿に関心。

4、5人で始めた同好会が、今や3、40人になり、三上さんとのご縁でこちらへ出かけて来たり、中野文化フォーラムで2、3ヶ月に一回お話をしている。

月に一回の研究会は、猿楽、田楽、今様、声明などに範囲が広がった。最近は新しい人も増えたので基礎的なこと、装束、面、舞台構造あるいは謡いの形などを、一緒に勉強している。

 

*「中世芸能研究会」の概要

・日時  毎月第二月曜日(月曜が祭日の時は翌日の火曜) 午後6:30−8:30

・場所  中野勤労福祉会館

・内容  

  イ.能 狂言、中世芸能(声明、今様 等々)を通して中世人の心を探る。

  ロ.能 狂言の見所、聞き所、資料解説

・会費  無料(参加の場合のみ資料代として500円)

 

4.中世人のどよめき

(1)藤原明衡「新猿楽記雲州消息」にみる大衆芸能

藤原明衡(989−1066)は貴族でありながら、市中大衆の様子をよく観察している。彼が生きた11世紀の時代には、猿ごうとよばれる(源氏物語や、枕草子にも名前が出てくる、後の猿楽や田楽と少し違う)大衆芸能が盛んであった。新猿楽記にこれらの様子が網羅されているので抜粋してみた。(資料1−(1))

 

のろんじ(咒師)は、後に寺院所属の猿楽となる。

田楽猿楽と競っていたが、室町ころまでは田楽の方の人気が高かった。北条高時が田楽にこって国政をおろそかにし、鎌倉幕府崩壊の一因になったといわれる。

 

くぐつまわし(傀儡子)は、人形回しで古代からの漂泊民。男は人形回し、曲芸、女は遊女、今様などの流行り唄を業とした。

骨無骨有は関節はずし、ぐにゃぐにゃ人間の大道芸

琵琶法師 後の平家琵琶につながるもので、盲僧の多かった九州方面で発達したものと、雅楽に入ってきた系統とがある。

 

せんずまんざい(千秋万歳) 室町時代、唱門師(しょうもんじ)の演じたもので、門付け万歳の最も古風なもの。正月には宮中へ行ってお祝いをしたという記録もある。

福広聖の袈裟求め・妙高尼の繦つき乞い 尊い僧が袈裟をなくして探しまわったり、尼さんがおむつを欲しがっているという寸劇。いずれも滑稽な様子で、後の狂言につながる。

かんなぎ(巫) 神に仕えるだけでなく芸能もやった。後に歩き巫女といって全国を回る者も出てくる。

東人の初京上り いわばおのぼりさん、狂言の末広がり等につながる。

 

そして、これらは「すべて猿楽の態、鳴呼の詞、腸を断ち、頤を解かずといふこと莫きなり。」という有様であった。

だがいずれもちゃんとした筋はなく、あったとしても寸劇であった。

 

(2)「年中行事絵巻」田楽の図

平安末期、鎌倉初期(後白河時代)に「田楽法師」と呼ばれるプロの集団が現れた。

この図では、その一集団が貴族と思われる家の門前で芸能を演じており、それを公家や家臣、庶民が見ている。真ん中の人が鼓を投げ上げて面白おかしく芸をしており、周りが囃している。他の男達が持っている輪っこのようなものは、ビンザサラ(編木)である。

 

これはシャッシャッという音を出し、今でも全国で民族芸能に使われている。最近見た那智の七月の火祭りで演じられた田楽は、当時のように熱気ある雰囲気のもので、このビンザサラが使われていた。

 

(3)「洛陽田楽記」に見る田楽の隆盛

1096年(永長元年)の夏、田楽の大ブームが起こる。

田楽の一つの流れは、「栄華物語」にあるように藤原道長の頃の、田植えを囃す芸人がいて、早乙女がいる、というのが原点である。

この田踊り、田舞いに対して、一方にプロ集団が演ずる田楽踊りがあった。

 

三つ目が「洛陽田楽記」にあるような、田植えの様子を風流好みの都人士、貴族が真似て楽しんだものである。高足一足は古い散楽の系統で、軽業みたいなことをする。その外、腰に鼓をつけて振り鳴らし、銅びょう子、ササラ等をジャラジャラ鳴らして街中をへめぐる。その装束は錦繍をもって衣とす、と華美を尽くしていた。

 

また或る者は裸で腰に赤い布を着け、頭はザンバラ髪に田笠を被り、二条から六条を往復した。これが十日くらい続く大騒ぎとなった。

ある貴族の日記「中右記」には、この筆者の参議が宮中へ行ったら、上から下までみんな祭りを見に行ってしまい誰も残っていなかった、と書かれている。大変な熱狂ぶりであったようだ。

 

また、数年前に発見されたものであるが、室町時代の侍所の書記が、公文書の裏に以下のような当時の流行り唄を落書きしている。

 

  亭主々々の留守なれば 隣あたりを呼び集め おお茶飲みにて大笑い

  彼の人のこと言うて 意見さ申そうか

 

大笑いというところなど、女の人は昔からすごい。

今でも身につまされ、観るとぞっとするような狂言がある。

室町時代、連歌にこって家を空けてばかりいた男が、妻から離縁状を突きつけられた。蓑笠を持って出て行く妻を見送りながら歌を投げかけると、妻が上手に歌を返してきた。びっくりして、家にも立派な連歌仲間がいたことに気が付き、仲直りしたという話である。

 

いま歌舞伎、能狂言、芸能というと圧倒的に女性ファンが多い。入場券のお世話をするので、大勢の女性から電話がくる。声だけ聞くとみんな美人に思われ、勢い奥様との関係が微妙になる。古今東西相通ずるものがあり、アメリカでも歳をとったら夫は妻にいつも You are right. All right. と言うしかないとか。

狂言の女性もみんな強い(和々しい女)。

 

(4)後白河天皇と「梁塵秘抄

後白河天皇(法皇)は源平の騒乱の中で親政3年、院政34年に及ぶ大政治家であった。歴史上一般には、大天狗とか権力亡者と言って嫌う人が多い。しかし天皇が撰述した梁塵秘抄をやって、なかなかチャーミングな人に思えてきた。音楽的天分に恵まれ声もよく、自ら今様に凝って奥義を究め、朗詠や声明道も一流だった。

 

今様は青墓の傀儡女を師匠として屋敷内に招き、朝昼晩と習った。時に喉がはれ、つぶれたが、水を飲んでまた続けた、というエピソードが伝えられている(口伝集)。

 

資料2に掲げた「春五首」は、表向き春の自然の風物詩だが、実は男女の仲を歌っている。

 

     そよや 小柳よな 下がり藤の花やな 咲き匂ゑけれ ゑりな

     睦れ戯れ や うち靡きよな 青柳のや や ・・・・

 

小柳は若い男、藤の花は女を暗示している。

 

     峰の花折る小大徳 面立ち好ければ裳袈裟好し 況して講座に登り

     ては 法の声こそ尊けれ

 

小大徳は若い僧のことで、女性はみんな若いきれいな僧が好きなのである。江戸時代の節談説教の一声、ニ節、三姿に通ずるものがある。

 

     冠者は妻設けに来んけるは 構えて二夜は寝にけるは 三夜とい

     ふ夜の夜半ばかりのあか月に 袴取りして逃げけるは

 

女の家に男が通う聟取婚で、三日目の披露宴の前に袴立ちして逃げ出す男の、ユーモラスな様子。

 

     我が子は十余に成りぬらん 巫してこそ歩くなれ 田子の浦に汐

     踏むと ・・・・

 

歩き巫女の身の上を気遣う母の歌。男の子を思う歌もある。

 

     此の頃都に流行る物 柳黛髪々似非鬢 しほゆき近江女女冠者

     長刀持たぬ尼ぞ無き

 

これは流行の女性のヘアスタイルや風俗を歌ったものだが、「此の頃都に流行る物・・」をもじって、後の後醍醐天皇の南北朝時代に、あの有名な二条河原の落書が作られた。

 

二条河原落書

 

     此比都ニハヤル物 夜討強盗謀綸旨 召人早馬虚騒動 生頚還俗自由出家

     ・・・・

建武中興政権下の混乱した世相批評と、後の日本文化の原点となる連歌、芸能(田楽等)、茶、寄合等の行きすぎた流行振りを批判的に歌っている。

 

(5)閑吟集

 

     何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ

 

閑吟集は室町時代の小歌の集成。古典趣味を背景にしながら庶民の素朴な生活感情を口語的に表現している。

史的には狂言小歌と交流し、謡曲にもとり入れられている。例えば閑吟集とほぼ同文の小唄が、「放下僧」(敵討の能)の一節に現れる。

 

     シテ" 面白の " 花の都や 筆に書くとも 及ばじ 東には 祇園清水 

     落ち来る滝の 音羽の嵐に 地主の桜は 散りぢり 西は法輪 嵯峨のおん寺

     ・・・・・・・・

 

5.能狂言の見どころ(ビデオ)

能や狂言は取りつき難いと思っている向きが多い。本日はこんなに親しみやすいものもあるという例を、ビデオでダイジェスト的に見せて頂いた。

 

●狂 言

(1)附子(ぶす)

主人が大切にしていた宝物を壊してしまった太郎冠者が、死ぬと言って主人から「ぶす(毒薬)」と言われていた砂糖を食べる話。小唄のところをお見せする。出演は野村万斉。

ビディオを 見る

(2)棒縛(ぼうしばり)

主人が酒飲みの太郎冠者・次郎冠者を棒に縛って出かけるが、帰ってみると二人は酒盛りをしていた。

主人と冠者は、完全な敵対関係にあるわけではない。叱って許すという好い人間関係にあると思う。

(3)武悪(ぶあく)

これは長い狂言である。登場人物は大名、太郎冠者とその親友武悪。勤務不届きな武悪の成敗を命ぜられた冠者は、成敗したと偽って逃がしてやる。そして主人とともに清水寺に参詣すると、命が助かったお礼参りに来た武悪と、ばったり会ってしまう。

怒る主人を、あれは武悪の幽霊だと言いくるめる。幽霊を装う武悪の鬘姿が特異である。

鳥部山という場所柄もあって、主人はその「幽霊」に怯え舞台は喜劇に一転する。

中世においては地獄、極楽、仏など宗教的な信仰心が強く、それが能狂言によく出ているのである。

現代は物が豊か乍ら、心が乱世である。中世は物が乏しかったが、心は少なくとも救いを求めて、神仏を信仰していたという違いに気づかれるであろう。

●琵 琶

(4)平曲(祇園精舎)

琵琶を伴奏に「平家物語」を語る音楽。琵琶の伴奏は謡っているときには入らず、合間にだけちょっと入る。他の琵琶と少し趣が違う。


(5)盲僧琵琶

   九州を中心に盛んだったが、現在の奏者は一人しかいない。

   檀家を巡り琵琶を語って供養し、その後余興でいろいろな語り物をやる。

●能

(6)井筒(いづつ)

   能といえば幽玄、世阿弥、鬘物(女物)、その代表作が伊勢物語に典拠する井筒である。在原業平と紀有経の娘の恋物語である。

   男の役者が女になり、舞台の中でその女が男になるという両性具備的な色気、また照明に映える美しい面や、装束を見るだけでも価値がある。薪能なら一層美しい。

(7)自然居士(じねんこじ)

   世阿弥の父、観阿弥の名作。人買いに売られた娘を、いろいろ芸をすることによって取り戻すという筋。中世、身近にいた説法芸能者の芸づくしが面白く、人気が高かった能である。

(8)舎利

   足疾鬼という足の速い鬼が、舎利を奪って逃げる。それを韋駄天が追いかけて取り戻すという話。世阿弥以前の、幽玄とは全く別の能である。

(9)善知鳥(うとう)

   アイヌ語といわれる実在の鳥。場面は立山と陸奥国、外が浜。

   外が浜の猟師が善知鳥を殺した報いで、地獄で苦しめられるという話である。蝦夷・エミシなど被差別種族の怨念を表しているともいう。

   亡者の面に蛙面(かわづ)という不気味な面を使う。

6.おわりに

以上でありますが、これを機会に能、狂言、琵琶など中世芸能に興味を抱いて頂ければ有り難いと思います。

今後、これを縁に能を観に行くとき、2週間くらい前に連絡あれば、簡単な資料をお送りします。

能はイメージの芝居なので、歌舞伎などのように具体的にわかり難いところがあります。特に面の妖しいイメージなどを感得するためにも、是非このような資料をご利用下さい。

 

文責:大野令治


会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:田口和男