神田雑学大学 11月24日 講義

四国歩き遍路の旅
講師:安田享祐 氏

目 次
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 1.はじめに・講師紹介
 2.服装
 3.納経
 4.地図+磁石
 5.歩行時間等
 6.お金
 7.性格分析
 8.医薬品等
 9.装備、持ち物
 10.行路


1.はじめに・講師紹介


本日の講義は、安田亨祐さんの「四国歩き遍路の旅」だった。
安田さんは、もとNTT開発研究所の主任研究員で工学博士、現在は自宅でご家族とパソコン教室を開いていらっしゃるとのこと。
定年退職の前に残っていた休暇を使い、四国歩き遍路の旅に挑戦したのが最初である。
冬(2月)の悪天候と足の豆に悩まされながらも、「お接待」の心に励まされ全行程を踏破した。
今回のお話は三回目のお遍路で、今年弟さんと一緒に逆さ遍路(逆回り)に挑戦したときの記録である。

2.服 装

最初に遍路とは、どんな格好で、どういうことをするのかご説明します。
先ず実際にその服装をしてみます。(笑)
白衣は俗に死装束といわれ、旅に出たら自分は死んだものと思って歩くのです。最近は携帯電話を持って歩く人がいますが、これは違反です。(笑)
輪袈裟をかけ、シャツは日焼けを防ぐため普通の長袖です。歩きに専念したいので、あまり洗濯をしませんから汚れの目立たないもの、洗ったら乾きやすいものがよいと思います。
ズボンはベルト式よりゴムウエストのものにします。たいていズボンをはいたまま寝ますからこの方が具合よいのです。
履物ですが、夏なので靴は足がむれます。今回はゴム草履を使いましたが快適でした。豆ができないように、靴下を2枚重ねて履きます。薄手、伸縮性のあるもの、できれば足袋形のものがよいです。
但し、行程中には山道があるので、その時は軽登山靴かジョギングシューズに履きかえます。しかし行程の7、8割は平地なので、主に草履で歩き通しました。
それから杖(金剛杖)を突いて歩きますが、手の甲が直射日光に焼けて、酷いときには火脹れになります。これを防ぐため、軍手か靴下の先を切ったものを当てます。
頭は汗をかくので、ハンカチの大き目のものを巻き、編み笠をかぶります。
顔は日焼けを防ぐため、日焼け止めを一日2回くらい塗る必要があります。
杖は一周すると15センチくらい減ります。歩き方が下手な人は、引きずるのでこのように先端が丸く減ります。(笑)

3.納 経

ではお寺さんに行って何をするかというと、納経(経を納める=お経を唱える)をします。
お寺には太子堂(空海さんが修行したところ)と、本堂(お釈迦様を祭ったところ)と二つの建物があります。この2箇所で経を唱えます。
経の上げ方は、人によってそれぞれ作法が違います。私は私なりに、先ず好きな般若心経を唱えます。(?般若心経を唱えるー)
そのあと自分が気に入った祈りを、二つほど唱えます。
般若心経を唱え終わると、自分の名前、年齢、願い事、呪い(笑)などを書いた納め札(細長いメモ用紙のようなもの)を前にある箱に1枚ずつ納めます。それから納経所に行って、納経帳にお寺さんの有り難いサイン(筆で黒々と)と朱判を頂きます。
お寺さんによっては「スタンプ集め」みたいな事はお断り、と嫌がる所もあります。
一回目と二回目は順打ちといって1番から順に88番まで回りましたが、今回は逆打ちといって88番から逆に回りました。
順打ちと逆打ちの大きな違いは、順打ちの方は歩く道筋に沿って電柱などに標識が貼ってあり、それを確認しながら行けます。逆打ちでは、それが電柱の陰になって見え難く、道に迷うことがあります。また山道に入っても、登り口や入り口は標識がはっきりしていますが、下りた所にはありません。したがって慣れない人は、逆打ちで道に迷う確率が倍くらい高くなります。
区切り打ちは、3日とか10日とか休みが取れたときに、ここからここまでと区切り区切りに回るやり方です。これは忙しい現代人に向いています。

4.地図+磁石

実際に歩くときは、地図と磁石を持って行きます。
地図は遍路道保存協会が出しているものを使いました。この協会のマークが道々立て札についていて、それを頼りに歩きます。地図にはどこを歩けばよいか、食料品店、宿屋、トイレ(ガソリンスタンド)、郵便局、野宿のためのバス停などが詳しく出ています。
この遍路道保存協会の地図は昔の遍路道を基準にしており、新しいバイパスの国道などを避けて、なるべく旧国道や、民家の間を通る道が書いてあります。
こういう装束をして歩いている人は空海さんの身代わりなので、土地の人々が「お接待」によって信仰心を高めるために、お遍路さんはなるべく皆さんがいるところを歩くようにしているのです。
それに対して国道沿いの道を中心にしてお寺へ、という地図もありますので、皆さん好き々々で選べばよいと思います。 遍路標識は、大きい88箇所のお寺さんの場合など国道に大きい看板が出ています。それから四国の道と書いた、石や木の道標があります。山の中の道では誰でも不安を感じるものですが、遍路道札が木に吊る下がっているのでそれを頼りに歩けます。 それから幹線道路から細い遍路道の入り口には遍路のマークがついた立て札があり、時には次のお寺さんへの距離を表示しています。大きな電柱には赤い円のなかに赤い矢印が書かれたシールが貼ってあり、それを目印にたどって行けるようになっています。


5.歩行時間など

納経の時間は平地でも山の中のお寺でも、朝7時から夕方5時までと決まっています。この時間に間に合わないとサインが頂けないので、その場合はお寺の前で泊まり、翌朝7時まで待たねばなりません。
毎朝4時半、明るくなってから、夕方6時半まで、休み時間を含めて1日10時間、約40キロ歩きます。1200キロありますから30日強かかることになります。
それから夏は非常に暑いので体力を消耗します。朝涼しいうちに歩いて、昼の暑い時間は食堂に入って食事兼休憩をとり、午後は3時頃から夕方5時、6時まで歩くわけです。
行動食はコンビニとかスーパーで調達しますが、山の中とか田舎など民家やお店のない道を歩く日もありますので、前日地図を見てあらかじめ用意して行きます。

6.お金

現金でもよいが、郵便局が沢山ありますので、郵便局のカードを持って歩けば困りません。

7.性格分析

お遍路をする人の性格を分析すれば、人間嫌い、頑固、意地っ張り、結構真面目・・・これは私のことを言っているのですが(笑)、躁鬱症、ずぼら、暗い、それなりに目的意識を持って歩いている人、という感じですね。
私は私なりに、このために歩く、というものがあります。まあ、とにかく明るい、人生爽やかで悩みのない人は、あんまり歩かない方がいいんじゃないかと思います。(笑)
悩みごとのある人は歩けば、肉体的にはきついですが、すっきりする場合があります。私は歩いてよかったと思いました。

8.医薬品

足を傷めると歩けませんから、足のケア、特にマメの対策に一番気をつかう必要があります。私の場合二つ三つできて、それがつぶれました。そういう時のために、バンドエイドは必携です。30枚とか100枚必要になります。
それからテープを、幅の広め(5cmぐらい)のものと狭いもの(2cmぐらい)と2種類用意します。足の裏や親指に大きいのが出来たときは広いのを、指に出来たとき狭いのを使います。
具体的に、マメができたら潰して水を出し乾かします。歩くときはバンドエイドを貼ってその上からテープを巻き固定します。歩き終わってそのままにしておくと傷口が化膿しますので、はがして乾かさねばなりません。傷薬(傷ドライ、スプレイ)も爪をはがしてしまった時に大いに助かりました。
それから日焼け止めクリームと、胃腸薬です。私自身は丈夫なせいか、お腹をこわしたことがありません。

9.装備、持ち物

先ず雨具はセパレーツ型、雨の日歩く時使うほかに、寝る時の寒さ防止に使えます。今はゴアテックスという空気を通す、よいものがあります。
傘は風が強い所でさすことが多いので、堅牢なものが必要です。これは拾ってきたものですが(笑)、2400キロ(2回り)歩いても大丈夫でした。
靴下は草履を履く場合は薄手のもの2枚、厚手のものは山道で軽登山靴を履くとき使います。 シュラフカバー、これは寝袋ですが夏では綿の入ったものは要りません。自分で作った背丈の袋でもよいですが、できれば雨でも洩れないゴアテックスのものがベターです。下敷きマットは安眠には必須です。プチプチシートで不眠症になり、途中でバスマットを買いました。半ズボンと水着(海水パンツ)は、衣類をみんな洗濯してしまったときなどに一時使用します。
ザックカバーは、雨のとき中のものが濡れないためです。寝るとき蚊を防ぐための網の袋(耐蚊あみ)、蚊取り線香、軍手など。それから宛先を記入したはがき、懐中電灯、水筒、裁縫用具、アイマスク、マッチ、爪切り、それに安全ピン、これはマメを潰すときに使います(笑)。

10.行路

それでは実際に歩いたときの話をします。

1日目
7月29日弟と二人で出発、夜行バスが売り切れていたため、和歌山経由フェリーで小松島に渡りました。この日は1番札所から大阪峠を越え、引田駅の自転車小屋に泊まりました。

2日目
順回りでは最後の大願成就で、泣く人もいる88番へ。それはそれはきつーい坂道でした。ふらふらになって口に入るものはジュースだけという状態でしたが、学校の校舎廂下の人工芝の上で良く眠れました。

3日目
弟と二人汗をかきかきへとへとになって歩いていたら、おばさんからお接待で1000円もらいました。この夏は天気が良く、この日は公園の芝生の青天井で寝ました。

4日目
高松市内を抜けて鬼無駅、駅の中で寝ると迷惑になるので前の肉屋の軒下という陰の方で(笑)寝ました。

5日目
次は坂出駅の軒下で寝ました。コンビニの中で食事をしましたが、女子高生が2時間も3時間も粘っていました。僕等も同じだったのですが(笑)。

6日目
次の日歩き出すと、お接待で牛乳、紅茶、お煎餅、ジュースなどを頂き、またお寺ではジュース、近くのお店で麦茶を頂いたりしました。暑くて疲れているときお接待を頂くと、涙がこぼれます。 あんまりうれしくて道に迷い(笑)、1時間ほど戻って公民館の軒下で寝ました。

7日目
次の日も道に迷い、道を聞きに入ったお店の人に甘酒を頂きました。その日は、66番の山登りの手前で、児童館に泊りました。この辺りまでは歩いていてもふらふら状態で、食事も喉を通りません。ほとんどジュースだけ、精神力で歩いている感じです。

8日目
(8月5日)山を登って愛媛に入り寒川駅です。山の上で西瓜を頂きました。重いのを弟に持たせて歩きましたが、この辺りから二人の意見が食い違い始め、だんだん険悪な雰囲気になりました(笑)。広いゲートボール場のあっちと、こっちのベンチに分かれて寝ました(笑)。

9日目
寒川駅を出て歩いていて、またまた西瓜を頂きました。おじさんが追いかけてきて、お茶の大きなビンを2本くれました。この日は目の前の住宅展示場が使えるのではないかと期待したのですが、カギがしっかり掛かっていて入れず(笑)、コンビニの小さい屋根の下で二人肩を寄せあって泊りました。

10日目
63番吉祥寺には少し思いがある(吉祥寺に住んでいる)ので、般若心経を3回くらい唱えました。それから、60番の頂上でついに弟とはぐれました。さーて行くぞ! いーやおれはもう少し休んでからいく。休んでから出発した弟は別の道を下って行ってしまったのです。

11日目
私は先に行ってしまい、かわいそうだと思ったので、59番の辺りで待っていたのですが、道を知らない弟は遠回りして後から来て、無情にも追い越して行ってしまいました。私は全然気がつかなかったのです、くやしい(笑)。

12日目
伊予富田駅では、「危険」と書いてある燃料倉庫の前で泊りました。

13日目
(8月10日)「人生は路上にあり」の作者にサインを頂きました。手塚妙見という尼さんです。熱海に温泉宿を持ち、お花を教えたりして悠悠自適の生活をしていたのに、なぜか四国遍路にとりつかれ、ここのお寺の尼さんになってしまいました。私は将来温泉でゆっくり暮らしたいと思っていたので(笑)、この本を読み凄いショックを受けました。
北条駅の宅急便事務所軒下で泊りました。

14日目
この辺りになると身体が慣れてきて、ようやく食欲が出てきました。1日平均5本飲んでいたジュースを控えるようにしました。47番は村の百貨店、農協のスーパーの軒下に泊りました。

15日目
45、44番通過、バス停泊。

16日目
道の駅というのは駐車場があって、お土産店が入っているような所ですが、ここではパンツ一つになって水浴びし、ついでに洗濯をしました。

17日目
田んぼの中のバス停に泊りました。近くの小学校の盆踊りに参加、久しぶりに発散しました。

18日目
(8月15日)40番は浜辺のオートキャンプ場の大東屋に、一人で泊りました。

19日目
39番(高知)は丁度中間点です。大分身体が汚れたので、健康ランドでお風呂に入りました。お風呂に入ったら、出発したくなくなってしまい(笑)、ここで500円奮発して、ぼんぼんベッドの上で朝5時まで寝ました。セメントの上に比べるとそれはもう天国でした。

20日目
健康ランドを出発して2時間ほどで、大雨になりました。今回雨に遭ったのはこの日だけです。道端に積んであった土管の中で雨宿りしながら、大声で民謡などを歌いました。最初はよく響いていい気分でしたが、そのうちにだんだんうるうるしてきて慌ててとび出すという一幕もありました。

21日目
足摺岬、38番を経て打ち戻り(同じ道を戻って)、ドライブインの近くにあった吹き抜けの東屋泊。

22日目
四万十川を通ってから、鰹のたたき定食(1200円)を食べました。この辺りでは普通700円、800円でお腹一杯食べられますが、1回くらいおいしいものを食べなくては、何しに来たかわからないので(笑)奮発しました。

23日目
(8月20日)37番のところで、とうとうプチプチマットを諦め、バスマットを買いました。この時から寝心地がよくなりました。ういやっちゃ(笑)。

24日目
36番、ミニ公園の藤棚下泊。

25日目
九州から来たという、自転車に乗った野宿のお遍路さんに呼び止められ、仕事がないかと聞かれました(笑)。そう言えば少し先に「無料遍路宿」というのがあり、遍路さんを無料で泊めてくれて、食事もお接待してくれます。ただしここは農家で、ひまな時にお手伝いして下さいという所です。私も2年ほど前に来たとき、1週間芋掘りをしました。あそこがあるよ、と紹介してあげました。
高知市に入り、病院前のベンチ泊。

26日目
無料遍路宿へ行く途中道を間違え、田舎の喫茶店に入り、モーニングサービスで朝食をしました。おかみさんとその両親らしい人達がいて、お接待だと言って料金をとらないのです。それでは商売にならないと、申し訳なく思い、持っていたはがきを10枚包んで渡しました。お接待は心の問題ですが、ただ受けるだけでは良くない、と私は思います。
無料遍路宿で以前一緒に働いた人と再会、昼食をお接待で頂きました。この日は岬休憩所の東屋で泊りましたが、海風の強い日でした。

27日目
室戸岬の道の駅で、自転車の遍路をしている中学生に会いました。遍路の身ですが、この日初めてお接待で食事をおごってあげました。

28日目
室戸岬を過ぎてしばらく海沿いの道をあるいていると軽トラックのおばさんに呼び止められました。お遍路さんに会ったら、自分が作ったお握り、お茶、果物をあげるんだと言います。お握り、お茶、トマトをありがたく頂きました。合掌。四国にはこのようにお遍路さんを大切にする人が大勢いらっしゃいます。感謝しながら歩かなくてはいけないと思います。

29日目
東洋太子は番外の寺ですが、ご住職が優しい人で去年境内のちょっとした畳の部屋に泊めて頂きました。このときトイレの便器を落としてしまい(笑)、それを引き上げるのに苦労した思い出があります。今は歩き遍路を泊める施設もできていました。
徳島に入り、牟岐駅のスーパー前自転車小屋泊。

30日目
23番を通過、民宿前の大駐車場にぽつんとあるトイレの軒下に泊りました。

31日目
鍋釜など20キロくらいの荷物を背負った、歩き遍路さんに会いました。河原などに寝て秋まで歩くということでした。話を聞いて同情し、3日目にお接待で頂いた千円をあげてしまいました。その後、「即身成仏」の白布が道沿いに沢山あったので、もしかするとあの人は自分で死ぬつもりで歩いているのかな、と思いました。いろいろな人が、歩いています。徳島市、二軒屋駅の軒下で泊りました。

32日目
焼山寺という山寺の手前のお堂に泊りました。ここは畳の部屋で座布団もあり、ぐっすり休むことができました。

33日目
焼山寺を越え、11番藤井寺へ行く途中で、流水庵という寺のお婆さんのお接待を受け、お茶とお菓子をいただきました。そして暫く歩いていると後ろからひたひたひたと、あいつ(笑)弟がついてくるではありませんか。「おっ何だ、お前か」と弟と劇的な再会、何かお互いに運命的なものを感じました。
ここには姪がいるので、電話して豪華昼食のお接待を受けました。そしてコンビニの軒下で、久しぶりに二人で枕を並べることができました。

34日目
10番から1番まで歩き、ビールで乾杯して東京に帰ってきたという次第です。

食事は、お金を使った順に、ジュース、カップめん、パン、お握り、バナナ、納豆、豆腐、トマトですね。今回の遍路は別れそして再会(男同士でむさい!)があって、結構波乱に富んだ旅でした。 どうも有難うございました。(拍手)

あとがき
さてさて、講師の安田さんは失礼ながら飄々とした風貌、淡々とした語り口でしたが、ユーモアとウィットに富み、会場には笑いが絶えず、1200キロ、2時間におよぶ講演時間は、あっと言う間に過ぎてしまいました。この後、延々と続いた質問も、聴衆の関心の高さを示すものでした。
安田さん、どうも有難うございました。
                         
−おわりー
文責:大野令治
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:石川美雅
HTML編集、画像データ挿入:石川美雅