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神田雑学大学 12月1日 講義

講師:坂田 純治
 


目次

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講師紹介
映画の歴史
トーキーの出現
映画の最盛期
パリの屋根の下
パリ祭
嵐が丘
カサブランカ
旅愁
慕情
ピクニック
昼下がりの情事
ティファニーで朝食を
追憶
逢いびき
旅情
ドクトルジバコ
舞踏会の手帳
望郷
禁じられた遊び
白い恋人たち
刑事
ひまわり
蛍の光



【講師紹介】

坂田純治さんは、映画ビデオ・邦画、洋画併せて2,700本を所蔵する映画史研究家 である。このたび、第一回目の講演は古今の名作のバックに流れる映画音楽を 坂田さん自身が編集したビデオを観ながらの講演です。 お住いのマンションの一室はビデオの保管室であり、まさにビデオ資料館である。 映画に関してはいろいろな切り口を持っていて、2700本すべて頭に入っている のである。

【映画の歴史】

映画がこの世に誕生したのは1895年日清戦争(明治28年12月)当時である。 今年で丁度で106年目になる。最初はいわゆる無声映画で画面だけで、 ドキュメント、記録の世界、舞台の実写、フィクション、いわゆるドラマの世界へと 入っていく。そのうち贅沢でわがままな観衆は、画面を観ているだけではつまらない、 飽き足らないと、いうことで音声が加わることを要求してくるのである。

古来文化が一定のらん時期を迎えると、何所の国でも音楽劇というものが誕生して くる。日本では、能、狂言、歌舞伎の世界、中国では、京劇、ヨーロッパではオペラ アメリカではミュージカル、いわゆる音楽劇というものの発達を強く欲求してくるわけ である。 特にハリウッドの制作会社もなんとか大衆の声に応えようと一生懸命研究を つづけるがなかなかうまくいかない、その内にハリウッドのワーナーブラザーズと言う 会社のスタッフが

1926年にジョン・バリモアを主演させた「ドンファン」と いう映画、そこでトーキーの実験をした。それが思ったよりよく出来たので 翌年の1927年10月にアル・ジョルスン歌手を起用させて「ジャズシンガー」 という作品を世に出し大ヒットした。その頃ワーナーはつぶれかけていたが このト-キ-映画に大博打を賭けたのが見事大当たりしたのである。

無声映画時代は台詞、言葉はどうしたかというと、字幕を画面に映し、音楽は各 劇場に最低一人のミュージシャンがいて、ヴァイオリンとか、ギターとか、或は ピアノなどを弾かせて雰囲気を盛り上らせた。 ブロードウェーの大きな劇場になると30人編成のオーケストラがステージの オーケストラボックスで演奏をして映画を盛り立てた。その音楽も最初は劇場の 館主が選んだ音楽がよく使われていた。

日本で一番よく使われたのは、「美しき天然」である。ちょっと余談になるが 大女優だった田中絹代は少女時代に映画界に憧れて近所の映画館で「おせんにキャラメルーーー」 でお馴染みの売り子のアルバイトをしていた。

「美しき天然」につづくのは、シューマンの「トロイメライ」ドボルザークの 「ユーモレスク」「金と銀」コメディーなどに使われた「三色すみれ」それから 追っかけとかアクションになると、「天国と地獄」それからチャンバラ 時代劇は殆ど長唄の中のリズムが早いところを取上げて、三味線を弾く人が画面を盛り上げた。

世界で日本だけに独特な世界がある、それは活弁の弁士というのがいた。この人は 字幕は要約された簡潔な文章なので、見てるだけでは物足りないという人の為に 声色を幾つも使って物語りを語っていく、日本独特の活動弁士という世界である。 第一次世界大戦が終わって1919年にはラジオ放送がアメリカで始まる。

やがて文明の利器と言われる電蓄が普及してきて、歌や音楽が新しい展開をして行く。 大衆が望んでいたト-キ-は1927年の「ジャズシンガー」、トーキーの元祖と呼ばれている。    2〜3年の間にはワーナーに負けじとばかりにメトロもフォックスも皆、殆ど作る         作品はトーキーなになった。でも チャップリンは頑固で、かたくなにサイレントを守る。

チャップリンは作曲家でもあり、非常に美しいメロディーをいろいろな作品で作っている。    自分が作曲したメロディーはトーキーで使ったが、自分の語り声は絶対に出さなかった。       チャップリンが自分の声を大衆の前にさらしたのは、「ジャズシンガー」以来13年 ぶりであった。 「チャップリンの独裁者」というヒトラーを風刺した傑作があるが、ここで初めて チャップリンがお喋りし反響を与えた。

日本の場合は小津安二郎監督も トーキーが嫌いで、録音の技術に信頼を見せなかった。小津安二郎さんは「ジャズシンガー」 より9年目の1936年に「一人息子」という小津さん初期の大傑作があるが、 この9年目にして、初めて飯田蝶子や、日守新一という俳優さんに画面で語ら せ、小津もいよいよ重い腰をあげたのである。

因みに日本映画のトーキーの第一作は1931年昭和6年五所平之助と言う監督 の
「マダムと女房」が日本ではトーキ一作である。トーキーの出現により大変な 社会問題が起きた、と、いうのは無声映画時代にどんな大スターでも訛りの酷い 人、声の悪い人は、失落していったのである。

楽士が失業する、日本の場合は活弁の弁士が失業する、徳川夢声らはストライキを 起こした。余談になるが、浅草の観音さんの向かって左側の一部にちょっとした スペースがあり、そこに日本活動弁士の塚というものがあり、そこには、徳川無声、 山野一郎、国井紫香など30人くらいが名前を連ねている。

【トーキーの出現】

トーキーの出現は主題歌とか、それを歌う歌手の人気がいやがうえにも旺盛になり その方面の大スターが生まれてきた。オペラとかレビュー、ミュージカルの舞台を 模写したような映画が次々生まれて大ヒットしていった。

ようやくこの流行が下火になった頃に普通の劇映画、歴史スペクタル、ウエスタン、 などが盛り返してきていわゆるバックグランドミュージック、BGM、といったよ うな分野が生まれて作曲、編曲などが一般化された。

因みにアメリカのアカデミー賞 には、それまで主題歌賞というものがあったが、1935年に劇映画音楽賞という部門 が新設された。「男の敵」この時の音楽監督はマックスタイナーと言って第1回目 受賞、劇映画音楽の神様元祖と言われた。

気取った言い方をすれば映画は総合芸術である、したがって映画音楽といっても 基本的に言ってその映画音楽だけを切り離して、これは立派な作品であることは 意味をなさない、やはり映画自体が優秀作であること、諸々の芸術の諸分野が 渾然一体となって映画が一本出来あがった時に初めてこの映画音楽は優秀である と言うふうに言えると思う。

【映画の最盛期】

ずばり映画の最盛期は1930年〜1970年代前半、約45年間というのは坂田さん の主張である。因みに日本の例でいうと、映画人口、年間どれだけの人が映画を観たかと 言う統計がある、この最高が1958年、昭和33年この年は長島がデビューしている、 そして東京タワーが竣工し、或いはロカビリーブームが始まり、又、或いは 一万円札が登場し、大変話題の賑やかな昭和33年だった。

この年の映画の人口は最盛で、11億3千万人の人が日本中で映画を観たと言うことである。 どん底は平成5年、今から7年前、最盛期の頃昭和33年頃、映画館は 7457館平成5年には1678館であったが、去年の統計では2000館以上に戻っている。 小劇場とか、名画座とか小さな小屋が増え、それで少し復活したようだ。 映画の歴史106年の間の45年間に絞ると、膨大な作品数である。

---------------≪各論≫---------------


【パリの屋根の下】

フランスの監督:ルネ・クレール、は最初に音をマスターした作家であると言われて いる、クレールはハリウッドが27年に「ジャズシンガー」を作ってからのハリウッド のトーキーの扱い方を大変不満というか不信を持っていた。こんな音の使い方は デタラメじゃないか、映画本来のリズムとか動きは一体何所へ行ってしまったのか、 と、大変怒った。

音の使い方、面白さを自分から身を持って表現しようじゃないかと 言って作ったのがこれから観る「パリの屋根の下」である。 ルネ・クレールという監督は、俳優から監督になった、フランスで名監督が多い中 「ル・ミリオン」とか「自由を我ら」にとか「沈黙は金」、「リラの門」、「悪魔の美しさ」など名作を 作ってる哲学的処世観を持っている監督である。

それが証拠に1960年に日本の芸術院 会員とでもいいましょうか、アカデミーフランセーズと言うフランスの立派な方々が 会員になっている会があるが、映画人として最初にこのアカデミー会員に推薦された 一人である。 クレールが創った「パリの屋根の下」「パリ祭」はどちらも作曲した曲を一曲しか使 っていない。作曲者はラウル・モレッティー、
作詞はルネ・ナゼール

* 詩の朗読
* 西城八十の訳詩で歌う

【パリ祭】

1932年トーキーの2番目の作品で、この主題曲は、モーリス・ジョベールと言う当時の 名作曲家である、この人は、この「パリ祭」と、「舞踏会の手帳」マルセル・カルネの       「北ホテル」などの名曲を作った映画音楽家である。

「パリ祭」の原題は「7月14日」でフランスの革命記念日が原題、当時欧州からの映画を 専門に輸入していた東和商事の川喜多長政、かしこ夫妻が、「7月14日」では売れそうもないと 「パリ祭」にした。

ジャン・ギャバンの「ペペルモコ」これを「望郷」と名ずけたのもこの 夫妻である。そして史上に残る名邦訳題である。トーキーと音楽はこうして結合させるんだよ、 というお手本そ示した映画の一つである。

【嵐が丘】

監督:ウイリアム・ワイラー
音楽:アルフレッド・ニューマン

この嵐が丘という原作はブロンテ姉妹の次女エミリーの原作である。 因みにお姉さんはシャーロッテ・ブロンテ、妹はアン・ブロンテ。 この小説は残酷極まりない情念のドラマである、アレクサンドル・デュマのモンテクリスト伯の  復讐劇よりもっと酷いと言われている。それを 製作者、S・コニルドウインは、 W・ワイラーに命じて、甘美なエンドにしている。

この映画音楽担当はアルフレッド・ニューマンである、彼はピアニストで オーケストラの指揮もすれば、作曲、編曲もする、彼の曲は天才的で映画音楽のために 生まれたんではなかろうかと思うほど上手な映画音楽を作っている。 そのため、多作で何と日本で公開されたアルフレド・ニューマン映画作品は120本に 及ぶ。古くは「世紀の楽団」戦後は「慕情」遺作でバートランカスターの「大空港」など。

* 台詞を朗読

【カサブランカ】

1942年ワーナーブラザーズの作品である、会社から指名された監督はマイケル・カ ―ティーズ、キャスティングは元アメリカ大統領ロナルド・レーガン、ワーナーの 看板女優アン・シェリダン、この二人で撮れといわれたがマイケル・カーティーズ は、リックの役をハンフリー・ボガード、イルザの役にイングリッド・バーグマンを 起用して結果は見事に皆さんご存知の名作が誕生した。 劇中に歌われた「時過ぎ行くにつれて」を聴く。

【旅愁】

1950年の「旅愁」特に強調したいのは劇中で「Septemberソング」という古い レコードが大きな役割をはたします。「Septemberソング」はクルトバイル という人が1938年にミュージカルの中で使った一曲である。この レコードに吹き込んでいる人がこれまた凄い!ウオルター・ヒューストン である、彼は大変な名優で、息子さんはジョン・ヒューストン、やはり 名優で監督であった。

【慕情】

監督:ヘンリー・キング
出演:ジェニファー・ジョーンズ/ウイリアム・ホールデン
音楽:アルフレッド・ニューマン

1955年の「慕情」サニー・フィン作曲、ポール・ウエブスター作詞、音楽監督は アルフレッド・ニューマン、1955年のアカデミー主題歌賞を受賞している。 昨年NHKの世論調査で、あなたの今まで観た映画の中の主題曲、主題歌を一曲 挙げて下さいと、アンケートを調査したところ、第1位は「タイタニック」第3位は 「第三の男」第2位に「慕情」の主題歌が挙がっている、制作してから45年永遠の ナンバーと、なるのではないか。聴く

【ピクニック】

ウイリアム・インジの書いたブロードウェイのピューリッツア賞を取った戯曲の映画化である。 監督はジョシア・ローガン、当時も今も、ブロードウェイ切っての大演出家 である。J・ローガンはこの後、マリリン・モンローの「バスストップ」ミュージカルの 「南太平洋」など舞台と映画の掛け持ちの演出をしている。
この映画の音楽は ジョージ・ダニング作曲、作詞スティーブ・アレッソ

【昼下がりの情事】

監督:ビリー・ワイルダー
出演:ゲーリー・クーパー/オードリー・ヘップバーン

オストリア人でシナリオライター、戦後45年アル中の主人公を描いた 「失われた週末」を発表、その年のアカデミー監督賞、その後は「サンセット大通り」 マリリン・モンローの「七年目の浮気」ジャック・レモンとシャーリー・マックレーンの 「アパートの鍵貸します」など、コメディーでよし、シリアスドラマでよしと、 なかなか才能豊かな監督である。 この映画に使われている「魅惑のワルツ」と、当時タイトルがつけられていたが、実は、 本来は「ジプシーのワルツ」というシャンソンであった。

【ティファニーで朝食を】

監督:ブレイク・エドワーズ
出演:オードリー・ヘップバーン/ジョージ・ペパード

ティファニー時代のヘップバーンは丁度32才で、まさに 円熟期に入った時であった。音楽はヘンリー・マンシーニで当時映画音楽の革命児 先駆者と呼ばれていた。ベニーグッドマン楽団とかグレンミラー楽団にも所属して いたことがあった。

【追憶】

監督:シドニー・ポラック
出演:バーブラ・ストライサンド/ロバート・レッドフォード

S・ポラックは職人的な監督で「トッツイ」「愛と悲しみの果て」など作品がある。 バーブラ・ストライサンドは若い時にアマチュアコンテストで優勝1964年 ファニーブライスというブロード ウエーイの大スターの伝記をミュージカル化したファニーガールの主役をい止めた。

ファニーガールは68年に映画化され、これにもストライサンドは起用された。 この年のアカデミー主演女優賞を取っている。歌唱力は抜群、そしてこの人の強みは、 演技力で両方兼ね備えた俳優さんは なかなかいない。1969年「ハロードーリー」にも出演している。 1983年「愛のイエントル」自作自演の映画の監督までやっている才媛である。

《休憩》

【逢いびき】

監督:デビット・リーン

ノエル・カワードはイギリスの劇団の劇作家で、その人の戯曲の「静物画」を映画化       したものである。この映画の音楽の扱い方はクラッシクである、ラフマニノフのピアノ    コンチェルトの2番ハ短調、非情に甘い楽章の所をデビット・リーンが、 ジョン・フリングスワース音楽監督と相談して使った。

【旅情】

監督:デビット・リーン
出演:キャサリン・ヘップバーン/ロッサノ・ブラッツイ

キャサリン・ヘップバーンは最初ブロードウエイの舞台をやっていた、ハリウッドに 招かれ、招かれた2年目に「勝利の朝」という作品に出演、アカデミー女優賞に輝く。 つづけて68年「冬のライオン」「招かれざる客」81年ヘンリー・フォンダの 遺作となった「黄昏」でアカデミー賞、一人の女優さんで4つもアカデミー 主演女優賞を受賞したのは、キャサリン・ヘップバーン只一人である。

彼女は中性型でスカートは滅多にはかない。スペンサー・トレーシーという名優と大変 公私とも仲がよくて、ヘップバーンとトレイシーコンビの作品は9作ある。 「旅情のボレロ」という主題曲が入っていて、アレッサンドロ・チコニーニという 作曲家はヴィットリア・デ・シーカと「靴磨き」「自転車泥棒」「ミラノの奇跡」 「終着駅」などの作品でよくコンビを組んでいた。

【ドクトルジバゴ】

ソ連の小説家ボリス・パステルナークの原作で世界的に売れて大ベストセラーになった。 しかし、本国のソ連では内容が気に入らないと言ってソ連国内では出版が 禁止になった、所が1958年ノーベル文学賞で発表になったが、 これも当時のソ連の圧力で受けてはならないということで受賞を拒否している。 出演のオマー・シャリフが演じるジバゴは大変純粋な詩人であり、医学者で、 正妻はジュラルディン・チャップリンが演じている。

音楽はモーリス・ジャール「アラビアのロレンス」「史上最大の作戦」フランス映画の 「シベールの日曜日」「地獄に落ちた勇者たち」など大作の映画音楽を手がけている 名映画音楽家である。愛人ララのテーマが大ヒット。

【舞踏会の手帳】

監督:ジュリアン・デュヴィヴィェ
出演:マリー・ベル/フランソワーズ・ロゼ、他か
音楽:モーリス・ジョベール

32年「ニンジン」「モンパルナスの夜」「商船テナシチー」などをクリアして 「白き処女地」という34年の名作を映画化、ここでジャン・ギャバンと出会う。 ジュリアン・デュヴィヴィェとジャン・ギャバンのコンビは、34年の「白き処女地」 から始まって「地の果てを行く」「我らの仲間」そして「望郷」など名コンビの二人で あった。

女優マリー・ベルはバレー界にいましたが舞台に入り、パリのコンセルバトアールを 20才で主席で卒業した才能と美貌の持ち主であるが、「外人部隊」以外、余り売れっ子には ならなかった。と、いうのはあまりにも気品がありすぎて大衆受けしなかった。 音楽家のモーリス・ジョベールは40才の時、第二次世界大戦で惜しくも戦死した。

主題曲「灰色のワルツ」は手の込んだ作り方をしている、一旦書き上げた譜面の頭とシッポを 逆さまにしてそれを演奏して録音する。それをもう一回逆回転して再生して ダビングしたのがこの「灰色のワルツ」である。 それはどういうことか?と、いうと、このデュヴィヴィェの思考、 舞踏会の手帳というのは、最初に舞踏会に出た時のダンスの相手の男性を尋ねて 歩くオムニバスで、回想 のイメージと、非常に不安定な情緒、幻想的な情緒これを現そうとして苦労した。

【望郷】

監督:ジュリアン・デュヴィヴィェ
出演:ジャン・ギャバン/ミレーユ・バラン
音楽:バンサン・スコット

ペペルモコ、モコというのはアルジェリアという意味で アルジェリアのペペ、強盗の話である。デュヴィヴィェとギャバンの コンビの中でも最高傑作と言われる作品である。 ギャビー役のミレーユ・バランはこの映画に出たために宿命的美女のイメージが 強すぎて、晩年はあまり売れなくて、不遇のうちに亡くなった。

映画音楽を作ったバンサン・スコットは元来シャンソンの作曲家である。 珍しいのはギャバンが映画の中でシャンソンを歌う場面、そしてもう一つは望郷の念に かられて時々慰めてもらいに行く、話をしにいく年老いたおばさんがいるのだが、この 人が自分が若い時を想い出して「これ、私が吹き込んだレコードなのよ」 と言って古いシャンソンのレコードをかけてくれる。このおばさんが フレールと言う実在のシャンソン歌手なのである。

【禁じられた遊び】

監督:ルネ・クレマン
出演:ブリジット・フォセー/ジョルジュ・ブージュリー

この映画の一つの成功は当時5才のブリジット・フォセーという少女が 大変素晴らしい演技をしている、このフォセーは成長してアラン・ドロンと チャールズ・ブロンソンが 出た「さらば友よ」と言うフランス映画に出ていた。それからフォセーの演じた ポレットの友達になるミシェルを演じる、ジョルジュ・ブージュリーという少年は役者らしい 役者にはなれなくて、晩年不遇だった、今年の10月の半ばに 不遇のうちに亡くなったと新聞で報道された。

音楽は今更申し上げることはないが、スペインの古い民謡の「愛のロマンス」というのが 原曲で作品の情感を盛り上げるために、これをナルシソ・イエペスという人がアレンジ し、自らギターを弾いて情感を漂わせている。この曲は1939年にタイロン・パワー、 リンダ・ダーネル、リタ・ヘイワーズが演じた「地と砂」という闘牛士の映画でも使われて いる。戦後はクレマンが初めてである。

【白い恋人たち】

監督:C・ルルーシュ

クロード・ルルーシュとフランシス・レイのコンビの名作である。 1968年グルノーブル冬季オリンピック大会の記録映画である。 フランシス・レイと組んだルルーシュはこれより2年前に「男と女」と言う 名作を発表、フランス国家から要請で記録映画を撮った。

素晴らしい躍動感、カメラワーク、映像美、フランシス・レイの音楽、 観衆は大拍手を送った。ところが、記録映画を撮るよう命じたのにこれは何だ!と、 いうことで当時のフランス大統領ドゴールのご機嫌を斜めにした作品である。

そんなエピソードを思い出すとそれより4年前の1964年に東京オリンピックを、 これも国の命令で市川崑監督が撮っている、当時の総理は佐藤栄作、 これが試写会で東京オリンピックを観て、カンカンになって怒って 出て行ったというエピソードが重ね合って面白い。

【刑事】

監督:ピエトロ・ジェルミ
作曲はカルロ・ルステケリというイタリーの名音楽家である。 ジェルミという人は監督なのか俳優なのか、どっちが本職なのかわからないくらいの 名優である。この「刑事」も単なる推理映画に終わらせていない奥行きの深い 作品を作っている。これから歌う「死ぬほど愛して」はこの作曲家 カルロ・ルステケリの娘さんでアリダ・ケッリという人が歌っている。

【ひまわり】

監督:ビットリオ・デ・シーカ
出演:ソフィア・ローレン/マルチェロ・マストロヤンニ
音楽:ヘンリー・マンシーニ

デ・シーカは演劇活動をやっていて、映画界に入った、大変美男子なので直ぐに スターになった。ところが戦後何を思ったか、俳優もやっていたが、監督になって 「靴磨き」「自転車泥棒」で、ロベルト・ロッセリーニと共にイタリアンネオリアリズム という運動の代表的な旗手になった。「ひまわり」はソ連の政府に掛合ってウクライナ 地方にロケーションを許可してもらった。当時としては難しい作業であった。

ソフィア・ローレンを使った、ローレンはシルバナーマンガーノの「アンナ」 と言う作品にほんのチョイ役で出たのが何時の間にかマンガーノを追い越して、 イタリアの生んだ国際的名女優である。相手役は世界の恋人といわれる マルチェロ・マストロヤンニ。 もう一人是非観て頂きたい、リュドミラ・サベリーエワはバレーをやっていた。

ところが、ソ連で代表的名優であり名監督でもあるセルゲィ・ボンタルチェクのトルストイ の「戦争と平和」を3部作で撮りたい、どうしてもヒロインの ナターシャに君を使いたいと、口説き落として、結局「戦争と平和」は6年かかった。

その間サベリーエワはバレーの活動を止めてナターシャに打ち込んだ。 「ひまわり」はメロドラマ的三角関係ばかりではなく、この作品で、 声をさらに大きくして反戦を伝えている。「戦争はいやだ!」と。

「蛍の光」

  二十世紀最後の12月1日を、映画「哀愁」別れのワルツの場面を観ながら スコットランド民謡「蛍の光」をみんなで2コーラス歌って終了。

*(本論上映作品の制作会社)

20C-FOX
COLOMBIA
M.G.M
PARAMOUNT
R.K.O
U.A
UNIVERSAL
W.B
セルズニック
東宝東和(配給) ほか。


−おわりー
 
文責 和田節子
HTML作成 和田節子