神田雑学大学12月12日講義録 

  

ヨーロッパ文明のルーツ

「幻のケルトを探る旅」

講師『イギリスを知る会』大竹 桂子 



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目  次

講 師 紹 介

はじめに

ケルトって何?

ケルトを巡るイギリスへの旅

ヨーロッパ文明の原型・ケルト>

講 師 紹 介
大竹桂子さん


★はじめに
皆さまは、ローマ文明よりさらに古い文明がヨーロッパにあったことをご存知 でしょうか。それが古代ヨーロッパにあったケルト文明≠ナす。 今晩の講師『イギリスを知る会』の大竹桂子さんからは、イギリスの旅で出会 ったケルト文明の一端をご紹介していただきます。なお大竹さんは、『神田雑大』の姉妹である 『吉祥寺村立雑学大学』の世話人でもあります。


☆ケルトの歴史
ケルト人≠ニいうのは紀元前600年の往古にヨーロッパ中央部分すなわちフランス北東部のシャンパーニュ、ドイツ北部のザール、ライン川の支流モーゼル、中部ライン地方辺りの深い森の中に居住していた 先住狩猟部族だといわれています。

オーストリアのハルシュタット(初期鉄器時代遺跡)やスイスのラ・テーヌ(後期 鉄器時代遺跡)などから出土したものを見ますと、鉄・銅器や金・銀細工に彼らの文 化の高さが表れています。

紀元後になるとローマ帝国が最盛期を迎え、ケルトの人々はローマ軍に追われ てヨーロッパの周縁に散りました。アイルランド、イギリスのスコットランドや ウェールズやコンウォール、そしてフランスのブルターニュなどへです。

うちのアイルランドでは、特にドゥルイド教≠ニいって、霊魂の不滅と輪廻 転生を信じ、死の神を世界の主宰者と信じた、古代ケルト民族が創始した宗教の 教えが後世まで支配力を保持していたため、また幾つかの文献が残っていたため、 ケルトの古い神々の物語が伝えられていることで知られています。


☆ケルトって何?
6年前に単身でイギリスの南部のボーンマスに行ってから、すっかりイギリス が好きになりました。以来、度々イギリスを訪ねるようになりましたが、今日の お話のテーマでありますケルト文明≠ニいうのに出会ったのは2回目のときで す。

10年ほど続いています『イギリスを知る会』(会員約100名)というのがあ りますが、その会でスコットランドの最北端サーソーから船でオークニー諸島、 シェトランド諸島へ渡りました。そこで、私はブローチを見て初めてケルト文 様≠ニいうものに出会ったのです。組み紐のような文様を見て、「えっ、ケルト って何、これがヨーロッパ文化なの?」という感じをもちました。

その後の1998年4月、上野・東京都美術館で古代ヨーロッパの至宝『ケルト展』 が開催されました。
わが国初のケルト文明≠フ公開だったのです。
そのとき私 は、ケルトの世界的な権威者であるヴァンセスラス・クルタ教授の話を聞きまし た。

「ケルト文様の曲線は、聖なる木宿り木≠フ2枚の葉っぱがつながったも の」で、この文様には「再生∞転生≠ニいった祈りが込められている」とい うことでした。宿り木は、欅・榎・桜・水楢などの落葉広葉樹の樹上に寄生する ためこの名があるのですが、それを聞いて私は、2500年もの太古のケルトがぐっ と身近になったような気がして、クリスマスのころに多年生植物の宿り木を探し ました。

そうしたら街の花屋の店先に飾られてあるのを見つけました。
「でも、 値段は7,000円もする。どうしよう」と私は迷ってしまいました。皆さんは、宿り 木を目にしたことがありますか。これが宿り木です。回しますので、手に取って ご覧ください。

 ヨーロッパでは、クリスマスに宿り木を飾るところがあります。特に、聖なる 木である樫やヨーロッパ楢に付いたものを尊ぶということです。
そこに宿る木は、 命の再生∞神の魂≠ニ信じられましたが、これは元々古代ケルト人の風習だ ったのです。年初の月齢6日の夜、ドゥルイド(ケルトの司祭階級)が宿り木を刈 るときに儀式を行っていたのです。

黄金の鎌で刈り取り、2頭の白牛を神に捧げました。その折に切り取った宿り木は、 地面におとしてはならない、白く厚い布で受け取るのだといいます。ドゥルイドは、 魔術的儀式・深遠な宗教行為を行いますが、全てを暗記し、口承で伝えたのです。 これがケルトの特徴であり、また宿り木=ケルト文様、これがケルト文明のひとつのキーワードでもあります。

☆ケルトを巡るイギリスへの旅
2回目にイギリスへ行ったとき、私は一般的な観光旅行をしたくなかったものですから、 サラリーマンの家庭にホームステイをしました。散歩に出ますと、教会にはケルト十字≠フお墓がたくさんあります。

7〜10世紀のあいだに集中的に建てられたものばかりです。これはケルトとキリスト教 とが融合したもので、ケルト十字にはケルト紋様が描かれ、東の面には『旧約聖 書』、西の面には『新約聖書』が書かれています。 というわけで、このケルト十字のあるところには、ケルト文化の香りがあるのです。

ただし、インド・ヨーロッパ語に属するケルト語は幾つもに分かれていますが、 固有の文字を持ちません。借りてきたアルファベットで碑文を刻んだのです。

ケルト部族の生活のリズムは、森や野で追う牛や羊の動きによって規定されて いました。例えば、五月祭=初夏に動物たちが山に出る日、良い季節の到来を祈ります。

10月31日(ハローウィン=アイルランド・スコットランドが起源)=冬が来る前に、 動物たちが小屋に戻って来る日です。その年の収穫を祝う日で、火で悪魔祓いをします。 11月1日=新年です。神々がタラ(アイルランドの首都ダブリンから北へ約9km、ボイン河付近。小王国に君臨する上王がいた宮廷)の丘に集まるとい うのです。

432年、聖パトリック(386〜461:アイルランドの守護聖者として広く尊崇されている)によってキリスト教が布教され、ケルト人は宗教戦争を起こすことなく融 合していきましたのですが、「島のケルト」の一部が保存されたのは、中世のアイルランド修道士のお蔭です。

アイルランドでは、その後もずっとケルト的本質が維持されました。 今年はスコットランドに行きました。そこは1,000の島と1,000の湖があると言われているころなんですが、スコットランドのオーバンから私はフェリーに乗っ てマル島の西にあるアイオーナ島に渡りました。ここは全島5kmの小さな小さな島で、スコットランドのキリスト教上陸地でもあります。

ちょうど、ミレニアム≠ニいうことで多くの巡礼者が島に渡って来ていました。 ここに聖コロンバ(520〜597)という人が563年に僧院を建てています。アイオーナの島の修道士たちによって、福音書『ケルズの書』が書き始められ ましたが、800年ごろバイキングが襲来したため、修道士たちはアイルランドへ避難し、そこのケルズで完成させました。

その『ケルズの書』にはケルト文様が散りばめられ、今では貴重な遺産となっています。 ちなみに、『ダロウの書』(680)と、この『ケルズの書』(800)と、『リンディスファーンの福音書』(898)を ケルト装飾芸術の三代傑作と呼びます。そんなことなどから、いまアイオーナは聖地になっているのです。

シェークスピアの悲劇『マクベス』(歴史家・ホリンシェッドの『スコットランド年代記』から取材)でお馴染みのマクベス武将とダンカン王も永眠しているそ うです。というわけで、アイオーナ・アビーは伝説と謎に包まれています。そして私は、小さなボートでスタッファー島へ行ってフィンガルの洞窟を見て きました。

青い海の荒々しい波飛沫を浴びながら、六角状の玄武岩の岩柱を目に焼き付けてきました。同じ思いで作られたのが、メンデルスゾーン(1834〜1907) の名曲『フィンガルの洞窟』です。彼は20歳(1829年)の夏に初めて渡英して、蒸気船でヘブリディーズ諸島を訪ね、このスタッファー島・アイオーナ島を巡った のです。

ケルトの伝説に「オシアンの古歌」(参考:『オシァン』岩波文庫)というのがあります。オシアンは、3世紀ごろの人で、スコットランド、アイルランドに居 住した古代ケルト部族の英雄・フィンガルの息子です。彼はタラの宮廷に仕えた勇者であり、 吟唱詩人として多くの叙事詩を創った人物とされていますが、史実は彼の古歌というより、 古代ケルト民族の間に語り継がれたものだと解釈した方が真実に近いというのが専門家の見方です。

それはともかくとして、この洞窟に古代ケルト民族の王の中の王・フィンガルが棲んでいると伝えられているのです。 そして、この「オシアンの古歌」に傾倒したのが、かのゲーテ(1749〜1832)で彼は1771年にドイツ語訳をし、1774年に発表しました『若きウェルテルの悩み』にも「オシアンの古歌」を吸収した歌を書いています。それをちょっと朗読してみます。
『若きウェルテルの悩み』の12月20日の項です。

〜たそがれゆく夜の星よ、

なんじはうつくしく西にきらめき、

雲間にかがやくこうべをもたげ、

おごそかに丘の上をさすらいゆく。

そも何を求めようとて、広野をばみはるかすぞ?

あらしはしずまり、遠くよりは小川の呟きがきこえ、

さわだつ波が岩にたわむれ、

夕べの虫は野の面に唸りむらがっている。

うつくしい光よ、何を求めているのか?

波は、笑まいつつ移りゆくなんじを楽しげにとりまき、

なんじのやさしい髪を洗っている。

さらは、しずかな光よ。

いざ、あらわれよ、

わが魂のきらびやかな輝き!

あらわれいでるこの壮観よ!

亡き友らはふたたび出できたって、

ありし日のごとくにローラの野に集う。

フィンガルは霧の柱のごとくに歩んで、

しりえにもののふたちを従えている。

みよ! 怜人たちがいる。

白髪のウリン、 ますらおのリノ、

愛らしいうたびとのアルピン!

さらに、おんみ、やさしく嘆くミノナー!


いかがでしょうか。
ケルト民族の魂は、いまもヨーロッパの人たちの心の中に 脈々と生きているのです。

(拍手・拍手・拍手・・・)

★ヨーロッパ文明の原型・ケルト
小生は、メンデルスゾーンの『フィンガルの洞窟』を聴きながら、大竹様のお話をまとめました。皆さまは、いかがだったでしょうか。
よく、ヨーロッパ文明は「ギリシャ・ローマやキリスト教だけでは理解できな いものがある」と言われていますが、その正体がケルトだったのです。ちょうど、日本のそれがアイヌであるようにです 。そう考えると、単一民族≠ネどという言葉は、歴史の勝者のまやかしであることが分かります。 人類は、人間の歴史は、そう単純なものではなかったようですネ。

(文責:ほし ひかる)
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作:上野 治子