神田雑学大学 1月12日 講義

講師:坂田 純治
 



目次

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講師紹介
現金に手を出すな
第三の男
007・ゴールドフィンガー
モダン タイムス
ライム ライト
腰抜け二挺拳銃
荒野の決闘
真昼の決闘
シェーン
帰らざる河
未完成交響楽
別れの曲
愛情物語
ジョルスン物語
五つの銅貨
ベニーグッドマン物語
グレンミラー物語



【講師紹介】

坂田純治さんは、映画ビデオ・邦画、洋画併せて2,700本を所蔵する映画史研究家である。 前回につづき、第二回目の講演も古今の名作のバックに流れる映画音楽を坂田さん自身が編集した ビデオを観ながらの講演です。 お住いのマンションの一室はビデオの保管室であり、 まさにビデオ資料館である。

埃や湿気を嫌うビデオをどのように保管しているのか訪ねたところ、ビデオを一本づつ丁寧に ラップを巻いて保管しているという。 映画に関してはいろいろな切り口を持っていて、2700本すべて頭に入っているのでである。

流石、声優さんでもある坂田さんの声の良さは当然ながら、間の良さ、響きは聞いていて心地いい。 部屋いっぱいに溢れんばかりの受講生を前に 映画音楽の話はつづいた。 本日はPART2であります、アクションとかウエスタン、コメディーなどが でてまいります、後半の休憩後の方は音楽家の伝記映画と題して、

シューベルトから、 グレンミラー物語までを断片的ではありますがご覧頂く予定でおります。 PART1を終わったあと大勢の方からいろいろ批評やアドバイスがあった。 たとえば、 「お喋りは程々にして、名場面をもっと観たい」 「丸ごと作品を一本観たかった」 「映画の本数を少なくして、トークをもっと聞きたかった」 今回は、これらの意見を折衷しましてお話を進めていきたい。

              ーーーー各論ーーーー

【現金に手を出すな】1954年

トゥシエ・パザン・グリスビー。アルベール・シモナンというフランスの推理作家の原作・台詞である。 世界大戦後のフランス映画の傾向というのは、いわゆる暗黒ものが多い。フィルムノアールという。 「現金に手を出すな」もご多分に漏れず暗黒もので、ギャングの黄金の争奪戦である。

監督はジャック・ベッケル、この監督は「大いなる幻影」を監督した、 ジャン・ルノアールに師事した。ゲンナマの前には、シモーヌ・シニョレ の娼婦を使った「肉体の冠」或いはゲンナマの後では、ジェラール・フィリップが演じた モジリアーニの伝記映画「モンパルナスの灯」「穴」など 名作を作っている監督である。

戦後のフランス映画の主流は暗黒映画だと言われているが、暗黒映画フィルムノアールの中には 「情婦マノン」「恐怖の報酬」「嘆きのテレーズ」 などが同じジャンルに入っている。1955年昭和三十年の上半期のフランス映画界の統計では、 新作が52本が発表されていて、そのうちの15本がフィルムノアールである。

特に戦後のフランスの映画界、ないしは大衆が暗黒映画を求めていたかがわ かる。主演はジャン・ギャバン、この映画の音楽監督はジャン・ウイーネル、このウイーネルが作曲した。 グリスビーのブルース、ゲンナマのブルース、これはハーモニカを使っているのが珍しい。 共演にはジャンヌ・モロー、 ルネ・ダリー リノ・ヴァンチュラ。

【第三の男】1949年

「第三の男」というのは「落ちた偶像」などの作家グレアムグリーンが  キャロル・リード監督や制作者の要求に応じて自分の原作じゃなくて映画の為の書き下ろしの 小説を作ったのが「第三の男」の原作である。 キャロル・リードの演出。この人はイギリス映画のトップ級の名監督と言っても過言ではない。 その証拠に1952年にイギリスの映画監督としては初めて「サー」の称号を与えられている。

イギリスで「サー」の称号を与えられるということは 大変貴重なことで、得難い称号である。
このリードは「第三の男」を撮る前にはジェイムス・メイスンの 「邪魔者は殺せ」ミッシェル・モルガンの 「落ちた偶像」「第三の男」を撮った後はジナロロブリジータとバートランカスターの「空中ブランコ」 という娯楽作品を作っている。

大分晩年になってからはミュージカルも手がけて「オリバー」などがある。 キャスティングは ジョセフ・コットン、イタリア出身の名女優アリダ・バリ、この二人だが 実はこの「第三の男」の評価を上げて、コットンの影が薄くなってしまったのだが、 その役者はオーソン・ウエルズ。 オーソン・ウエルズという人は学生時代から劇団を組織していて1938年 ある放送局の要請で劇団総動員で「火星人の襲来」というドラマを放送した。

ウエルズの演出、演技がアメリカ中にパニックを起こしたというくらい真に 迫っていたということで、オーソン・ウエルズここにありと名を上げた。 この映画の音楽はアントン・カラスというウイーンのチターの名手をキャロル・リードが発見して起用した。 チターはお琴とギターの間の子みたいな 楽器のようである。

【007・ゴールドフィンガー】1962年

1962年に「007・ドクターノー」というのが発表されました。今日までに「007」は23作で、 初代のション・コネリーから現在のピアース・プロスナンまで5人の「007」が入れ替わりでている。 一番多いのはロジャー・ムアーであるが、ション・コネリーは「007」の為に生まれて来たような役者である。 ション・コネリーは「007」に出る直前まではブロードウエィで「南太平洋」のミュージカルに出てくる ちょい役の水平さんの一人であった。

2.3作顔を出したのが当たって「007」第一号に抜擢された。 「007」は殺人許可証を持ったイギリスの秘密情報部員、1962年から 今日まで、約40年近くみんなを楽しませてくれている訳である。 ジェイムズボンドのテーマを作ったのはモンティ・ノマンというイギリスの 作曲家で、このモンティ・ノーマンをバックアップして、映画全体の音楽効果 を上げたのが、ジョン・バリーである。

*「007」タイトルバックを観る

【モダン タイムス】1936年

「モダン タイムス」これをもってチャップリンは、例の山高帽子、だぶだぶの服、 ズボン、ボロ靴のチャップリンスタイルをやめた作品である。チャップリンは1889年生まれ、 1977年の12月に88歳で他界。チャップリンの父親はアル中、 母はチャップリンが6歳の時に発狂し、結局兄のシドニーとチャプリンは孤児院に入れられた。

チャップリンは自作自演、作曲、振り付け、など多彩であるが、音楽の素養は 一体何時身につけたのだろう。いろいろ調べてみると、孤児院時代にオルガン など、楽器を与えられて音楽の素養を身につけたようだ。 12歳で兄のシドニーとハリウッドに渡り「マックセネット」というドタバタ 喜劇のグループに入り、後は自作自演でどんどんチャップリンの世界を作って いった。特徴はそれまで「マックセネット」喜劇と言われたアクション一辺倒 で、只、ドタバタしていればいいと言うのではなく、そこに、説語性とでも言うんでしょうか。

出てくる主人公の心理描写を巧みに自分で脚本を作って大衆に訴えてきた、 立派な生き方の喜劇役者である。 共演する女優さんはポーレット・ゴダード、この女優さんは「風と共に去りぬ」では、 スカーレットオハラ役のナンバーワン候補であったがビビアン・リーに持っていかれた。 チャップリンの3人目の奥さんである。

【ライム ライト】1952年

チャップリンは後年こんなことを言い出した。「コメディアンというのは 年を取ると悲しい威厳のような物が備わってきて、もうこれは喜劇には致命的なものだ」と、 いうことを彼は訴えた。もう人を笑わすチャプリンではなくて、シリアスドラマに転じた。

この「ライムライト」の後は5年後「ニューヨークの王様」をイギリスで撮り、 67年ソフィアローレンを使って「伯爵夫人」というシリアスドラマが遺作になった。 チャップリンは生涯で74本の長短の作品を作っているが、自作自演、作曲、振り付け、 豊かな才能と社会ふうしを遺憾なく発揮した。

「ライムライト」を作る直前、1947.8年くらいからアメリカではマッカーシー旋風といのが吹き荒れ、 上院議員のマッカーシーが少しでも赤、シンパ、こういう人達を議会で喚問して、 本人は勿論だが身のまわりの赤の人を密告させようとしたが断ると、投獄されるか、 芸能界から追放されるのである。 チャップリンも何回も喚問されたが、最後まで頑張って人を裏切ったり、 友人の名前を密告するようなことは拒んだ。内心ほとほとアメリカにいやけをさし、 「ライムライト」をハリウッドで作ってイギリスに脱出し、スイスに渡り、 晩年はスイスで生涯を送る。

【腰抜け二挺拳銃】

ボップ・ホープ、この人は下積みが大変長い芸人さんで、面白い歌を歌うのと、 早口言葉、それから「気まぐれダンス」という特技を持ち、ボードビリアンとして名前を上げて行く。 1940年にビング・クロスビーとドロシー・ラムーアの3人で珍道中シリーズというのを パラマウントで作りだす。この珍道中 シリーズに、加わったことで、俄然人気が沸騰してボップ・ホープの名は、 ハリウッドはおろかアメリカでも人気があった。音楽監督はビクター・ヤング

*アカデミー主題歌賞を取った「バッツテンボー」

【荒野の決闘】1946年

監督:ジョン・フォード これはワイヤットアープの兄弟とドックホリデーこの3人対クリントン牧場 主一家の「OK牧場の決闘」の史実を描いた作品、ジョン・フォードという人は、 生涯大体150本くらい作品を作っている。西部劇の王様と言われて いるわりには18本と以外に少ない。 ワイヤットアープに扮するはヘンリー・フォンダ。

この人は大学生時代文筆家志望だった、 それが学生演劇に入っていて、舞台が好きで舞台俳優になって 映画に転じていくわけだが、大変気骨のある人で、マッカッシー旋風の餌食 に本人はならなかったが、映画界のマッカーシーの背景を嫌って6年程映画 に出ていない時代があって舞台に戻っていたことがあった。

このようなことを含めてアカデミー協会はこの俳優を嫌った。というのは名優 でありながらアカデミー男優賞には縁がない。気骨というか、 本人のヒストリーがアカデミー協会の会員たちにあまり歓迎されなかった。 最後の最後、死の床にあって遺作になったキャサリン・ヘップバーンと共演 した1986年「黄昏」では、何とかお父さんにアカデミー賞あげてほしいと、 あまり仲のよくなかった娘のジェーン・フォンダが奔走した。事実フォンダは 大変な演技で死の病床でオスカーを受け取った。

【真昼の決闘】

「真昼の決闘」(ハイヌーン)という映画は、午前10時40分から正午まで、 この時間帯を同時進行して映画は進んでいく、この同時進行映画というのは 1949年にロバート・ライズという監督(「ウエストサドストーリー」 「サウンド・オブ・ミュージック」など晩年は華やかな作品を作っている。) が、「罠」と言うボクサーの小品ものをここで実験している。全く映画の進行と現実の 時間とが同じ時間帯で進んで行く手法を「真昼の決闘」は取り上げている。

監督はフレット・ジンネマン。このジンネマンという人は非常に良心的というか、 反体制的な作家で作品もそのようなものが多い。 「真昼の決闘」(ハイヌーン)の直後は、モンゴメリー・クリフトー、バートランカスター、デボラ・カー、 などが出演した「地上より永遠に」を撮っている。 55年にはミュージカルの「オクラホマ」66年「我が命尽きるとも」77年「ジュリア」などという 名作を作っている堅実な作家である。

このハイヌーンの主役は、ゲーリー・クーパー、この俳優は善良な市民 ナンバーワンと言われた不滅の大スターである。スキャンダルのないということだが 一回だけスキャンダルがあった。パトリシア・ニールという個性的な女優さんで、 「摩天楼」という映画を作った時二人のスキャンダルが生まれてハリウッド中騒いだが、 そこは大人同士上手に別れたという話がある。

このハイヌーンで特出したいのはデビュー二作目になるグレース・ケリーの 登場である。老いたクーパーの保安官の新妻として出演。グレース・ケリーは フィラデルフィアの上流階級の娘さんでモナコの王妃になった。1982年 5月、お嬢さんが運転する車が崖の下に落ちて脳内出血で53歳で亡くなった。 ハイヌーンの主題歌、音楽はディミトリ・ティオムキン、ロシア生まれの ピアニストで70本くらい名作音楽を担当している。

ティオムキンの作曲したハイヌーン、 「私を見捨てないで愛しい人よ、今こそ君の心の支えが必要なんだから」訴えるような歌である。 アカデミー賞主演男優賞はゲリー・クーパー ハイヌーンの曲は、劇音楽賞、主題歌賞とダブル受賞している。 フレット・ジンネマン監督はこの映画で何を訴えたかったか、やはりマッカシー旋風だった、赤狩りの脅威、人の裏切り行為、こういうことに対して当時の アメリカ人を批判したのを西部劇に置き換えて主張した。

【シェーン】

この映画が傑作と言われているのはワイオミングが舞台で、緑が綺麗、山が綺麗、 描写がとても素晴らしい、それと、伝説的なシェーンの早撃ち、ガンを抜いてから撃つまで0.6秒の 早撃ち、シェーンを演じるのはアラン・ラッド アラン・ラッドは40年代から50年代にかけてハリウッドの端正な二枚目だが、 残念なことにアル中であった。64年にはアル中が重くなって50歳で他界。

もう一人紹介したいのは、ジーン・アーサー、ゲーリー・クーパーと共演した 「オペラハット」ハスキーボイスで非常に活躍した女優さんで、「シェーン」では珍しく 農夫の奥さんの役で出演している。 監督はジョージ・スティーブンス、エリザベス・テーラー出演の「陽の当たる場所」 56年エリザベス・テ−ラー、ジェームズ・ディーン、ロック・ハドソン「ジャイアンツ」という大きな 作品を作っている名監督である。 リアリズムの演出が得意である。 主題歌はビクター・ヤング作曲「遙かなる山の呼び声」

【帰らざる河】

この映画は実際カナディアンロッキーに挟まって流れている大変急な帰れない河だという 情景をモデルにした。出演はマリリン・モンロー、1926年に 私生児で生まれ12軒の里親を振り回され惨めな子供時代を送った。 後年オールヌードの写真が出回って世間を騒がせたが、そのときの彼女の発言は 「あの時は私が飢えていたからよ」の一言であった。自殺か他殺か未だにわからないが、 1962年8月5日、36歳で他界。主題歌の作曲はライオネル・ニューマン。

【未完成交響楽】

1933年ドイツとオーストリーの合作映画。 何故この歌を歌ったかと言いうと、 この訳詞は堀内敬三さんの名訳である。原題はザイゼ フレーエン マイネ リーダー、シューベルトのセレナーデの、最初の一小節が「未完成交響楽」 映画の原タイトルである。川喜多長政、かしこ夫妻のこの映画も 名邦訳題の一例として評判になった。

シューベルトの世に言う「未完成」といのは交響曲ロ短調第8番で、何故か 第3楽章の頭が少し残っているだけでその後の楽譜がない。楽譜の表紙に 「我が恋の終わらざるごとくこの曲もまた終わらざるべし」こうはっきり シューベルトの筆跡で書かれている。その話を翻案脚色して作り上げたのが 「未完成交響楽」という映画である。

1933年というとトーキーが出現してからまだ5〜6年のことであるにもかかわらず、 映像と音楽が完全に融和した作品として日本の評論家やインテリ層では大変歓迎されたが、 現地のドイツやオーストリーでは大変不評の作品であった。というのは、 シューベルトの史実があまりにも離れすぎているのではないか、泥臭くて甘い作品である ということで当時の現地では散々な不評をかった。

監督はウィリ・フォルスト、この人はオーストリのシンガーだったが俳優になって 監督業に入った、この作品が監督になって第一作である。「未完成」の後は 「マズルカ」「黄昏のウイーン」「ブルグ劇場」とか当時の名作を監督している。 シューベルトに扮するは当時の人気スター、ハンス・ヤーライで実物と 非常によく似ている。伯爵令嬢カロリーネを演じるは当時のハンガリー、 オーストリーのオペレッタの女王と言われた、ソプラノの美しいマルタ・エッゲルト。

【別れの曲】

監督はG.V.ボルファリー、この「別れの曲」はショパンの作品10−3ホ長調 のエチュウドが正確な曲名である。この映画は1934年に出来た。 これは、フランス映画なのだが事情があったのかドイツ語版になっている。 この作品10−3ホ長調エチュウドは「別れの曲」という映画化された時から 世の中はこの曲のことを「別れの曲」と呼ぶようになった。

故郷ポーランドでショパンがパリに留学するとき、若く美しい恋人コンスタンツアに 送った曲がこの「別れの曲」であると言われている。 しかしコンスタンツアがパリに行ってみると、ショパンはリストの紹介で知り合った、 ジョルジュ・サンドといい仲になっていて、故郷からわざわざパリまで来たコンスタンツアは その状況を見て悲しくパリを去って行った。

ショパンを演じるのはジャン・セルベエというフランスの劇団出身の俳優 で、マドレイヌ・ルノーとジャンルイ・バロウ一座。ジャンルイ・バロウと いう人は、「天井桟敷の人々」の主役で、ルノーは奥さんで、ルノーとバロウ 一座という立派な劇団があってジャン・セルベエはその劇団で演技の勉強をした。

【愛情物語】

1930年〜50年代にかけて全米を風靡した名ピアニストエディー・デューチンの物語である。 この人は不治の病にかかり死期が迫っていた。不幸なことに若いうちに奥さんを亡くされて、 10歳になる子供の行く末を案じながら死期を迎えるという悲しい物語である。 ショパンの「ノックターン」二番ホ長調が原曲であるが、モリス・ストロフ と ジョージ・ダニングは (「ピクニック」などをアダプトしたコンビ)である。是の曲を「トゥ.ラヴ.アゲイン」と題して、大ヒットさせた。

【ジョルスン物語】

アル・ジョルスン、トーキー第一作の主演スターで、1886年ロシア生まれ、 ユダヤ教の教会の牧師を父に持ち、お父さんはクラッシクとか賛美歌を彼に 仕込もうとするが本人は嫌ってカフェに飛び込んでしまう、カフェからボードビル、 だんだん頭角を現してブロードウエイのスターになっていった。 ミュージカル史上偉大なスーパースターである。

この人のトレードマークはマミーソングといって顔を黒塗り、唇は白く、黒人 スタイルでいろいろなレパートリーを歌う。マミーソングの代表作は「スワニー」ジョルスンを 演じている俳優さんはラリー・パークス、この人は1940年と言えば大戦真っ盛り、 共産党員だと言うことを自分で宣言してしまった。

戦後マッカシー旋風に出会い散々小突かれるがたまたま「ジョルスン物語」が ヒットし、ラリー・パークスもアカデミー賞にノミネートされるくらい名演技 だったので、制作会社コロンビアが「ジョルスン再び歌う」という作品を企画。 その頃からマッカーシーグループは、撮影が終わったら捕まえろ、というようなことで 再三審問された。彼は議会で「私が愛しているのはアメリカだけだ!」といい放って、 とうとうマッカーシーの軍門に下って永久に芸能界から追放されてしまった。

【五つの銅貨】

レッド・ニコルズという名コルネット奏者の伝記を描いた父子愛の物語である。 ニコルスの人気が一番沸騰しているときに結婚して生まれたお嬢さんが、 小児麻痺であった。娘の更正と治療のために折角の名声コルネットを捨てて 娘のために尽くすという感動の映画である。

ニコルズ伝記を作るということになったら、何と駆けつけて来たジャズマンが ルイ・アームストロング、シェリーマン、レイ・アンソニー、ボブ・クロスビー、ピーナス・ハッコウ、 など当時のそうそうたるメンバーがニコルズの為ならばということで登場してニコルズの人柄を偲ばせた。

ニコルズを演じるのは、ダニー・ケイで、この人は保険会社に勤めていたがミスをして クビになった、もともと器用な人でボードビリアンになったがなかなか芽が出ない、 そこに現れたのがシルビア・ファインという女性で大変な才媛で、ブロードウエイの劇作もやれば 作詞作曲もやるという異色な人であった。

この人にダニー・ケイが接触できて二年後に結婚、シルビア・ファインが 「五つの銅貨」の主題歌を作っている。内助の功どころではない大変なペアがこの作品を 更に重くしたと言うことになる。

【ベニーグッドマン物語】

ベニーグッドマンはSwingの王様と言われた人で、この人の自叙伝を映画化したもので 1955年の作品。この人はジャズマンの中では気品のある人で、演奏も人柄も上品であった。 トリオやカルテットを組んで自分の独特なSwingのスタイル作っていた。

後年楽団を持って1938年頃のカーネギーホールはクラシック畑の人ばかりで、 ジャズマンは入れない、ところがベニーグドマンはカーネギーホールの門 を開け、見事な演奏をしてアメリカのジャズを更に知らしめた功労者である。

グッドマンを演じるのはスティーヴ・アレン、この人はアナウンサー出身で映画はこれ一本だけ、 ピアニストであり、歌手であり、作詞作曲もやるいわゆる マルチタレントである。

【グレンミラー物語】

グレンミラーと言う人は、グレンミラーサウンドの創作者、トランペットがリードをする、 サックスにブランジャーミュートをつけてブラス群で演奏する、これを称してキラーデイラタイルという。 グレンミラーを演じているのはジェームス・スチュアート、この人は学生時代建築学を専攻していた。 ヘンリー・フォンダと大変息があって二人でジョシア・ローガンを訪ね、ブロードウエイで芝居を始めた。

ゲーリー・クーパーが善良ナンバーワンなら、ジェームス・スチュアートは誠実ナンバーワンと言われている。 アメリカの批評家の言葉で「ジェームス・スチュアートという人は、全く特異 で平凡なスターだ」けだし 名言と言えよう。 この映画で感動するのは奥さん役出演しているジューン・アリスンである。 この人こそ日本人にとって忘れられないスターはいないと思う。というのは戦後まだ荒廃して アメリカ映画の輸入が始まってきたその頃に、あの独特な笑顔とハスキーボイス「姉妹と水平」 「百万人の音楽」「若草物語」など日本人にとっては忘れられないスターである。

あの笑顔には涙は禁物なのだが実は悲しいことにこのグレンミラーという人は、 大戦末期に米軍の慰問に楽団を連れて歩いていたが、英仏海峡で消息を絶ち悲劇的な末期を迎える。 それが遺族に報告され、ジューン・アリスンは珍しくあってはならない涙を流す場面がある。



*(本論上映作品の制作会社)

20C-FOX
COLOMBIA
M.G.M
PARAMOUNT
R.K.O
U.A
UNIVERSAL
W.B
セルズニック
東宝東和(配給) ほか。


−おわりー


文責 和田 節子
HTML制作 和田 節子