神田雑学大学 3月30日 講義

講師:坂田 純治
 



目次

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はじめに
マイフェアレディー
ウエストサイド物語
ハロードーリー
屋根の上のヴァイオリン弾き
コーラスライン
巴里の空の下セーヌは流れる
鉄道員
知りすぎていた男
駅馬車
踊る大紐育
掠奪された7人の花嫁
ショウほど素敵な商売はない
赤い靴
最後に



【はじめに】

坂田純治さんは、映画ビデオ・邦画洋画併せて2,700本を所蔵する映画史研究家である。 古今の名作のバックに流れる映画音楽を編集して解説する名講座は12月を皮切りに、 1月、2月と3部構成で講義しました。あまりの盛り沢山に、時間内に紹介し切れず、 涙を飲んでカットしたフィルムを再編集しての、アンコール落穂集です。
<<本論>>

PART3の最後の方では、ブロードウエイミュージカルをお話した。 その折りにリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世の 大変な名コンビ、ヒットメーカーの話をしたが。この二人が9作素晴らしい 作品を残して世を去った。

その後二人がいなくなった後も、後輩、後継者の方々が立派な作品を残した。 今日でもブロードウエイミュージカルは立派な作品が次ぎから次へ生まれ育っている。

【マイフェアレディー】

1956年マークヘリンジャー劇場において初演され、 2717回というロングラン記録をうち立てたこの「マイフェアレディー」の 原作は、英国の学者であり、思想家であり、大変な皮肉やと言われる スバーナード・ショウの原作である。「有能は行動し、無能は講釈をする」 など有名な格言を残している。日本式にいうと不言実行ということである。

マイフェアレディーの原作「ピグマリオン」でショウは何を語りたかったか? と言うと、紳士気取りの上流階級の人たちに対する大きな皮肉が込められている。 もう一つは、女性の自我の目覚め、こういうことをピグマリオンで謳いたかった と思われる。

マイフェアレディーの曲は、フレデリック・ロウ。 この人は「プリガドーン」という作品を作っている優秀な作曲家である。 作詞家はアラン・ジーライナー、この二人のコンビでロジャースと ハマースタイン二世を追いかける新進気鋭の作曲作詞家で 「マイフェアレディー」を作り上げた。日本では因みに 1963年に江利ちえみ、高嶋忠夫 の共演で、日本におけるミュージカルの草分け的存在で、江利ちえみの功績は 大変偉大であった。

この映画化を企画したのがハリウッドのワーナーブラザーズである。 1964年というと、初演から8年経って映画化が確定したのである。 ヒロインのイライザは、オードリー・ヘップバーンに選ばれてしまった。

と言うのは、実は7年半もブロードウエイでこの「マイフェアレディー」 がヒットした大きな功績はこのイライザの役をジュリー・アンドリュースが演じていた。 ワーナーが映画化するということで自他共にイライザの役は ジュリー・アンドリュースに間違い無いと言うことであったが。

オードリー・ヘップバーンに役を取られてしまった。ワーナーとしては 社運を賭けた作品だけに、ヘップバーンの知名度がほしかったのである。 ヒギンズという言語学教授を演じるのは、イギリスの劇団出身、 名優で声の素晴らしいレックス・ハリスン。

ヒロインの父親役は スタンリー・ハロウェイ。この人もイギリス出身で、 舞台によし映画によしで、この作品でアカデミー助演男優賞を獲得している。

二曲を映像で観る。
*ザ・レインインスペイン
*踊りあかそう


【ウエストサイド物語】

1957年ウインターガーデン劇場で初演734回続演した。 「マイフェアレディー」から比べると回数が少ない。 それまでのブロードウエイミュージカル は、ハッピーエンド、楽天的な作品が多かったのがこの 「ウエストサイド物語」は、シェークスピアのロミオとジュリエットが ベースになっているので、DEAD ENDである。

イタリア系のジェット団とプエルトリコ系のシャーク団が対立して、 事件を起こすのが背景になっている。 アメリカの悩める人種問題も社会背景になっているので、 ブロードウエイ・ミュージカルのベースとしては扱いにくい原作であった。

これをレナード・バーンスタインが手がけた。この人はハーバード大学出で、 法律家。それから音楽院に入り直して、ピアノ、作曲家、指揮を修得した。 「ウエストサイド物語」を作曲した当時はニューヨークフィルの常任指揮者であった。

作詞はスティーブン・ソンダイモ。この二人の作曲作詞によって ブロードウエイミュージカルの革新的な作品になった。 日本では1968年に宝塚歌劇団の 月組、雪組、合同公演が初演となっている。 監督は数年後に「サウンド・オブ・ミュージック」を手がけた、 ロバート・ワイズで、1961年の映画化である。 ヒロインのマリア(ジュリエット)を演じるはナタリー・ウッド。

この人は20本くらい子役に出ていて「三十四丁目の蹟跡」 などという名作を残している。 17才の時に、ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」で相手役に選ばれた。 後年海岸の近くに豪邸があり。「泳ぎに行くわ」と、気軽な格好で 海岸に出ていったが、翌朝水死体で発見された。

43才である。 事故死か、自殺か、或いは他殺なのか未解明のままこの事件は終わっている。 トニー(ロミオ)を演じるは当時若手の人気スターで、リチャード・ベイマー。 それと、この映画で衝撃的に登場したのがダンサーのジョージ・チャキリスと リタ・モレノの若い二人。リタ・モレノはアカデミー助演女優賞を獲得している。

欲をだしたリタ・モレノは、シリアスドラマに出たいと色気をだすが、 ギャラがあまりにも高騰し、鼻っぱしが強くなっていったので映画会社 から嫌われ、以後あまり売れなかった。

上映
* オープニングの場面
* チャキリスとモレノの「アメリカ」
* 「トゥナイト」


【ハロードーリー】

1964年、初演以来2844回「マイフェアレディー」の ロングラン記録を破ってしまった作品で、約7年半くらいの続演である。 ソーントン・ワイルダーの原作で「結婚仲介人」(マッチメイカー)を ベイスにミュージカル化した。

1969年の映画化にあたり、名ダンサーのジーン・ケリーが監督に選ばれた。 主役のドリーには、バーブラ・ストライサンドが起用された。 バーブラ・ストライサンドは、アマチュアコンテスト出身でグランプリを取り、 芸能界に入った天才的シンガーであり、名エンターティナーでアメリカでは 大人気スターである。

「ハロードーリー」のパレードシーンでは、 何百人というエキストラを使って取り終え、監督その他でラッシュをみていた。 バーバラも一緒に観ていて、パレードシーンが気に入らないといって 撮り直しを要求した。慌てたのは製作会社の20世紀フォックス。

大変な費用がかかり20世紀フォックスの屋台骨を崩してしまうのではないか という事態。しかし、バーブラの人気と名声、実力にフォックスは そのシーンを撮り直した。 作曲、作詞はジェリー・ハーマン。日本では1965年9月 メーリー・マーチンが来日、帝劇で上演した。

*ハロードーリー上映

【屋根の上のヴァイオリン弾き】

1971年ブロードウエイ初演、なんとハロードーリの2844回の 記録を破って、3242回という続演、約9年半という大ヒットである。 日本では森繁久弥の公演が有名で二代目は上条恒彦、今は、 西田敏行が主人公を受け継いでいる。

物語はロシア革命前の貧しいユダヤ人家族の牛乳屋さん。 その7人家族が迫害に遭うが両親を中心に兄弟愛のアットホームを 綴ったストーリーである。1971年頃というのはベトナム戦争の終期。 アメリカ国内は反戦。戦争に飽きていて、人種の平等、平和に渇望して居た 頃の背景が有る。

因みにベトナム戦争は、二年後73年の1月に和平調印をしている。 映画化に当たり監督はノーマン・ジェイソン、主役のテディーは ハイアム・トポルが選ばれた。このミュージカルには全部で 14曲のナンバーが入っている。

* 「サンライズサンセット」を 聴く


【コーラスライン】

1975年ブロードウエイ初演10年以上続演し1985年に映画化された。 監督はリチャード・アッテンボロー。イギリス出身で俳優だったが 監督に転じ77年には、「遠すぎた橋」という戦争映画、 82年には「ガンジー」などを撮っている。 キャスティングは無名に近い新人を使った作品である。 中には若き日のマイケル・ダグラスも出演している。 ブロードウエイのステージに人生の全てを賭ける人々の オーディションスケッチを描いた作品である。

【巴里の空の下セーヌは流れる】

これは巴里の200年祭を記念して作られた映画で、巴里が主人公で スターはでていない。無名の新人が出演である。 7人のパリジェンヌや、パリジャンの一日を追いかけたロンドン形式の作品である。 監督はジュリアン・デュヴィヴィェで、戦後第三作目の作品である。 歌われている"巴里の空の下"という歌は、シャンソンのスタンダードになった。

【鉄道員】

主演監督はピエトロ・ジェルミ。俳優学校を卒業してから監督科で勉強し直した。 「無法者の掟」でスタートして「刑事」「わらの男」 「イタリア式離婚協奏曲」そしてこの「鉄道員」と名作ばかりである。 奥さん役のルイザ・デラノーチェ、さりげない描写。 威厳と慈愛の演技で庶民生活の哀感を見事に描いた。

或論客は、この「鉄道員」はホームドラマと母ものが 一体となった名作であると言っている。作曲はカルロ・ルステケリで、 この人はクラシック畑の音楽家でオペラ座の指揮をやっている。 この「鉄道員」「刑事」或いは「ブーベの恋人」などの名曲。

【知りすぎていた男】

アルフレット・ヒチコックはイギリス出身の名監督生涯52作作っている。 スリルとサスペンス、そしてヒチコック流のユーモアを織り込んである。 没後何十年になるが今だに崇拝者が絶えない。 ヒチコックがハリウッドに来る前1934年に「暗殺者の家」 という作品を作っている。 (「知りすぎていた男」は、其のリメークである。)

これがハリウッドのプロデューサーの目にとまり、1940年 「レベッカ」でセルズニクッに招かれてハリウッド入りの第一作となった。 あと「断崖」とか「白い恐怖」とつづいて行く。 アメリカ人のお医者さん夫妻が7才になる坊やを連れてモロッコに旅行に行く。 そのモロッコで或事件に巻き込まれ、坊やは誘拐されてしまう。

誘拐された先は、大体ここだろうと、見当をつけたのが某国大使館であった。 そこでママのドリスデーが大きな声で"ケセラセラ"を歌う。 これは合図の歌で、坊やに聞こえるように声高らかに歌うのである。 ジェイ・リビングストン、レイ。

エバンスの名コンビの作詞作曲は 「腰抜け二挺拳銃」の主題歌である"ボタンとリボン"今回取り上げてはいないが、 「別動隊」の主題歌で"モナリザ"。 この"ボタンとリボン""モナリザ"に続いて"ケセラセラ"は 三度目のアカデミー映画主題歌賞を獲得している。因みにドリス・デーは 「知りすぎていた男」で19本目にして、シリアスドラマ一作目となった。

* 映像を上映
* ケセラセラをカコさんのリードでみんなで 歌う


<<休憩>>

【駅馬車】


ジョン・フォードを西部劇の神様と言わせたのが1939年の作品「駅馬車」 である。これはモーパッサンの「脂肪の塊」という短編からヒントを 得たと言われている。ジョン・フォードはフランス文学に非情に傾倒していて、 モーパッサンを取り上げている。

フォードの西部劇は意外に少なく、むしろ「男の敵」とか 「怒りの葡萄」或いは「我谷は緑なりき」こういった社会派の作品で、 しかも独特の抒情性を訴えた。名作は数限りなくあり生涯で約150本撮っている。

「駅馬車」を企画したユナイテットアーチスト社は、当初主役のリンゴキッドに ゲーリー・クーパーを宛てようとし酒場の女には、 マリーネ・デートリッヒを宛てようとしたが、ジョン・フォードがそれを嫌った。 そこで、駆け出しで無名に近かったジョン・ウエインを抜擢した。 そして酒場女には、舞台で活躍していたクレア・トレバーを起用し成功した。

*「寂しい草原に私を埋めないで」を聴く

【踊る大紐育】

1944年に約一年半ほどブロードウエイで上演され、1949年映画化された。 監督はジーン・ケリー、スタンリー・ドーネンの共同監督である。 1930年代は、ビング・クロスビーの時代だった。 クロスビーに憧れていたフランク・シナトラは40年代には大スターになった。 当時ボビーソクサーという言葉がある。

これはどういう言葉かというと、 女学生のファンが圧倒的に多い意味合いで、女学生のアイドルスターのこと。 シナトラはボビーソクサーになった。 50年代になると、シリアスドラマをやりたいと言うことで 各社に掛け合うがなかなか良い役が廻ってこない。

そこで公然の秘密であるがシナトラは マフィアと関係があった。マフィアのボスにシリアスドラマになんとか 出させてくれるよう頼んだ。 が、そのマフィアの声さえも聞かない或映画の大プロデューサー。 そこで可愛がっていた馬の首をちょんぎって、

大プロデューサーの ベットに乗せたという壮絶なシーンが、あの「ゴットファザー」に出てくるが、 シナトラがモデルだと言われている。 然しシナトラは、1953年にモンゴメリー・クリフト、 バート・ランカスターと一緒に「地上より永遠に」に出演して 見事に助演男優賞を獲得している。

作曲:レナード・バーンスタイン
作詞:ベティ・カムデン、アドルフ・グリーン

* ニューヨーク、ニューヨーク
*古代人の踊り

【掠奪された7人の花嫁】

オレゴン州の山奥で7人の山男達が男だけの生活をしているうちに、 長男が花嫁を町から貰ってくる。残った6人の兄弟達は兄貴にならえ といことで町に繰り出す。そして、6人の娘さん達を山の中に掠奪してくる。 これは、スティーブン・ベネという人の「すすり泣く女たち」 という短編小説からミュージカル化したものである。

監督:スタンリー・ドーネン
長男:ハワード・キール
長男の嫁:ジェーン・パウエル
音楽総監督:アドルフ・ドイッチェ、
作曲:ジーン・ド・ポール
作詞:ジョニー・マーサー

* 寂しい山猫を聴く

【ショウほど素敵な商売はない】

フォックス1954年の作品。珍しいのはエセル・マーマン。 この人はブロードウエイの大スター。「アニーよ銃をとれ」の 舞台女優。映画化ではベティー・ハットン。 このエセル・マーマンがお母さんになって1930年代の ショウビジネスの世界のファミリーを描いた作品。

監督:ウォルター・ラング
   音楽:アービング・バーリン
出演者:エセル・マーマン、ドナルド・オコナー、マリリン・モンロー

【赤い靴】

1948年英国映画。イギリス映画というと終戦後40年代後半は イギリス映画界はルネッサンスと言われたくらいに大変な名作を沢山発表している。 中でも、マイケル・パウエル エメリック・プレスバーガーの二人のコンビは、 「赤い靴」「黒水仙」「天国への階段」「女狐」などいろいろな傑作を発表している。

その他のプロダクションでは、ローレンスオリビエの「ハムレット」 「ヘンリー5世」「第三の男」「逢い引き」など戦後40年代後半の イギリス映画界は傑作揃い。 この「赤い靴」はアンデルセンの童話で、赤い靴を履いたバレリーナーは 一生踊り続けなければならない。

踊っているバレリーナーは、 恋愛と芸術の板挟みにあって鉄道自殺をしてしまう。 パウエルとプレスバーガーは「赤い靴」の作品の成功に気をよくしてこの後 やはりバレー映画で「ホフマン物語」をヒットさせている。

踊り子のモイラ・シアラーという人は小さいときからバレーを習っていた。 この作品の前は「眠れる森の美女」のプリマを演じた。 それがパウエル、プレスバーガーの目に止まって「赤い靴」に起用された。 しかし、これだけの素質を持ちながら「ホフマン物語」 では脇役で出演しているものの、映画の方にはこれといった作品を残さずに引退している。

監督:エメリック、プレスバーガー、マイケル・パウエル
音楽:ブライアン・イースディル
踊り子:モイラ・シアラー
バレー団の団長:アントン・ウォルブルック

【最後に】

PART1〜PART4(落穂集)まで延べ4ヶ月に渡って 「名作を彩る映画音楽」というタイトルで約90作くらいの作品を 駆け抜けるように観て頂きました。まだまだ観て頂きたい作品は 山ほどありますが、このシリーズは ここでおしまいです。長い期間有り難うございました。

不朽の名作「風と共に去りぬ」のラストを観ながら風のように……おわり。



(本論上映作品の制作会社) 20C-FOX
COLOMBIA
M.G.M
PARAMOUNT
R.K.O
U.A
UNIVERSAL
W.B
セルズニック
東宝東和(配給)ほか。



会場写真撮影:橋本 曜
文責:和田 節子
HTML製作:和田 節子