神田雑学大学 4月27日 講義


講師:世良田 慶三


目次

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はじめに
講師紹介
俺が出会ってきたものたち
スキー

車椅子
駅員介助の現状
旅行



【はじめに】

世良田慶三さんは、車椅子の重度障害者です。言葉も不自由なために聞き取りに くいことがあってはと、20年来の友人である市川加代子さん(カコさん)の補 足でお話が進められた。 市川さんは、世良田さんと知り合った当時何を言っているのか言葉がわからず一 生懸命聞こうとした。

小さい子供たちは世良田さんが話しかけると怖かったのか 泣いたりしたこともあったという。 しかしある時気が付くと、子供たちは漫画の本を見ながら世良田さんの話す言葉 に「うん、うん。」とうなずきながら話している。そこで「ハッ!」とし気がつ いた。

一生懸命聞かないと解らないと思っていたのは私の間違いだと気づいた、 と市川さんは言う。これから世良田さんがお話をするが、解らないときは直ぐ 手を挙げて解らないと言ってほしいという。

世良田さんが話をしていて 一番いやで苦しいことは、話が解らないのに解った顔をしてうなずかれる ことだそうだ。だから聞き直すことは失礼ではないと言う。

【講師紹介】

サークル等のボランティアとして任意の「ハンディースキー・インストラクター」 であり、パソコン、スポーツ、音楽など意欲的になんでもこなす。耳がよく以前 は音響機材の仕事などもしていた。車の運転は方向感覚が動物的感覚とでもいう のか、何処に行っても決して道に迷わないという。

【俺が出会ってきたものたち】

自分は、演劇のまねごとをやっていたので声は大きい第一級の詐欺師だと自称す る。小学校に上がるまで障害者の人に会わなかったので、自分自身障害者という ものがよく解らなかった。 当時障害者は就学義務がなかった。

障害者の義務教育という法律が出来たのはま だ20年経っていない。養護学校に入るか自宅待機であった。 今まで養護学校の卒業生で何人かの人たちが記録を残しているが、戦前はもっと 酷い状態であった。身障者の人達の中には、養護学校に入れない人もいたし、い ろんな意味で、そういうことに関する本も沢山出ている。

現在は沢山ある養護学校も、終戦当時は世田谷区にある光明養護学校一校しかな かった。 便宜上健常者と障害者という言葉を使うが、世良田さんの頭の中では関係ないこ とだ。健常者の友達とつきあっていて、その中で一番苛められた友達と今でもつ き合っている。

「酔っぱらい」「よいよい」「奇形児」とかいうあだ名で呼ばれ ていたが、そういう言葉をだしてくれたのでかえって親近感を覚えたと言う。 中学から写真クラブで活躍、高三の頃から二年間先生について勉強。プロのカメ ラマンとしてデビューをした。

しかし目がダメになったのと、才能がないので諦めた。また、友達とバンドを組 んだり芝居をやったり、音響をやったりしていて、いつの間にかそれで食べられ るような気がした。一時はそれで食べていたが、景気が悪くなると真っ先に首を 切られるのは障害者であった。

*スキー

今までいろいろやってきたが、一番は車とスキーである。スキー場でリフトに乗 るとき係りの人は不自然な格好で世良田さんがリフトに乗ることを怖がる。「こ んな人を上に連れて行ってどうするんだ!」と言うのである。

大丈夫だといっても乗せてくれない、なんとか話をして乗せてもらうのだが、そ の際、リフトを止めなくてはならない、そのためリフトの列が出来てしまうから 係員はいやがるのである。しかし世良田さんは、何も止めなくても乗れるのに、 止めてしまうという。

スキー中級の人が20分かかって滑ってくる斜面を、世良田さんは7分で滑って しまうのである。(@_@) スキー場でもう一つ面白いことは、蔵王の地蔵岳山頂 1200メートルすり鉢の斜面。世良田さんを知らない人は「こんな人をこんな 所まで連れてきてどうやって下ろすんだろう、可哀想に」と 陰口が聞こえる。

一般の人達は300メートル滑っては休みながら行く斜面である。その休んでい る人たちのど真ん中を1200メートル一気に滑り抜く。廻りの人の驚 く様子を世良田さんは目を輝かせてこういう。「これが快感なんですよう。」

*車

高速道路で知らない者同士、バックツゥフロントといって接近した感じで、15 0キロ〜170キロのスピードで走って遊んだりする。パーキングエリアで相手 がお茶を飲もうと合図をする。世良田さんが車から降りると、今まで一緒に走っ ていた見知らぬ走り屋たちは「えっ!!」と吃驚する。私、世良田はその顔を見 て結構楽しんでいるのである。

★(世良田さんが運転している車のハンドルはドアのノブ(取っ手)のよう    なものがついている特殊なハンドルです)

【車椅子】

車椅子での移動は今はとても動きやすくなった。3年前と比べると別世界のよう だ。以前はエスカレターはあればいい方で、エレベーターなんてとんでもない。 東京駅や大阪駅にはあったが、業務・来賓用のエレベーターであった。現在は多 くの駅で、エスカレーター、エレベーターが設置されている。

駅員さんは車椅子の介助を慣れていると言われているが、実際問題車椅子に乗っ たことがない。しかし介助はしているということで、自分は介助には自信がある と思い込んでいる駅員さんが多い。車椅子はオーダーメイドである。

障害者に合わせて作るので、サイズ、角度、足乗せ、肘掛け、その他いろいろみんな違う。 電車に乗る際や高い場所に移動する際、車椅子の持つ場所を心得ていないと事故 につながるので危険である。世良田さんの車椅子は100キロ、世良田さんの体 重を加えると170キロの重さになるのだ。

世良田さんの電動車椅子はアメリカ製でなんと120万円もする。国産電動車椅 子は42万円、最近は38万円くらい。スピードは国産で6キロまで。 世良田さんは終電に間に合わないと、車椅子で町田の家まで帰るという。時速は 12キロ自転車より速いスピードである

。夜道が危なくないようにライト附きで ある。お得意のコンピュターを使ってもっとスピードを出せるという。 駅のエレベーターは鍵がかかっているので駅員さんを呼ばないと利用出来ない。 それは車椅子専用だからである。車椅子でなくても足の悪い人、高齢者なども一 緒に乗れる大人数対応のエレベーターを作ればいい。と世良田さんは希望する。

【駅員介助の現状】

今、駅員の人たちというのは、一つの沿線に3つくらい駅があるとその中の一つ の駅から代表者が車椅子の構造だけを習って、それを他の駅員さんに教えるだけ である。

一人一人駅員さん自体が実際問題身障者の介助をしなければいけない状 態になっているが、駅員さんの教育はされていない。 しかし慣れているという自負を持っている。それに関して世良田さんはきちんと 駅員さんに教育を受けて欲しいという思いがある。

【旅行】

旅行に行くと海外の方が楽である。アメリカとヨーロッパとアジアは問題外とし て、アメリカは車椅子一人で何処でも行ける。電動車椅子が乗れるタクシーが何 処でも走っているのである。バスにはリフトが付いている。

ヨーロッパはアメリカに比べると一人の車椅子の旅はそれほど楽ではない。 階段と石畳の道が多いのが特徴だが、階段に行くと知らない間に手が出て階段の 介助をしてくれる、終わると知らない間に居なくなる。それがヨーロッパである。 そういう意味では旅行をするのに殆ど問題がない。

ただ日本が優れている のはトイレである。アメリカは麻薬とかいろいろ治安の問 題で鍵がかかっていたり、普通に使えなくなっている所もかなりある。

世良田さんの電動車椅子に何人かの人が座ったり動かしたりして体験した。 (車椅子の試乗は石川さん)

ーおわりー



会場写真撮影:橋本 曜
文責:和田 節子
HTML製作:和田 節子