神田雑学大学 5月18日 講義


講師:植木 健至


目次

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講師紹介
はじめに
昭和20年ー30年(寒地稲作振興期)
昭和30年ー40年(暖地稲作振興期)
昭和40年(食味の時代)
おわりに



【講師紹介】

今日の講義は鹿児島大学名誉教授の植木健至さん。専門は作物学です。、 日本人のお米へのこだわりが戦後、稲作の興隆を呼び、食生活の変化が 稲作の衰退をもたらした経緯を、わかり易く解説して戴きました。

【はじめに】


第二次世界大戦後の高度成長に伴う食生活の変化に対応して一人当たり 米の消費量は半減し、米生産を囲む社会環境も醋しい昨今であるが、 飽食といわれる時代でも、かつての食料難を克服した農民の奮闘を 忘れてはならないと思われる。ここでは稲作を中心とした時代的変化を雑記した。

【昭和20年ー30年(寒地稲作振興期)】

敗戦直後の末曽有の食糧難に直面して、米の増産は最重要の国家的課題 であった。これに比較的早く対応したのが寒冷地域で、耐冷多収品種の育成、 苗代技術(油紙 → ビニール被覆)の改良および土地改良事業の 推進等により、東北、北陸地方は単収を増加し続け全国有数の米生産県となった。

アメリカで開発され戦後まもなく導入された「2・4D」は稲には無害で 広葉雑草のみ殺すという選択的除草剤で、農家の除草手労働からの解放という 意味で画期的なものであり、後の田植機や収穫機の開発と合俟って 労働生産性の向上に寄与したといえる。

昭和23年から始まった朝日新聞主催の「米作日本一表彰事業」を特筆したい。 ようするに全国的な単収コンクールであったが、10アール当たり 1000sを越える農家も出現し、その技術解剖その後の稲作技術の 進歩に大きく寄与した。

【昭和30年ー40年(暖地稲作振興期)】

北方稲作が注目を浴びていた頃、西南暖地稲作収量は停滞ないし 下降気味であった。当時の主流品種は晩生種で、草丈は高く、 稈は太く、長く重い穂は深く垂れ下がっていた。人格者は稲穂の如く頭を 下げるという諺はこのような草姿を想定したに違いない。

しかし、この草型には欠点があった。増収のための多窒素施肥が倒伏を誘発し 減収することである。田一面にべったりと倒伏した場景が随所でみられたものである。 単稈穂数型品種が北九州に登場したのはこの頃で、草丈は極端に低く、 光合成能力を高めるため葉は直立し、穂長は短いが穂数は倍増する。

この草型の改良による驚異的な収量増は緑色革命と言われ全国的な 広がりをみせた。30年代末期には毎年「有史以来の大豊作」という 見出しが新聞を賑わすに至った。暖、寒地を通して品種改良の果たした 役割はまことに大であった。

極端な例ではあるが、南九州では水稲年2回作も行われた。 1期作と2期作の重複時期には昼夜廉行の作業が続き、 労働過多による病人が続出したがそれでも止めなかった。

戦後20年間の歴史を振る返れば、正に米増産にかける農民の情熱と 執念の時代であったといえよう。一方昭和30年代は高度成長に伴い、 米、麦から畜産、果樹及び特用作物への転換が行われ始めていたが、 この農業改善事業については本題から外れるので省略する。

【昭和40年(食味の時代)】

昭和40年頃を境にして、一転米不足から米過剰の時代に入る。 減反政策は稲作を減らせということで、汗水たらして増産に励んできた 農民には余りにも非情であった。並行してササニシキ、コシヒカリの時代到来である。

東京周辺の米穀店には、○○産コシヒカリ、○○産ササニシキといった東北、 北陸産の所謂ブランド米が独占的に陳列されている。全般的に高価という 印象と共に価格の産地間差が目につく。

食味計なるものがあって、米粒の形態、化学成分の各構成要素を点数化して 総合評価を下す。これが販売価格を支配しているようであが、 元来食味という人間感覚を数量化することには大きな誤差を伴うことを 消費者は銘記すべきである。

最近の各県の奨励品種は、育種の交配過程でコシヒカリを導入しているので やがて価格の産地間差は小さくなると思われる。「柔らかくて粘りのある」 米は確かに美味ではある。しかし私見ではあるが、若者はこんな老人食のような 米にこだわらず、やや硬めで歯ごたえがあり、かつ安価な多収性品種の米を 腹一杯食べて欲しい。今後は多様な食味の稲の栽培と消費者感覚が必要と考える。

【おわりに】

遺伝子工学の発達によって、最近は動物のクローンとか、遺伝子組み換え作物 とか話題にこと欠かないが、未だ実施には未知の分野が多すぎる。

米不足の時代には、むしろ農地が研究者を先導する形で増産に励んだものである。 今やその熱気も消えた。明治の農学者、横井時敬の有名な言葉 「農学盛んにして農業を衰う」が改めて思い出される昨今である。 世界的な食料事情にも眼を向けて、環境破壊を伴わない増収技術の発展が望まれる。



会場写真撮影:橋本 曜
文責:植木 健至
HTML製作:和田 節子