神田雑学大学2001年7月6日 講義録

印 章 の 歴 史 と そ の 見 方


講師:日本家系史研究会会長 長谷川 順音


                                          

目次

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  ★ハンコ・ハンコ・ハンコ

  ☆家系と印章

  ☆印章のルーツ

  ☆日本の印刷の始まり

  ☆私印のはじまり

  ☆江戸時代の印章

  ☆明治以降の印章

  ☆悪い判子

  ★皆さま、いかがでしたか




 
★ハンコ・ハンコ・ハンコ

 コンピュータ時代になってから、多少ニュアンスが変わってきましたが、私たちは生まれてから死ぬまで「ハンコ・ハンコ・ハンコ」で一生をおくる面があります。

 今日は、そのハンコがどこからやって来て、どう定着していったかをうかがいたいと思います。

 講師は、昨年の10月に「自分のルーツの調べ方」をお話していただいた長谷川順音様です。

☆家系と印章

家系調査が専門の私が、印章を研究し始めるようになったのは約20年前です。
私は部下・後輩から途中で引き継いだものを含めると、500件を超す家系調査をしています。このうち一割近くが世間では一流いわれる人でした。

家系のご相談を受けている間に私が知ったことは、一流の人はたとえ認印といえども開運吉相印を使われているということでした。
 ならば、開運吉相印を持てば一流人になれるかといいますとそれは否です。人生、それほど甘くはありません。

 人格が向上し、社会的地位を昇れば、それに比例して良い印相の判子を持つようになるのです。つまり、人格に印相がついてくるのです。
 印相の良い悪いは姓名判断が基本です。所詮は占いの部類に入ります。

釈迦は涅槃経の中で次のように説いています。

「天神地祇を拝せざれ、魔界外道を敬喜せざれ、星辰占察をなさざれ」

すなわち、占いなどを信じても人は幸せにはなれないということなのです。

とは云いましても、敢えて悪い印相は持つべきではないでしょう。現に、私の周囲の人の中には輪郭が欠けた印を持っていた方が、思わぬことで亡くなった例が二三ございます。
人生、悪いといわれていることは、直ちに止めるべきだと考えます。
 そんなわけで、本日は「印章の歴史と、その見方」をお話してみたいと思います。

☆印章のルーツ

印章の起源はたいへん古く、いまから五千数百年前ごろ、メソポタミア地方に発生したといわれています。ある文献ではインドとも述べていますが、その使用が最も盛んになり整ったのは中国・漢の時代です。

その中国から、日本の印章は伝えられたものです。

  日本の上古以前は、彫刻した印がなかった代わりに、掌に墨を付けて捺し、信義を証拠づける「しるし」としました。これを「手形」、あるいは「押手」とも云います。

『続日本紀』の印の字、『日本書紀』の符の字は、ともに「おして」と訓読みされています。

『続詞花集』の中にある和歌には、つぎのように「おして・しるし」とあり、これを裏づけるものです。

けふひらく たからのはこの おしてこそ
西へ行くべき しるしなりけり

文献に残っている日本最古の印章のことは、『日本書紀』に書いてありますが、印影が伝わっていないので不明です。

いわゆる四道将軍を朝廷から派遣した際に、「印綬(しるし)を授(たま)いて将軍としたもう」とあるのは、崇神天皇の時代のことです。それは古墳文化前期のことですから、日本の印章の歴史は始まりは、すこぶる古いものと云えましょう。


☆日本の印制の始まり

わが国では孝徳天皇の大化元年(645年)、いわゆる大化の改新によって律令国家が成立し、隋・唐の諸制度を採り入れたことは広く知られる通りですが、そのなかのひとつに公文書の行使に関連した印制が定められたとされています。これは文書を確実に効力づける手段であり、また一面文書の偽造・変造を防ぐ方法でもあったのです。

天皇御璽」が最初に作られたのは推古天皇のときでした。
この時代に摂政をされていた聖徳太子は、中国大陸と交渉をもちはじめ、小野妹子を隋の国に派遣したとき、「日出づる国の天子、書を日没する処の天子に致す」と隋の皇帝へ天皇御璽が捺した親書をもたせています。
 朝廷の印の式制を初めて定めたのは、文武天皇のときの大宝元年(701年)「大宝令」が布告されてからです。

このうち印に関する公式令には、天子の内印、太政官印の外印、諸司印、諸国印のことが記されており、形状や用法まで制定されています。
このほか、地方の郡印・郷印および、社寺印も使用されはじめ、種子島などの島印、寺院取締りの職印である僧網印も作られました。そして、天平十六年(744年)には官公印の作印の専任所として、内匠寮が設けられたのです。
石井良助氏は『はん』のなかで、奈良時代を中期とする上世(飛鳥・奈良・平安前期)は官印だけの制度があって、原則として私印を認めていなかった「官印の時代」としています。

☆私印のはじまり

ところが、天平宝字二年(758年)、恵美押勝(藤原仲麻呂)に「家印(恵美家印)」を用いることが黙認されたのです。 強権を手中にした押勝は、徴税文書などにも私印を平気で使用するようになちました。
 これが日本における個人印の初めであり、公文書に捺印した私人の認印は恵美押勝が嚆矢です。

日本に現存する最古の印影は、「大連之印」と呼ばれる職印で、当時の官印でした。
日本の印章ではありませんが、天明四年(1784年)に福岡の志賀島で発見された金印は、『後漢書』が記す建武中元二年(57年)の奴国王に授けたもので、これは日本に現存する印章の最古のものです。

藤原氏が政権を握った時代の印は、官印以外に個人印の使用が次第に普及されてきました。しかし、これは公家・武家の階級だけで、一般庶民はまだ印章を持つには至らなかったのです。
また、この時代から私文書に封印することが始まり、遊印として収蔵印・堂館印などが用い始められました。
と同時に、「花押」も流行し始められたのです。
わが国の花押とは、花のように美しい草書体で書いた署名、と解されています。

  藤原時代に入ってからは、公私混同政治が頂点に達し、官印を捺すことが省略され、花押が印の機能を代行することになりました。鎌倉時代からは次第に実名を署し、その下に花押を加える傾向が強くなりました。

この習慣は、近世の政治家の間に今も脈々と生き続けています。
戦国時代になると、群雄割拠の各部将の印は、いろいろの文書に印影として残されていて、一人ひとりそれぞれに特色があり、興趣が湧いてきます。

☆江戸時代の印章

元和年間(1615−24年)になると、社会経済の発展とともに、百姓・町人・(工・商)階級にも、印が使用されるようになりました。
その後、徳川幕府は一般庶民に強制的に印を持たせるようになりました。そのきっかけは、寛永十四−十五年(1637−1638年)の島原の乱にあります。切支丹に懲りた徳川幕府は、全国の庶民にそれぞれ寺院を定めさせて檀徒にさせ、宗門帳に登録させ、署名捺印させたのです。

この切支丹対策のため、幕府は切支丹奉行、各藩には宗門改役が設けられ、厳しい監察が励行されました。この監察方法は、単に寺院に印を登録させるだけのものではありません。一年おきに切支丹ではないという宗旨証文を提出させ、必ず署名捺印を強いたのです。「判は生命とかけ替え」という諺が出たのは、恐らくこの頃からだと思います。
これは、寺院に登録の印を持たない者、また登録した印と違ったものを持つ者は、何れも怪しまれて拘引され、或いは牢獄に入れられ、生命さえ失う者があったため、庶民は印を自分の生命同様に、大切にしなければならなかったからです。 

☆明治以降の印章

明治維新後は公私印の時代です。
  王政復古させた明治政府は、機構を改革し、印制はじめ長く中絶していた「天皇御璽」を復活させて「大日本国璽」を創設し、官印を復活させ職印を使用するようにしました。 民間人の印については、書判に用いる文書は必ず自筆によるべきものとし、また一般庶民にも苗字の使用を許可し、姓を彫った認印が使用が許されました。

  続いて、証書には署名、押印をすることが定められ、実印の押印のない公文書・私文書は裁判上の証拠とならないことになったのです。これにより、実印の法律上の効力が確立され、それを裏付けるため、申請によって「印鑑証明書」が交付され、改印が必要な場合には改印届を提出させることになり、法律的権利義務が徹底させられました。
ちなみに「印章」のことを「印鑑」と云う人がいますが、厳密に云えばこれは間違いです。「印鑑」の「鑑」は「鏡・見分ける」などを意味し、印鑑とは印の鑑(かがみ)、すなわち登録してある印章(判子)の印影のことをいうのです。

  つぎに一般人が「認印」をよく使用するようになったのは、日清戦争(1894―5年)からです。兵卒も俸給を受け取るには、必ず認印を使用するように通達が出されたからです。
軍人が認印を使用すようになったので、一般の人も個人がそれぞれ、認印を持つようになったのです。 なお、印影は書道芸術として鑑賞の対象となるものですし、古印や篆刻家の刻印の印影を集めた印譜はたいへん珍重されています。もちろん印章そのものも美術品として価値の高いものも、少なくありません。
とにかく、印章は人生についてまわるもの、どうか大切に扱って下さい。

☆悪い判子

 最初に「敢えて、悪い印相は持つべきではない」と申し上げました。
 では、その悪い印章とは、どういうものでしょうか。それを紹介します。

イ、角形印(法人は可)・自然体印。
ロ、楕円形三文判。
ハ、極端な大型・小型印。
ニ、太枠細字印。
ホ、二重輪郭印。
へ、斜め彫り印。
ト、四つ割印。
チ、篆書体以外の字体印。
リ、模様入り印。
ヌ、輪郭雷紋龍紋印。
ル、継き合わせ印。
オ、文字・輪郭欠け印、印材傷印。
ワ、長さ六センチ以下の印。
カ、指輪印。
ヨ、彫り直し印・親の形見印。
タ、目じるし印。
レ、キャップ付印。
ソ、陰刻・陽刻入り交じり印。
ツ、水晶・めのうなど。チタンなど鉱石印。

悪いものは捨て、良いものは拾う。これが幸せになる方程式の一つです。
家に帰られましたら、印章を点検してみてください。少なくとも、ある不幸は避けられるはずです。

(拍手・拍手・拍手)
★皆さま、いかがでしたか

 「人格が向上し、社会的地位を昇れば、それに比例して良い印相の判子を持つようになる」。耳の痛い話ですね。
 それに、「所詮占い」でも、確かに、敢えて悪い印章を持つことはありませんね。
そのためには、私たちはハンコや身の回りのことにもっと関心を深めるべきでしょう。
 長谷川様は、そのことをおっしゃりたいのではないでしょうか。


文責:ほし ひかる
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作・編集:大野令治