第77回 神田雑学大学 2001年7月13日 講義録

浅草歳時記

講師 辻 毅政


目次

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講師紹介・はじめに

 1.浅草に生まれて

 2.仲見世

 3.浅草の賑わい

 4.年中行事

 5.三社祭りの御神輿

 6.吉原界隈

 7.サンカーニバル
 8.Q&A
 9.平成13年巳年浅草こよみ・辛巳カレンダー

・講師紹介
辻 毅政さんは、ちゃきちゃきの江戸っ子。祖父の代から続く和装履物店
「辻屋本店」の御主人。中等部からの慶応ボーイ、ハワイアンバンド「サウンドQ」のヴォーカリスト。今回は生まれ育った浅草界隈風物や行事、世相等、題して「浅草歳時記」

・私の生い立ち
皆さん、今晩は!私は浅草新仲見世通り、芋ようかんの「舟和」の前で和装履物店「辻屋本店」をやっております。1938年5月24日生れの63歳。
幼稚園は浅草寺別院の伝法院内の浅草幼稚園、1947年浅草小学校入学。1951年慶応中等部。浅草小学校の有名人に、久保田万太郎さんが居ます。

小学校二年の1947年(昭和22年)浅草は全くの焼け野原。学校から家までまっつぐに歩いても帰れました。一軒だけあった銭湯「蛇骨湯」からの帰り、仲見世通りを通ると大勢が輪になって当時の流行歌「りんごの歌」を歌っていました。あるテキヤの親分が仕切った流し、客にガリ版刷りの歌詞を売りつけていたのです。

学校帰りによく香具師(やし)が大道に店を広げていました。その口上を知らず知らずに憶えたものです。(映画の寅さんがやっているあれです。)

「ものの始まりが一なら、国の始まりは大和の国、泥棒の始まりが石川五右衛門なら、人殺しの始まりは熊坂の長範、スケベエの始まりは隣のオジサンってぇぐらいのもの。
続いた数字がふたァツ。兄さん寄ってらっしゃいよは吉原のカブ、憎まれっ小僧、世に憚る。日光、ケッコウ、東照宮。

三で死んだか三島のお千、お千ばかりが女子じゃないよ。
四谷、赤坂、麹町、チャラチャラ流れるお茶の水。粋なねえちゃん立ちションベン。
白く咲いたかユリの花。四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭い。
一度変われば二度変わる。淀の川瀬の水車、誰を待つやらくるくると。

ゴホンゴホンと浪さんが磯の浜辺でネェあなた、わたしゃあなたの妻じゃもの、妻は妻でも阪妻よ。昔武士の位を録という。後藤又兵衛が槍一本で六万石。続いた数字が七つ、七つ長野の善光寺、八つ谷中の奥寺で竹の柱にカヤの屋根手鍋下げてもわしゃいとやせぬ。

信州信濃のそばよりも、わたしゃあなたのそばがよい。あなた百までわしゃ九十九まで、ともにシラミのたかるまで。これで買手がなかったら、右に行って御徒町左に行って上野。右と左に泣き別れ、、、、、。」てな具合です。

浅草は符丁でエンコといいますが、これは公園の逆さ読みです。浅草公園は東京都指定公園のひとつ。七区まであって、六番目が映画街、浅草六区であります。
浅草は、やくざの事務所が多いが、やくざの姿が見えない町。つまり、やくざの丸の内という位置づけでしょう。

・仲見世
その昔吾妻橋際から浅草寺まで原っぱに参道が付けられ、その沿道が仲見世で、境内の清掃などの世話をしていた地元の人に寺がそのお礼に許可を与えて土産物などを売らせるために使わせるようになりました。その地代は浅草寺へ、建物は東京都が建てたので都へ賃料を払います。仲見世と交差している新仲見世通りは、松屋デパートから映画街に抜けるアーケード通り。現在のここ、浅草公会堂が区役所の支所のあった所です。現在のオレンジ通りが区役所通り。
たぬき通りは昔「たぬき屋」という造花店があったので、たぬき横丁といった処です。
ちんや横丁は、犬のちんを4匹飼っていたすきやきや「ちんや」がある通り。今の中央通り。

・浅草の賑わい
威勢の良いお兄さんが引く人力車は京都奈良から商売にやって来ました。なにせ京都の観光客の入れ込み数は年800万人、出雲大社で年400万人、しかしここ浅草寺はなんと年3000万人、今7月28日の隅田川の花火には、一晩93万人、正月3が日の参詣は125万人。流石関西人は商売に聡いですネ!

・年中行事
7月は入谷の朝顔市が6、7、8日。昔は7日まででしたが、ほうずき市に続けるため8日までやりだしました。9、10日がほうずき市。これは、4万6千日分の功徳があるという詣日でもあります。
5月17、18日が三社祭。三社権現の祭り。権現は最も人間に近い神様。位が最も高いのが明神といわれます。(東照権現、神田明神
3月17、18日は「示現会」が2000年に再開されました。

・三社祭の御輿担ぎ
浅草44町の氏子衆から青年部各75名。御輿3基を約3,500人に
札を出す仕来たりですが、全国から結局9,300人の担ぎ手が集まります。
新仲見世6個町では、金曜日の宵宮から六町250人が参加します。

・吉原界隈
昭和33年赤線廃止になりましたが、11月の酉の市(酉月の酉日)だけは女子供も大門内に入ることが許されました。子供時代この日には、ひさご通りのすきやきや「米久」でご馳走してもらいました。ここの娘が映画女優の泉京子です。
ひやかしの語源というと、土手下の紙漉き職人が製品の紙を仕上げる為に冷やす間、大門内の遊女の顔を見るだけのためにあちこち覗いて周ったことからこの語が出来たと言う話。大門前の馬肉や「中江屋」、天丼や「伊勢屋」は老舗で今でも営業しています。

・サンバカーニバル
最近の人気行事はサンバカーニバル。ブラジルリオのカーニバルから優勝者を招待して開催します。8月最終土曜日の午後二時から三時がクライマックス。数十人から三百人という団体で盛り上がります。

・Q&A
1)話に聞くと震災後、江戸浮世絵刷り師が浅草に集まったと言うことですが?
私はあまり詳しくありません。それに関して、仲見世の手ぬぐい屋「富士屋」に御聞き下さい。

2)祭りの費用はどこかからの補助、寄付はありますか?
地元が総て負担します。表門六個町で各400〜500万円。

3)宝蔵門の大わらじは?
山形県村山市出身の彫刻家村岡久作さんが、同郷の関取明歩谷をモデルに宝蔵門の仁王を造って奉納した。その縁で昭和39年、村山市が大わらじを寄贈したものです。
4)三社祭の御輿の掛け声は
昔から、「おいさ、おいさ」だったが、「せや、せや」となった。せやはそりゃからか?

5)十二階は何処にあったんですか?
陵雲閣といっていた。ひょうたん池の傍にあったが、震災で倒壊した。

6)よく外国人を見たいなら浅草へと言われますが?
そうです。沢山の国から見物に訪れます。国別ではそこの経済事情が反映しているようです。

7)謡、能舞台がありましたね?
猿若三座がありました。そのうちのひとつが現在の待合「藤田」の場所です。

8)宝蔵門の正面の大きな提灯は?
小舟町の寄進です。

9)雷門、宝蔵門の寄進者は?
宝蔵門は大谷米太郎、雷門は松下幸之助が寄進しました。

10)喜劇俳優の登竜門は?
ストリップの前座でやっていたコント55号、渥美清、ビートたけし等の多くの喜劇人がいます。ロック座、フランス座、木馬座や浅草演芸場等が舞台です。

11)浅草オペラで和製ジャズが盛んになったようですが?
昭和10年頃から田谷力三、エノケン、ロッパ等が歌いました。素晴らしい歌詞に翻訳したジャズがありましたが、何処にあるかは不明です。

12)浅草寺の宗派は?
天台宗(叡山)でしたが、戦後になって独立しました。

以上、話題は尽きない粋な2時間でした。会場のとんかつ「喜多八」は、公会堂の中にあって、いわば界隈の要の位置。二次会の御弁当も良質ともに美味でした。
時々はこんな遠足もいいものです! 浅草の方々の粋と人情に感謝申し上げます。

以上

文責: 鈴木 一郎
写真撮影:橋本 曜; 山本 啓一
HTML制作、編集:山本 啓一