第80回 神田雑学大学 2001年8月10日 講義録

講師 辻  毅


目次

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 1.講師の紹介・はじめに

 2.聖徳太子について

 3.三経義疏について

     「法華義疏」

     「勝鬘経義疏」

     「維摩経義疏」

 4.質疑応答

・講師の紹介
辻 毅さんは大学で法学を学び、卒業後電信電話公社(現NTT)に入社。40年近く勤務され、NTTメディアスコープ二代目社長を最後に引退。衆議院選挙に出馬。仏教大学卒業。現在日本徳育研究所代表、帝京平成大学講師。

・はじめに
辻 毅です。今回奇しくも神田雑学大学の第80回という節目に講演でき感謝申し上げます。私は長年勤め上げたNTTを退職致しましたが、その間テレカ発売やメデイアスコープという従業員100名という小さいながら優良企業の経営にあたることが出来ました。退職のきっかけは市内電話料金値下げに向けての社内努力を主張したのに対し、幹部から逆に値上げをするという方針が出され、NTT幹部の経営倫理感に失望したことからです。

退職翌日何の準備もなく衆議院選挙に出馬して落選。その後、京都まで新幹線通学で佛教大学に学び、聖徳太子を研究し、卒論は「三経義疏と倫理教育に関する一考察 ー「幼学綱要」との比較を中心にー」でした。研究の動機は、勤務中に感じた企業経営者の倫理感の欠如や現今日本社会における諸問題の根元を追求することにあります。

本日は信仰の視点ではなく一市民の視点から仏教を主体とした聖徳太子の倫理観を日本社会の倫理の在り方に焦点を当ててお話したいと思います。

・聖徳太子について
日本がバブル経済に突入する頃に、一万円札から聖徳太子が消えました。これは日本が倫理不在の時代に入ったと言う私にとって象徴的な印象を与えました。その聖徳太子が撰した「三経義疏は現存する日本最古の本です。

1999年に国立博物館平成館で催された「皇室の名宝展」でこの本の一部、法華義疏の現物が展示されました。
「三経義疏」は法華義疏、勝鬘経義疏、維摩経義疏の三注釈書を指します。

まず聖徳太子の家系を述べてみます。
太子は用明天皇と穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)を両親として572年(一説には574年)に厩戸皇子(うまやどのみこ)として生まれました。
587年蘇我氏とともに物部氏との合戦に勝ち、593年(推古元年)には叔母にあたる推古天皇の摂政となり、四天王寺を建立。
604年(推古12年)「十七条の憲法」を作り、609年から615年にかけて「三経義疏」を撰しました。
621年(推古29年)逝去。磯長陵(しながりょう:現大阪)に祭られました。
628年一族は蘇我入鹿によって滅ぼされました。

・「三経義疏」について
本書の成立については、後世の作為による、別人の手になるという他にも種々の議論がありますが、最新の学問成果では、渡来学僧とともに聖徳太子が関与して製作したということに落ち着いているようです。

(1)「法華義疏」
615年(推古23年)原本は4巻。ここで説かれる教えの中心は、四安楽行、即ち身善行、口善行、意善行、慈悲行です。この注釈で貫かれているのは、人間救済の慈悲、即ち与楽の「慈」と抜苦の「悲」の徹底です。

(2)「勝鬘経義疏」
「日本書紀」にみられる通り、太子は推古天皇に菩薩としての人の在り方を天皇を勝鬘夫人と重ねあわせ講讃したと思われます。写本しか残されていませんが、原本は611年(推古19年)に完成しました。これは別に女性への戒めということではなく「八地以上」の菩薩としての行願を述べていると思われます。

(3)「維摩経義疏」
613年(推古21年)の作。インドで大乗の精神を生活に実践した在俗の維摩居士と小乗の声聞比丘とのやりとりを記した経典です。
太子はこの維摩居士を自分に置き換えて生活の模範として愛読したのではないかと言われています。その教えに、直心は萬行の始めであるとし、総ての行為に前向きの姿勢が必要であり、あらゆる拘りを捨てることを説き、発心して仏果の一切智を求めることは自己の修行の根本であるとしています。

総じて、聖徳太子は出家にこだわらずに、世俗で人々に働きかけ弘通してゆく在家菩薩行の実践を強調しておられ、飛鳥時代の流れにおいて王法と仏法の静かなる調和と共生を掲げています。太子は生涯にわたって、自分の一族を含め、世間が虚假(こけ、仮の姿)であるからこそ、自暴自棄な絶望でなく、大慈大悲の仏心を持って、衆生を救うことこそが大乗の菩薩行であるという信念を貫きました。

私の結論はこうです。
聖徳太子は、特定の宗教にこだわることなく、神仏儒道を超越した姿勢で、仏典の注釈書「三経義疏」というかたちで万善同帰という自らの考えを示されました。太子自ら一族を含め実践された、人間ひとりひとりの心の中にしみわたる教えの実践こそ今の時期に必要であると思います。

・質疑応答
<問い>何故聖徳太子は多くの経典のなかで、法華経、勝鬘経、維摩経という教えのみを重視されたのでしょうか?

<答え>釈迦は説法のみで教えを伝えました。そして、対象毎に内容を変えられました。後の人々が各自の解釈で作成したのが仏典です。ですから、経典毎、宗派毎に別個の仏教があるといえます。
私は一人の在家の研究者として日本の倫理教育者としての聖徳太子の教えを調べました。 私はあらゆる宗教にこだわらない立場で研究を進めて居ます。経典をどう解釈するかは、各々の立場と姿勢で違ってくるものと思います。

参考書
辻 毅「三経義疏と倫理教育に関する一考察 ー『幼学綱要』との比較を中心にー」(2000年6月 帝京平成大学紀要 第12巻第1号)
以上

文責: 鈴木 一郎
写真撮影:橋本 曜
HTML制作、編集:山本 啓一