神田雑学大学 2001年8月24日 講義録

東 京・盛 り 場 物 語

講師 橋本 曜


目 次

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  はじめに・講師紹介

  1.盛り場の要件

  2.山の手一周に沿って

  3.池袋・高田馬場

  4.新宿

  5.原宿

  6.渋谷

  7.銀座・日本橋

  8.秋葉原・上野・浅草

  9.その他






はじめに・講師紹介

「東京盛り場物語」の橋本 曜さんは、当教室の専任カメラマン(?)で、毎回見事な会場写真を提供して頂いております。

 今回はサラリーマン時代の実体験をもとに、六本木、池袋、新宿、渋谷など東京の代表的盛り場のお話をして頂くことになりました。

 実体験に加えて、インターネットや官庁の資料で万全の調査をし、更にあらためて実際に歩いてみて、この講義に備えたそうです。

 受講生の皆さんの中にも、東京の盛り場について、いろいろな体験をお持ちの方が多いでしょう。
 講師の盛り場物語をもとに、情報交換・討論して本当に、座学から実地研修へと発展させたら面白いですね。

1.盛り場の要件

  盛り場、あるいは繁華街、もっとくだけて歓楽街は、大体次の4つのものを揃えています。

(1) 装身具施設
(2) 喫茶・食事施設
(3) 飲酒施設
(4) 風俗施設

 そして、これらに表と裏、表通りと裏通り、あるいは昼と夜の顔がある、というのが盛り場の特徴です。
盛り場と似たものに商店街があります。これには大抵風俗施設などはありませんが、私はおおまかに「人が多く寄り集まって賑やか場所」が盛り場だと考えています。

定年の3年ほど前、単身赴任中に歩くことが習慣となりました。お配りしたウォーキングの会誌「帰れ自然へ」に山の手一周の体験記を寄稿しています。後でお読み下さい。

山の手を一周すると、大体の繁華街が含まれてしまいます。それで今回あらためて歩いてみました。

山の手一周は35kmで、5〜6時間で歩けます。しかし、繁華街を歩くのは大変です。新宿の場合、繁華街の縁を歩くだけで7km歩きますが、2時間かかりぐったりしてしまいました。


2.山の手一周に沿って

(ここで橋本さん、手作りの山の手の図を広げます。)

 この図により、山の手一周は上野の不忍池から始めます。

 不忍通りを通り、日本女子大の辺りで目白通りに出て、これを200mくらい歩くと明治通りにつながります。明治通りをずっと下がって恵比寿辺りから、少し外れますが、外側を廻って品川、そこから東海道を上って行き一周するわけです。

 この図で茶色の部分が武蔵野台地です。関東ローム層で、やわらかく、削られた部分が白や青で描いた平地や川、残った部分が台地です。上野台、本郷台、豊島台、目白台、淀橋台、白金台、荏原台の七つの台地です。

 上野台と本郷台の間の不忍通りを上って行きますと、不忍池のすぐ上に千駄木界隈がありますが、ここに根津神社があります。いわゆる根津権現ですが、ここ千駄木界隈は昔の花街で、云ってみれば江戸時代の繁華街です。

 この辺りにはかって、文化人が多く住んでいました。森鴎外夏目漱石の家(現在は明治村に移築されていますが)、さらにサトー・ハチローの家などがあったそうです。千駄木界隈はローカルな匂いが強く残っており、行ってみると面白いと思います。

3.池袋・高田馬場

 本郷台を上ったり下ったりして歩いて行くと、護国寺があります。ここから少し離れていますが、池袋という繁華街について見てみたいと思います。

 池袋に電車が来たのは明治36年、隣の目白駅、板橋駅などに遅れること18年です。これは池袋の台地には池が多くて、土地が悪かったからです。

 最初は立教学園、豊島師範(現在東京芸術劇場があるところ)、成蹊学園などが集まり、学園都市として出発しました。現在は立教が残っているだけです。

 戦後はドブイタ横丁など闇市が遅くまで残り、繁華街としての発展は遅れました。さらに西武百貨店のネズミ捕り商法、銀行の集合などが街の発展を遅らせ、わずかにキンカ堂だけが、近郷農村からの買い物客を集めていたそうです。

 やっと池袋の発展のきっかけとなったのは、サンシャイン60です。
山手線の駅から700メートル離れているにもかかわらず、途中東急ハンズのエスカレータに乗ると、直ぐサンシャインの街のように思えて、人の流れができたのです(サンシャイン・ストリート)。
西口にも芸術劇場やホテルが出来て、いわゆる文化的施設ができ大分変わってきています。

 池袋から明治通りを少し南に下がると、昔から学生の町と言われた高田馬場です。
角帽をかぶった早稲田の街で、雰囲気のいいところでした。
その後いろいろな予備校ができました。予備校生は早稲田の学生に頭が上がらなかったのですが、最近は様々な専門学校ができ、茶髪、短パンの学生が闊歩しております。

 いずれにしても高田馬場は学生の街に違いなく、飲み屋もありますが、あまりボラないということです。

4.新宿

 高田馬場から明治通りを下ると新宿です。新宿は世界的に有名は繁華街で、殊に飲酒街としてはフランクフルトに並ぶ規模、あるいはそれ以上、世界一かもしれません。

 新宿は高遠藩内藤侯の下屋敷があった、内藤新宿(伊勢丹の角)に始まりました。もともと日本橋から下高井戸まで宿場がなかったので、浅草の高松という人が幕府に5千6百両を寄付し、新たに宿の開設を認められたのです。

 このとき遊女を連れて来たので、当初から盛り場の雰囲気を持っていました。
 やがて山手線の駅が出来て、駅の方に中心が移って行きますが、装身具施設など盛り場の要件を整えて行きます。

 新宿駅は一日360万人以上の乗降客があるといわれ、一人の人が乗降したとなるとその半分の180万人になりますが、その5分の1が新宿の街に出入りしていると推定されます。
(スライドで平日・休日、昼・夜の新宿、さらに歌舞伎町の時間帯別人口変動説明がありました。)
なお新宿二丁目はゲイの街として、世界的に有名だそうです。

5.原宿

 原宿も世界的に通用する、「女の子」が作ったファッションの街です。

 戦前代々木の練兵場があり、戦後米軍将校の宿舎ワシントンハイツが出来ましたが、この人たちが子供のオモチャや帰米の際のお土産などで、買い物に原宿へ出てきました。お土産店として昭和20年に富士鳥居(古美術店)、キディランド(玩具店)ができ、今でも残っています(穏田川の近く、今は暗渠です)。

 横文字の店があるアメリカ風の街に惹かれて、昭和26年頃から若い女の子が、集まるようになりました。昭和39年の東京オリンピックを控えて、35年頃からワシントンハイツはオリンピック選手村に変わって行きます。そして原宿も次第に変貌しました。

 アメリカ人は帰国するとき、家具や服を売っていく風習があり、これを買うことが一つのファッションとなりました。
 こうして西洋の雰囲気を引き継ぎながら、いろいろなお店が進出してきました。店といっても、当初は通りでハンガーに吊るして売り、夜になると仕舞うというのが特徴でした。

 店構えが簡素、素人が売っている雰囲気でいい、正直で親切、コストをかけないから安い、原宿だけにしか無いものを置く、ナウい、ということで女の子に人気がありました。

 そのうえ、女性雑誌アンアンやノンノ(昭和45年、48年創刊)が特集を組んで、全国的に紹介したため、原宿はとうとう修学旅行コースの定番になってしまいました。現在も商店街側は中・高校生に非常に気を使って、安全な街を維持しています。(ある調査では、13〜18才の女子で75%を占めるそうです。19〜22才女子が10%で、15〜20才の男子が10%ですから、ほとんどが若い人、とりわけ女子となり、残りの5%にもオジサンが入る余地はまずありません)

 昭和45〜6年頃から、ここにマンションメーカー(マンションの一室で作る)が出現しました。そこからDC(Designer's Character)ブランドが発生して、一時期を画しました。
 竹下通りは、企業が進出してファッションビルが出来、タレントが集まって来て出来上がった街です。ここにあるファッションビルの最大のものが、パレフランスラフォーレです。竹の子というお店で売ったファッションを着て、代々木公園で踊ったために有名になったタケノコ族が一世を風びしました。

 このような少女ブランドに満足できない向きのために、高級な店が集まった裏原宿(明治通りの東側)が出来ました。
原宿・神宮前両駅の休日の乗降客は、30万人といわれます。したがって15万人ですが、そのほとんどが原宿の街に行く人でしょう。

 さらに原宿を特徴付けたものにケヤキ並木明治神宮があります。

6.渋谷

 渋谷は地形的には谷底に位置します。明治18年に駅ができ、道玄坂の上の大橋に陸軍野砲隊があり、渋谷駅の周りに軍隊関係者を相手にした料理屋が何軒かあったそうです。やがて人が増えてきたので荒木山を開発して料亭を集め、円山町と命名しました。(戦後、料亭街が旅館街になり、そして今はホテル街になっています)

 もともとこの地には江戸時代から大山(雨乞いの阿夫利神社)参りの、大山街道があったことが、明治以降街の発展の素地となったのです。
多摩川の砂利を運んでいた玉川線が人を乗せ、東横線が出来、井の頭線が入り、昭和13年には地下鉄が通じました。

 このように当初は道玄坂、円山町の辺りが賑わっていました。ここに西武が円山料亭街のすぐ下に百軒店(ひゃっけんだな)という商店街を作りました。3000坪ほどの地に飲み屋を作り、映画館を作って繁華街にしました。しかし今は少し寂れているように感じられます。

 NHK放送センターが出来たり、西武と東急が張り合ってパルコや東急ハンズが出来て、現在はセンター街と109、パルコを結ぶスペイン坂(すごい坂道です)に若い人の流れが出来ています。渋谷は若い人の街です。

 渋谷は情報発信量が日本一です。それは渋谷が新宿などと違って、(地理的に)拡張の余地がなく、大勢の人々が限られた場所にひしめき合い、もみ合っているからだと思います。

 渋谷小説というものがあることを知りました。
そのうちの一冊を書いた笙野頼子さんという人が、編集者に誘われて初めて渋谷に来た時の印象が「ウンコくさい街」だったそうです。
最初そういう嫌悪感を持っていましたが、次第に渋谷が好きになり、後には「池袋は箱の街、渋谷は人の街だ。」と書きました。

 繁華街は基本的には人が作るのです。(例えば、人が集まるところとして東京ディズニーランドがありますが、ここは箱の街で繁華街とは云えません。 何が現れるかわからないという魅力は、繁華街にはかないません)

 それから渋谷にはネット関係の企業が多いですね。富士通総研の調査によると、400社以上あるそうです。人を集めやすいからだといわれています。

 余談ですが、渋谷センター街の真反対の並木橋にある馬券売り場には大勢人が集まります。センター街には若い男女が集まりますが、こちらはオジサンやお兄さんが集まり、まるっきり違った文化があるのもおもしろいですね。

7.銀座・日本橋

 銀座では明治3年から5年の間に、大火が3回ありました。その対策としてイギリス人設計のレンガ造りの建物、本通りの道幅30メートルの街を作ったのです。

 銀座は明治政府が、国の体面を保つために作った新しい街です。(明治5年に汐留・横浜間に鉄道を、明治7年に京橋・新橋間にガス燈を、明治18年に新橋・日本橋間に鉄道馬車を設置したことからもその意気込みが感ぜられる)そして、サトー・ハチローが手放しで賛美したように、全国的な憧れの街となり、盛り場の代名詞になりました。

 いまや地価日本一です。銀座に店を構えるということは、それだけステータスなのです。地価が高いということは、人が集まり、この地を希望する人が多いということの結果なのです。

 それからびっくりするのは、銀座は昔からあまり変わらない街だということです。
銀座の4丁目、5丁目に立ってみると、三愛のところが変わっただけで、他は昔のままだそうです。
タニザワ・カバン屋とか、サヱグサ、煉瓦亭、タマヤ、十字屋、和光、千里軒(ミルクホールのはしり)、ライオンビアホールなど古いお店が残っています。他の繁華街では見られないことです。

 風俗営業がほとんどないのも、銀座の特徴の一つです。しゃれた店が揃い,安心して家族で歩ける街で、やはり日本一の繁華街でしょうね。

 日本橋は家康の思い入れの街です。もとは問屋街で、これを中心に町並みを作っていったのだそうです。いまここにある三越、高島屋はデパートの頂点です。

 転勤で静岡や仙台に何年か住みましたが、それらの地の女性は高価な物はわざわざ三越、高島屋あるいは新宿の伊勢丹に買いに出て来ていました。



8.秋葉原・上野・浅草

 秋葉原は電器屋街として名を挙げましたが、原宿が女の子の街とすれば、この秋葉原は男の子の街でしょうね。ここへ来る人の8割は男の子ではないかと思います。

 上野は御徒町にアメ横があります。いまでも東北、信越方面への玄関口となっています。
これで一周したわけですが、線外の浅草に触れないわけにいきません。

 浅草は江戸時代以前からの繁華街でしたが、当時ここは江戸でないという感覚だったようです。ここが盛り場となったのは渡し場があったからです。渡し場があると宿場ができます。江戸幕府が花街を吉原に囲いを作って押し込めたので、繁華街としての様相が一層強まりました。

 現在の参拝客は年間3000万人といわれ、毎日25万人くらいがこの街の中にいると推定されます。
問屋街、皮革店、玩具店、人形屋、仏具屋さんなどの業種が固まっています。神田もそうですね。本屋さん、出版、楽器屋、スポーツ店など、何故かいろいろの店が固まる傾向があります。

9.その他

 これらの東京の盛り場に、一体どこから集まるのか、東京都が調べたことがあります。
23区からが当然多いですが、埼玉・神奈川・千葉の近隣3県以外の群馬、山梨、静岡、その他遠くから来る人がいるのが特徴です。

 浅草は主に観光で来るわけでしょうが24〜5%です。渋谷で13%、新宿で10%が遠いところから来ていますが、観光を目的とは思えません。繁華街に魅力があるから来るのではないでしょうか。

 一方、吉祥寺、錦糸町、赤羽など小規模な繁華街では平均2.9%にとどまっています。

 次にYAHOOの検索で、盛り場の出度件数を調べてみました。(資料を配布)
渋谷というと人名も含まれてしまうので、渋谷系、新宿系という形で調べました。

 漢字、ひらがな、カタカナを含めて渋谷が群を抜いて9362件、次いで原宿2057件、新宿1970件でした。都市は情報発信の量によって存在感が強まります。したがって、渋谷の情報が多いということは、それだけ存在感があるということになり、これからの渋谷の行く末が楽しみですね。

 次のグループが秋葉原(470)、下北沢(217)、池袋(185)、代々木(164)です。下北沢は音楽関係・演劇関係が多いせいだろうと思います。若い人たちの関心が高い街なのでしょう。(情報発信の量からすると、池袋はまだまだ小さいと考えたくなります)

 最後に西洋では街のシンボルというものを持っています。日本ではあまり関心が高くありませんが、主なものを拾い出しておきました。(これもYahooの検索からです)

 渋谷忠犬ハチ公、原宿欅の参道、新宿都庁・高層ビル群、池袋のサンシャイン60ビル、浅草雷門、上野の西郷隆盛像、神田ニコライ堂などです。

 今回は六本木などに触れる時間がありませんでした。またの機会にお話したいと思います。
(拍手・拍手)

おわり


文責: 大野令治
会場写真撮影:田口和男
HTML制作・編集:大野令治