第80回 神田雑学大学 2001年9月14日 講義録

講師 吉田 源司


目次

(クリックすれば該当の項へ進みます。
ブラウザの「戻る」ボタンで目次に戻ります。)

 1.講師紹介と序文

 2.私の履歴書

    繊維会社時代(営業の思い出)
    お茶屋の開業

 3 アシートについて

         靴の中に敷くと快適です

 平成13年9月14日の話は吉田源司さんの「健康は足元から」でした。
吉田さんは、本業はお茶屋さんですが、ふとしたきっかけで、抗菌・脱臭・吸汗・刺激の効果を持つ、靴の中敷の販売を手がけることになりました。このストーリーの中に示される人脈とビジネスチャンスの捕らえ方に感心させられます。
 また神田雑学大学の第2回講話「私が犬を飼う理由」で大好評を博した吉田悦子さんのお父さんでもあります。

 この夏、旧盆の八月十三日に、私の実家がある佐原へ墓参りに行ったとき偶然目にした感動的な場面があったのでご紹介したいと思います。そこで見かけた光景は、新しい墓標の前で亡くなったご主人の奥さんと思われるひとが「明日があるさ」という歌を口ずさんでいました。お墓でこのような歌はそぐわないような気がして、ついそのわけを聞いてしまいました。

 奥さんのいうには「主人が亡くなった当初は悲しくてなにもする気力がなく泣いてばかりいました。ところがお寺の住職にもらった相田みつおさんの書「熱い涙を流して声の限りに泣く、涙なんか一滴も見せず無声慟哭する。共に大事な仏の計らい。狂わずにいきるために」を読んでハッと気がつきました。これから一人で生きていくのに悲しんでばかりいられな心の平和をとりもどして勇気をだして生きていこうと心に決めたのです。私は、この話を聞いてふっとしたきっかけが、その人の人生観まで変えてしまうということに感銘をうけました。

 さて私の話ですが,私は銚子で生まれた十人兄弟の六男で姉4人の末子でした。戦災にあって実家のある佐原に疎開して育ちました。六男といいながら兄達が戦死その他で亡くなって結局私が長男の立場になって33歳のときに船橋に家を建てて両親を引き取りました。父母は78歳でした。

長兄とは20歳違いで戦争中、奉天から手紙をくれたのに戦死した場所は、南方にてとなっていました。もちろん遺骨もありません。両親もひょっとしたらシベリヤで捕虜にでもなっているのでないかとかすかな期待を持って引き揚げ船の帰国者名簿を調べていた、悲痛な顔を今でも記憶しています。
そんなわけで私も若い頃から働きに出て繊維関係の会社で約30年間働きました。
 朝から深夜まで営業に専念して我ながら、よく働いたと思いますが大阪支店勤務の6年目に9階建てのビルを建てて社員も60人ほど抱えるほどになりました。がむしゃらに働いた私のやり方が決して今通用するとは思いませんが努力しているうちに東京本社では三越や高島屋さんのご指名で昭和天皇や皇太后のお召し物も扱わせて頂くほどになりました。

 仕事が一段落したのを機会に、これまで私を育ててくれた社長がご逝去されたあと、二代目社長に独立したいと頼みましたら「仕事が競合しない繊維以外の仕事なら」ということでお茶屋を始めたわけです。

 振り返ってみますと、全く素人のお茶の世界によく飛び込んだものだと思いますが、その後繊維産業は不況になり、もといた会社や仲間たちも倒産して、あのとき決心していなかったら自分も今ごろはどうなっていただろうという感慨があります。さてお茶屋の仕事をはじめたものの素人の悲しさで始めは悲惨なものでした。手伝いもいれて7人ぐらいで始めたのに売上が月に70万円しかないのに支出が370万円もあるのです。 こんな状態がしばらく続いたのですが,あるときファスナーのYKKにいた稲垣さんという人が健康器具で有名な中山産業(株)の取引先懇親会の会長をやられていて紹介してやると言われました。健康産業と健康茶のとり合せというのがヒントでした。

 中山式産業に食いこむのはなかなか大変でした。鉄観音、杜仲茶などの健康茶を開発して、静岡のお茶屋さんと提携したのですが臭いが移るというので問題にしてもらえず中国茶だけを取り扱ってくれたのですが最初はほとんど売れませんでした。そのうち景品用として鉄観音のサンプル用の小さな紙パックの注文があり、これが月に約3万個2年間続き事業としてなんとかやっていける目鼻がついた。

 静岡で提携した喜作園という会社はこれを機会専門の中国茶製造工場を作り大きく成長したが、社長以下熱心なクリスチャンでわたしも大いに影響をうけました。 この人たちの助言で煙草もやめ今は嫌煙運動に携わっています。一度、禁煙茶というのを開発しましたが評判が悪くやめてしまいました。

 日本茶の分野でも門外漢でしたがたまたま通省OBで冠婚葬祭の互助会の幹部をしていて内情を知ることができました。結婚式場で平安閣や高砂殿など華やかな建物をご存知でしょうが、これは互助会の宣伝塔みたいもので本当は葬儀の方が儲かるのだと思います。冠の方でお茶の需要はありませんが葬のほうでは結構お茶が使われますので私はこれを狙って売り込みに成功しました。

 商売にはきっかけと知恵と努力が必要だと思いますが私の経験を二、三ご紹介します。
中山式産業の社長にお礼をすると同時に名前を覚えていただくためにいろいろ考えました。お金や物には不自由のない人ですから月なみな贈り物では喜ばれないと思い、たまたま社誕生日を知る機会がありましたので、その日の早朝に赤飯を炊いてお持ちしたところ、非常に驚かれ感激され、その後、札幌、仙台、名古屋、大阪、福岡などに社長とご一緒させて頂き健康茶の販売促進を計らせていただきました。

 また互助会の実力者の東山さんの知己を得るために、当時上越にあったお宅に船橋から往復700キロ、ただ社長にお会いするだけの目的で何度も往復しました。それだけの目的で時間をかけてやってくる私に東山氏も根負けしたか、そのうちお前の店に行くよ といってくれて13坪の私の店を見にきてくれました。私は近所の有名なてんぷら屋でご馳走してお礼したのですが後日電話があり「この話はなかったことにしてほしい」と断られました。

 その後、ことわられたのが残たまらず。私はたまたま同氏が懇親会で熱海のホテルにおられることを知り、そこに出向いて再度取り引きをお願いしようと面会を申し込みました。 同氏はものすごく不機嫌な様子で出てこられて「いったいなんの用事だ」と大変な剣幕でしたが私は「直接お会いして断って頂きたいと思って出てきました」と申し上げたところ同氏の態度が変わったのです。こうして互助会の取引がはじまりました。

 変わった経験では市谷の将棋会館へお茶を売りにいったことがあります。当時中原棋聖や加藤一二三八段にもお会いしてお茶を置いてもらう交渉をしました。王将とか将棋に関係したブランドをつけて名人位や昇段の際使われるお茶のセットを買って貰ったが、いつも需要があるものでもなしショールームにも置いて貰ったが将棋会館でお茶を買う人はまずいません。結局これは失敗でした。

 ここで本題のアシートです。お茶屋と靴の中敷というのは全く関係がなさそうですがそうでもないのです。このアシートというのは段ボールで作った中敷です。もともと日鉄鉱業という新日鉄の子会社とコバシという段ボール屋の大手が共同で開発した抗菌・脱臭・吸汗・刺激の中敷なのですが、もともと製鉄所の作業員が履く安全靴に使うことを考えたものの実際使ってみると靴を水洗いしたり汗で蒸れたりして紙製の中敷では持たないことが分って見こみ違いになってしまいました。

 そこで一般の人に使ってもらえないかと中山産業(株)と健康茶で関係がある私のところに販売の相談があったのです。私も試しに使って見ましたが、一見すると、波型の段ボールのようで、あまり見かけは良くないのですが、これが使ってみると意外にいいんです。波型がちょうど足の裏のツボを刺激して歩くことが楽しくなります。

 紙でできていますから、汗をしっかりと吸収してくれて靴の中はいつもさらさらとしています。その上クリストバライトという鉱石が紙に漉き込んであって、脱臭効果はもちろんですが、嫌な臭いのもとになるバクテリヤの繁殖を押さえてくれるのだそうです。

 私はこれまでの営業の経験から販売促進用の景品として使えないかと考えました。まず住友生命で外交の人達がお客さんを訪問するときに話のきっかけをつくる手段として使ってもらうようにしました。この世界ではキャンデーとか使い捨ての名入ライターなどがありますが一足100円近い価格を考えると大量に使ってもらうのには一寸問題があるかもしれません。 ほかに販売促進用として東京三菱銀行、東京日産あたりでも使ってもらいたいと申しいれています。

 最近売れ出している用途として各新聞販売店やはんこ屋さんなどの開業記念などに名前入りでお客さんにわたすものがものがあります。営団地下鉄では一足180円で販売されていますが、みなさんのお心当たりで数量がまとまれば70〜80円程度であっせんすることができます。
最近、神田雑学大学の三上代表が地域の新聞販売店に持ち込まれたら即座に1000セットの注文がきた礼もあります。また見本品や販売ノウハウなどは雑大の三上代表に直接ご連絡下さい。

 私もこの仕事に首を突っ込んで数ヶ月でまだ軌道に乗っているとは申せませんが第二の人生で楽しみながらやっていきたいと思っています。
以上

文責: 得猪 外明 
写真撮影:橋本 曜
HTML制作、編集:山本 啓一