第88回 神田雑学大学 2001年10月12日 講義録

講師 長谷川 順音


目次

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    1・講師紹介
    2・天皇の家系
    3・鎌倉時代の日本の人口は?
   4・ルーツの辿りかた
    5・苗字について
    6・苗字と家紋と地名
    7・位牌の見方
    8・地名の苗字

第88回「地名・苗字・紋章」 講師:長谷川順音(やすお)さん

・講師紹介
長谷川さんは、3回目のご出場。いつも含蓄深い家系調査、印章のお話ですが、今回日本民族系譜学会の理事長にご就任なされ、益々油の載ったお話であります。

・天皇の家系
現在、天皇家系は125代だが、4人兄弟、3人兄弟、あるいは兄弟で天皇になられた時が数度有り、実際は72世である。それに「欠史八代非実在説」が現在の歴史学会の主流でもあるので、実際は西暦と同じくらいと思う。大化の改新の時、蘇我氏の兵変により天皇記、国記が焼失したので、その後に記された『古事記』『日本書紀』の最初の方は、あまり信用できない。

天皇のふるさとである高天が原は、最初は朝鮮にあり、次に日向に来たという、母の高祖父の漢学者市川鶴鳴からの口伝があり、私はこの説を信じている。市川鶴鳴は『日本人名事典』『国史大辞典』に収録されている古文辞学派の漢学者である。漢学者でありながら、国学の造詣も深く、本居宣長の『直昆霊』(なおびのみたま)に対し、『萬我能ヒ比礼』(まがのひれ)を著し、その内容の一部に痛烈な批判を加えている。高天が原天上説は、本居宣長の説であるが、天上に人が住めるか、全く道理に合わない。

・鎌倉時代の日本の人口は?
誰にでも父母がいる。そして、其の父母にもそれぞれ父母がいる。親は二人だが、祖父母は4人、曾祖父母は8人、高祖父母は16人、その前の代は32人と、代を溯るごとに二倍に増える。この計算で自分を一代とすると、21代前には祖先の数は軽く百万人を突破する。それが28代前だと、一億三千余人になる。では28代前とは何時頃か?

私は一代を25年から30年とみている。中間をとって27年半とすると、770年前となる。今は2001年だから、それは1231年になる。
1231年は寛喜2年である。すなわち鎌倉時代で執権は三代北条泰時、天皇は86代後堀河天皇の時にあたる。

では鎌倉時代の日本の人口はどれくらいあったのか?いろいろ文献を探したが、日蓮大聖人の御書のなかに具体的に書かれていた。その当時、弘安4年(1281)、「曽谷二郎入道殿御返事」には、「45億8万9659人、或いは49億4828人なり」とあり、当時は十万を一億と数えていたので、約500万人が鎌倉時代の人口だった。では、28代前の先祖は1億人というのは嘘だったのか?実は幾度も同族結婚し、また兄弟も多かったので、実際の数は20分の1にも達しない。

・ルーツの辿りかた
まず初めは戸籍謄本をとることだ。これで5、6代の家系が判明する。次に過去帳、位牌、墓碑の調査だが、寺の過去帳は焼失していることがよくある。その時は、「宗門改帳」を見てみよう。元庄屋の家か、教育委員会に尋ねるとその所在が判明する。勿論筆で書かれていて読めないと思うが、松原市、藤井寺市のように市史資料編の中で活字化されている処もある。

とにかく、苗字の研究よりも戸籍をとることが先決である。それは何故か?
除籍謄本は80年経つと廃棄処分になる。だから一日違いでも出さない自治体があるからだ。他の人たちは苗字の研究第一というが、私は経験上、戸籍謄本は思い立すぐとることを薦める。

・苗字について
苗字については、まず『姓氏家系大辞典』をみることだ。殆どの苗字の由来が書かれているし、家紋名も入っている。私は今、漢字そのもので訓みを含まず、87,500種類の苗字を収録、ゆくゆくは10万種類に達するであろう。
この中から人口の多い順に1000の苗字を抽出したら、面白いことに一番多いのがア行の苗字である。次がイ行オ行でウ行がその次、そしてエ行の苗字は一割にも達していないのだ。

日本には、日本で作られた字、すなわち国字が1,551もある。十(下を跳ねる)、オも国字であって、十はスズキとも訓んだ。オはエダナシとよむ。辻、榊、きへんに仏でしきみも国字で、国字の苗字は比較的新しい。佐藤姓、鈴木姓は共に200万人いるというが、国勢調査の資料でも無い限り正確とはいえない。固定電話より携帯電話の方が多いので、電話帳を基本にしたランキング作りは、毎年未掲載の家が増えるので、確かな数字は出てこないと思わう。

しかし、一応の参考にはなる。昨年の日本の平均世帯人数は2.66人である。これを未掲載の家があるので、4.12人として計上していると思われ、電話帳だけの調査には限界がある

・苗字と家紋と地名
苗字の85%は地名に起因している。地名は戦前の資料では38万あるとしている。現在、私は苗字87,500種。家紋7,500種収集した。徳川家の三つ葉葵は36種。柏は146種類もある。

家紋は分家が増えるに従い多くなる。分家に出ると本家とは別の家紋を使うからだ。といっても、全く別の紋ではなく桔梗紋であれば、素材に付加、つまり丸で囲ったりする程度である。勿論、全く別の紋に改める家もあるが数は少ないと思う。

素材のままの紋が本家で、付加、改造、合成、或いは省略した家紋を使用している家は、分家、庶流と判断してもいいと思う。勿論例外もあろう。家紋は新しく改めても法律には触れない。私もある事情から家紋を改めている。といっても母の市川家の定紋を使っている。

坂本竜馬の家紋はも、最初○の中に田である。また苗字は大浜であった。竜馬の家は、よく明智の一族というが、紀氏の出身ではないかと思う。しかし、証拠はまだ掴めていない。とにかく家紋を改めて三代過ぎると、それが其の家の家紋と世法的には認められる。

家紋には、天地部門、植物部門、動物部門、造営部門、器材部門、文様部門、文字部門、そして図符部門に分かれる。中でも種類では器材部門が一番多い。一番少ないのは、安倍清明判紋などがあるこく図符部門である。

東京近郊では、丸に違い鷹の羽が一番多い。
私は二十余年の家計調査歴の中で、寺墓地、共同墓地、霊園など約500ヶ所に脚を運んでいる。そして一通りの家紋ランキングをつけたが、勿論断定したわけではない。全国的にみて次の通りである。

1位藤紋、2位木瓜(モッコ)紋、3位カタバミ紋、4位鷹の羽紋、5位桐紋、6位蔦紋、7位柏紋、8位梅紋、9位桔梗紋、10位星紋、11位茗荷紋、12位橘紋、13位竹笹紋、14位巴紋、15位オモダカ紋、16位引両紋、17位菱紋、18位目結紋(メユイ)、19位車紋(佐藤姓は源氏車)、20位竜胆紋(笹竜胆含み)、21位月星紋、22位松紋、23位矢紋、24位梶紋、25位扇紋、26位唐花紋、27位井桁紋、28位亀甲紋、29位井筒紋、30位菊水紋(楠姓、九州の菊池姓)。
いずれその紋の使用姓などを調査して、ある程度の正確なランキングを作ってみたい

・位牌の見方
位牌の形で時代が判るので次に述べる。雲首(ウズ)型、一般庶民の家にはない。中世後期の大名クラスの家。足利時代のものである。
卵塔(ラントウ)型、上部が円または宝珠形で、これは慶長年代のもの。櫛型、江戸中期のもので、上部の円形が押された櫛のような形になっている。屋根型、江戸後期のもので、一般家庭とくに田舎でよくみかける。屋根をはずすと中に薄い板の位牌が入っている。寸銅型、明治以降のものである。

・墓の見方
一番古いのが五輪塔型で、平安後期にみられる。次に、宝篋印塔、多層塔、無縫塔、石幢、多宝塔、板碑だが、まず一般庶民の家には見受けられない。一般には元禄頃から墓石が建てられた。上部の先が尖った枠のある墓を元禄墓という。江戸後期から現在の形になってきた。笠型の墓は、武家か庄屋クラスに多い。

・地名の苗字
東西南北で最多の姓はどの方向か?西である。西○=553、○西=262。
(仏教思想の西方浄土に起因するか?)

全国最多苗字は田○=594、○田=2,966。(稲作の重要性からか?)
次いで、川○=351、○川=1,540。山○=561、○山=1,399。
藤○=310、○藤=433。但し、トウと訓読みの苗字は約1000年以降で
ある。

上中下では、上の付く地名、苗字が多い。(昔から本家が上に位置していたからか?)とにかく、苗字、地名、家紋はのめり込んだら興味津々の話題である。

追記>講義中や質問時間に、聴講者から自分のルーツ探しについての具体的な質問が多く出て、関心の高さが判りました。家系調査、歴史の面白さに刺激されたお話でした。

以上
文責:鈴木 一郎


写真撮影:市川 勝昭、山本啓一
HTML制作、編集:山本 啓一