第92回 神田雑学大学 2001年11月9日 講義録

講師 京 一夫 さん


目次
   講師紹介
   私のボランティア活動の原点
   愛の贈りもの♪
   コップ一杯の米運動へ
   アマチュア・ボランティアの開拓者魂
   ★その他の紛争地区参考

講師:NGOレッドハート国際委員会 代表 京 一夫 様の ご紹介

★平成の「鬼平」登場!

 本日の講師は演歌歌手の京一夫さんです。
 まず、彼の唄である「実録 長谷川平藏物語『鬼平 江戸の華』」をお聞きください。

実録 長谷川平藏物語「鬼平 江戸の華」
唄:京一夫  作詞:京一夫  作曲:銀花正人  編曲:南郷達也

(台詞)「火付盗賊改方 長谷川平藏である」
          1.おとこ 旗本 お江戸で生れ
            下町 本所の 伊達おとこ
            おさまりつかねえ 世の中だけど
            剣と 度胸と 腕っ節
            命おしまず 長谷川平藏
            その名も 鬼平 江戸の華 ♪

        (台詞)「片目をつぶっても 罪は罪  
            罪をつぐなうは この世の掟
・・・・・・ひとり残らず ひっとらえろ」
          2.江戸っ子 平藏 八百八町
            裏道 早道 神出鬼没
            天下の大事は 一網打尽
            寄場 人足 世直しの
            下情 通じる 長谷川平藏
            暴れ 鬼平 本所の銕 ♪

        (台詞)「己は殺さん 己が刃にかけた 一人一人の 
            痛み 苦しみを 生きながらにして 味わうがよい
            ・・・・・・引ったてい」
          3.ほとけ心の 盗人裁き
            自ら 無宿 無頼となって
            強がりだらけの 人生だけど
            おれの選んだ 御用だから
            命燃やした 長谷川平藏
            おとこ 鬼平 江戸の華 ♪

京一夫さんは「コップ一杯の米」を募り、自らソマリア、ルワンダ、コソボ、北朝鮮、モンゴルへ出かけて行って、現地の子供たちを救援しておられる方です。
 そして今度はアフガン難民の子供たちのために活動をされています。
 そんなわけで、今回だけ雑大はコップ一杯の米を聴講料の代わりにしました。
今日は、彼の行動の基となっている彼独自のボランティア精神をうかがってみましょう。

☆私のボランティア活動の原点

 私のボランティア活動のきっかけは、自分の住んでいる地元(亀戸)から頼まれて、「亀戸天神さま」という童謡を作ったのが始まりでした。
 そのあと私は、亀戸天神社から若干の童謡の作詞・作曲料をいただきましたので、その謝礼金を江東区に寄付しました。そうしたら、そのお金が障害福祉センターに廻って、障害児の遊び道具の購入費になったのです。そんな縁で、私は障害福祉センターに通って子供たちに歌を教えるようになりました。そんなことをしているなかで痛感したのが、ボランティア活動に歌があってもいいじゃないかということです。となると、歌手である私の出番です。そんなことから今も福祉センター通いを続けている次第です。

☆愛の贈りもの♪

こくんな活動のなかで、私は「愛の贈りもの」という歌を作りましたのでご紹介します。

  愛 それは私のすべて
  だれでも 人は夢を見る
  喜び 悲しみ 胸にいだき
  みんな 幸せ 見つけているの
  愛の灯 探しているの
  愛をください 愛をください
  君の贈りもの 〜 ♪ 

繰り返しますから、皆さんもご一緒にどうぞ。

  愛 それは私のすべて
  だれでも人は夢を見る
  喜び 悲しみ 胸にいだき
  みんな 幸せ 見つけているの
  愛の灯 探しているの
  愛をください 愛をください
  君の贈りもの 〜 ♪ 

今度は手話をまじえて歌います。

 いかがでしょうか。おぼえやすい優しい歌でしょう。

コップ一杯の米運動へ

さて、ある日のことでした。あれは1992年か、1993年だったと思いますが、テレビでソマリア難民の子供たちが飢えに苦しでいるという報道を見たのです。早速私は、そのことを福祉センターで話してみました。
 すると翌日、ある障害児のお母さまが「ソマリアの子にあげてください」と言って、コップ一杯のお米を持って来られました。これが私の「コップ一杯の米運動」の出発でした。

 実を申し上げますと、栄養的には米より玄米が良いのですが、玄米は一般的でありませんので、運動になりません。だから、米にしているのです。ただし、米のままですと設備もない現地では食べるのに不便であり、また米のままだと虫に食われたりしますから、ライス・ミール、すなわち粉にして私は現地へ運んでいるのです。お湯にライス・ミールを入れて飲むのです。そうしますと消化・吸収が良いので、飢えで栄養失調に罹っている難民の子供たちも食べられます。ちなみに、コップ一杯の米の量というのはおにぎりにしますと3個分です。また、いただいた米の約3割には小石が入っていたり、古かったり、虫が喰っていたりして、使えません。7割の米がライス・ミールになるのです。その米を長野県のある粉屋さんに依頼して粉にしてもらっています。

☆飢えに苦しむ世界の子供たちに支援を

ところが、ここで課題が出てきました。集めたものの、その米をどうしたら現地へ送ることができるか? その米を誰が現地へ送るか? ということです。
 さらに、ここでもうひとつの問題があることが分かったのです。
日本のNPO・NGOなどの支援団体は、その団体の方針に叶う賛同者を募っている団体であり、団体どうしの横の協力関係はないということです。
私が、ある団体に「ライス・ミールを送ってくれ」と頼んでもどこもやってくれません。 ある意味では、日本の風土の特色であるタテ割り構造が残っているせいかもしれません。
 私の印象では外国ではそのようなことは少ないように感じます。
ダメだとか、書類だとか、ルールだとかは、所詮人間が勝手に作ったものであり、志があれば変えられると思うのですが、皆さまはどう思われますか?
ともかく、「誰も協力してくれないなら、オレが行って来る!」ということになったのです。言い出したらやる、というのが私の性格なんですね。
 もちろん、最初は不安でしたよ。でも、慣れ・経験というのは大切ですね。今は何でもやれると思うようになったのです。 
 こうして、私はソマリア、ルワンダ、コソボ、北朝鮮、モンゴルに行って子供たちに支援を行ってまいりました。無論、皆さまのご協力があってこそというのはあらためて申し上げるまでもありません。
 そして、この度はアフガン難民の子供たちのために「コップ一杯の米」のご支援をお願いしています。
 「大丈夫か?」「「危なくないか?」って、よく言われます。でも、これがダメなら、アレの精神で、何とか行って来ます。そしてこれからもやり続けたいと思います。

 私はボランティアが好きで、趣味にしている男、いわばボランティア活動家です。
 なぜなら、ボランティアをやっていると収入がありません。いや、むしろ支出ばかりです。ボランティアが好きで、あつい気持ちがなければやっていられないと思います。
 さらに、重要なことは、皆さまのご支援がなければできません。どうかよろしくお願いいたします。

 最後になりますが、私がボランティア活動を通して、痛感したことは次のようなことです。ボランティアの精神は、人の立場に思いを寄せることだと思います。そう思えば、身体は反応します。感受性があれば、活動が長続きします。


(大拍手・大拍手・大拍手)

アマチュア・ボランティアの開拓者魂

皆さまいかがでしたか? 平成の鬼平である京一夫さんのお話を聞いた、本日の聴講者の共通した感想は「エライ!」の一言でした。私たち全員がアマチュア・ボランティアの開拓精神に心がうたれたわけです。
以前にうかがった笹島久子さまの「千代田区を花いっぱいに」(2001.8.31のページをご覧ください)のときもそうでしたが、アマチュア・ボランティア家の方々の活動は、海図のない海を航海する小舟のようなものです。
 にもかかわらず、彼らは走りながら雨・風ならぬ様々な問題点を解決して進んでいかれるのです。私たちは、その開拓者魂に脱帽します。

なお、事務局からも、このホームページをご覧になられた方のコップ一杯ののご支援を心から期待しております。

★参考
1.ソマリア
1991年、統一ソマリア会議がバーレ軍事政権を打倒し、その後内部抗争が激化して氏族単位の紛争となり、無政府状態が続いている。そこに干ばつが襲来し1992年には200万人が餓死の危機に瀕した。以来、無政府・干ばつ状態は今も続いている。

2.ルワンダ
 1962年まで統治していたベルギーは少数派のツチ族に多数派のフツ族を支配させていた。独立後は両族の衝突が続き、1973年にはクーデターによってフツ族が政権を獲った。難民化したツチ族はルワンダ愛国戦線を組織し、政府軍と戦闘を開始、1993年に和平し、暫定政権が成立した。しかし1994年フツ族の大統領が暗殺され、ツチ族による政権が発足した。この抗争中に50〜100万人の住民が虐殺され、大量の難民がザイールへ逃亡した。

3.コソボ
ユーゴスラビア南部のコソボ自治州は人口の8割がアルバニア系住民である。
 1989年、ユーゴのミロシェビッチ大統領がコソボの自治権を縮小したため、これに反発したアルバニア系住民は独立志向を強めた。1996年ごろから武装闘争を強化し1998年にはコソボの約4割を支配、対してユーゴ軍が攻勢をかけたため、約40万人が難民化した。このため、NATOが調停に乗り出し、両者間は緊張が高まり1999年NATOのユーゴ空爆が開始された。その後、ユーゴ軍はコソボから撤退し、NATOは空爆停止したが、今度はセルビア系住人が難民化した。

4.アフガン
 1979年、旧ソ連軍がアフガニスタンに侵攻してアフガン紛争が勃発したが、1992年旧ソ連の傀儡政権がゲリラ勢力に打倒されて終了、ただしアフガンはその後もゲリラ同士の抗争が激化して内戦状態に入った。
 そんななか、1994年タリバーン勢力が台頭して1996年にカブールを占拠し臨時政府を樹立したが、北部制圧に失敗し、膠着状態であった。
そこへ2001年の10月、アメリカが空爆を開始して大量の難民が発生したのは周知の通りである。


文責:ほしひかる

写真撮影:橋本 曜
HTML制作、編集:山本 啓一