神田雑学大学11月16日講義録
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第93回 「横浜のシンドラー、ダイアナさん
アルメニア難民を救う」

講師紹介:中島偉晴さん

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目  次

講 師 紹 介

講義の概要

ジェノサイドから逃れた難民救う

ダイアナ・アガベッグ・アプカーさんのこと

アジアのアルメニア人たち

ダイアナさんの言論活動

そして一番心配していたことは

講師紹介:中島偉晴さん

中島偉晴さん  中島偉晴さんは、先日アルメニアの文化と料理の講座をアルメニア 出身の奥さまとやられました。 アルメニア友好協会を主宰されています。 奥さま共々和光大学でアルメニア関連の講座を持たれています。 日本で数少ないアルメニア文化交流の旗手です。

講義の概要

はじめに
1988年夏のこと、私は何人かの人々と横浜山の手の地蔵坂を登っていまし た。日本駐在アルメニア領事ダイアナ・アガベッグさんの墓所を探しに外国人墓地に参詣に来たのです。私は国会図書館でダイアナさんの著作”PEACEand NO PEACEを発見していました。これは明治44年横浜のジャパン・ガゼット新聞社発行の冊子です。

ジェノサイドから逃れた難民を救う

ダイアナさんは1919アルメニア共和国の在日領事に任命されていました。 1915年から1921年オスマントルコによる虐殺(ジェノサイド)から逃れたアルメニア人はその頃内戦中のロシアに避難、トランス・シベリア鉄道経由ロシアを横断、 中国東北部のハルピン、ウラジオストックから蒸気船で極東の地、日本に命からがら旅券、査証も無いまま、上陸しました。

そのアルメニア人に自宅を開放、アパートを用意し、同時に蒸気船会社や政府役人に働きかけて、ヴィザや必要書類を整えました。 1920年代アメリカはジョンソン・リード法で移民を厳重に取り締まっていましたが、それらを掻い潜り何とかカリフォルニアへ移住させました。

その際のアルメニア難民の証言によると、日本での滞在中(当時6歳)日本語を聞いて覚え、 高年齢の現在でも1から 10まで日本語で数えられるジョージ・ガシュガリアンさん。家族で横浜に上陸し、 アメリカの父親からの送金を待ったアリス・ベドロジアンさん。 そして、ある手記には、「私たち40人、 ウラジオストックからヨコハマの”Little Mother”のところに向かうため乗船しました」とあり ます。

ダイアナ・アガベッグ・アプカーさんのこと

ダイアナさんは1859年10月12日ラングーンに生れ、カルカッタに移住。 1889年船舶、交易商等多角的に事業を展開するアブカー一族のミカエル・ アブカーと結婚。 そして新婚旅行で訪れた日本に移住を決意。神戸に落ち着いた二人はA.M.Abgar & Co.を創立しました。 1891年横浜に移り、1906年ミカエルが病死、1923年関東大震災で自宅は倒壊。1937年逝去。3人の子供のうち息子のミカエル・ジュニアが事業を継承します が、 戦後カリフォルニアに移住します。

アジアのアルメニア人たち

地図 ーアルメニアン・ロードー 中東のイスファハンから海路でボンベイ、マドラス、カルカッタ、ラングー ン、ペナン、シンガポール、バタヴィア、スラバヤ等へ多くのアルメニア人が移住しました。 アルメニア教会を建設し、コミュニティの結束を固くし、交易商や海運、そして宮廷や宗主国の政治経済面での通訳、顧問、 ネゴシエーターになって、財政基盤を築きました。

アルメニア人がこれらアジア諸国に食い込めた理由としては、自己の宗教を押し付けない。その地域の道路、橋、 施設などのインフラの整備に資産を寄付した。国民の階層から離れた独自のコミュニティを維持した。等が挙げられま す。 このように現在残っている墓碑、教会、ホテル、商館、通り等を総括すると壮大なアルメニアン・ロードが浮かび上がります。

ダイアナさんの言論活動

アルメニア語、英語、日本語、ヒンドスターニ語を駆使してダイアナさんは 広く言論活動を展開しました。
(1)反帝国主義、植民地主義・・・宗主国によるアジア植民地での蛮行

(2)アルメニア民族解放・・・イタリア、ドイツ独立、アルメニア政党創設

(3)アルメニア使徒教会への帰依と博愛活動

(4)アルメニア婦人の地位向上

これらのジャンルを主体に、情報を収集したり、新聞雑誌に寄稿、リーダーとの交流を図りました。ダイアナさんは日露戦争では日本を支持、 バルカン戦争の列強を糾弾しました。しかしダイアナさんの関心はやはり、「アルメニア問 題」にあり、未だ見ぬアルメニア高地とアルメニア民族との固い絆は生涯を通じてますます強固になりました。

そして一番心配していたことは、

欧州列強が経済的利害から、トルコ政権下でアルメニアを裏切る予想でありました。歴史はその予想通り動き、古来アルメニア人の郷土にはアルメニア人は排除され、 世界各地にディスポアラ(拡散)し、1923年のローザンヌ条約は、アルメニアの権利には全く触れていません。 以上で講座の主題は終わり。残りは、アルメニア高地の建築や自然の美しい写真がスライドで映されました。(了)
 
ガルニ神殿
アルメニア高地特産の絨毯
ガルニ神殿 アルメニア高地特産の絨毯


日本アルメニア友好協会のHP

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  文  責 :鈴木 一郎
会場写真撮影 :橋本 曜
 HTML制作 :上野 治子