神田雑学大学 11月30日 講義


講師:鈴木 一郎



目次

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講師紹介
横浜と湘南に関するスター
原 節子
美空ひばり
石原裕次郎



講師の鈴木一郎さんさん 講師紹介

雷 空太さんこと、鈴木 一郎さんは神田雑学大学きっての文化人。きょうは、 横浜が生んだ世紀の映画スター原節子、不世出の演歌歌手「美空ひばり」、湘 南の大エンターテイナー「石原裕次郎」に焦点を当てて、なぜ横浜と湘南が大 スターを育て得たのか、懐かしいビデオ等を観ながらあらゆる切り口から分析 を試みます。 では、ひばりの「スターダスト」を聴きながら始まりはじまり〜〜〜 。

<第一部>

・横浜と湘南に関するスター


女性では、岸恵子、原 節子、草笛光子、桑野みゆき、美空ひばり、そうそう たるメンバーである。男性では主役を張った俳優さんだけを言うと、「青い山 脈」で原 節子と共演した、龍崎 一郎、新国劇の島田正吾、時代劇の「弥太 郎笠」では岸恵子と共演の黒川 弥太郎。

小泉 博、川崎 敬三(川崎から出たのでそう呼ばれた)、若手では、川津祐 介(石原裕次郎と同級生)である。黒澤 年男(歌の世界にも通じ、第二の裕 次郎路線俳優)である。「陽の当たる坂道」でデビューした川地 民夫は横須 賀市の出身である。裕次郎とは子供の頃からの遊び相手であり、芸達者な俳優 である。

今日はモダン篇ということで、西洋文化が上陸した横浜には国際色あふれる味 わいがあり、人はこれをバタくさいといいます。今回は日本人離れした美貌の 原 節子、国民的な歌手と言われ、ジャズをはじめどんなリズムでも自分の唄 にしてしまう美空ひばり、日本人の俳優の中ではズバ抜けて背の高い、股下が 32インチある石原裕次郎の三人を御紹介致しましょう。

・原 節子 原節子さん

1920年横浜の保土ヶ谷で生まれ、本名は会田昌江という。15才当時通学し ていた私立横浜女子高等学校を中退して、「日活多摩川撮影所」に入社した。 それ以後いろいろな映画に出演。

ビデオを観る

* 新しき土(ナチス時代の日獨合作映画)

この映画を皮切りに原節子はその後、島津保次郎監督に可愛がられ「光と影」 「嫁ぐ日まで」「二人の世界」「兄の花嫁」「緑の地平線」「母の地図」戦中 作品では、山本嘉次郎監督の「ハワイマレー沖海戦」のお姉さん役であった。 今井正監督の「望楼の決死隊」、渡辺監督の「決戦の大空へ」、そして中国人 に扮した「上海陸戦隊」、「熱風」、高峰秀子と共演した「阿片戦争」でも中 国の女性に扮し、多くの銃後の女性像を演じた。 原節子さん

スライドでスティール写真を観る

*嫁ぐ日まで

*青い山脈

*東京物語

*東京暮色

ビデオを観る

*「わが青春に悔いなし」 戦後の代表作で、黒澤明が演出した。

*「晩春」 小津安二郎監督一作目作品。

「新しき土」という作品を観た小津監督は、「映画を通じて日本の風俗、人 情、文化等を芸術的に紹介せよと言いたいのである」と批評している。監督は この映画で、日本人というものの持つ文化の高さと深さを紹介しようと原節 子を起用した。

*「東京物語」(ビデオ)

小津安二郎と原節子のコンビとしては第三作目で頂上を極める代表作品であ る。これは、野田高梧と小津の脚本で作られた。レオ・マッケリーというアメ リカの監督が作った「明日は来たらず」をヒントにして作った。これを通して 戦後の日本の家族の崩壊を描いている作品と言われている。 美空ひばり子さん

<第二部>

・美空ひばり

ビデオを観る

*悲しき口笛

美空ひばりは、「悲しき口笛」の前に「のど自慢時代」に出演。実際にひばり はNHKのど自慢に二回出ている。最初は昭和二十一年、日比谷内幸町の喉自 慢大会に出場して、並木路子の「りんごの歌」を歌った。三番の頭まで歌った がアナウンサーに制止された。その時に鐘を打とうか、打つまいか委員が相談 した結果鐘は鳴らせなかった。

次の年、昭和二十二年の春、今度は横浜大会に出場、当時は焼け跡のビルで 歌ったがそのときも鐘は鳴らなかった。歌が西条八十作詞、古賀政男作曲 の「悲しき竹笛」を大会が終わった後、古賀政男委員長の前で歌ったのであ る。 そのときに古賀政男が、「よくやるねぇ〜」と頭を撫でた。これが古賀と美空 ひばりの出会いであった。

ビデオを観ながら

美空ひばりは横浜市の滝頭で生まれた。幸せにもこの辺は空襲で焼け残った。 ビデオは古くからいる近所の人、元"美空楽団"員の人の話などが映しだされ た。この楽団では、"美空かずえ"で出演していた。

受講生のみなさんさん 画面は「かっぱブギ」昭和二十一年秋横浜市で開かれた。"美空楽団"このとき ひばりは9才、大喝采を浴びた。美空ひばりが小学校を卒業した頃、貧困や病 気で学校に行けない子供たちが全国で百万人以上いた。

ひばりの母親はマネージメントにたけ、マネージャーとしても有能であった。 一卵性親子と言われ、ひばりを雲の上の女王という位置付けにしていった母親 の力は大きい。芸能好きな父親は浅草のボードビリヤンの一人、川田晴久の大 ファンであった。浅草は戦前のジャズのメッカである。ボードビリアンたちは ジャズと昔からある日本の音曲を上手く芸に取り入れていた。

川田晴久は特にナットキンコールを支持していた。冒頭で聴いた「スターダス ト」がナットキンコール調というのは、ひばりは父親を通して、川田晴久を通 して学んだといえる。

幅広い芸風を持っていたひばりは、ジャズもドリスディが歌った「上海」とい う曲が得意であった。タンゴでは「ひばりのエルチョクロ」、「白百合の 花」、マンボは「お祭りマンボ」、

ジャズと都々逸をミックスした「車屋さ ん」、ヒルビリーはロカビリーの前進になるわけだが、「チャルメラそば 屋」、中国メロディーの「晩香玉の花咲く宵」、ブギでは「日和下駄」、ドド ンパでは「ひばりのドドンパ」、ロックでは「真っ赤な太陽」その他多くのリ ズムを器用にこなした。

美空ひばりさん 美空ひばり熱唱ビデオを観る(ビデオ提供はレオマカラズヤの木内さん)

*お祭りマンボ

*りんご追分

*車屋さん

・石原裕次郎 石原裕次郎さんと北原三枝さんの結婚式の画像

兄で、現在東京都知事である石原慎太郎の小説「太陽の季節」は、1955年度の 芥川賞を受賞して大反響を呼び、翌1956年5月には日活で長門裕之・南田洋子の主演で映画化され、後のスーパースター石原裕次郎が注目されるきっか けを作くった。

プロデューサーの水之江滝子は裕次郎を「狂った果実」で主役に抜擢、相手役 は後に妻となる大スターの北原三枝であった。裕次郎は北原三枝に憧れていた ので、キッスシーンの場面では、あの裕次郎がガタガタ震えて上がりっぱなし であったという。

横浜を舞台にした映画 1957年の「俺は待ってるぜ」、ボクシングはやったことのない裕次郎で あったが、前作の「勝利者」ではボクサー役を見事に演じて称賛された。 「嵐を呼ぶ男」、これはドラマーの役で、傷つけられた手ではドラムが叩けな い。やむなくドラムのスティクをマイクに持ち替えて「おいらはドラマ〜〜」 と歌うシーンは傑作であった。

裕次郎の映画は必ず歌が挿入されている。裕次郎の歌は誰でも歌える歌いやす い歌、後のカラオケブームに貢献したスタアでもある。

石原裕次郎さん ビデオ映画を観る

* 狂った果実

* 俺は待ってるぜ

* 陽のあたる坂道

* 夜霧よ今夜も有り難う

* 二人の世界

最期に皆さんへのボーナスとして、次の歌を御聴かせ致しましょう。

* 月光価千金(美空ひばり) 以上


文責:和田 節子
会場写真撮影:橋本 曜
HTML製作:和田 節子