第95回 神田雑学大学 2001年12月7日 講義録

講師 竹下 資子


目次

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  1 講師のご紹介
  2 お仕事
  3 映画監督とのお付き合い
    藤田敏八監督
    鈴木清順監督
    吉村公三郎監督
    鈴木英夫監督
    丸山誠司監督
    山本薩夫監督
    久松静児監督
  4 今後の活動


竹下資子さんは、NPO法人日本映画映像文化振興センターの副理事長ですが、日活映画のスクリプターを振り出しに長年、映画とは深い関りの中で過ごしてきました。この度、映文振センターの創立一周年を迎えるにあたり、映画文化にかける竹下さんお熱い思いを語っていただきます。

竹下さんの仕事の紹介
映画監督を招いていっしょに名画を楽しむ「監督と共に映画をみよう会」(略して監名会)という催しが、21年続いている。主に日本映画の黄金時代と呼ばれたころの作品を味わい監督から直接話を聞いて、映画ファンを広げようという活動だ。
各地の「名画座」は次々と姿を消していくが、主催者は「往年の名画を鑑賞できる貴重な場を守り続けてゆきたい」と会員を募集している。

「監名会」を運営しているのは、小平市の竹下資子さん。昭和40年代から50年代にかけて、映画制作の記録係をしていた。現場を離れてからも、魅力的な監督たちの素顔をファンに伝えたい、という思いが強く、1981年に会を発足させた。

 初回は、竹下さんが当時住んでいた千葉県八千代市のスーパーの一角で暗幕を張って上映した。以後、年に4回の上映を続け、約200人の会員がいる。現在は京橋のフイルムセンターで例会を開いている。
 年会費はNPO法人の維持費として6,000円。監名会以外のイベントにも割安で参加できる。

 招いた監督はみな、作品や俳優について生き生きと語ってくれた。監督たちの多くが、現在は資金の問題などから撮れる機会に恵まれないことが残念でならない。初期のころに来てくれて、その後亡くなった人も少なくない。久松静児、山本薩夫、浦山桐郎、小林正樹・・・。日本映画の黄金期を彩った監督たちが並ぶ。黒澤明監督に出演を依頼して、丁寧な辞退のはがきをもらったことも忘れられない。

 竹下さんは、かっての現場の熱気を「例えば雨を降らせる係、カメラを乗せる台車を雨動かす係、職人のような人たちが何十回も脚本を読み込んで、熟練した技をみせていた。それが映画の奥深さにつながっていた」と懐かしむ。テレビが台頭してからの映画は、安易な作り方に流れているように思えて仕方がない。半面、最近薄日がさしてきたようにも感じている。

 「シネコン」と呼ばれるマルチスクリーン型映画館の誕生や、若手監督の台頭。会員は、いま50代以上が多いが、20代、30代の人もぼつぼつ入ってくる。還暦が過ぎた竹下さんは、会を生涯学習の場として考えるようになった。現役を退いた監督と、若い映画関係者が話し合えるサロンのような場を作るのが夢だ。

竹下さんの手記(1983.8.13 日本経済新聞朝刊文化欄に掲載されたものです)から「台本勝手に直す藤田監督」映画監督をお招きし、その監督の作品を上映しながら、観客とともに和気あいあいに語りあう会を1981年から始めている。「監督と共に名画を見よう会」と名付けたこの会の企画・製作・下働きと一人で駆け回っているのも、かって映画、テレビのスクリプター(記録係)として、多くの監督のお手伝いをし、出来上がった映画の数百倍もすばらしい監督たち(失礼な言い方かもしれないが)に、すっかりほれ込んでしまったからである。

 スクリプターとして働いていたのは昭和40年から10年間。スクリプターというのは撮影現場での実際を、すべて記録して編集へ送り、監督の意図する作品に仕上がるべく伝える仕事である。この他にもフィート数の管理や、セリフ、衣装、持ち物などに矛盾がないかの確認・・・と仕事内容は多岐にわたる。

 私が見習いとして入社したのは、東映テレビプロというテレビ映画の製作会社であった。当時この会社は「特別機動捜査隊」や「鉄道公安36号」を作っていた。超過密スケジュール故の人手不足から、半年足らずで独り立ちさせてもらった。
その後フリーになって、日活へ移った。テレビ映画制作のため日活撮影所内に新設された「日芸」という会社。裕次郎ブームはとっくに去っていたとは言え、撮影所内は若さに満ち溢れていた。

 テレビ映画を監督するのは、映画の助監督さんが主である。その中の一人に、藤田敏八監督もいた。「台風とざくろ」という作品だったと思うが、いまをときめく倉本聡さんが藤田監督の友人ということで脚本を担当していた。その台本を毎日跡かたもなく勝手に直しながらすすめていくのである。大分ロケの時には、倉本氏を一緒に連れ、一晩中飲んで議論し、そのあげく倉本氏に台本直しや、それをコピーして皆に配ることまでさせていた。

 藤田監督は台本直しが間に合わずに、よくセットの片隅でスタッフに色々指示を与えながら考えていた。台本裏のあいているページに赤ボールペンやマジックなど、その辺にころがっている筆記用具で書く。それを切ったものを持って、私は石坂浩二さんや岡田真澄さんのところにとんでいく。監督の意図が伝わると俳優さんたちは、各々自分の役をふくらませていく。
 その前に「愛妻君」というシリーズを担当していた時、鈴木清順監督と仕事をさせていただいた。鈴木監督は「肉体の門」を撮られた後休業され、その間にテレビで仕事をされていたのである。

 鈴木監督も台本はあって無きがごとし。毎朝達筆な直し原稿を私に手渡される。それをスタッフ、キャストに伝える。が、皆あまりよくわからない。わからないままに富士真奈美さんたちも、そしてスタッフも監督の言われる通り動いた。ころぶ理由もないのに平地でころんだり。お棺や熊の面五個を急に用意させられたり・・・
しかし全員でオールラッシュ(フイルムをつないだだけのもので、音関係は一切入っていない)を見た時の驚きは、口では言い表し難い。人間を戯画化した面白さとでも言おうか。

吉村監督怒って「帰る」
 その後、映画界の巨匠の方々もテレビを撮られるようになり、幸いにも私は多くのそういう監督のお手伝いをさせていただいた。久松静児監督についた折には、監督の作品に対する情熱に、すっかり魅せられてしまった。大学出たての若いプロデューサーが、その道の大先輩である久松監督に文句を言っている姿をよく見掛けた。黙って聞いている監督の胸中を察すると気の毒でならなかった。
 吉村公三郎監督は、病後のせいもあって大変に割り切りがよく、「こんな私が、仕事をさせてもらえるだけでありがたい」とすべて各パートに任せて、演出だけをされていた。おへそを曲げられた時、なだめたりご機嫌をとったりは、私の役目だった。

 ある時、原因は忘れたが腹をたてた監督が「もう帰る」と撮影所の門へどんどん歩いて行かれる。本来は追いかけなくとも良いのだが、常に監督と行動を共にする職分にある私はつい追いかける。駄々っ子と同じで、まともな手ではケリがつかず、あの手この手でようやく戻ってもらったが大変なふくれっ面である。

 国際放映(旧新東宝の跡)に呼ばれてからは、東宝の監督の方々につくようになる。鈴木英夫監督は男の色気を感じさせる方で、かってのスターを奥様にされていたほど。私は大変やさしくしていただき大好きな監督の一人なのだが、合わない人とは徹底的に対立するとみえて、そういう相手には無理を承知でゴリ押しをするという。

「すごい見幕の山本監督」
  丸山誠司監督は、鈴木監督と大の仲良しである。その名のごとく誠実で真面目で、紳士で鈴木監督とは反対に全く敵がいない。山本薩夫監督を紹介して下さったのは、その丸山監督である。「金環触」という石川達三原作の、いわゆる「九頭竜川ダム落札事件」を描いた小説の映画化で、山本監督とお仕事をさせていただいた。豪放磊落、思った事を胸にしまっておけないたちで、ものすごい剣幕に、現場はよくきりきり舞させられた。しかし決してむちゃな言い分でどなられているのではない。

 出演されていた宇野重吉さんとも芝居上のことで時々意見が合わず、双方の言い分を、私がいちいちとりつぐ。そのシーンが終わってセットを出ると、もう二人は肩を並べて楽しげに歩いていかれる。かって戦場で苦難を共にした戦友のきずなは、ささいなことでゆるがない。人間の大きさが違うのである。

「久松監督の話に会場わく」
 スクリプターをやめてからも、これらのことは常に頭から離れない。私が知り合ったすばらしい監督自身を、皆に紹介できたら。そう思って始めたのが「監督とともに名画を見よう会」である。

  第一回は五十六年十一月、久松静児監督と「警察日記」を鑑賞した。久松監督は三十年も前のことを、昨日のことのように目をキラキラさせながら話してくださり、会場は大いにわいた。四歳で出演されていた二木てるみさんも駆けつけて「現在は小学生の子持ちです」とのこと。

 二度目の回には山本薩夫監督が来てくださり「金環触」を上映。監督を囲んでの話合いでは「×××を扱った映画を撮って欲しい」等々、現役監督に対しての要望も多数あった。
 その後、私自信の引越し、資金などもあって継続が危ぶまれたが、どうにか会場の確保もでき第三回として昭和五十八年十一月に吉村公三郎監督をお招きして「偽れる盛装」を上映し、以後平成十三年の藤本義一監督の「貸し間あり」まで72回を数えている。

 もともと、この会のねらいは、監督のすばらしさを皆さんに知っていただくと同時に、作品を除いては何も残らないといってもいい監督のお話を、現代映画史の一部として記録にとどめておきたいと考えたからである。
一人で走り回っているため、一、二回では素人ビデオを撮ったくらいで十分な記録もとれていないが、それ以降は、監督と話し合って下さる方をお願いし、キチンとした記録をとっている。

 十年間のスクリプター生活で知り合った監督たちは、暇さえあれば喜んで出席してあげるといってくださる。数ヶ月おきにもと意気込ん始めた会だが、独力では無理はきかない。
 せめて年数回はキチンと続けていきたい。それがお世話になった監督におこたえする唯一の方法といえよう。そして、もう一つ。これは今のところ全くの夢物語なのだが、現役を退いた監督と、若い映画関係者がコーヒーでも飲みながら話あえるサロンのようなものを作れないだろうか。「今の映画を見てもむなしいだけ」と語る往年の監督たちが、率直に映画について語り、若い人たちが彼らの経験から学ぶ場があったら・・・。監督と他のスタッフ、キャストとの間に立って仕事をしていた私には、今こそ、そういう場が必要だと思えてならないのでる。


日本映画映像文化振興センター(NPO法人 理事長 三浦朱門)からのご案内
<上映事業>
 第73回  H14.3.9 「ひばり捕物帳 かんざし小判、 ゲスト:沢島忠
       場所:東京国立近代美術館フイルムセンター小ホール(地下1階)
       (中央区京橋3−7−6 Tel:03−3561−0823)
       営団地下鉄銀座線京橋駅下車 出口1昭和通り方向徒歩1分
       都営地下鉄浅草線宝町駅下車 出口A4から中央通り方向徒歩1分
       資料代:会員無料(招待状を受付にお出しください)
       当日入会できます。 NPO維持費 年間6000円
       当日会員費 (実費) 1,500円
       お申し込み Tel/Fax 03―3200―9085(担当 竹下)
        会終了後にゲストを囲んで、懇親会を行います。お時間のある方は
        是非ご出席ください。
<映画制作事業>
 H13.2〜9 「西東京映画制作ワークショップ」を全面的に支援。映文振センター         からの参加者は原案・石田勝心、脚本及び製作指導・弓削保則 大        東弘文(照明)、監修・青野輝 石田勝心、特別講師・高村倉太郎、         プロデューサー・竹下資子
<映画講座事業>
 H14.1.26  「老人と海」上映と対談 講師:プロデューサー 島村達夫               フォトグラファー 吉村隆
 H14:2:13  美術監督が語る「映像今昔物語」講師:美術監督 小池晴二
                             

詳細はホームページhttp://homepage2.nifty.com/eibunsin
特定非営利活動法人 日本映画映像文化振興センター(略称:映文振センター)
          〒160−0021東京都新宿区歌舞伎町2−45−5
          新宿永谷ビル605号
          TEL/FAX 03−3200−9085                                                      以上      
  

文責:得猪外明


写真撮影:橋本 曜
HTML制作、編集:山本 啓一