神田雑学大学 2001年12月21日 講義録

花 押 の 心

講師 上田 龍皇 (日本花押道学会 会長)


目 次

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★天心流宗家・上田龍皇師登場

☆花押との出会い、および花押の始まり

☆花押とは

☆花押の作り方

☆開運花押

★人格の尊厳をあらわす花押


★天心流宗家・上田龍皇 師 登場


皆さま、「花押」ってご存知でしょうか? そうです。古文書などの最後に判子のような、サインのような図が描かれています。あれが花押です。
 つまり花押とは、署名の下に印章の代わりに書く判、言わば古来の風雅なサインです。 では、この花押はどういう風に作られるのでしょうか? 何か流儀のようなものがあるのでしょうか?

実は、花押は当初自由に作られていたそうです。それが、徳川中期ごろから易経・陰陽五行説などに基づいて、1)その人の生年干支に照らし合わせ、2)吉相の字を姓名の中から選定する、という様式が定まったといわれています。
 しかし、そのため、1)花押は各々の流派の宗家が作っていて、その作り方は門外不出であった、2)花押の使用が一般的ではなく、天皇・大名など権威・権力を有する者たちに限られていた、3)さらには明治維新政府が証書類については実印を用いることを義務づけ、花押を禁止したため、いま日本の貴重な伝統文化である花押が廃れようとしています。

ところが、こうした流れを嘆いている方がおられます。天心流宗家の上田龍皇師です。
 龍皇師は宗家として日本花押道学会を興し、花押文化の再興を強く提唱されています。 今回は、上田龍皇師をお招きし、龍皇師から日本の風雅な伝統文化のひとつである「花押の心」についてのお話をうかがいましょう。

☆花押との出会い、および花押の始まり

  私が花押に出会ったのは、20年以上も前のことです。当時、気学に関心をもっていた私は「日本民族系譜学界」(小野正裂会長)の勉強会に出席しておりました。そこでのある日の勉強会で、講師であった大森頼周先生の花押の話に、たちまち私は引き込まれてしまったのです。その後、私は鑰山巨楠先生の下で伝授を受け、以来、花押の研究と伝導に取り組んでいるという次第です。

 花押というのは、中国で始まり、日本で開花し独自に発展した日本固有の文化です。中国では2800年以上の歴史をもっていますが、今日花押が日常使われているのは世界中で日本だけです。

 では、日本における花押の始まりからお話しましょう。
 先ず、日本では初めて奈良時代に印章が用いられました。ただし、当時の印章は官印であって、私印はまだありませんでした。
奈良後期〜平安初期になりますと、官印の押された文書に自署が書きそえられるようになってきました。
 さらに平安中期に、ひらがなの普及とともに印章がなくなり自署だけが一般化してきたのです。ですから、中世以降は、判といえば自署すなわち書き判のことを指していました。
 ところが、印章もそうですが、とくに簡易な自署による書き判となりますと、偽筆を防ぐ必要があります。そこで書き判に工夫がこられるようになったのです。これがいわゆる花押の始まりです。

☆花押とは

 さて、花押は書でもなく、絵でもありませんが、やはりその形が命ですので、その変遷を見てみましょう。
 書体は、行書体から草書体へ、そうしてその人独自の書体へと変化していってます。
 また、書風は、公家様・武家様・禅僧様・平民様などに分類できます。

1)草名体=自署は、初めは楷書体でしたが、草書で書く草名体となり、平安中期から室町時代にかけて、とくに公家のあいだで実名の漢字を草書風に崩して様式化しました。
2)二合体=平安後期になりますと公家様の草名体に対して、武家のあいだで名の二字の各一部分を組み合わせて草書体に作ったものになりました。
  例えば、源頼朝は「頼」の「束」と、「朝」の「月」を合わせたもの。
  花押が官吏でも、私人でも、一般に使われるようになったのはこのころからです。
3)一字体=室町時代になりますとある一字を選定して作ったもので、自己の名に関係の有無を問いません。
  例えば、足利義政は「慈」の字を花押として使いました。
4)別用体=戦国時代になりますと、花押の世界も多様な展開が見られます。
  名字と関係なく、全く別の形を利用したものが出てきました。
  例えば、伊達政宗の花押は鶺鴒を図案化したものです。
5)明朝体=江戸時代になりますと、武家のあいだでは徳川家のスタイルが重んじられるようになりました。起源は1565年に作った家康の花押、つまり中国の明朝の字体式  で、地平天成といい、上下に線がある洗練されたものです。
6)略押=江戸時代、社会が安定してきますと庶民の中でも花押が流行しました。つまり  身分の低い者、無筆の者は草名も書けないので○や×に似た簡単な形を描いて花押に  代用したのです。
7)平押=他には、禅僧が用いた平たい形のものもあります。
これが花押の歴史と分類です。

☆花押の作り方

 次に、秘伝である花押の作り方の一端を公開したいと思います。
 その前に、花押の世界では「作る」ことを「謹考する」と申しますので、念のため。

1.陰陽五行説
 陰陽説では、天地間の全ての現象は、陰陽、剛柔、男女、奇数偶数、プラスマイナスなどの相対立する二気の消長変化より生まれると考えます。
五行説では、万物は木・火・土・金・水の五元素の相互関係から生成されると考え、前漢の『淮南子:天文訓』には「水は木を生じ、木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じる」としています。これが吉の関係(相生)です。また、『同:地形訓』では「木は土に勝ち、土は水に勝ち、水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝つ」としています。これが凶の関係(相剋)です。

 花押を謹考する場合、作ろうという人の生年干支を先ず求めなければなりません。
 例えば、昭和19年生まれの人は二黒土星、土性の人の相生の吉字は・土・金・火性です。

次に、姓名を分析します。
 例えば、野本健男氏という人がおられるとします。この場合、姓のノ・モトはナ行とマ行です。名のタケ・オはタ行とア行です。つまり野本健男氏はナ・マ・タ・ア行で成っています。そしてナとタは火性、マは水性、アは土性であります。
 よって、昭和19年生まれの野本健男氏の吉字は、土・火、すなわち野と健と男ということになります。

2.花押の七点
 花押を作る際に重要なことは、必ず守るべき「花押の七点」があるということです。これは大聖密盛典和尚の『印判秘訣集』にある法則で、次の七点です。
第一 命運点、 第二 愛敬点、第三 福徳点、 第四 住所点、
第五 降魔点、 第六 眷属点 第七 智慧点、

この七点が備わるように崩さなければなりません。これが法則です。

七点が備わるように、陰陽五行説で求めた吉字、すなわち野・健・男のいずれかを選択して、謹考するのです。
 以上が、花押の作り方の概略です。

☆開運花押

 お分かりのように、印章は「家」の宝ですが、花押は人間個々によって違いますから「個人」の宝です。
花押は、あなたの顔であり、心であり、全人格の象徴であります。  花押は、厄除と開運に導く神秘的な霊力を宿し、何時でも何処でも生涯共存し、自己実現を助けます。
 あなただけの花押は、子々孫々にいたるまで、あなたのために終生偉効を発揮いたします。
 ですから、「神田雑学大学」の皆さまにも、形の整った縁起のよい、正規の花押を作られることを是非おすすめします。

最後に、元日本商工会議所会頭永野重雄氏の言葉をご紹介します。

  花押の心とは
  身を修める真摯な心
  神仏を崇める敬虔な心
  天の道に従う易学の心
  芸術を愛する風雅な心

すばらしき哉 花押、すばらしき哉 人生、であります。

(拍手・拍手・拍手)


★人格の尊厳をあらわす花押

 いかがでしたでしょうか? お話をうかがって、「個の時代」といわれる今日こそ、まさに「花押の時代」であるべきであることを痛感しませんでしたか?
 それにしても、先生の顔の半分をしめる白く見事な髭! 毅然とした姿勢! それは見る者に上田龍皇師が天の子であるような威風すら感じさせます。
しかし、それはけっして容姿の問題ではありません。龍皇師が天命を受け、花押の世界にたずさわれておられるからではないでしょうか。

 参考:印章については、2001年7月6日のページ、長谷川順音氏の「印章の歴史とその見方」をご覧ください。

おわり
(文責 ほし ひかる)
会場写真撮影:橋本 燿
HTML制作:大野令治