神田雑学大学 2002年2月15日 講義録

講 談 は 面 白 い

講師 鈴木 晴夫




目 次

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はじめに・講師紹介

1.講談の起源

2.太平記

3.楠正成と山鹿素行

4.辻講釈の元祖

5.高座の起源

6.講談と私

7.実演「本能寺の変」

8.Q&A




はじめに・講師紹介

鈴木 晴夫さん

「講談は面白い」の鈴木晴夫さんは、もとNTTの製造関係の幹部から、コンピューターソフト会社の社長を勤め、このほど(2001年6月)リタイヤされました。

長年、趣味としてわが国の代表的な話芸の研究をされておりますので、今回は「講談」のお話をお願いしました。

紹介者辻さんとの掛け合いに始まり、会場は初めから終りまで笑いに包まれていました。最後に講談の実演「本能寺の変」をして頂き、寄席にいるような楽しいひと時でした。

1.講談の起源

講談は江戸時代には講釈といい、明治以降講談と言われるようになった。何が違うかというと講釈師には適当な英語がないが、講談師は handsome boy である(笑)。
講談の起源は平安時代末に始まるという説もあるが、あまり根拠はない。江戸時代の初期に赤松法師が家康の前で「源平盛衰記」「太平記」などの軍書を講じたのが、講釈の始まりともいわれている。
その当時の講釈師の多くが「太平記」を読んだので、世人はこれを「太平記読み」と呼んでいた。

2.太平記

「太平記」は南北朝時代、すなわち建武中興の前後から、朝廷が二つに分かれて対立していた内乱の時代50年間を叙した戦記物語40巻である。著者は不明であるが、複数の隠者、遁世者であると考えられている。最新の版としては、新潮社の古典文学全集に全4巻で収録されている。
和漢混淆文の韻律的・口承文芸的要素を持っており、当時から口誦による「読み」として、太平記を読むことが行われ、今日の講談の祖先となった。

室町・戦国時代には武家、諸大名の間で兵法の解説が目的で読まれたと思われる。
太平記評判秘伝理尽鈔」(太平記理尽鈔)という、「太平記」本文中の人物・事件を批判・評論した秘伝書が口誦により、諸大名間に一子相伝で伝えられていた。
今でも講談にはあまり本がなく、師匠が話したことを速記して書物にしたり、稽古に使ったりしている。
太閤記の作者である小瀬甫庵(1564〜1640)が「家康公の時代に『太平記之評判』が広くなる」と述べており、家康の代に「理尽鈔」が流行し始めたと思われる。

新井白石(1657〜1725)も「折たく柴の記」の中で、「上総国久留里藩、土屋利直(1660年頃)は『理尽鈔』を講釈する富田覚信を抱えており、家臣の武士たちも夜毎にその講釈を受けていたこと」を書いている。
このように「理尽鈔」は武略と政治を主題としたもので、講釈の対象は武士であったことが推察される。最初の「理尽鈔」講釈師として文献に出てくるのは「太運院陽翁」といい、金沢藩主前田利常の「御咄衆」の一人と云われる。

「御咄衆」は周防の大内義隆、甲斐の武田信玄などの戦国大名が抱えたのに始まり、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康・秀忠・家光、金沢・前田、仙台・伊達、佐賀・鍋島、津・藤堂などの諸大名も抱え、その職制を整備していた。
家光の「御咄衆」として名前が出てくるのは、柳生宗矩(1571〜1646)(関ヶ原、大阪の陣に参戦)、加賀爪忠澄(大阪の陣に参戦)、蜂須賀家政(1558〜寛永15)(山崎合戦、賎ヶ岳、朝鮮参戦)などである。

この「理尽鈔」が17世紀半ば(元禄の初め)に出版された(40巻44冊)ことで、講釈師が一変した。聴衆が地域、階層を越えることになり、時代も戦国の世から泰平の世に変わった。このため、17世紀には民衆を対象とした大道芸人が出現、これが「太平記読み」すなわち講談の源流の一つとなり、辻講釈の盛行を迎えることになったのである。

今でも川越の蓮馨寺で月に1回辻講釈をやっている。また北鎌倉の安国論寺でも、5代目宝井馬琴の弟子宝井琴梅(その夫人琴桜は女性初の真打)が、月に1回辻講釈を開いている。琴梅・琴桜夫妻は新潟県魚沼郡で梅桜亭という寄席を作り、2ヶ月に1回開演しているが、この琴梅が私の師匠である。

講談・その世界
女流講釈師の紹介

なお素人向けの稽古場としては、千葉の渥美正子弁護士の渥美塾(30人)と、三越近くの日本橋亭修羅場塾などがある。生徒が熱心なのは渥美塾、上手なのは修羅場塾である。

3.楠正成と山鹿素行

「太平記」の最大のヒーローは楠正成(?〜1336)で、その縦横無尽の活躍ぶりが描かれている。1331年後醍醐天皇の夢想により召し出され、9月河内で挙兵、赤坂・千早城では巧妙な戦術で幕府軍を翻弄、弟正季と「七生まで只同じ人間に生まれて朝敵を滅ぼさんや」と約束し、差し違えて死んだ。
「太平記」の作者は正成を絶賛、古今未曾有の忠臣としている。
「理尽鈔」には「太平記」に見えない合戦譚も多く盛り込まれているが、正成の合戦・言動を価値判断の基準に、諸将を論評している。

山鹿素行(1622〜1685)は当初北条流兵学を継承し、新たに山鹿流を興した兵学者として著名な人物である。
多数の武士がその門を叩き、諸大名もその教授を受けたが、その素行は「古を知って、それを鵜呑みにすることは文字・語句を解釈したり、そらんじたりするだけの非実践的な訓古記誦の学(朱子学を評)であって、人の学ではない。学問は正成のように、古から学んだことを当代の現実に適用させることだ」と云って、正成に「尤も賢しと云うべき也」と最大級の賛辞を贈っている。
四十七士の討入りで知られる「山鹿流陣太鼓」のように、講釈に「楠流軍学」「山鹿流軍学」の語句が多く出るのは、これと関係があるのかも知れない。

4.辻講釈の元祖

大衆化が進むと「講釈師見てきた上でウソを言い」とばかり、荒木又右衛門の「36人斬り」のように、講釈は話をますます大きく、面白おかしくするようになった。
 「神崎与五郎東下り」、仮名書きの詫び証文に、後日談までついたこの話も講釈の典型であるが、ここに出てくる講釈師の名前が赤松青龍軒、名和清左衛門である。

1700年(元禄13年)、播州三木の郷士赤松青龍軒は堺町でよしず張りを構え、軍談を講じた。また青龍軒と名を連ねて名和清左衛門が、京都から江戸に出て浅草見付御門わきで「太平記」を講じた。一説には青龍軒と清左衛門は兄弟であると云われる。
清左衛門は享保2年(1703年、四十七士討ち入りの翌年)に没したが、その子清次郎が浅草見付に住み、席亭業を続けたので、世人はこれを「太平記場」と称した。

この「太平記場」は明治以後まで残ったので、現在の講談界では清左衛門を講談の祖としている。現在薬研堀不動尊の境内に、「太平記場起原」の碑が残っているが、これは安政5年に太平記場の席主、竹原常右衛門の発起で建立されたものである。
今でもこの場所で月に1回、宝井琴嶺という講談師が演じている。この人は新劇の女優であったが、口調をよくするため修羅場塾で講談を習っているうちに、真打になってしまった。琴梅先生と並んで私の師匠であって、やはり月に1回教わっている。
二人の先生の調子が違うので、弟子の方が加減しなければならない。最近は器用でないと弟子も勤まらない。

江戸時代、平和が続くにつれ、講釈場は数を増し話芸としての体様も整え、講釈は大衆生活の中に定着した。
当時、何か事件が起きると今のワイドショーのように、面白い話に仕立てられた。敵討ち、侠客、博打ちなどいろいろなものが講釈のネタになった。
水戸黄門北条時頼(時宗の父、鉢の木のエピソード)などの諸国行脚も、庶民感情を背景に繰り返し語られる格好のネタである。



5.高座の起源

 落語は舞台上に座布団を置いて話すが、講談は高座といって少し高い台の上で講ずる。
なぜそうなったかというと、江戸時代に伊東燕普という軍記ものだけを演ずる講釈師がいて、将軍家斉公の前で「川中島軍記」や「関ヶ原」を講じたりした。この人物が「上様ご苦戦を遊ばされ、天下太平の基を開かせ給う事柄を、聴衆と同席で演ずるのは恐れ多い。一段と高座を設けその上で演述したい」と、図面を添えて奉行所に願い出たところ、聞き届けられたからである。

このような講釈場は、明治に入って一層隆盛となり、東京中で50〜60席にもなった。しかし関東大震災後は復興せず、衰微の色を濃くしていった。
昭和40年代には「ただいま(講釈師)27人」(一柳斉貞鳳)という有様だった。今日現在は四十数名プロの講釈師がいるが、専業では食えない。
師匠の宝井琴梅が、昨年日暮里駅前のライヴハウスでシンセサイザー講談を演じたが、聴衆は7人だった。
現在講釈師の半分以上が女性である。もはや「コウダンシ」とは云わないのである(笑)。女性は新劇の女優さんとか、司会業とか別の仕事を持っている。

6.講談と私

では、このような講談を何故やって、何が面白いというのか。
私は昭和11年生まれだが、「11年の会」の仲間江副さんのリクルートが後援していた神田派の女流講釈師神田陽子を、同じ会の友人に誘われ池之端の広小路亭へ聴きに行った。4年ほど前のことである。一番前で聴いていたら、陽子が上から「お客さん、気楽そうに聴いているが、ここでやるのは、なかなか大変なんですよ」と言う。「ならば私もやってみましょうか」と応じたのがきっかけで、講談を習うことになってしまった。いつの日か陽子の前で、1回やってみたいと念じている。

では、講談を習って何をしているのか。なにしろ仲間に出たがり屋が揃っているので、出前講談というのをやっている。私は千葉に住んでいるが千葉には老人ホームが多い。日曜になると緋毛氈と釈台、張扇を車に積んで、老人ホームへ出かけて行く。日曜日に入居者はすることがなく、退屈しているから喜ばれる。
誉田の軽費老人ホームや、花見川の晴山園、田無の老人ホームなどで、3ヶ月に1度くらいずつ講釈している。

晴山園では、施設長に協力して、施設を地域に開放するための企画委員長を引き受け、園の知名度を上げ、地域に定着させるための方策を企画・実行している。
夏が来ると涼しいところでやりたいというので、信州の長野市に行く。ホノルルマラソンの時はホノルルにも出かけた。5月にはニューヨークへ行って、日系人会の老人達に話す計画である。そういうことが面白くてしかたない。

ニューヨーク講演の話をもう少しすると、昨年6月会社を辞めるとき家内と二人で、知り合いがいるアメリカへ「卒業旅行」に行った。ロスアンゼルスに2泊して、ニューヨークへ行き、現地に嫁いでいる女性の紹介で、日系人会の集まりに参加した。ビジネスマンの集まりの日本人会に対して、日系人会は生活者の集まりである。
毎月第4木曜日に集まり、この日は「肉じゃがパーティ」をやっていた。一人3ドルの会費を払い、5分間の「面接試験」で「山之内一豊の妻」をやってみせた。面白いと評価してくれて、毎年出かける契約になったのである。
今年はみんな行きたいと言っていたのに、昨年9月のテロで止めてしまった。それでも私が死ぬのを見とどけたい家内や、琴嶺師匠を含めて6人で行くことになっている。
アメリカへ講釈に行くというのは、あまり例がないそうである。

ホノルルの駒形どじょう屋では、客寄せのために頼まれて「どじょう掬い」をやった。東京でザルとビクを探し、大きなスーツケースに入れて運んだら、税関で何に使うのかと聞かれ当惑した。うなぎの英語は知っているが、どじょうはわからない。

7.実演「本能寺の変」

講談は無本といって、本を見ずにやらなければならない。暗記するのに大変なのが「曾我兄弟」で、もっと大変なのが「三方が原」である。

武田方3万5千の陣容を記憶して、全部言うと30分くらいかかり、これは本を読んでもよいことになっている。

平家物語の「源氏揃い」もひどい。源三位頼政が、平家追討に味方する全国の源氏の武将名を言うのだが、これは全部暗記しなければならない。私は65歳になり、人の名前がなかなか出ないので、なんでもかんでも暗記することにした。暗記できなくなったら、お終いだと思っている。

最後にもらった課題が太閤記の内から「本能寺の変」である。これは大したことはないが、一字一句間違えずに憶えて来なさいというのである。本日はここで憶えたかどうか試験してみたい。15分ほどであるが、よろしくお願いしたい。(拍手)

この張扇は、場面の変わり目や、「早くも3月」とか年月の区切り目などのとき、ポンポンと叩くのであるが、途中で話を忘れたとき、叩いて思い出すのにも使う(笑い)。

「では、太平記の内より本能寺の変・・・・・・・」(音声別途)

8.Q&A

(1) 話の憶え方は?
師匠が書いた教本を通勤の電車の中で憶える。小さい声で音読、憶えにくいところには色鉛筆でマークをする。

(2) 新作ものは有るか
ある。介護保険法とか男女機会平等法などが出ると、その普及のため講釈師がいろいろな場面を考えて解説する。だからあまり勇ましいものはない。

(3) 語り部が伝えたものはあるか
直接はないが、宇治拾遺とか霊異記とか、語り部が伝えて本になったものから採った話はある。 (4) 太平記以前の題材はあるか

平家物語や源平盛衰記がある。例えば那須与一「扇の的」など。

(5) 邦楽・謡曲などのような「卒業演題」はあるか
最初の課題はあるが、卒業課題のようなものはないと思う。難しいものは三方が原などであるが。 (6) 流派による違いはあるか
あまりない。得意・不得意はあるようだ。

(7) 落語との違い
物語の出来方に違いがある。講談は情景描写、落語は問答・せりふ中心で進行する。

(8) 後継者の決め方
贔屓筋と席亭が師匠と相談して位(前座だとか真打だとか)を決める。真打の中で人望のある人が襲名するようだ。優秀な子供がいれば、その人が継ぐだろう。
(9) 鳴り物は?
いまやCDである。

(10) 怪談はあるか
貞山か貞丈の怪談を集めたCDが出ている。私は臆病なので聴かない(笑)。

(11) 入門方法 東京なら日本橋亭の修羅場塾(幹事長伊藤さん)を訪ねれば、いつでも入門できる。
千葉なら駅前の渥美法律事務所内に高座がある。入門者に張扇を一本進呈するが、それを作るのが私の役である(笑)。

(12) 関東と関西との違い
言葉の違いがある。

(13) 作法
身分やそのの上・下によって話すときの向き・視線、姿勢などが決まっている。

(14) 英語の講談は?
英語の落語が出てきたが、講談には未だない。
やろうという話はあり、適当な題材を探したら昔講談社から出た「少年少女教育講談全集」にジョージ・ワシントン伝だとか、ナイチンゲールの話が入っていた。こういうものを英訳したらやれると思う。


おわり

文責:大野令治

会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作・編集:大野令治