神田雑学大学平成14年7月12日講義録

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『麻の話』 ‐忘れられつつある繊維への郷愁‐
講師  中村 精逸


はじめに
麻という文字
柳田国男の「木綿以前のこと」
麻の種類
古代史に出てくる麻
亜麻について
余談

      講師     中村 精逸
      プロフル 元 帝国製麻株式会社子会社役員
1、 はじめに
 私は、東京・日本橋の川辺に建っていた細長い赤煉瓦作りのビルの会社、帝国製麻株式会社の子会社の経営に携わっていたが、ほとんど営業畑で、生産部門にはあまりタッチしていなかった。したがって、実は麻につてはあまり詳しくない。しかし、麻という優れた繊維が、近年、だんだん消えていくことにある種の郷愁を覚えるので、この機会に麻の歴史的なことなどを、皆さんにお話をしておきたいと思う。

 帝国製麻株式会社が主に扱っていたのは、リネンという亜麻科の麻である。
ライバルに東洋繊維株式会社(現トスコ株式会社)があったが、この会社は苧麻(チョマ=からむし=ラミー)を扱っていた。わが国には、麻を扱う会社は数多くあったが、現在チョマを輸入している会社はトスコだけになってしまった。帝国製麻株式会社は1950年代に麻から撤退している。この時点で、麻の需要が減少する兆候がはっきりしたからである。

 合成繊維が、天然繊維に迫る風合いまで質が向上して、綿、絹、ウールは別として、麻はまったく先細りとなったため、帝国製麻は帝国繊維と社名を変更したほどである。それでもまだ1部上場に残って、株価は¥300を保っているが、麻から離れられないでいるトスコは¥40台であることが、この辺の事情を物語ってい

2.麻という文字
 麻については、人間との関わりが随分古いのに、あまり判っていないことが多い。漢和辞典を引いても、部署に麻という文字がない。会意文字としては、家の中に木の皮を剥いで吊るした状態で「麻」という文字が成り立っている。麻冠の文字としては、麾磨靡のほか麿(麻呂の合成・日本作字)、摩くらいしかない。
麻のつく言葉としては、麻酔、麻薬、麻疹、麻衣(喪服)、麻雀、麻婆豆腐、胡麻など。

3.柳田国男の「木綿以前のこと」(1924) 
苧麻も大麻も含めて、麻は中国から伝来した。植物の繊維としては、極めてすぐれており、人間の衣服に太古より用いられてきた。第2巻に、麻以外に用いられた繊維は、紫の花咲く葛、または藤、栲(たく)=楮、穀(かじ)=和名ぬるで、?(品の木)、級(しな)などとある。

http://www.asahi-net.or.jp/~IS2H-MRI/ 「麻と人類文化」から転載 

「大麻とは何か」
話し手 弁護士丸井英弘
反訳 森崎秋子、タイプ 丸井英弘
Perfect TV
モンド21 199612月放送「大麻とは、何か?」から。


◎ 日本人と大麻の関わりを教えてください。

 「え〜、大麻はですね。これは、人類の文化発生と共に栽培されてきたものと思われます。例えば、日本の福井県にある鳥浜遺跡という1万2000年位前の縄文遺跡の中にですね。大麻の種が発見されています。また、縄文土器も模様は麻縄を押し付けて作ったと言われています。このように、大麻は古くから日本人に親しまれてきたものです。

日本では、神道において伝統的に大麻とは神様の印とされてきました。伊勢神宮のご神体である天照御大神すなわち命の源である太陽の御印が神宮大麻すなわち神が宿る大麻といわれています。そして、実際に、第2次大戦前はいうまでもなく現在でも、多くの家庭で大麻の繊維でできている大麻のお札を神棚にお奉りしているのです。

第2次大戦前には、大和魂とは大麻のことであるとされ、また、現在においても神道では、大麻は罪・けがれをはらう神聖な植物であるとされています。したがって、第2次大戦後の占領政策の中で神道との結び付きの深い大麻に対して占領米軍が危惧をもち、また当時発達しつつあったアメリカにおける石油化学産業や木材パルプ産業の意向をうけてその市場の確保という経済的思惑などを背景として、大麻の規制が行われたのではないかと思っています。

 実は、私は、弁護の過程で、昭和12年に発行された「大麻の研究」という本があることを知りました。この本は、栃木県の人が書いたものですが、大麻について、非常に詳しく書いてあります。これを読むと第2次大戦前は、大麻の栽培が奨励されていたことがわかります。また、私は、1年程前に友人の紹介で1920年代の栃木県の様子がわかる絵を発見しました。

この絵は、1929年の第16回二科展に発表された清水登之氏の「大麻収穫」という絵です。これをみますと、当時の日本の農村の風景がよくわかりますが、一面の麻畑です。このように日本人に非常に親しまれてきた大麻がですね。戦後のアメリカの占領政策の中で規制されたということが、この絵をみればよくわかります。
 
実は、多摩川という川がありますね。この意味は、麻が多く栽培されてきた川という意味です。そして、調布とか田園調布というのは麻の布を織っていた所と関係があると思います。麻布という地名も麻に関係していますし、川崎市には麻生区という地名があります。このように、地名からしても、日本というのは、大変大麻つまり麻に縁の深い国であるということがわかります。

私が住んでいる国分寺は、武蔵の国の時代に「多麻」とよばれた地域で、特産品として朝廷に麻布を献上していたと言われています。 このように日本の文化に非常に密接なものが大麻でして、この大麻の価値を見直すということが、日本の社会の在り方や日本人としての、アイデンティティの確立のためにも大変大切で重要なことであると思います」。
以上転載終了

4.麻の種類
麻の分類は別表のようになるが、実は誰がこのような分類をしたのかは、不明である。
別表の中の亜麻(リネン)は明治以降に輸入された品種である。敗軍の将榎本武揚が明治政府に使えて育英黌農業科の、北辰社牧場の経営という農商務省の仕事をしたことがある。北海道開発長官黒田清隆と相談して、このときロシアから亜麻の種を取り寄せて、北海道で栽培したらしい。

わが国では「麻」という言葉があるが、外国語には総称としての「麻」という言葉はない。別表の8種類の分類は、多年性もあれば、1年生草木もあり、植物学上の科目がすべて異る。一般的には、フィリッピン・ブラジルなど熱帯地方の麻は多年性が多く、成長が早いので、木の皮を剥いで採集している。ヨーロッパなどの寒い地方の麻は、1年生草木の亜麻が多い。その歴史は古く紀元前から栽培している。
エジプトのミイラを包んでいる布や、ローマ法王の祭壇に使われている布も亜麻である。

麻の分類と特性麻の分類と特性
  1.  「麻」という言葉は、辞典によると大麻を指している場合が多いように見受けられますが、その種類は多く、それぞれの特性も用途も異なります。
     主要な麻について、植物繊維として分類すると次の通り、靭皮繊維(じんぴ bast fiber)と葉脈繊維(ようみゃく Leaf fiber)に大別されています。
     今日我が国において「麻」といえば、亜麻、ちょ麻、黄麻、大麻等をいうことが多いようです。
     
    名称 種別 短繊維長(mm)
    太さ(ミクロン)
    産地 用途
    【靭皮繊維】
    亜麻
    (あま)
     Flax
     Linen
     リネン
    亜麻科
    (一年生)
    20〜30mm
    15〜19ミクロン
     イギリス
     フランス
     ベルギー
     ルーマニア
     ロシア
     中国
     衣料用
     寝装
     資材用
    苧麻
    (ちょま)
     Ramie
     ラミー
     からむし
     まお
    葦麻科
    (いらくさか)
    (多年生)
    70〜250mm
    18〜30ミクロン
     中国
     ブラジル
     フィリピン
     マレーシア
     衣料用
     寝装
     資材用
    黄麻
    (こうま)
     Jute
     ジュート
    田麻科
    (しなのきか)
    (一年生)
    1〜4mm
    15〜25ミクロン
     バングラデシュ
     インド
     タイ
     中国
     麻袋、紐
     カーペット基布
     ヘッシャンクロス
    洋麻
    (ようま)

     Kenaf
     ケナフ

    錦葵科
    (あおいか)

    2〜6mm

     タイ
     インド
     中国

     壁材用
     ひも
     パルプ代用

    大麻
    (たいま)

     Hemp
     ヘンプ
    桑科
    (一年生)
    15〜25mm
    16〜25ミクロン
     ロシア
     イタリー
     中国
     ルーマニア
     衣料用
     ロープ
    【葉脈繊維】
    マニラ麻  Abaca
     アバカ
    芭蕉科
    (多年生)
    3〜10mm  フィリッピン  ロープ
     帽子用
     ひも
    サイザル麻  Sisal
     サイザル
    石蒜科
    (せきさんか)
    (多年生)
       フィリピン
     西インド諸島
     メキシコ
     ロープ
     ひも


亜麻は連作を嫌う。今年栽培すると、その畑をあと3年は使えない。畑を4箇所に分け、順番を決めて作付けするから回転率が悪い。したがって、作付け農家も、販売会社も効率が悪くなり、転廃業も止むを得ない仕儀となった。

5.古代史に出てくる麻
『魏志倭人伝』
苧麻(ちょま)は、弥生時代の終わり三世紀頃から日本にあったと思われる。魏志倭人伝に出てくることから、そのことが分かる。倭人伝の作者陳壽は東晋の人(中国の歴史は、次の代の史家が記録する)であるが、倭について「禾(のぎ)、稲、苧麻を植え、蚕桑、緝績(絹織物)して細紵(麻)?(けん・絹)緜(めん・絹の真綿)を出す」と記している。なおこの書は、卑弥呼の邪馬台国はどこにあったかで、九州説と大和説などにわかれ、古代史ファンの間で興味津々の話題となっている。

『日本書紀』
持統天皇(在位687-697年)の条に「天の下をして桑紵、粟、蕪青を勧めて植えしむ」とある。

『万葉集』
麻に関する歌が三十数種あり
(1195)
麻衣着れば なつかし紀の国の  妹背の山に 麻蒔く吾妹     
(1198)
かにかくに 人は言うとも織りつがむ わが機物の 白麻衣     
(511) 
庭に立つ 麻手刈り干す布さらす  東女を忘れたまふな      
(3373)
多摩川に さらす手作りさらさらに 何ぞこの児の ここだ愛しき  
 
狛江の水神下の公園に、万葉かなで書いた歌碑が建っている。麻のことは何も書いていないが、この歌の中にある「さらす手作り」とは麻を示している。
関東地方の多摩郡には、数多く麻布を示す地名が残っている。「多摩」そのものも含めて「調布」「布田」「田園調布」などである。

6.亜麻について
亜麻は紵麻とは異なり、繊維に節ができて美しくない布になる特長をもっている。そこで麻を湯通しいて、ペプチン(にかわの一種)によって繋げる潤紡という作業を行う。これが、大変な作業で冬はともかく夏は工場の中が、特別に潤紡手当てがでるくらい暑くて堪らない。その結果、麻としては美麗な布に出来上がる。

戦前は、帝国繊維他の会社も、製品のほとんどを軍隊に納入していたので、あまり営業しなくても会社経営は成り立っていた。戦後、軍はなくなったが、あらゆる物が品不足であったから、麻も飛ぶように売れた。しかし、世の中が治まって供給が充分になると、麻の出番が少なくなった。麻は皺になりやすいというので、樹脂加工などを試みたが、麻の風合いが失われる結果になった。

一方、ナイロンやポリエステルなどの化学繊維が発達して、新しいファッションを生み出し、新規需要を喚起した。麻との組み合わせで成功したものに、ポリエステル混紡がある。比重の関係で糸の芯にポリエステルが集まり、外側に麻の繊維が巻かれるため、新しい風合いの織物が出来た。リネトロンという新製品で、これは爆発的に売れた。

しかし、戦後の繊維業界の流れの中では、麻はついに生き残ることはできず、帝国繊維株式会社は麻から撤退せざるを得なかった。ファション業界は、十年おきくらいに流行を繰り返すが、麻に関しては線香花火のようなものでしかなく、すぐ消えてしまう。
ちょうど、古代において、それまで衣料の中心であった麻が、肌によくなじみ、染め易い綿の到来によって、主役の座から下りたのと同じである。

木綿の到来は、平安初期である。三河に漂着した崑崙人によってもたらされたという。
日本で綿の栽培がはじまったのは、室町時代からである。かといって流通が十分でなかった時代でもあり、それほど普及はしなかったと思われる。しかし、室町時代は農業生産が著しく進歩した時代でもあった。衣類に適した綿花の改良も大いに進んだ。

 世の中は応仁の乱から、戦国時代となる。戦いには武器がもっとも主要な道具であるが、
鎧や衣服も重要な輜重用品である。この時期、木綿の需要も増加し、改良も進んだ。
麻の場合、戦時中は軍隊の需要が大きかったが、戦後にもポリエステル混紡の繊維が自衛隊に採用され、大量の受注ができた。

サラッとした風合いの麻の感触は、浴衣に残されている。柳田国男は、浴衣は麻の感触を思い出すために、糊を堅く仕上げたのではないかと言っている。浴衣は、本来は肌になじむ木綿であるのに、着てみると確かに麻の風合いである。湿度の高いわが国の風土に、よくあった繊維として、まだまだ活躍の場があると思うので、ご愛用をお願いしたい。

7.余談 倭文(しづ、しどり)について
 わが国の古代に、漢織(あやはとり)、呉織(くれはとり)という織布グループがつくる織物があったが、倭文(しづ、しどり)という織物もあった。倭という文字がついているところを見ると、倭(やまと)にもこんなものが出来るということをアピールしたらしい。この織物は経糸が前述の穀(かじ)で、緯糸が筋や格子模様を織り出す織物をいう。この技術集団を倭文部(しどりべ)という。この集団が日本中に点在し、倭文(しづ)神社を持っていた。一番有名なのは、鳥取県東郷湖のほとりにある神社である。

茨城県・袋田の滝の近くに「瓜連(うりずら)」という所に「静神社」がある。
祖神は名倭人神(しどりの神)という織物の神である。水戸藩の祈願所として日立国第二宮という格式の高い神社である。必ずしも静御前を祭っているわけでもないが、静は義経が平泉で討たれたとの話を聞いて、杉戸(茨城県)で尼になり、間も無く没したと言う。

静御前は源頼朝に捕らえられ、望まれて舞を舞ったが、「しづやしづ、賤のおだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな」と謡って頼朝の逆鱗に触れ、政子のとりなしで一命は取りとめた。その「おだまき」とは、麻の縦糸に対して横糸が往復してつくる糸巻きである。静は、義経へのつきせぬ想いを「おだまき」に託して謡ったが、私もまた麻への郷愁やみがたく、需要が帰ってくる日をはかない思いで待っているのである。

終わり

文 責   三上卓治
写真撮影  橋本 曜
HTML編集 山本 啓一