神田雑学大学 12月20日 講義

            
アカデミー賞物語2

講師:坂田 純治


目次

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はじめに
第7回(1934年度)
第8回(1935年度)
第9回(1936年度)
第10回(1937年度)
第11回(1938年度)
第12回(1939年度)
第13回(1940年度)
第14回(1941年度)
第15回(1942年度)


はじめに
坂田純治さんの講座は、11月の続きです。アカデミー賞は74年間続いておりますが、 この中から坂田さんの「独断と偏見」で作品を選びお話を進めて行きたいと思います。

第7回(1934年度)
1934年度のアカデミー賞にとっては一つの節目になった年である。というのは、第6回までは、8月1日から翌年7月31日までその期間に封切られた作品を対象にする制度であったが、第7回からは1月1日〜12月31日まで。カレンダー通り、その年の作品を授賞対象にするというふうに替わった。

この年は大会前から世論は大騒ぎをした。というのは、R.K.Oの作品で「痴人の愛」という作品が封切られた。医学生の若者の人生を狂わせ、自身も身を持ち崩して死んでゆく利己的なヒロイン、この役をどうしてもやりたかったのが舞台女優出身のベティ・デイヴィスであった。見事な演技をしたが、アカデミー賞の候補に上がらなかったのである。何故だ!と、アカデミー協会のドアーが蹴破られるばかりの大騒ぎになるいう事件が起きたのである。

これはどういうことか、ワーナーブラザーズ専属のベティ・デイヴィスが、他社である”R.K.O”に出演したことは、いくら名演技をしても、名演出をした監督でも、製作会社やプロダクションのキャンペーンがないとアカデミー賞はなかなか取れないのである。このような体質は未だに残っている。

慌ただしい授賞式
結局この年は「或る夜の出来事」のクロデット・コルベールが主演女優賞。コルベールは、主演女優賞はベティ・デイヴィスに決まりと思い込み、旅行に出かけようとロサンゼルスの駅に行ったが、捜しに来たアカデミー協会の役員に会場に連れ戻された。オスカーを受賞したコルベールは発車を待って貰っている列車に乗る為駅に向かった。式場に居た時間は7分、何とも慌ただしい受賞であった。

作品賞「或る夜の出来事」
監督賞「或る夜の出来事」フランク・キャプラ
主演男優賞「或る夜の出来事」クラーク・ゲーブル
主題歌賞(コンチネンタル)
アカデミー賞がらみの話題作は「恋の一夜」「ロスチャイルド」「影なき男」
(ウィリアム・パウェル、アーナ・ロイ)など。
特別賞:シャーリー・テンプル」(6才)

ビデオを観る

● 「或る夜の出来事」
● 「コンチネンタル」

キネマ旬報ベストテン
キネマ旬報社は1924年(大正13年)に洋画、邦画にベストテンを設け、ベストテンの中の一番優れた作品をベストワンとした。 この年は小津安二郎の「浮草物語」が選ばれ、小津は三年連続ベストワンに輝いた。

第8回(1935年度)
1929年、株の大暴落によりアメリカは不景気がつづいていたが、ようやく世の中の景気も立ち直ってきた。 又、映画界にも復光の兆しが見えてきた年である。 アカデミー協会の新会長には、フランク・キャプラ監督がおさまった。

会員は、270人くらから発足したが、この年は640人くらいに達した。キャプラは投票用紙の中身が漏れるのを防ぐため、 プライスウォーターハウス会計事務所に厳重保管し、当日プレゼンターが封を開くまでは誰にも分からないようにした。

特別賞
一方ではアカデミー協会は、新しい組合ユニオンがどんどん生まれて頭を痛めてた。 何かいい方法はないかとキャプラが考え出した案は、今度の授賞式にはアメリカ映画の父と呼ばれたデビット・W・グリフィスに特別賞を贈ることにした。 授賞式では、アカデミー賞授賞式史上初めてのスタンディングオベーションで沸きあがった。

作品賞:「戦艦バウンティ号の叛乱」クラーク・ゲーブル、フランチョット・トーン 監督賞:ジョン・フォード「男の敵」4回監督賞を受賞しているが未だに破られていない。この作品は、その第一回目の受賞である。

主演男優賞:「男の敵」ビクター・マクラグレン
主演女優賞:「青春の抗議」ベティ・ディビス
その他の主な作品「真夏の夜の夢」「乙女よ嘆くな」「人生は四十二から」
「踊るブロードウエイ」など。

因みに日本では成瀬巳喜男監督の「妻よ薔薇のように」がベストワンに輝いた。出演は、千葉早智子 丸山定夫。

● ビデオ「男の敵」アイルランドの独立運動を背景にした作品。
● ビデオ「青春の抗議」

第9回(1936年度)
ハリウッドも1930年代の半ばに達すると、8大メジャー会社に八つの大手会社に整理統合された。 理由の一つには、経営がおもわしくなくなったこと。

それでモーガンとか、ロック・フェラーの財団がハリウッドの背後に控えていたわけだが、ニューヨーク本社からいろんな指示が飛んでくる。 ハリウッドのタイクーンと言われた大物達も勝手には出来ない時代になった。

タイクーンたちはクビになるのも嫌なので、自分で陣頭指揮を取っていかにヒット作を作るか躍起になる。その人たちの中に 、“M・G・M”のアービング・G・タルバーグという大変なやり手がいた。或る日肺炎を起こしてサルバーグは急死。

ハリウッドの映画人は直ぐにアービング・G・タルバーグ記念館を設立し開設した。来年からは“アービング・G・タルバーグ記念賞” というアカデミー賞を設けることにした。これはヒットメーカーのプロデューサー、或いは監督に贈られる賞で、1937年度から生まれた。

そうした背景の中で膨大なお金をつぎ込んだ作品が二作ある。「巨星ジークフェルド」「 風雲児アドヴァース」の二つで金が動かすアカデミーと皮肉を言われた作品である。

●ビデオ上映「巨星ジーグフェルド」(レヴュー王の伝記もの)

作品賞:「巨星ジークフェルド」
監督賞:フランク・キャプラ(オペラハット)
主演男優賞:ポール・ムニ(科学者の道)
主演女優賞:ルイーゼ・ライナー(巨星ジーグフェルド)

この年からバイプレーヤーにも賞をということで男女の助演賞が生まれた。 第一回助演男優賞:ウオルター・ブレナン(大自然の凱歌) 第一回助演女優賞:ゲイル・ソンダーガード(風雲児アドヴァース)後年マッカシー旋風に引っかかった ソンダーガードは25年間映画界、 テレビ界から締め出された。舞台はかろうじてやっていたようだ。

アカデミー賞関連作品:「桑港(サンフランシスコ)」「孔雀夫人」「進め龍騎兵」「有頂天時代」 第二回のリメーク版「ショウボート」第一回は1929年、三回目は1951年。など。

因みに日本映画のベストワンは溝口健二監督「祇園の姉妹」

第10回(1937年度)
この年は国際情勢が益々悪化していく年で、ナチスが侵略、七月には日中戦争が勃発。特に映画界は史上空前封切られた映画は 778本。キャプラ会長は相変わらず組合運動に悩まされていた。

そこで、50名のアカデミーの委員にノミネーションさせて、後の最終投票は、 アカデミー会員是非を問わずハリウッドの映画人ならば誰でも投票してもいいとしたところ。その数一万五千人になった。

ハプニング
「シカゴ」という作品で助演女優賞を受賞したアリス・ブラディはその日舞台があって式場に来られなかった。 名前を呼ばれると、のこのこ男がアリス・ブラディの代理人のような顔をして壇上に現れた。オスカ−像を受け取るとそのまま姿を消した。 協会は後日調べたがアリス・ブラディは代理人依頼を否定したのである。後にも先にもこのような事件はこれ一回である。

作品賞:「ゾラの生涯」エミール・ゾラとドレフェス大尉事件、
監督賞:レオ・マッケリー「新婚道中記」
主演男優賞:スペンサー・トレイシー(我は海の子)
主演女優賞:ルイーゼ・ライナー(大地)
助演男優賞:ジョセフ・シルドクラウト(ゾラの生涯)
助演女優賞:アリス・ブラディ(シカゴ)
その他主な作品:「ステージ・ドア」「デットエンド」「失われた地平線」
「ハリケーン」「踊る騎士」「ワイキキの結婚」「オーケストラの少女」

アービング・G・タルバーグ記念賞:ダリル・F・ザナック
特別賞:エドガー・バーゲン

● ビデオ上映「大地」
<<休憩>>

第11回(1938年度)

●ビデオ上映「我が家の楽園」

この年の作品賞は「我が家の楽園」フランク・キャプラの二本目の監督賞受賞である。 この年はウォルト・ディズニーが初の長編アニメ「白雪姫」を発表した。当時アニメは作品賞の仲間入りは出来ない規則だったため。 「白雪姫」は特別賞に終わった。

フランス映画でジャン・ルノアール監督の「大いなる幻影」が作品賞にノミネートされたが、外国映画は賞は取れなかった。 その時から「外国映画賞」という別のジャンルでオスカーを渡すことが起案された。(1947年度から)

作品賞:「我が家の楽園」
主演男優賞:スペンサー・トレイシー(少年の町)
主演女優賞:ベティ・ディビス(黒蘭の女)
助演男優賞:ウォルター・ブレナン(KENTUCKY)日本未公開
助演女優賞:フェイ・ペインター(黒蘭の女)
話題作品:「グレートワルツ」「ピグマリオン」「ロビンフッドの冒険」
「牧童と貴婦人」など。
特別賞:ウォルト・ディズニー、ディアナ・ダービン、ミッキー・ルーニー

因みに日本映画ベストワンは田坂具隆監督の「五人の斥候兵」

第12回(1939年度)
1937年(昭和12年)日中事変が勃発しこれを契機に既に輸入済みの作品以外は輸入禁止となった。 しかし1939年に特別に何本か入ってきている。「駅馬車」「コンドル」「大平原」でその他の作品は戦後観ることになる。

話題作:「風と共に去りぬ」この作品はアカデミー賞13部門ノミネートされ、新記録の8部門オスカーを受賞した。 我々がこの作品にお目にかかるのは13年後の1952年(昭和27年)のことである。

作品賞:「風と共に去りぬ」
監督賞:ビクター・フレミング(風と共に去りぬ)
主演女優賞:ビビアン・リー(風と共に去りぬ)
助演女優賞:ハティ・マクダニエル(風と共に去りぬ)黒人俳優、初の受賞。

この年はハリウッド大黄金期で、他には、ジェームズ・スチュワートの「スミス都へ行く」 「砂塵」「嵐が丘」「雨ぞ降る」「愛の勝利」「邂逅(めぐりあい)」「ニノチカ」など。
特別賞:ジュディ・ガーランド(オズの魔法使い)

●ビデオ上映「風と共に去りぬ」

主演男優賞:ロバート・ドーナット(GOODBYE,MR.CHIPS)
助演男優賞:トーマス・ミッチェル(駅馬車)

第13回(1940年度)
ヨーロッパでは第二次世界大戦が勃発。日本との感情悪化、そのために世界の11カ国からアメリカ映画輸入禁止となる。 ところが、アメリカ国内ではまだまだ映画界は活況だった。当時のルーズベルト大統領は国家PR映画を作るということで、ハリウッドと協定を結んだ。そこから国家資金がハリウッドにどんどん流れてきた。そのためにハリウッドの経営者は資金が潤い、この年は大作、名作が生まれている。

●ビデオ上映「レベッカ」

アルフレッド・ヒッチコック
さて、アルフレッド・ヒッチコックはイギリス映画界で沢山の名作サスペンスを作って来た。 ハリウッドはとうとうヒチコックをハリウッドに引っ張ってきたのである。この年ヒッチコック渡米第一作が「レベッカ」である。 「レベッカ」はこの年作品賞は受賞したが、ヒッチコックは生涯監督賞は取ることが出来なかった。

作品賞:「レベッカ」アルフレッド・ヒッチコック
監督賞:「怒りの葡萄」ジョン・フォード
主演男優賞:「フィラデルフィア物語」ジェームズ・スチュアート
主演女優賞:「恋愛手帖」ジンジャー・ロジャース
助演男優賞:「西部の男」ウォルター・ブレナン
助演女優賞:「怒りの葡萄」ジェーン・ダーウェル

この年は資金も豊富で豊作の年でありアカデミー賞がらみの傑作、名作は。「凡てこの世も天国」 「果てなき船路」「バクダットの盗賊」「囁きの木陰」日本未公開「TIN PAN ALLEY」
主題歌賞「ピノキオ」(星に願いを) など。 

因みに日本映画ベストワンは豊田四郎監督の「小島の春」

ヒッチコックの数々の皮肉タップリの名言から「映画というものは退屈な部分がカットされた人生だよ」 「キャスティングに一番苦労をしないのはウォルトディズニーだ、気に入らなければ絵を破いてしまえばいいのだから」

● ビデオ上映「わが谷は緑なりき」

第14回(1941年度)
作品賞:「わが谷は緑なりき」
監督賞:ジョン・フォード(三回目の監督賞受賞)
イギリス、ウエールズの炭坑町を背景にした、労資の対立、炭坑夫一家の波乱の日常を描いた名作。ジョン・フォードは自作の中で最も好きだと広言した。


1941年昭和16年12月7日(日本時間12月8日)日米は真珠湾攻撃により、とうとう開戦の火ぶたを切った。 さらにアメリカはドイツ、イタリアにも宣戦布告をする。ついに第二次世界大戦は大きく広がって行く。

アカデミー賞授賞式も非常事態ということで、なるべく慎み深くやらねばと配慮した。特に女優の派手なコスチューム、男優も正装はしない、 それから、派手な演出の禁止などのおふれが出た。

映画界の小さな戦争
「レベッカ」のジョーン・フォンテーンがあまりにもいい演技をした。 お姉さんのオリビア・デ・ハビランドは「風と共に去りぬ」でいい味を出したのでもしかしたら助演女優賞が取れるのではと期待があったが、 結局妹の方が先にオスカーを取った。というのはこの年ヒッチコックの「断崖」という作品にジョーン・フォンテーンが出演してオスカーを受賞したのである。

さあ、ここから起きた姉妹の骨肉の争い、これは有名な話である。ジョーン・フォンテーンは東京生まれで聖心女学院に通っていたので、日本人には馴染が深い。

1941年、この年オーソン・ウェルズは大変な作品を発表をした。 「市民ケーン」である。誰が観てもウェルズの才能は大変なものだったのだが、「市民ケーン」のモデル、 アメリカの新聞王のハースト系の新聞、マスコミがこぞってオーソン・ウェルズをけなした。

中でもハースト系の新聞の名コラムニストと言われる二人の女史が、オーソン・ウェルズのゴシップを飛ばしたのである。 そんなこんなで結局は候補には上がったがこの名作「市民ケーン」はオリジナル脚本賞だけの一つだけにとどまった。

主演男優賞:「ヨーク軍曹」ゲイリー・クーパー
主演女優賞:「断崖」ジョーン・フォンテーン
助演男優賞:「わが谷は緑なりき」ドナルド・クリスブ
助演女優賞:「偉大なる嘘」メアリー・アシター

アカデミー賞がらみの作品は
「血と砂」「マルタの鷹」「偽りの花園」「塵に咲く花」「ダンボ」「幽霊紐育を歩く」など。
特別賞:ウォルト・ディズニー、レオボルド・ストコフスキー「ファンタジア」
アービング・S・タルバーグ記念賞:ウォルト・ディズニー

因みに日本映画ベストワンは、小津安二郎監督4度目の受賞で「戸田家の兄妹」
佐分利信、高峰三枝子。

● ビデオ上映(ウォルト・ディズニー)「ファンタジア」
●ビデオ上映「ミニヴァー夫人)」


第15回(1942年度)
作品賞:「ミニヴァー夫人」
主演女優賞:グリア・ガースン「ミニヴァー夫人」(6分以上スーピーチをして顰蹙をかった)
助演女優賞:テレサ・ライト「ミニヴァー夫人」23歳史上最年少であった。
監督賞:ウイリアム・ワイラー「ミニヴァー夫人」
主演男優賞:ジェームズ・キャグニー「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ」
(日本未公開)
助演男優賞:バン・ヘフリン「JOHNNY EAGER」(日本未公開)

この年はセレモニーに、ジャネット・マクドナルドがアメリカの国歌を高らかに歌い、海兵隊のタイロン・パワー、 陸軍に行ったアラン・ラッドの二人が軍服姿で登場し、旗を掲げた。

この旗にはハリウッドから兵役についている27677名の映画人の名前が細かく記されている。 とにかく戦時色の濃い一夜であった。そして、オスカー像はこの年から石膏にかわった。

主題歌賞:「WHITE CHRISTMAS」(スイングホテル)
その他のアカデミー賞がらみの話題作は「打撃王」「嵐の青春」「心の旅路」「情熱の航路」など。
特別賞:シャルル・ポワイエ、ノエル・カワード

因みに日本映画のベストワンは、山本嘉次郎監督「ハワイ・マレイ沖海戦」

● ビデオ上映
「カサブランカ」の映像がチラッ!と見えたが、次回のお楽しみに・・・
本日はこれでおわり。 つづく


* 上映作品の製作配給会社 * 参考文蔵版社
 M.C.M  集英社
 20C.FOX  講談社
 W.B  新潮社
 PARAMOUNT  中央公論新社
 CORAMBIA  創元社
 UNIVERSAL  白水社
 R.K.O  岩波書店
 U.A  秋田書店
 セルズニック  近代映画社
 東宝東和 ほか  キネマ旬報社 ほか  

―おわりー


会場写真撮影:橋本 曜
文責: 和田節子
HTML製作:和田 節子