神田雑学大学 1月24日 講義

            
アカデミー賞物語3

講師:坂田 純治


目次

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はじめに
第16回(1943年)
第17回(1944年)
第18回(1945年)
第19回(1946年)
第20回(1947年)
第21回(1948年)
第22回(1949年)
第23回(1950年)
第24回(1951年)
第25回(1952年)


はじめに
坂田純治さんの講座は、12月の続きです。アカデミー賞は74年間続いておりますが、この中から坂田さんの「独断と偏見」で作品を選びお話を進めて行きたいと思います。

又、著作権の問題、映像権問題がありますので、ビデオの上映は4分〜5分、予告編程度の長さにしてありますのでご理解をいただきたい。

第16回1943年度
アイゼンハワーの指揮する連合軍が上陸したのが北アフリカの土地で、カサブランカである。このカサブランカでは当時のルーズベルト大統領とチャーチル首相が会談した場所でも有名である。

第二次世界大戦当時フランスから亡命するにはどうしても経由しなければいけない土地であった。パリからマルセイユ、マルセイユからアルジェリアを経て、カサブランカに上陸する。

ここでビザを貰う、しかしビザがなかなか手に入らない。これからご覧に入れる「カサブランカ」は闇のビザをハンフリー・ボガードが手に入れてバーグマン夫妻に渡すという物語に展開していくのだが・・・

そのビザを受け取る場所として重要な場所がカサブランカである。カサブランカからリスボンに行く。リスボン迄い行けば占めたもので、リスボンからアメリカに行ける。つまり亡命の拠点だった。そんな訳でカサブランカは地名度が高まった。

ワーナーブラザー社はこれに目を付け当初は、元アメリカの大統領“ロナルド・レーガン”ワーナーブラザーズのB級スター、“アンシリダン”ワーナーブラザーズの美人女優で企画してメロドラマを作って発表しようとしたが意見が出て。

この際反ナチスの色付けもした方がいいという事になり、キャステングも、ワーナーブラザーズの準スターのハンフリー・ボガート、そして人気上昇中のイングリット・バーグマンをセルズニックから借りて配役を格上げした。

監督はワーナーブラザーズの職人監督であるマイケル・カーティズに作らせた。出来上がるとこれが予想外の大ヒットとなり、この年のアカデミー賞の「作品賞」まで獲得してしまい名作となった。

この映画のヒットの成功は、ハンフリー・ボガートと、イングリット・バーグマンの二人の魅力だろうと言うふうに伝えられている。イングリット・バーグマンはこの年42歳のゲーリー・クーパーと「誰がために鐘は鳴る」にも共演している。

作品賞は「カサブランカ」が受賞した。監督賞はマイケル・カーティス、ハンガリー生まれで舞台俳優であった。主にエロールフリンという活劇スターのチャンバラをよく撮っていた。

● ビデオ上映「カサブランカ」

作品賞:「カサブランカ」
監督賞:マイケル・カーティズ(カサブランカ)
主演男優賞:ポール・ルーカス(ラインの監視)
主演女優賞:ジェニファー・ジョーンズ(聖処女)
助演男優賞:チャールス・コバーン(THE MORE THE MERRIER)日本に入ってない。
助演女優賞:カティーナ・パクシノヌー(誰がために鐘は鳴る)

他にこの年のアカデミー賞がらみの作品
グリア・ガースン(キューリー夫人)、
ジョン・フォンティン(永遠の処女)

ハンフリー・ボカート(サハラ戦車隊)、クロードレインズ(オペラの怪人)
アルフレッド・ヒッチコック(疑惑の影)
クラレンス・ブラウン(町の人気者)

因みに日本映画のベストワン
監督:稲垣 浩「無法松の一生」阪東妻三郎

● ビデオを上映「誰がために鐘が鳴る」

坂田さん詩の朗読   

第17回1944年度
1945年昭和20年3月10日東京は大空襲に遭い、23万戸が焼失し、12万人の死傷者を出した。3月14日には大阪が大空襲に合い一夜にして13万戸が焼失した。その翌日3月15日、第17回アカデミー授賞式が開かれた。

特殊効果賞:「東京上空三十秒」時局柄この年を賑わした作品の一つである。
この年の話題は、「我が道を往く」この作品は7個賞を受賞した。
日本未公開作品であるが、この年評判になったウイルソン大統領の伝記を描いた
「ウイルソン」この作品は5個アカデミー賞を受賞で、「我道を往く」の方に軍配が上がった。

●ビデオ上映「我が道を往く」

作品賞:「我が道を往く」
監督賞:レオ・マッケリー「我道を往く」
主演男優賞:ビング・クロスビー「我が道を往く」
主演女優賞:イングリト・バーグマン「ガス燈」
助演男優賞:バリー・フィッツジェラルド「我が道を往く」
助演女優賞:エセル・バリモア「孤独な心」日本未公開
特別賞:マーガレット・オブライエン

他にこの年アカデミー賞がらみの話題作品は
ジーン・ティアニー「ローラ殺人事件」、ジーン・ケリー「カバーガール」、
ビリー・ワイルダー「深夜の告白」、クローデット・コルベール「君去りし後」

尚、日本のベストワンは前年の「無法松の一生」をもって、戦争が激化した為、中断この年はありません。

第18回1945年度
戦争はおわりました。7年ぶりで日本にもアメリカ映画が輸入再開されることになった。GHQ(占領軍総司令部)の指導監視の下に、アメリカの民主主義をうたったような作品が厳選されて輸入されてきた。

お腹をペコペコにしながらも日本人は映画館に殺到し夢の世界に浸った。
ディアナ・ダービンンの「春の序曲」グリア・ガースンの「キューリー夫人」まずこの二作が1946年2月末に封切られた。

人々は泣き、笑い、そしてアメリカという国の国力と豊かさを再認識したのである。
ハリウッドでも大戦終結後初めてのアカデミー賞授賞式というので、思い切りお祭り騒ぎをしようじゃないかと言うことで湧き立つ。オスカー像も戦時中は石膏に変わっていたがこの年から本来の錫と銅の合金にもどった。

作品賞、監督賞は「我が道を往く」コンビのレオ・マッケリーが監督して、ビング・クロスビーと、それにイングリット・バーグマンを配した「聖(セント)メリーの鐘」という作品と、アル中の作家を描いた「失われた週末」の対決となったが、アル中の方が作品賞に選ばれた。

因みに助演男優賞を授賞したジェームズ・ダンは大酒飲みの父親役をやったことから、オスカーへの近道はアル中か、精神異常者か、或いは、身体障害者を演じることだと俳優達は感じるようになった。

戦争で受けた心の傷をニューロテック映画というジャンルで、例えばアルフレッド・ヒッチコックは、イングリット・バーグマンとグレゴリー・ペックで
「白い恐怖」、ジェニファー・ジョーンズの「ラブレター」などの作品でニューロティックな映画は盛んになった。

また、この年はオリジナル脚本賞を取った「Gメン対間諜」というセミドキュメンタリー映画と言う言葉が生まれた年でもある。

また、モダンバレー出身のジーン・ケリーが「錨を上げて」を発表。“M.G.M”メトロのカラーミュージカルの発端となる。又、“20C.FOX”はミュージカル「ステートフェア」を発表。歌曲賞を受賞したのは「春のごとく」という歌曲だが、リチャード・ロジャースと、オスカーハーマンスタイン2世のコンビで初期の作品である。

●ビデオ上映「失われた週末」

作品賞:「失われた週末」
監督賞:ビリー・ワイルダー「失われた週末」
主演男優賞:レイ・ミランド(失われた週末)
主演女優賞:ジョン・クロフォード(MILDRED PIERCE.)日本未公開
助演男優賞:ジェームズ・ダン(ブルックリン横町)
助演女優賞:アン・リベール(緑園の天使)

アカデミー賞がらみの作品は
ダニー・ケイ「天国と地獄」、ジャン・ルノワール「南部の人」
ベティ・デイビス「小麦は緑」、グレゴリー・ペック「王国の鍵」


第19回1946年度
今映り出された作品は名作「我等の生涯の最良の年」で作品賞始め9賞を受賞した。
終戦後のヨーロッパの映画界というのはハリウッドより復活が早く、斬新で
強烈な作品が相次いで発表された。

特にイタリーでは、ネオリアリズムが抬頭し、ロベルト・ロッセリーニが
「無防備都市」「戦火のかなた」を発表した。
かのイングリット・バーグマンを感動させ、彼女はロベルト・ロッセリーニにレターを送り、やがて彼の元に走ることになる。

戦時下より三年三ヶ月大変苦労をして作ったフランスの、マルセル・カルネの「天井桟敷の人々」が発表されたのもこの年である。又、イギリスのローレンス・オリビエの「ヘンリー五世」或いは、デビット・リーンの「逢いびき」「第七のヴェール」
など11の作品がアカデミー賞にノミネートされ、そのうち三賞がアカデミー賞を
獲得した。

これはハリウッド人士を悩ませた。それで、翌年から特別賞の中の「外国語映画賞」という形になった。「我等の生涯の最良の年」の対抗馬は「子鹿物語」という作品だったが、「我等の生涯の最良の年」は何と「風と共に去りぬ」の8個のオスカーの記録を破って、新記録を樹立した。

● ビデオ上映「我等の生涯の最良の年」

尚、前年1946年10月にはドイツではニュールンベルグ裁判が判決し、12人の絞首刑が宣告された。

作品賞:「我等の生涯の最良の年」
監督賞:ウイリアム・ワイラー(我等の生涯の最良の年)
主演男優賞:フレデリック・マーチ(我等の生涯の最良の年」
主演女優賞:オリビア・デ・ハビランド(遥かなる我が子)
助演男優賞:ハロルド・ラッセル(我等の生涯の最良の年)特別賞も受賞
助演女優賞:アン・バクスター(剃刀の刃)

その他のアカデミー賞がらみの作品は
アイリン・ダン「アンナとシャム王」、ラリー・パークス「ジョルスン物語」
ハンフリー・ボカート「三つ数えろ」
アルフレッド・ヒッチコック、イングリット・バーグマン「汚名」
ジョン・フォード、ヘンリー・フォンダ「荒野の決闘」など。
「ギルダ」

特別賞(名誉賞):ローレンス・オリヴィエ、クロード・ジャーマン・Jr、
        ハロルド・ラッセル、エルンスト・ルビッチ

日本映画キネマ旬報ベストワン
「大曽根家の朝」木下恵介監督、杉村春子、小沢栄太郎

<<休憩>>

第20回1947年度
“非米活動委員会”いわゆる赤狩りがいよいよハリウッドにも吹き荒れてきた。まず19名の人に聴聞会に出頭せよという出頭状が送られて来た。19名のうち10名は証言を拒否した。逆に“非米活動委員会”を糾弾したために議会侮辱罪に問われ、有罪で入獄するはめになった。この10人を称して歴史上ではハリウッドテンと称す。

証言と言うのは友人や、同僚の裏切り或いはスパイ行為を意味する。ハリウッドの映画人は動揺し始める。この辺の詳しくは1991年度のロバート・デ・ニーロが主演した作品「真実の瞬間」に詳しく描かれている。

そんな環境の中、第20回アカデミー授賞式は表面的には穏やかに例年通り開催された。作品賞は「十字砲火」と並んでこれまでハリウッドのタブーであったユダヤ人排斥問題を扱った「紳士協定」監督はエリア・カザン、グレゴリー・ペック主演が獲得した。

前々から外国映画の進出に恐れをなしていたハリウッドは、第一回の外国語映画賞を特別賞の中に設けることにしてオスカーを贈ることにした。第一回受賞はイタリーのビットリオ・デシーカの作品で「靴みがき」であった。尚、この年日本では48年8月に東宝撮影所で大争議が起こった。米軍、進駐軍も参加して仮処分を強行した。

作品賞:「紳士協定」
監督賞:エリア・カザン(紳士協定)
主演男優賞:ロナルド・コールマン(二重生活)
主演女優賞:ロレッタ・ヤング(ミネソタの娘)
助演男優賞:エドモンド・グーエン(三十四丁目の奇跡)
助演女優賞:セレステ・ホルム(紳士協定)

他にアカデミー賞がらみの作品
デビット・リン「大いなる遺産」「黒水仙」ウォルト・ディズニー「南部の唄」、
クロデット・コルベール「卵と私」など。

因みに日本映画キネマ旬報ベストワンは
「安城家の舞踏会」監督は吉村公三郎、滝沢修、森雅之、原節子。

●ビデオ上映「ハムレット」

第21回1948年度
「ハムレット」と言う戯曲には大変有名な台詞が幾つかある。「生きるべきか死ぬべきか」とか「尼寺へいきゃれ」“いきゃれ”これは日本で初めてシェークスピアを翻訳した坪内逍遥の訳である。

この年のアカデミー賞授賞式の開会の劈頭(へきとう)に会長であるジーン・ハーショルト(俳優出身)は、ハリウッドのメジャー会社が授賞式やアカデミー協会に対して非協力であると、散々愚痴をこぼしたりなじり、挙句のはてには会長を辞任してしまった。

これはメジャーも仕方がなかった。テレビが進出してきて映画離れの傾向がいよいよ出てきた。又、赤狩りが頻繁になり、嫌気がさした国民感情が原因である。

一方イギリスでは、イギリス映画のルネッサンスと言われる時代で名作、力作を発表した。かろうじてこの年ハリウッドで一人、気をはいたのが「黄金」を作ったジョン・ヒューストンである、アメリカ映画ここにあり!

もう一人、イングリッド・バーグマンである、バーグマンもイギリス映画に負けず劣らずということで、自分で企画して「ジャンヌ・ダーク」を主演した。この作品は出来が悪かったが、アカデミー協会は色彩撮影賞と色彩デザイン賞をお情けで贈った。しかもバーグマンはアカデミー賞授賞式終わった直後、夫と子供を捨ててロッセリーニの所に行ってしまった。

この年は戦後の暗いニュースがつづきました。1948年1月にはインドで“ガンジー”が暗殺された。11月に日本では極東軍事裁判の判決が下った。東条英機以下7人の絞首刑者が決まった。太宰治が自殺をしたのもこの年である。

作品賞:「ハムレット」
監督賞:ジョン・ヒューストン(黄金)
主演男優賞:ローレンス・オリビエ(ハムレット)
主演女優賞:ジェーン・ワイマン(ジョニー・ベリンダ)
助演男優賞:ウォルター・ヒューストン(黄金)
助演女優賞:クレア・トレバー(キー・ラーゴ)

他にアカデミー賞がらみの作品は
「赤い靴」セミドキュメンタリーの「裸の町」、オリビアデ・ハビランド「蛇の穴」
ジェニファー・ジョーンズ「ジェニーの肖像」、
ボップ・ホープ「腰抜け二挺拳銃」など。
外国語映画賞:聖(サン)バンサン

因みに日本映画キネマ旬報ベストワンは
「酔いどれ天使」黒澤明監督

尚、1948年には戦後フランス映画が輸入再開となり、先ず「美女と野獣」が輸入された。

第22回1949年度
テレビはついにアメリカ国内でこの年800万台に達した。その他のレジャーも多用化して映画離れがますます顕著になってきた。スペクタクルではハリウッドらしいセシル・B・デミルの「サムソンとデリラ」くらいがかろうじて面目を保っていた。マッカーシー上院議員は赤狩りの脅威をさらに深め映画界も沈滞化させた。

汚職と収賄の政治腐敗を勇敢に描いた「オール・ザ・キングスメン」日本未公開。
ヒューイ・ロングという政治家をモデルにしている。これは三つのオスカーを獲得した。「オール・ザ・キングスメン」を監督したロバート・ロッセンは作品完了後、マッカーシーの槍玉に上がり、その後作品を撮ってはいない。アメリカの暗い谷間の時代であった。尚、この年日本でも、下山、松川、三鷹、と三大事件がつづいた。

作品賞:「オール・ザ・キングスメン」
監督賞:ジョセフ・L・マンキーウイッツ(三人の妻への手紙)
主演男優賞:ブロドリック・クロフォード(オール・ザ・キングスメン」
主演女優賞:オリビア・デ・ハビランド(女相続人)
助演男優賞:ディーン・ジャガー(頭上の敵機)
助演女優賞:マーセデス・マッケンブリッジ(オール・ザ・キングスメン)

他にアカデミー賞がらみの作品は
ウイリアム・ウエルマン「戦場」
ジョン・フォード、ジョン・ウエイン「黄色いリボン」、リメイクの「若草物語」
カーク・ダグラス「チャンピオン」
ジーン・ケリー、フランク・シナトラ「踊る大紐育」
主題歌賞:エスター・ウイリアムス(水着の女王)
名誉賞:フレッド・アステア、セシル・B・デミル
外国語映画賞:「自転車泥棒」ヴィトリオ・デ・シーカ監督

因みに日本映画キネマ旬報ベストワンは
「晩春」小津安二郎監督、笠智衆、原節子、杉村春子。

● ビデオ上映「女相続人」
●ビデオ上映「白熱」リクエストに応えて上映
脚本賞ノミネート:「白熱」

第23回1950年
1950年6月25日朝鮮戦争が始まる。反共パワーであるマッカーシー上院議員の赤狩りは最高潮に達した。日本でもレッドパージが行われている。

●ビデオ上映「イヴの総て」

新記録14個ノミネートされた作品が「イヴの総て」である。この年は、ブロードウエーイの内幕物を描いた「イヴの総て」ハリウッドの内幕物を描いた「サンセット大通り」が対決し「イヴの総て」が7個「サンセット大通り」が2個でブロードウエイの方に軍配が上がった。

作品賞:「イヴの総て」
監督賞:「ジョセフ・L・マンキーウイッツ(イヴの総て)
主演男優賞:ホセ・フェラー(シラノドベルジュラック)
主演女優賞:ジュディ・ホリディ(ボーン・イエスタディ)
助演男優賞:ジョージ・サンダース(イヴの総て)
助演女優賞:ジョセフィン・ハル(ハーヴェイ)

尚、外国語映画賞:「鉄格子の彼方」ルネ・クレマン監督でジャンギャバン、イザ・ミランダが共演。

他にアカデミー賞がらみの話題作品
スペンサー・トレイシー、リズ・テイラー「花嫁の父」
オーソン・ウエルズ「第三の男」、
ミュージカル、ベティ・ハットン「アニーよ銃をとれ」
ジョン・ヒューストン「アスファルト・ジャングル」など。
主題歌賞:MONA LISA(別働隊)

第24回1951年度
1951年9月、サンフランシスコでは日米の講和会議が開かれた。ようやく日本は事実上の独立をすることになる。 一方アメリカでは、赤狩り旋風は益々吹き荒れつづけた。映画界は二年前と比べて倍増した1500万台のテレビに押され、 内容的にも難しい時期になった。

この年の問題作は「陽のあたる場所」と「欲望という名の電車」の名作が二本並んだが、 この二つが票を分け合ってる間にその狭間にあった「巴里のアメリカ人」が作品賞を手にした。 まさにトンビにあぶらあげであった。

● ビデオ上映「陽のあたる場所」

作品賞:「巴里のアメリカ人」
監督賞:ジョージ・スティーブンス(陽のあたる場所)
主演男優賞:ハンフリー・ボガート(アフリカの女王)
主演女優賞:ビビアン・リー(欲望という名の電車)
助演男優賞:カール・マルデン(欲望という名の電車)
助演女優賞:キム・ハンター(欲望という名の電車)

他にアカデミー賞がらみの作品は
外国語映画賞:黒澤明「羅生門」この年第12回ベネチェア国際映画祭でグランプリも受賞した。
マリオ・ザンダ「歌劇王カルーソ」「地球最後の日」
ロバート・テイラ「クオ・ヴァディス」ウイリアム・ワイラー「探偵物語」など。

因みに日本映画キネマ旬報ベストワンは
「麦秋」小津安二郎監督

●ビデオ上映「欲望という名の電車」

      第25回1952年度
この1月にはアイゼンハワーが共和党からの大統領として就任した。ますます図に乗ったのがマッカーシーである。とうとうマッカーシーはアメリカ映画大功労者であるチャールズ・チャップリンにアメリカを捨てさした。チャップリンはこの後20年間アメリカの土を踏むことはなかった。

テレビの構成に対抗する手段がいろいろハリウッドでも考えられたが、シネラマという大型画面が公開された。さらに、3D立体映画も発表された。費用の面でアカデミー授与式はもう開催出来ないと言っていたが“NBC”テレビがポ〜ンと10万ドル出した。

勿論放映権は“NBC”、ということで1952年から“NBC”テレビが最初で、アメリカ国内をまず世界中にテレビでその模様が放映されることになった。
日本でもNHKが1953年2月1日にテレビの放送を開始した。

作品賞:「地上最大のショウ」
監督賞:ジョン・フォード(静かなる男)
主演男優賞:ゲーリー・クーパー(真昼の決闘)
主演女優賞:シャーリー・ブース(愛しのシバよ帰れ)
助演男優賞:アンソニー・クイン(革命児ザバタ)
助演女優賞:グロリア・グレアム(悪人と美女)

●ビデオ上映「真昼の決闘」

他にアカデミー賞がらみの作品は
ホセ・フェラー「赤い風車」、
スーザン・ヘイワード「わが心に歌えば」
ジェームス・メイスン「五本の指」
ジーン・ケリー「雨に唄えば」

外国語映画賞
「禁じられた遊び」フランス

因みに日本映画キネマ旬報ベストワンは
「生きる」黒澤明監督

つづく・・・・


* 上映作品の製作配給会社 * 参考文蔵版社
 M.C.M  集英社
 20C.FOX  講談社
 W.B  新潮社
 PARAMOUNT  中央公論新社
 CORAMBIA  創元社
 UNIVERSAL  白水社
 R.K.O  岩波書店
 U.A  秋田書店
 セルズニック  近代映画社
 東宝東和 ほか  キネマ旬報社 ほか  

―おわりー


会場写真撮影:橋本 曜
文責: 和田節子
HTML製作:和田 節子