平成1527日 神田雑学大学講座

「南極ってどんな処?」

講師 練木允雄

プロフィル  第6次南極観測隊員

 私は学生時代から山が好きで、高校、大学と山岳部に所属し特に学習院大学の山岳部に入ってからは1年間に200日以上も山に入いり学生生活すべてが山、人から何学部を卒業されましたかと聞かれれば経済学部でなくて山岳部出身です答えます。日本登山の黎明期に、優れた記録を持つ大先輩を輩出した伝統ある山岳部に出会い、それは私の人生に大きな影響を与えました。

昭和35年卒業、山崎パン(株)に入社しました。現在は年商7000億円の立派な食品企業ですが、当時は年商14億円の東京、千葉県をエリアとするパン企業で定休日は水曜日、朝早くから夜遅くまでの仕事が厳しい会社で、サラリーマンとはこんなものか、もう少し休みが多く、山にも行ける余裕ができる仕事はないか考えていた矢先に、山岳部の部長の木下先生(理学部の教授、日本学術会議南極特別委員、後の学習院大学の学長)より

南極の話があり、早速飛びついたのが南極との始まりでした。

隊員に決まるまでの会社の問題、色々な選考の過程の話もありますが、それは別の機会にして、6月中旬にヤマザキを休職して文部省に出向、観測隊の仕事をするようになりました。私の身分は文部省の技官で、隊の中では観測隊の設営部門、設営一般兼樺太犬担当でした。

私が所属した第6次観測隊の主たる任務は、観測船「宗谷」が老朽化して使用できなくなり、南極観測が継続不能になり新造船の計画もないため、一時中断するため、再会の時まで、昭和基地を保全、整備して基地を閉鎖する目的が一番の仕事でした。

    南 極? どんなとぉろ

それはもう40年も前のことですが、今でも脳裏に浮かぶものが沢山あります。

その思いでも含めて、当時感激した南極の自然をご披露したいと思います。

文部省、極地研究所と秋田大学の井上教授からお借りしたスライドを上映しながら、ご案内しまよう。

御覧戴いている略図は日本と南極の位置関係です。

日本から昭和基地までの距離は約1万4千キロメートルあります。私たち6次隊の宗谷は、東京港---(一週間)シンガポール、---(一週間)ケープタウン---(一週間から10日間)昭和基地でしたが。現在の観測隊は成田から空路西オーストラリアへ飛び、フリマントルから船で昭和基地へ向う。帰途はその逆で航海日数が少なく隊員の負担が少なくなっています。

 

   

南極と北極の違い

南極は南極大陸と呼ばれているように陸地、北極海は海、陸地には雪が堆積して膨大な氷を作るが海には積もってもせいぜい50mその氷の量が気温や風の強さ強烈な寒さに大きな違いが出てきます。

氷の大陸南極

大陸の大きさ約1400平方キロメーター日本の国土の約22倍、オオストラリヤ大陸の約2倍、内陸部の標高は2000mから4000m(地球全体の平均標高は900m)..大陸の95%は氷に覆われて平均の氷厚さは2300m個の氷が溶け出すと地球全体の水位が60m上昇すると計算されています。風が一番強いところ平均風速は80m..最高風速は160mを、また気温はマイナス50度から80度を記録しています。

氷の名称のいろいろ

1.          氷床。陸地に雪が積もって氷となる、そして夏になると少し解ける、しかし解けきれない雪が堆積して、積もる雪の重力で氷になる、そして年々、氷が厚さを増してゆく、この氷の厚さは平均2000mそしてその氷の中に10万年前の空気を抱いているといわれている、この空気を分析することによって当時の気候がわかると言われている。

 

2、氷河。標高の高い内陸に出来た、氷床が海に向かい徐々に移動して谷間に集まり低いところに川のような流れとなり。海岸線に向かい移動する氷の流れが氷河、そして海に出た氷河を棚氷と呼ぶ。

 

3.棚氷。陸地から連続してつながって海に伸びている大きな氷河である。

氷河の年間移動速度は2mから3mと言われており、10,000mを移動するには5,000年から6,000年かかる計算になる、そしてその規模はロス海に浮かぶロス氷床や、ロンネ氷床はフランスの国土と同じ大きさであると言われています。

 

4.。 氷山。氷床が海上に出て割れて海に出ている氷塊が氷山である、そしてその、大きなものは神奈川県がすっぽり入るくらいの、まさに想像を絶する大きさである。

氷床、氷河

棚氷

氷山

南極には極点が三つある・

1)地理上の南極、南緯90度(東経0の南極点)。

2)磁石(S極)垂直に立つ場所で南磁極という。この磁極は1年に10kmくらいの割合で北方に移動しており、19971月には南緯64.6度、東経138.6度で、現在南極海にその位置を移動している。

(3).双極子南磁極、地球の中心に棒磁石をおいてその南端が地球に飛び出した場所は南磁極と違う場所がある。

 

この写真は観測船「白瀬」がオングル島を背景にした場面。四角に見えるのが氷山で、平なところは氷海。「白瀬」11600トンの砕氷能力は1.5mの氷を3ノットで進む力を持つ優秀船である。(198112月就役)

第一次から第六次まで使った観測船「宗谷」2736トン砕氷能力は1m193712月就役)。次ぎにできた「富士」が5,250トン砕氷能力1mの氷を3ノットで進む(19657月就役)。

 

     南 極 の 歴 史

 

 

エ ポ ッ ク

 年  代

  備    考

 登 山 史

 年 代

 

1

狩猟時代

1772年--75年

ジェームス、クック南極圏(66度33分)を突破

モンブラン登頂

1786年

 

 

 

1817年−1833年

鯨、アザラシを求めて北欧、ロシヤ、英国

 

 

 

 

 

 

の船が南下、そして南極大陸を発見。

 

 

2

磁極調査

1737年ー1843年

北磁極の発見で南磁極の調査に仏、米、

マッタホルン登頂

1865年

 

 

 

 

英、が乗り出し南極の各地が発見される。

 

 

 

 

 

 

「ロス海、エレバス火山の発見」

北極点到達

1908年

 

3

探検英雄時代

1911年ー1912年

アムンゼン、スコットの極点到達

 

 

 

 

 

 

白瀬探検隊海南丸明治45年ロス海突入

エベレスト第一次

1921年

 

 

 

 

80度05分まで探検、大和雪原を発見

登山隊

 

 

 

 

 

 

アンナプルナ登頂

1950年

 

 

 

1914年−1916年

シャクルトン,エンジュランス号の漂流

 

 

 

 

 

 

 

エベレスト登頂

1953年

 

 

 

1929年

バード少将南極点飛行

 

 

 

 

 

 

 

マナスル登頂

1983年

 

4

科学調査時代

1957年

国際地球観測年。12カ国参加

 

 

 

 

 

1958年

米ソ軍事力開発競争

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南極を探検した人々

アムンゼン、スコッツト、シャクルトン、白瀬中尉、バードとヒラリー

 

 

 

 

昭 和 基 

 

昭和基地は1957-62.1965--)69度00分S。39度35E。標高18M.国際地球観測年(1957‐58)に備えて建設された。、

第一次日本南極地域観測隊は1956年11月8日“宗谷”により東京港を出発し、翌年1月29日オングル島に上陸し昭和基地を開設した。以降‘62年2月〜65年12月まで一時閉鎖されたが新砕氷船”ふじ”の就航により再開’66年2月1日以降周年維持されている。‘83年秋には更に強力な“しらせ”が就航し基地の諸施設は一段と充実し、特に観測施設は第一級である。この間68/69年夏の極点往復調査旅行、’69年12月のやまと隕石の発見とその後の多量採集、‘70年1月観測ロケット打ち上げや7月のみずほ観測拠点設置と、現在への基礎が作られた。

 

 

昭和基地の四季

69度Sにある昭和基地、夏至(南半球)前後約53日は太陽が沈まない白夜の季節であり、冬至の前後約45日は極夜となる、(日数の差は地球公転軌道が楕円のため)。

基地は大陸と幅4kmオングル海峡で隔てられた低い岩だらけの小島(東オングル島)の上にある。周りが海のために、大陸上の基地に比べて気候温暖である。(年平均気温は-10.4℃;最低気温は-45.3℃最高は10.0℃)雪は降るが年間日数は約180日)風で飛ばされて地上積雪は少ない(平均風速は6.4m/s).

昭和基地の初秋といえる3月頃から春の10月頃までの暴風雪(ブリザード)が襲来する(最大瞬間風速は59.2m、75年5月26日)。

日差しが長くなる10月頃になると基地に鳥が飛来し、ペンギン(主にアデリー)やアザラシが見られる、オーロラ観測が終わるのもこの頃で、雪解けが始まる。

日本隊の活躍

昭和基地は南極大陸ではなく、南極海のオングル島にある。南極大陸の中心は標高4,000米の高台になっている。その上に氷が乗っている状態である。寒い冷気は下に下がる。すなわち、海抜4,000mから0mまで冷たい空気が転げ落ちる、そのために、南極特有の気象が発生する、その一つが強風、ブリザード、マイナス50度の記録等。又オングル島から先の氷海は、「叫ぶ40°(南緯)、吼える50°」という暴風圏である。極点が高気圧で、周りの海が低気圧であるために、常に暴風が吹き荒れる。昭和基地周辺。みずほ基地。氷の中のドーム基地などがある。特にオングル島は南極の中では住みやすい環境といわれている。

 

みずほ基地

 

みずほ基地。この立て札の下500平方米の雪洞が、基地になっている。人間が生活できる環境を地上に建設することは無理だったということである。

ドームふじ観測基地

 

 

基地のエネルギーを管理しているコー・ジェネレーション。大型エンジンを動かして電気を作っているが、それに要する油の燃料効率は30%である。あとの70%の廃熱を利用して暖房や、水を作っている。省エネマシンである。

管理棟の三階建てのビルはホテル並みの建築物、観測隊員の生活の中心である。第六次観測隊の頃は、隊員はプレハブの宿舎に寝泊まりできたが、我々はテント生活だった。基地の隣にダム状の水溜りがある。(6次隊の当時は一日の水の使用量は10リッターに制限されていたが)、現在は100リッターだ。10リッターは一日の飲み水の量で、風呂は1週間に一度しかは入れない。今は毎日入れるそうだ。

 

食堂の写真。インスタントラーメンは、南極観測隊の食料として開発されたもので、この場所で観測隊員が大いに食べた。後に世界的なインスタント食品として商品化された。

あとで基地の建物が出て来るが、現在の日本のプレハブ建築は、南極基地用に開発されたものです。(素人でも簡単に本格的な住居ができる工法)

 

 

オーロラ

これはオーロラの画像。オーロラ自身の高さが100m200mあるといわれる。空に固定せず、常にカーテンのようにゆらゆらと動いている。暗い空に揺れるオーロラを見ていると、空が落ちてくるような幻想に襲われる。

この画像は、地球のオーロラが発生する地帯をなぞっている。太陽から出る電磁派の強いときは、地球の周りまで吹いてくる、その電磁波がオーロラだそうです。

オーロラの研究はアメリカが最も進んでいる。十数年前アラスカへオオロラツアーに参加したとき、アラスカ大学の赤祖江先生のお話を聞く機会あり。太陽から太陽風が地球まで吹いてくる。その電磁波がオーロラである。そしてその電気量は、「オーロラを長い長い電線で受けると、日本の消費電力の数日分が一遍で取れる」といわれたことがある。また、冷戦時代、オーロラが出て電磁派が乱れると地球上の通信が混乱するので、米ソとも、その時に攻められないためにオーロラの研究をしたといわれ、オーロラが出るとそれに向かってロケットを打ち込んでデータを解析しているそうです。

 

 

 

 

 

隕石

これは隕石の画像。隕石というのは南極で約5,000個あるが、うち日本隊が所有している

隕石は3,700個でダントツである。南極で隕石が特に多く落ちている場所が、たまたま日本隊の基地の場所だったことに由来するようだ。地球に落ちてくる隕石は二種類ある。星が爆発して隕石が飛散する場合、原石のまま飛んでくるものと、焼けた状態で飛んでくるものがある。その原石の方を分析すると、地球の生成の秘密が解明できるという話だ。

南極に流星(隕石)が落ちる場合は氷の上である。氷は隕石を乗せたまま海に向うが、そこに障害物があると、一旦そこで止まる。隕石は重力で下へ落ちるが、氷は時間をかけてさらに海に向う。その一旦障害物で止まる場所が、たまたまみずほ基地辺りというのが推理される。

 

 

ブリザード

。本格的にブリザードが吹くと、自分の指先が見えない。天候が曇りだからではなく、氷片が飛んできて視界が悪くなり、指先が見えなくなるのだ。

ブリザードで通信搭が倒れたときの写真。

アデリーペンギン

。卵を孵している。オスかメスが卵を抱く。片方がエサを探しに行くが帰ってくるまで30日―60日もかかる。親ペンギンはエサも食わずに、ひたすら卵を温める。

帰ってきたペンギンが、交代して卵を抱く。こんどは卵を抱いていた方が、エサを探しにいく。子孫を残すという種の本能を、まざまざ見て取れる場面だ。

 

観 測 隊 の 今 昔

1958年、西堀隊長が実施した第1次観測隊と、2001年の第42次観測隊の予算規模を比較する。今の観測隊の人たちが、第1次の宗谷の隊員を何と呼ぶか。「化石時代の人たち」と呼ぶ。私たちが今の昭和基地を見たら、「何でこんなに金をかけるのか」と思うくらい立派な基地である。南極観測の予算は国家予算1兆円に対して1億円だった。2001年第42次観測隊は、国家予算85兆円に対して50億円」となっている。

世界の参加国は12カ国に対して43カ国となっている。なぜ、それぞれの国が南極へ行くのか。参加目的は、西堀隊のころはまだ領土権が主張できた。南極探検隊の歴史は、まず発見した場所に旗を立てて、領土権を主張することだった。昔の西部劇と同じである。

現在、南極条約で領土問題は凍結されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1958年の第一次観測隊

 

2001年第42次観測隊

 

 

 

 

1

南極観測の予算

1億円

 

 

 

50億円

 

 

 

 

 

国家予算

1兆円

 

 

 

85兆円

 

 

 

 

2

世界の参加国

12カ国

 

 

 

43カ国

 

 

 

 

3

参加目的

領土権の主張

 

 

領土権凍結

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

環境保護議定書

 

 

 

4

輸送手段

宗谷(4866トン) 海上保安庁

しらせ(18900トン) 防衛庁

 

 

(船から基地)

偵察用ヘリコプター

 

偵察用ヘリコプター

 

 

 

 

 

 

 

 

 

輸送用ヘリコプター

 

 

5

通信

 

無線(銚子無線局現在は廃止)

人工衛星(インテルサット)eメール

 

 

 

 

手紙は次回の観測隊

 

毎日eメール可

 

 

 

6

気象観測

気球

 

 

 

ロケット(富士山頂観測所廃止)

 

7

越冬隊員数

11人(調理1人)

 

 

40人(調理2人)うち女性2人

 

8

旅行形態

犬橇。雪上車KC20.寝泊りはテント

大型雪上車(車内、キッチン,ベット)

 

9

居住環境

飲料水(雪上車で氷山から氷採取)

ポンプで浄水施設

 

 

 

 

 

風呂(雪上車で氷山から氷採取)

 

 

 

 

 

 

 

 

個室(カーテンで仕切り)

 

個室

 

 

 

 

 

 

 

トイレ晴れた日にタイドクラック

トイレ有り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

環境整備。塵埃処理

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(生活廃棄物の持ち帰り)

 

 

 

 

10

食料

 

缶詰、冷凍食品。熱風乾燥品

レトルト食品。冷凍食品。冷凍乾燥品

 

11

装備

 

ビニロン

 

 

 

ゴアテックス。オオロン

 

 

また、環境保護議定書という取り決めがあって、観光に訪れた人たちの廃棄物はすべて持ち帰りが義務づけられている。各国の南極観測基地のゴミも同様である。南極の環境がすでに変化しており、遠からず問題になることへの危機感からである。

輸送手段は、宗谷4,866トンが、白瀬18,900トンとなった。当時、船から基地への輸送手段は、雪上車と橇だった。

 

南極の奇岩と化石

次は、表面がつるつるになった岩。多分氷で削られたためだろう。

これは蜂の子岩。氷河によって運ばれ、置いて行かれたあと、氷と猛烈な風速によって吹き付ける砂埃のために、このような蜂の巣形状になったらしい。自然の造形の面白さである。これは恐竜の尻尾の化石といわれている。南極大陸は、オーストラリアと南アメリカ大陸と太古には一つであった証明でもある。

 

アイスシュラ島の世界最古の岩。数十億年前の岩といわれている。

 

ドライバレー。南極といえども、何故か雪がまったくない場所が二、三カ所ある。地熱のためではなく、氷河が削ったあとのU字渓谷地形のためであろう。

これは、蜃気楼の写真。地平線の氷山があるはずがない場所に、氷山が現れている。じっと見ているうちに、氷山が下から痩せてきてやがて空に浮く。

日没。グリーンラッシュといって、太陽が沈んだあとに緑色の幻影が残る。これは珍しい現象なので、写真を撮ったらライフが高く買うという話を聞いて、宗谷の甲板でインド洋の日没に毎日カメラを構えていたが、ついに見ることができなかった。太陽の光線が縦に走る珍しい光景。これは、逆に太陽が横一線に見える写真。すべて、気温と光の屈折による現象である。

南極の生物

アザラシの親子。親の体長は約3メートルという巨大な動物である。子供アザラシはつぶらな可愛い目をしている。クジラ。南極海では、定着氷があると船はこれ以上進めず、錨を下ろすとイルカと同じようにクジラも船に寄ってくる。ペンギンも遥か遠いところから遊びにくる。最初は黒い点に見える。その数がだんだん増えて、ペンギン集団とわかる。

彼らも、普段見かけないものが現れて、珍しいのだろう。船や人間たちを観察しているのである。ペンギンたちは二、三日、宗谷の周りで遊んでから、やがて帰っていく。

南極海の生物、オキアミ。画像は拡大しているが、実際は極小のエビである。

これは陸上の生物。何でしょう?クモに似ているが、ダニである。極寒の地でよく生きられるものと思う。

 

 

タローとジロー

2次の村山観測隊は、宗谷の砕氷能力が小さく、基地の近くまでいけなかったから越冬隊が成立しなかった。そこで、犬のタロウとジロウのエピソードとなるのだが、これは二十数頭のカラフト犬が西堀隊から村山隊に引き渡す予定のものだった。村山隊がまだ越冬が可能かもしれないと一時避難的に船に戻ったところ、氷の状況が悪く動けなくなった。

 

犬は基地に戻れば、即戦力となるので、基地内に鎖でつないであった。翌年第3次観測隊が訪れたときは、半分の犬が鎖につながれたまま死んでいた。後の犬は行方不明。タローとジローだけが生きていたのである。村山さんに聞いた話では、カラフト犬は首が太いために、首輪を抜くのが上手である。半分の十数頭は鎖を抜けて、帰巣本能から北に向かって集団的に一斉に走り出したと思われる。

 

基地内の犬小屋の隣に、磨きニシンの小屋があって、犬のえさとしては1年分の量があったが、それは手付かずだった。もちろん途中で狩をしただろう。ペンギンを食べたと最初は思われた。しかし、氷上ではペンギンの方が犬より数倍も速い。走る速さではなく、犬が接近したとき、ペンギンは腹ばいになって足で氷をかいて滑る。犬は多分、ペンギンを捕食できなかったと思われる。

その代わり、犬はアザラシを追いかけたのではないか。追われた動物は、興奮すると脱糞する。その糞に含まれている未消化の魚を、犬は食べていたと推定された。タローとジローはどうしたか。彼らは昭和基地で生まれた犬である。二匹は皆と一緒にあるところまではついていった。しかし、途中で帰巣本能の赴くまま、昭和基地へ戻った。それが、2匹だけが生き残った理由ではないかと推理されている。

村山隊長が翌年、第3次越冬隊を組織して再び南極へ行ったとき、ヘリコプターから見た雪原に何か動くものを発見した。あっ犬ではないか!それがタローとジローに再会した最初の場面であった。村山隊長は、ヘリコプターから降りたら犬に噛みつかれるかもしれないと思ったという。犬はしかし、懐かしそうに尻尾をちぎれるほどに振ってじゃれた。

タロートジローが生きていたと、無線でニュースが伝わって、日本中に大きな話題が広がった。テレビのインタビューの中で、「タローとジローは会ったとき、何といいましたか?」の質問に、村山さんはこう答えた。「カラフト犬だけに、ワンとも言わなかった」。

など、あれこれ第一次から42次まで、いろいろな事件がありました。

宗谷と紅茶

私は、宗谷について、「古いな」と実感したことがある。昭和361030日、日本を出航し、シンガポール、ケープタウンを経由して南極海に入るのであったが、40℃―50℃の暴風圏を通過する。50℃になると氷海になって風は凪となる。瀬戸内海のような静かな海。浮氷の海を数日航海すると、氷山に遭遇する。氷山の前に、1−2mの小さな氷の塊が浮いている。宗谷の中で、私の部屋は最後尾であったので、氷の塊がスクリューに巻き込まれて船体に当たる、ごとん、ごとんと大きな音がした。私は当時、24歳の一番の若手で、夕食後の一杯会のあとの船長や隊長に紅茶を出す当番だった。午後10時過ぎに、紅茶を出したあるとき、「お前、砂糖の量を間違えたろう」といわれた。しかし、当然「いつもと同じです」と答えた。それから、二日経って再び同じことをいわれた。そして答えも同じであった。隊長と船長は顔を見合わせていたが、あくる朝、船倉の真水タンクを調べたところ、タンクに亀裂があり、海水が浸入していたことが判った。それから、文部省とのやりとりが無線で行われ、進むか退くかの相談となったらしいが、まさに老朽化の一語に尽きる宗谷だったのだ。

                                  以上

質問1.南極で楽しかったこと。辛かったことの思い出を聞きたい。

    宗谷が氷海に入り定着氷につくと、輸送を開始するが、正月を前にして餅つきをする。

みんなで一杯飲んで楽しむわけだが、私は日没を撮ろうとブリッジでカメラを何時間も構えていた。夜、11時半ころ、あと少しでいい写真が撮れると思った瞬間、太陽が半分沈んでまた昇ってきた。南極の白夜を実感した。

 

辛いことはいっぱいあった。年齢が一番若かったこともあって、みんなにこき使われた。

犬の係りを担当していたので、「おい練木。お前が死んでもニュースにならないが、犬を殺したらただじゃ帰れないぞ」といわれた。生き物だから朝、昼、晩メシを食わせなければならない。吼える40℃、叫ぶ50℃といわれる吹雪の中、みんな寝ているときでも私一人だけ犬の餌をぶら下げて犬小屋へ行く。辛い役回りだった。

宗谷の暴風圏での揺れ。食堂での配膳は我われ若い者がやるが、固定された食卓で揺れが来ると、皆一斉に飯茶碗と味噌汁椀を持って立ち上がる。食卓には縁がついており、おかずはこぼれ落ちない仕組みにはなっている。ピッチング、ローリングもすさまじく、船が波の頂上にいるときは両側が深い谷になり、波の底になると両側が高い山になる。よく、船が沈まないものだと感心した。そんな中でも、食事は欠かせない。

質問2.先の写真に火山があったが、南極に温泉はあるのでしょうか。

    温泉はあるようです。私はそこまで行かなかったから、入りませんでしたが。

質問3.南極の氷は持って帰れますか。数年前にクラス会で飲んだことがある。

    今は、南極条約では石も持ち帰れないことになっている。ただし、検査捕鯨の船員たち

が、氷を輸入して売っているのはある。南極の氷には細かい気泡が含まれており、水割りにして耳を近づけると、何万年前の大気を包んだ気泡が割れる微かな音がピチピチと聞こえます。秋田県の白瀬記念館でも、氷を売っていると聞きました。

 

質問4.有史以来、生き残っているというゴキブリは南極にいるでしょうか。

    ゴキブリは、昭和基地にはいませんでした。

質問5。南極にはどんな病気が多いですか。

●南極では風邪を引かない。ウイルスがいない無菌地帯であるためです。村山さんの提案は、食料貯蔵と図書の保管に最適ということでした。

質問6。観測隊に女性はいないのでしょうか。

42次隊には女性隊員が2名おります。船も基地も、男女別になっております。

質問7。水はどうやって入手するのですか。

    氷山を溶かして飲料水にしています。

質問8。酒はどうしていますか。

    酒は配給されます。濃縮酒というのもありますが、日本酒はおいしくない。ウイスキー

はおいしい。しかし、どうしても足りなくなりますと、薬用アルコールを薄めて飲んでいる人もいました。

                              終わり


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