神田雑学大学 2月28日 講義

            
アカデミー賞物語4

講師:坂田 純治


目次

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はじめに
第26回(1953年)
第27回(1954年)
第28回(1955年)
第29回(1956年)
第30回(1957年)
第31回(1958年)
第32回(1959年)
第33回(1960年)
第34回(1961年)
第35回(1962年)
第36回(1962年)
第37回(1962年)


はじめに
坂田純治さんの講座は、1月の続きです。アカデミー賞は74年間続いておりますが、この中から坂田さんの「独断と偏見」で作品を選びお話を進めて行きたいと思います。

又、著作権の問題、映像権問題がありますので、ビデオの上映は4分〜5分、予告編程度の長さにしてありますのでご理解をいただきたい。細論に入る前に、1970年〜1990年までのアカデミー賞授賞式のドキュメンタリービデオを観てもらいたい。

というのは、1953年、昭和28年にこのアカデミー賞授賞式のテレビ中継が始まり、年を追って華やかになってきた。しかしこのアカデミー授賞式を見事に皮肉った人がいたのである。

オーストラリアの俳優でポール・ホーガンは1986年の作品「クロコダイル・ダンディー」で主役を演じた。なおかつ才人でオリジナル脚本も書いている。1986年度のオリジナル脚本賞でノミネートされたポール・ホーガンは壇上に登場し、アカデミー賞授賞式とは何であるかを語っているので観て戴きたい。

アカデミー賞授賞式のドキュメンタリービデオを観る。

第26回1953年度(昭和28年)
4年間続いた朝鮮戦争もようやく休戦協定が結ばれた。その2ケ月後の1953年9月27日、20世紀FOXはシネマスコープと言う名の第一作「聖衣」を公開し、大ヒットした。

ワイドスクリーンは前年シネラマが公開されたが、これは上映する映画館が大変コストが掛かった。又3D立体映画、これは観客がメガネを掛けて見なければいけない不便さがある。それに比べると20世紀FOXが開発したシネマスコープはまさに大型映画時代の到来を決定ずける発明であった。しかし未だこの年のアカデミー賞はスタンダードで、モノクロに傑作が集中していた。

「地上より永遠に」のビデオを観る
「地上より永遠に」モンゴメリー・クリフト、フランク・シナトラ
シナリオを読んだフランク・シナトラはどうしてもこの役をやりたいとプロデューサーに掛け合うが プロデューサーは相手にしてくれない。

というのは、1920年代の代表的男性歌手と言えば、ルデー・バレー、30年代に入るとビング・クロスビー、 40年代に入ってシナトラが登場大変な人気であった。ところが50年代に入るとシナトラの人気が急降下して凋落してしまう。

シナトラはマフィアを使いそのボスの圧力でこの役を獲得する。この辺の経緯は後年“マーロン・ブランド”の 「ゴットファーザーPart1」にシナトラをモデルにして描かれている。

「ローマの休日」オードリー・ヘップバーン シナトラはこの作品8千ドルという低いギャラで出演したが、大変な名演技をして何と助演男優賞を獲得した。モンゴメリー・クリフトは、とかくマーロン・ブランド、或いはジェームス・ディーンと三人同系列として比較されるが、このモンゴメリー・クリフトは三人の中では極めて純粋な人格で、演技も非常に熱心。なおかつ美男である。

彼の第9作目にエリザベス・テイラーと共演した「愛情の花咲く樹」という大作があるが、その完成披露パーティーがエリザベス・テイラー邸で開かれた。終わった後、彼は自分で車を運転して帰り道大木に車が衝突。フロントガラスに顔をつっこみ顔はメチャメチャになってしまった。

再三の形成手術をするが美貌と演技力まで喪失してしまう。この人はアカデミー賞には無縁で何回ノミネートされても受賞に至らなかった。

1953年は大作がつづきご存知「ローマの休日」。彗星のごとく現れたのが“オードリー・ヘップバーン”当初「ローマの休日」の王女の役はイギリスの女優ジーン・シモンズであったが、どうしても都合がつかない。そこでウイリアム・ワイラーはオードリー・ヘップバーンを起用し、この年見事アカデミー賞主演女優賞を受賞した。

ローマの休日 作品賞:「地上より永遠に」
監督賞:フレッド・ジンネマン(地上より永遠に)
主演男優賞:ウイリアム・ホールデン(第十七捕虜収容所)
主演女優賞:オードリー・ヘップバーン(ローマの休日)
助演男優賞:フランク・シナトラ(地上より永遠に)
助演女優賞:ドナ・リード(地上より永遠に)

他にこの年のアカデミー賞がらみの作品は
「シェーン」「カラミティ・ジェーン」など。

因みに日本映画キネマ旬報ベストテンは
「にごりえ」監督:今井正 三話オムニバス映画

第27回1954年(昭和29年)
赤(当時はソ連)の脅威に異常なまでに神経質だったアメリカは1955年3月ビキニ環礁で水爆実験を行った。日本の“第五福竜丸“は大きな被害を受けた。しかし映画界の方は大型化競争が相次ぎ今度は、“PARAMOUNT”社がビスタビジョン撮影で「ホワイトクリスマス」を発表して大ヒットしオスカーを受賞した。

作品賞のノミネートには、大型スクリーンで“M・G・M“の「掠奪された7人の花嫁」“FOX”の「愛の泉」対スタンダードスクリーンで「波止場」「喝采」「ケイン号の叛乱」、2対3の対決になったが「波止場」が選ばれた。

「波止場」のビデオを観る

主演男優賞のノミネートは「喝采」という作品でビング・クロスビー、「ケイン号の叛乱」という作品でハンフリー・ボガード、これを破って作品賞に選ばれたのがマーロン・ブランドの「波止場」である。

主演女優賞の方は、「スタア誕生」リメイク第三回目、これで熱演したジュディ・ガーランドがオスカーを狙ったのだが、またもや彼女は敗れた。と言うのは、グレース・ケリーが「喝采」で汚れ役の名演技をしてオスカーを受賞した。

作品賞:「波止場」
監督賞:エリア・カザン(波止場)
主演男優賞:マーロン・ブランド(波止場)
主演女優賞:グレース・ケリー(喝采)
助演男優賞:エドモンド・オブライエン(裸足の伯爵夫人)
助演女優賞:エバ・マリー・セイント(波止場)
歌曲賞:「ホワイトクリスマス」
外国語映画賞:「地獄門」

他にアカデミー賞がらみの話題作品
「グレンミラー物語」「麗しのサブリナ」
日本映画の「地獄門」で和田三造が色彩衣賞デザインを受賞。(日本人初)

因みに日本映画キネマ旬報ベストワンは
「二十四の瞳」監督:木下恵介 出演:高峰秀子

第28回1955年(昭和30年)

冒頭「エデンの東」の音楽を聴く

1956年の年明け早々、前年1954年度のアカデミー賞女優グレース・ケリーのモナコ大公妃のニュースが発表され、ハリウッドは勿論世界中がわき立った。グレース・ケリーは18才で舞台に立ち、20世紀“FOX”に迎えられ一作映画を撮った。

二作目が「真昼の決闘」ゲイリー・クーパーの新妻役で名演技をした。つづいて、クラーク・ゲイブルと「モガンボ」、ヒッチコックに見出されて「ダイヤルMを廻せ」「裏窓」「泥棒成金」。「白鳥」「上流社会」「喝采」など11作出演している。そのグレース・ケリーも82年9月惜しくも自動車事故に遭い53才の生涯であった。

さてこの年1955年度の作品賞は相変わらずモノクロ、スタンダードに輝いている。大型映画は見向きもされなかった。その中にあって作品賞を始め4個のオスカーに輝いたのは「マーティ」という地味な作品で、テレビドラマを映画化したものであった。

監督はテレビも、映画もデルバート・マン、ニューヨークの下町で肉屋を営んでる中年男、この中年男に扮したのがオスカーを獲得したアーネスト・ボーグナイン。この映画はハリウッド製ではなく、ニューヨークロケであった。監督のデルバート・マンなどもニューヨーク派であった。

尚、「マーティ」という作品はアメリカ映画としては史上初めてカンヌでグランプリを受賞している。この映画を企画、製作をしたのが俳優のバートラン・カスターであり、俳優だけでなくプロデューサーとしてもこの年称賛を浴びた。

●「エデンの東」のビデオを観る。

作品賞:「マーティ」
監督賞:デルバート・マン(マーティ)
主演男優賞:アーネスト・ボーグナイン(マーティ)
主演女優賞:アンナ・マニャーニ(バラの刺青)
助演男優賞:ジャックレモン(ミスタ・ロバーツ)
助演女優賞:ジョー・バン・フリート(エデンの東)
外国語映画賞:「宮本武蔵」監督:稲垣浩、主演:三船敏郎

他にこの年のアカデミー賞がらみの作品は
ヒッチコックの「泥棒成金」
ウイリアム・ホールデン、キム・ノヴァク「ピクニック」
ミュージカル「オクラホマ」余にも主題歌が有名な「慕情」など

因みに日本キネマ旬報ベストテンは
「浮雲」監督:成瀬幹夫 出演:高峰秀子、森雅之

ジェームス・ディーンのエピソード
この年作品賞を始め名作と言われた「マーティ」のお母さん、主演女優賞をアンナ・マニャーニが獲得した「バラの刺青」の未亡人、どちらもイタリー系で、それぞれが息子のお嫁さんとか、娘の恋人がイタリー系でない人を連れてくると機嫌が悪い。

この頃イタリー映画出身でハリウッドに来た美しくって可憐なピア・アンジェリーという女優さんがいた。ジェームス・ディーンはこの人に恋をしピア・アンジェリーの家に行くのだが、アンジェリーのお母さんがディーンがイタリー系でないということで全く歓迎しない。結婚も許さない。自暴自棄になったディーンは自殺行為のように、ご存知のように高速道路で自動車事故に遭い亡くなってしまった。イタリー系というのはそんな訳で血族意識が強い。

第29回1956年(昭和31年)
●作品賞「80日間世界一周」ビデオ、音楽を聴く

前年1955年にはマイケル・トッドはトッド「AO−70」システム70ミリフィルムを大型画面でミュージカル「オクラホマ」を発表。1956年に「80日間世界一周」を超大型スクリーンで披露した。

この作品にはカメオ、(チョット出てくる特別出演者、)スターの数だけでも世界中をあっ!と言わせた。そしてナント作品賞を始め5個のオスカーを手にした。

「追想」のビデオを観る

イングリット・バーグマンは8年ぶりにアメリカ映画に出演した。「ガス燈」以来12年ぶり二度目の主演女優賞を獲得した。アメリカは彼女を許したのである。エルビス・プレスリーが「やさしく愛して」でデビューをしたのもこの年である。尚、バーグマンは、この年の授賞式にはパリで「お茶と同情」という舞台に出演中で授賞式には出席しなかった。

「追想」イングリト・バーグマン 作品賞:「80日間世界一周」
監督賞:ジョージ・スティーブンス(ジャイアンツ)
主演男優賞:ユル・ブリンナー(王様と私)
主演女優賞イングリット・バーグマン(追想)
助演男優賞:アンソニー・クイン(炎の人ゴッホ)
助演女優賞:ドロシー・マロン(風と共に散る)
主題歌賞:「知りすぎていた男」ケセラセラ
外国語賞:道(イタリア)

因みに日本映画キネマ旬報ベストワンは
「真昼の暗黒」監督:今井正

他にこの年のアカデミー賞がらみの作品は
「傷だらけの栄光」ポール・ニューマン、
「十戒」セシル・B・デミル監督のスペクタル
「友情ある説得」ウイリアム・ワイラー、ゲイリー・クーパー
「知りすぎていた男」A・ヒッチコック など。

第30回1957年(昭和32年)
この年のアカデミー賞は「戦場にかける橋」作品賞を始め7個のオスカーに輝いた。大型化の路線を打ち出しても映画界はテレビに負けた。二年前には“R・K・O”も遂に倒産。当時598人という数の専属スターが何とこの時期は半分以下の253人に減った。スターの独立プロが出来たのもこの頃である。

海外ロケやヨーロッパの俳優を頻繁に使い出したのもこの頃である。ハリウッドにもようやく陰りが見えてきた。アカデミー賞30回を期して制度もいろいろ変わった。1936年フランク・キャプラ会長は、組合対策として今までアカデミー賞の性質上一万五千人の映画人が携わってきたが、これを止めて最終投票はアカデミー会員1780人だけで行うことにした。

「戦場にかける橋」のビデオを観る

作品賞:「戦場にかける橋」
監督賞:デビッド・リーン(戦場にかける橋)
主演男優賞:アレック・ギネス(戦場にかける橋)
主演女優賞:ジョアン・ウッドワード(イヴの三つの顔)
助演男優賞:レッド・バトンズ(サヨナラ)
助演女優賞:ナンシー梅木(サヨナラ)

その他この年のアカデミー賞がらみの話題作品は
「バラの肌着」「眼下の敵」「情婦」「十二人の怒れる男」など。

因みに日本映画キネマ旬報ベストワンは
「米」監督:今井正

<<休憩>>

第31回1958年(昭和33年)
1955年にアラバマ州ではバスのボイコット運動が起きた。又1957年にはリトルロックでは白人と黒人の共学反対事件が起きた。この黒人の差別問題は公民権運動にまで発展し、やがて1968年には黒人指導者のマーチン・ルーターキングが暗殺された。

そんなことで映画人スタンリー・クレイマー監督は「手錠のままの脱獄」を発表した。これは二人の脱獄囚、白人の方はトニー・カーティス、黒人の方はシドニー・ポワチェで黒人初の主演男優賞にノミネートされて大騒ぎになたった。

他には、「熱いトタン屋根の猫」「旅路」など秀作がノミネートされたが、9個のオスカーに輝いたのは“M・G・M“のミュージカル「恋の手ほどき」である。

「恋の手ほどき」のビデオを観る。
「恋の手ほどき」レスリー・キャロン
モーリス・シュバリエこの9個もオスカーを取った「恋の手ほどき」で準主役を演じたモーリス・シュバリエは1888年パリ生まれ、10歳でカジノに出て、19歳でシャンソン界にデビューしていて大人気であった。

当時レヴューの女王ミスタン・ゲットというシャンソン歌手がいた。この人は「カジノ・ド・パリ」「フォーリー・ベルジェール」などに出演していて。ミスタン・ゲットの前にミスタン・ゲットなく。ミスタン・ゲットの後にミスタン・ゲットなしとまで言われた大変な歌手である。

このミスタン・ゲットとシュバリエは、シュバリエが20歳の時から30歳の時までコンビを組んでいて想像も出来ないくらいの大人気であった。シュバリエは歌ばかりでなく、フランス映画にも何本か出演した。40歳の時ハリウッドに招かれて「ラヴ・パレード」「メリーウイドー」など当時のミュージカル物に出演している。このシュバリエは若い歌手を引き立てたり、育てたりするのが大変上手であった。1972年(昭和47年)83歳で生涯を終えた。

作品賞:「恋の手ほどき」
監督賞:ビンセント・ミネリー(恋の手ほどき)
主演男優賞:デビット・ニーブン(旅路)
主演女優賞:スーザン・ヘイワード(私は死にたくない)
助演男優賞:バール・アイブス(大いなる西部)
助演女優賞:ウェンディ・ヒラー(旅路)

「恋の手ほどき」モーリス・シュバリエ他にこの年のアカデミーがらみの話題作は
「大いなる西部」監督:ウイリアム・ワイラー
「南太平洋」監督:ジョシュア・ローガン
「老人と海」ヘミングウェイ原作、スペンサー・トレーシー
名誉賞:モーリス・シュバリエ
外国語映画賞:「ぼくの伯父さん」(フランス)

因みにこの年の日本映画キネマ旬報ベストワンは
「樽山節考」監督:木下恵介、田中絹代、田村高廣

第32回1959年(昭和34年)
授賞式の前からこの年は「ベンハー」「ベンハー」と本命の前評判が高く12個ノミネートされたが、一体幾つオスカーを受賞するのか話題が集中した。結果は脚色賞を除いて11個のオスカーに輝いた。

作品賞:「ベンハー」
監督:ウイリアム・ワイラー(ベンハー)
主演男優賞:チャールトン・ヘストン(ベンハー)
主演女優賞:シモーヌ・シニョーレ(年上の女)
助演男優賞:ヒュー・グリフィス(ベンハー)
助演女優賞:シェリー・ウインタース(アンネの日記)

この年のアカデミー賞がらみの話題作品は
「夜を楽しく」ドリス・デイ、ロック・ハドソン
「或る殺人」監督:オットー・ブレミジャー、ジェームス・スチュアート
「尼僧物語」オードリー・ヘッブバーン
「ボギーとベス」オール黒人映画、シドニー・ポワチェ

外国語映画賞:「黒いオルフェ」フランス
名誉賞:バスター・キートン

因みに日本映画キネマ旬報ベストワンは
「キクとイサム」監督:今井正

「ベンハー」のビデオを観る。


第33回1960年(昭和35年)
1961年1月20日ジョン・Fケネディがアメリカ新大統領に就任した。新年早々カストロ率いるキュバの国交断絶、ベトナムの内戦もようやく激化してきた。アカデミー賞授賞式も一段と華やかに開催された。
作品賞はサラリーマン社会の悲哀と風刺を描いた「アパートの鍵貸します」。

作品賞:「アパートの鍵貸します」
監督:ビリー・ワイルダー(アパートの鍵貸します)
主演男優賞:バート・ランカスター(エルマー・ガントリー)
主演女優賞:エリザベス・テーラー(バター・フィールド8)
助演男優賞:ピーター・ユスティノス(スパルタカス)
助演女優賞:シャリー・ジョーンズ(エルマー・ガントリー)
名誉賞:ゲイリー・クーパー、スタン・ローレル、ヘイリー・ミルズ

「アパートの鍵貸します」シャリーマクレーン この年のアカデミー賞がらみの話題作品は
「息子と恋人」ジャック・ガーディフ
「栄光への脱出」ポール・ニューマン
主題歌賞:「日曜はダメよ」メリナ・メルクーリ
外国語映画賞:「処女の泉」(スウェーデン)

因みに日本映画キネマ旬報ベストワンは
「おとうと」監督:市川崑、幸田あや原作、岸恵子

● 「アパートの鍵貸します」ビデオを観る。
● 「ウエスト・サイド物語」のビデオを観る。

第34回1961年(昭和36年)
ウエストサイド物語 作品賞:「ウエスト・サイド物語」
監督賞:ロバート・ワイズ
(ウエスト・サイド物語)

主演男優賞:マクシミリアン・シェル
(ニュールンベルグ裁判)

主演女優賞:ソフィア・ローレン(ふたりの女)
助演男優賞:ジョージ・チャキリス
(ウエスト・サイド物語)

助演女優賞:リタ・モレノ(ウエスト・サイド物語)

この年のアカデミー賞がらみの話題作品は
「ティファニーで朝食を」オードリー・ヘップバーン
「ハスラー」ポール・ニューマン
「甘い生活」フェデリコ・フェリーニ
「ナバロンの要塞」グレゴリー・ペック、デビット・ニーブン
「ファニー」レスリー・キャロン など。

因みに日本映画キネマ旬報ベストワンは
「不良少年」監督:羽仁進

「ウエストサイド物語」リチャード・ベイマー、ナタリー・ウッド「アラビアのロレンス」ビデオを観る 

第35回1962年(昭和37年)
1962年8月5日にマリリン・モンローが謎の死を遂げた。彼女の伝説は生まれましたが、それはハリウッドの黄金時代最後の伝説とも言うべきでありましょう。ハリウッドもすっかり変わった。

メジャー各社は身売りをしたり、新しいカンパニーの参加に入り、エイジェントシステムや、専属スターシステムなどの確固たるシステムは遂に崩壊。1962年度の作品の30%は海外で撮影されたものである。作品賞を始め7個のオスカーを手にしたのは「アラビアのロレンス」である。

作品賞:「アラビアのロレンス」
監督賞:「デビット・リーン(アラビアのロレンス)
主演男優賞:グレゴリー・ペック(アラバマ物語)
主演女優賞:アン・バンクロフト(奇跡の人)
助演男優賞:エド・ペグリー(渇いた太陽)
助演女優賞:パティ・デューク(奇跡の人)

因みに日本映画キネマ旬報ベストワンは
「私は二才」監督:木下恵介

「奇跡の人」ビデオを観る。

第36回1963年(昭和38年)
この年は1963年11月22日ケネディ大統領が暗殺された。そんなおり素晴らしい黒人の演技者が出た。アカデミー賞史上初めての黒人主演男優賞を獲得したのがシドニー・ポワチエで「野のユリ」である。

作品賞:「トム・ジョーンズの華麗な冒険」
監督賞:トニー・リチャードソン(トム・ジョーンズの華麗な冒険)
主演男優賞:シドニー・ポワチェ(野のユリ)
主演女優賞:パトリシア・ニール(ハッド)
助演男優賞:メルビン・ダグラス(ハッド)
助演女優賞:マーガレット・ルザフォード(予期せぬ出来事)

他に、この年のアカデミー賞がらみの話題作品は
「クレオパトラ」「西部開拓史」「8 1/2」など。

因みに日本映画キネマ旬報ベストワンは
「にっぽん昆虫記」監督:今村昌平

第37回1964年(昭和39年)
この年は東京オリンピックが開催された。又、新幹線も時速210キロで走りだした年である。アメリカの映画協会も久々に甦えり。前年期5%の増収があった。

内容の充実した作品も多かったがやはりこの年の目玉は、「マイ・フェア・レディ」と、「メリー・ポピンズ」である。「マイ・フェア・レディ」のヒロインを演じたオードーリー・ヘッブパーンはミュージカル映画にもかかわらず歌が吹き替えであった。吹き替えをしたのがマーニー・ニクソンである。これではダメだということで結局ヘップバーンはノミネートされていない。

一方ブロードウエイの舞台でこの「マイ・フェア・レディ」はマークヘリンジャー劇場で2717回のロングランヒットであった。8年近くロングランを勤めてきたのは、ジュリー・アンドリュースである。ところがジュリー・アンドリュースは映画化にあたりプロデューサー達が知名度が低い。もう一つの理由は相手役へのセクシャルアピール度が低い、そういった理由で下ろされた。ガックリしたアンドリュースである。暫くは呆然とした日々を送った。

そこへ、ディズニープロダクションから「メリー・ポピンズ」の映画化にあたって出演依頼が来た。暫くは映画に出たくないと思っていたアンドリュースであったが結局は折れて、出演を承諾した。ところがナント主演女優賞を獲得したのである。

作品賞:「マイ・フェア・レディ」
監督賞:ジョージ・キューカー(マイ・フェア・レディ)
主演男優賞:レックス・ハリスン(マイ・フェア・レディ)
主演女優賞:ジュリー・アンドリュース(メリー・ポピンズ)
助演男優賞:ピーター・ユスティノフ(トプカピ)
助演女優賞:リラ・ケドロワ(その男ゾルバ)

この年のアカデミー賞がらみの話題作品は
「トプカピ」監督:ジュールス・ダッシン
「博士の異常な愛情」監督:スタンリー・キューブリック
「007/ゴールドフィンガー」
外国語映画賞:「昨日・今日・明日」ソフィア・ローレン

因みに日本映画キネマ旬報ベストワンは
「砂の女」監督:勅使河原宏

「マイ・フィア・レディ」のビデオを観る。

次回につづく


                         

* 上映作品の製作配給会社 * 参考文蔵版社
 M.C.M  集英社
 20C.FOX  講談社
 W.B  新潮社
 PARAMOUNT  中央公論新社
 CORAMBIA  創元社
 UNIVERSAL  白水社
 R.K.O  岩波書店
 U.A  秋田書店
 セルズニック  近代映画社
 東宝東和 ほか  キネマ旬報社 ほか  


会場写真撮影:橋本 曜
文責: 和田節子
HTML製作:和田 節子