神田雑学大学4月18日 161回講座



「私と落語とボランティア」


講師 山柳さんりゅう

目次

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講師プロフィール
はじめまして
やはり落語は
おなじみの「禁酒番屋」


山柳さんりゅうさん 講師プロフィル
素人落語家:ボランティアで老人ホーム、養護学校などの福祉施設で落語を演じている。
本業:行政関係の福祉業務に従事。平成15年4月よりケースワーカーとなる。

はじめまして。
山柳(やまやなぎ)さんりゅうと申します。
素人落語の中でも特に「さんりゅう」だと言われ、名前がすべてを表しております。母子家庭や老人ホームで落語を演じるボランティア落語家です。能書きはあとでゆっくりお話するとして、まずは落語を一席と思ったのですが、なにしろこちらは神田。落語は、お客様の方が私より詳しいんじゃないかと、ビクビクしております。寄席などが好きで時々行かれる方はいらっしゃいますか。ああ、さすが江戸です。大勢さまいらっしゃる。

江戸は神田から始まると言われますが、私は江戸っ子じゃないんです。田舎者ですが、血筋は、父までは江戸っ子でした。江戸っ子の父が、埼玉の公団住宅に住んでいて、私が生まれたから、ここから後は江戸っ子ではなくなった。私が20歳になって父親と酒を飲んだりすると、「何だおめえ田舎者め、俺は江戸っ子だぞ」というから「何言ってんだ。埼玉なんかに住みやがって、この貧乏人が」と冗談を交わしたものでした。

父親は、家では真面目な人でした。怒れば怖いし、仕事を家に持って帰るごく普通の勤め人でした。もう引退して、お蔭様で達者です。確か親戚の法事のとき、みんなで輪になって飲んでいると、親の友達などの話で若いときは、みんな馬鹿やっていたことを聞かされて、親父もそうだったんだと安心しました。

私は学校へ行っても、優等生でないほうのトップでしたから、何でこの物堅い親から俺のような者ができちゃったのかと思っていましたら、何と悪さもしたし、私と同じようなものだと判りまして、ああ親の友達は有難い、これは血筋だったのだと感謝しました。自分が親になったときは、家では真面目そうにしてればいいのだ…と思いましたが、そうはいきませんね。地は出るもんですよ。家でも真面目にしていられません。

幸い子供もいるんですが、食事時に手伝いで食卓に茶碗や箸などを並べても、私の分だけ出てきません。 ビールとコップだけで、父親というのはメシを食わないもんだと思っているらしい。 たまに子どもが早起きして朝飯の手伝いをすると、私の分はビールとコップだったりしています。 朝から飲むわけにも行かず、死ぬ思いで我慢しております。

山柳さんりゅうさん ●やはり落語は、お酒の話が多いようでして、長屋の熊さん、八つあんなどが出てきます。しかし、たまにはお侍さんも酒を飲みますから、これはあるご家中のお話。この家中、お殿様をはじめとして上役、下っ端に至るまでみんな、揃いもそろって酒飲みばっかり。もう酒の上での間違いが絶えない。

ある時、殿様が反省して「これでは遺憾なあ。わが藩でしくじりが多いのは、酒のせいである。酒はやめよう」「わが藩では酒を飲まんことにしよう。一同のものに禁酒を申し付けるぞ。余も酒を飲まん」と、殿様気まぐれで、とんでもないことを言い出した。家中のご家来集はびっくりしたが、どうせこんなものは最初だけだろうと、多寡くくっている。そこへ行くと、千代田区の路上禁煙、ポイ捨て禁止条例はよく持っている方ですね。

殿様の禁酒申渡しでも、飲んべえが我慢できるのは二三日でして、そのうち一杯くらいなら判んねえからいいだろうと、そうっと飲んで帰ってくるとか、懐に酒とっくりを隠して持って帰る。そのうち赤い顔して帰ってくる家来もいるから、「えっ。飲んで帰ってくる奴もいるじゃないか」と自分も飲む。一月もするとへべれけの酔っ払いも現れる。

「これは困ったな。殿の耳に入ったらタダでは済まんぞ」「どうしようか」
「門の所に番屋を作って、酒など持ち込まんように調べようではないか」
「それはよい考えだ」と、とうとう屋敷の門に番屋を作って、番人が詰めることになった。酔っ払った奴は中に入れない。酒は持ち込ませない。それは誰言うとなく禁酒番屋と名づけられ、さすがに、屋敷内に緊張の日々がしばらく続いたのであります。

「どうも、近藤様いらっしゃいませ」「やあ、無沙汰をして申し訳ない」「いやいや、ご無沙汰は近藤様でけではありません。お屋敷の皆様、すっかりお寄り戴けませんので…」「大変なことであったな。その方も商売あがったりであろう」「ほんとでございますよ。いつもは、手前は仲間うちで羨ましがられていたんですよ。何しろお屋敷に出入りしているだけで、ほかの店の三、四倍は御買い上げさせて戴いていたので有難いことでしたが、今度は禁酒番屋があり持込もできません。

商売がまるで出来ませんので、商売換えするか、引越しするかを考えているところでございます」「それは困るな。なんとか辛抱しろよ。何れまた飲めるようになるだろうから、そのときにその方の店がないとこちらが困る。何とか持ちこたえてくれい。今日は冷やかしにきたのではなく、一升買い求めて遣わす」「えっ。それは有難うございます。でもよろしいんですか。近藤様にお酒を売ったとお屋敷に知れると、手前どもがお小言を戴きます」

山柳さんりゅうさん 「そのような心配はするな。これまでも外で飲んでいるが、酔いを覚ましてから屋敷に帰っている。飲まずにいられるか。さ、一升を升に注いでくれ」と息もつかずに飲み干した。
「相変わらずお見事ですな。いやーお見事なの飲みっぷりで…」
「このように気楽なところで飲むのは、久しぶりじゃ。味が判らん。もう一升注いでくれ」

これも息をつかせず、飲み干す。「おかげを持ってよい心持になったぞ。有難いことじゃ。さて、近頃もって無心じゃが、久方ぶりに寝酒に一升用いたいと思う。夕景までに身どもが部屋に一升届けて貰いたい。いやいや、金に糸目はつけんから、頼む。持って参れ」

「冗談じゃありません。ここで召し上がって戴いているだけで、私は肝を冷やしているんでございます。それをお酒を持ってお屋敷に伺うなんてとんでもない。第一あの番屋がございます。酒を持ち込むなんてとても出来ません」「何を申すか。そこで頭を使うのが、あきんどであろう。こういう言い方をするのも何だが、金に糸目は付けん。夕景までに一升もって参れ。しかと申し付けたぞ」

「近藤様。近藤様。いい人なんだけど、ちょっと飲むと我侭になっちゃうんだ。え。夕景までに一升持ってこいだって。あの番屋を誤魔化して持っていけるわけはないし、困ったな」「もっと酔っ払っているなら、そんなお話承っておりませんと言えるのだが、二升のんだばかりで忘れてしまう方でもないし、どうしようか。番頭さん」

「旦那様。さっきからぶつぶつおかしいですよ」「いや。近藤様がね。久しぶりのお寄りになって、二升お飲みになってから我侭になり、夕方までにお屋敷に寝酒にするから一升届けろとおっしゃるのだよ。あそこに番屋があるだろう。持っていけるわけがない。それで困っているのだよ」

「それは、奥で私も聞いていましたよ。金に糸目をつけない、頭を使えと言ってましたから、やりましょう。私が届けてきます」「簡単にいうけど出来るのかい」「頭を使えばいいんですよ。富吉町に大きい菓子屋があるでしょう。あそこに舶来の菓子で、何とかいう…そうそう、カステーラとかいう菓子を売り出したんですよ。表を通りかかりに見たら大きな箱に入っている、黄色いふわふわした菓子でした」

山柳さんりゅうさん 「カステラを買って、中身を出したら、あの箱は五合徳利二本が入りそうですから、あとは身なりを菓子屋から借りて、菓子屋でございますと言ったら番屋は通れるでしょう」「ああ、なるほどね。しかし、そんなにうまい具合に行くかな」「大丈夫でしょう。カステラの御代も近藤様から戴いて、お店のみんなで食べて仕舞えばいい」

と、気のきく奴が早速菓子屋へ飛んでカステラを買ってから、わけを話して前掛けも借りてきた。そのカステラの箱の中に五合徳利二本を入れて、水引をかける。前垂れをしめてすっかり菓子屋に成りすまして風呂敷に包むと番屋へ。「えー。お願いでございます」「通おーれ。何れへ参る」

「あの近藤様の小屋へ通ります」
「近藤氏の小屋とな。で何じゃその方は」
「手前、向こう横丁の菓子屋でございます。あのカステラのご注文で」
「ご同役。聞いたか。家中きっての大酒のみの近藤が、酒を止めた途端にカステラの注文とは…いや、世の中変われば変わるもんじゃ」

「なんじゃ。その方の持参しておるものは」
「ですから、ご注文のカステラでございます」
「うーむカステラか。ま通ってもよい…が、身共も役目の手前というものがある。一応取り調べんわけにいかない。ここへ出しなさい」

「さよでございますか。カステラなんですけど…・」
「一応調べる格好をするだけだ」
「そうですか…・一応お調べ戴いて……」
「水引がかかっておるな。これは進物か」
「水引が皺になると、私が怒られますんで…」

山柳さんりゅうさん 「あの近藤がカステラなんど食うわけがない。しかし、進物ならいいか。ん、進物ならかまわんぞ」「え、かまいませんか。大丈夫でございます。ありがとうございます。いくら何でも、カステラの箱の中に五合徳利二本入れて、酒屋が菓子屋の前掛けをかけて持ってくるなんて、そんな馬鹿なことは御座いませんからどうぞご安心下さいませ」

「どっこいしょ」「待てえ!」「もう一度出せえ。その方いま妙なことを申したな。何?カステラの箱の中に五合徳利を二本入れて、酒屋が菓子屋の前掛けをして持ってくる訳はないだと。そして最後にその方包みを持ち上げるとき、どっこいしょと力を入れたな。カステラとは、そのように重い物ではない筈じゃ。怪しい奴め。もう一度調べるから、ここへ出せえ」

「え、う、う、う水引が…・」「水引など構わん。これへ出せ。重さがまるで違う。控えておれ。調べてカステラなら構わない。嘘偽りを申すと、その分には捨て置かんぞ」「……・・」
「水引はほどく。嘘偽りを申すなら、その分には捨ておかん――ぞ。ん何じゃこの徳利は」
「ハイ。ウ。ソノ……徳利で御座います」
「それは判っておる。その方カステラだと申したではないか。徳利に入るカステラなどある筈がない」

「今度出来たんで…・手前ども新発売の徳利に入ったカステラで・…水カステラで」
「ウーム。控えておれ。水カステラなら構わん。しかし、偽りを申したらその分には捨て置かんぞ。…・役目の手前じゃ。一応は取り調べる。門番、湯飲みを持って参れ。いや大きい方がいいぞ。控えておれ。調べて中身がカステラであれば、そのまま下げ渡す。偽りを申すときには、その分には捨て置かん」

「控えておれ。水カステラであれば、すぐ下げ渡す。……・・控えておれ、調べはこれからじゃ。ウーム、水カステラ―――か。控えておれ。水カステラのようでもあるな。調べがつかんぞ、まだ。ご同役。ウ――ム、水カステラでござる」

「良いところに気がついた。一人では調べがつかん。これが水カステラなら構わない。控えておれ。偽りを申すなよ。アー、水カステラか。う、控えておれ。調べはこれからじゃ」
「コラ!かようなカステラがあるか。この偽り者め。棒縛りにしてくれようぞ」
「ウワー、ごめんなさいー」

「行ってきました」「何だ。転がるように帰ってきたな。どうしたい。うまく行ったか」
「最初、番屋へ行って菓子屋でございます。カステラのご注文で…と申したら、一応調べるというので、水引がかかっているご進物用ですと答えました。すると進物なら構わないというので、そこまではうまく行ったと思ったんですがね」

山柳さんりゅうさん 「それでどうした」「ちょっと余計なことを言ったような気がするんです。心配しなくてもカステラの箱の中に徳利が入っていて、酒屋が菓子屋のなりで酒を持ってくるようなことはありませんと言ったのか、言わなかったのか」「それあ、私が酒屋でございますといっているようなもんじゃないか。それで」

「つい、持つときにどっこいしょと力が入っちゃったら、怪しい奴と、取り上げられてしまいましてね、水引をといたら徳利が二本出てきちゃったのですよ。それで怒られて、何だこれはというので、手前ども新発売の水カステラでございますと答えました」

「何。それで二人の番人に、大きな湯飲み茶碗で散々飲まれたってわけか」
「その通りで。この偽り者め。棒縛りにするというので、一目散に逃げ帰りました」
「そうだろ、後で近藤様に謝るよ」
「番頭さん。そんなことじゃ駄目。あたしに行かして下さい。菓子屋に化けて、カステラの箱に入れて…そんなせこい事をするから駄目なんですよ。あたしに行かせて下されば、一升徳利をぶら下げて番屋の前を通ってきますから」

「あんなにうまく菓子屋に化けて捕まったのだから、そんなことが出来るわけないでしょう」「私今度は、油屋に化けていきます。きれいな油徳利に酒を入れて、周りに油を塗りたくって、油だらけの頬かぶりをして行けば大丈夫です。こそこそするからいけない」と、今度は油屋に化けて、一升徳利をぶら下げて

「お願いでございます」
「通お―れ、何れへ参る」
「近藤様のお小屋へ通ります」
「何?近藤氏の小屋へとな。ご同役、また参ったぞ」
「で、何だ。その方の持参したる物は」

「えー。私は油屋でございまして、持っているものは油でございます」
「油屋が近藤氏へ油を届けようとするのか」
「え。油のご注文で。通ってもよろしゅうございますか」
「ううーーん。そのような油徳利を調べてもしょうがないな。しかし、役目の手前というものがある。一応は取り調べる。水カステラのこともあるしな。これへ出しなさい」

「汚れておりますよ。お手が汚れますんで」
「出しなさい。水カステラのこともある」
「そうですか。それではお願いいたします」
「手を離せ。控えておれ。油なら構わんのだ。すぐに済ます。嘘偽りを申すなら、その分には捨ておかんぞ」

山柳さんりゅうさん 「ご同役。今度は油だそうでござる。だが、手がぐちゃぐちゃになるな」
「手を出すな。控えておれ。油なら構わんのだ。う――む、油のようでもあるな。が、最前の水カステラと同じような味がするな。う―む油であるか?調べはこれからじゃ。どれどれ。油のような、よい油であるな。しかし、まだ油とは決まらんぞ。控えておれ」
「ご同役。今度は油でござる」「いや、それはそれは、かたじけない。いや自分でするから」

「調べはじっくりとする。控えておれ。偽りを申すときはその分には捨て置かん。こらっ!このような油があるものか。棒縛りにしてくれようぞ」「うわー。ごめんなさい」と、手代も番屋から逃げ帰る。

「ハハハ。ただいま帰りました」「どうだったい?」「うまく行きそうだったのですが、徳利をとられてからこの偽り者めと」「なんだ、また飲まれちゃったのかい。だから止めろと言ったんだよ、もうやめよう、近藤様に謝ればいいんだから。商いもないのに、これ以上損するわけにもいかないよ」「番頭さん。あとで謝ればいいってもんじゃないでしょう。悔しいじゃないですか。今度は私に行かせて下さいよ」

「止めようよ。こういうのを盗人に追い銭というんだ。損するだけだから止めた方がいい」
「大丈夫ですよ。今度は仇討ちでさあ。酒なんか持っていかないから絶対に損はしません」
「その、仇討ちというのはなんだい」
「悔しいじゃありませんか。二升も番屋の役人に飲まれちゃって、その上に偽り者とか言われちゃって。わたしゃ黙っていられないですよ」

「酒を持っていかないの」「今度はしょんべんを持っていきます」
「駄目だよ。そんなの持って行ったら、どんなに怒られることか」
「大丈夫。今度は徳利にしょんべんを入れて、しょんべんでございますと言って持っていくのですよ。飲むのは向こうの勝手でしょ」と、店の若い者が腹立ちまぎれに寄ってたかって、一升徳利に小便を仕込んで

「お願いでございます」「通お―れ。何れへ参る」「近藤様の小屋へ参ります」
「近藤氏の小屋か。ご同役、また参ったぞ。アッハハ。町人などと言う者は愚かなものぞ」

「油を後ろにしまって後でゆっくり・…。何だその方は」
「手前、向こう横丁の・…、向こう横丁の…何にしましょう」
「何じゃやと」
「向こう横丁の・・…しょんべん屋でございます」
「なに?ご同役。しょんべん屋とは聞いたことがござらんな」

「その方の持参しとるものは何じゃ」
「これは近藤様のご注文のしょんべんでして」
「何を申しておる。しょんべんを注文する奴がおるものか。しかし、役目の手前一応調べるから、これへ出しなさい」
「ハハハ、お調べ戴けますか。ハイどうぞ、ごゆっくり」

「一応は取り調べるぞ。役目の手前というものがあるからな、この徳利の中身が水カステラであろうと、はたまた油であろうと、例えば小便であろうと、調べないわけにはいかんのだ。控えておれ。小便ならすぐ下げ渡す。偽りを申すなら、その分には捨て置かんぞ。いうに事欠いて小便とな。ご同役、この度は燗をつけて参ったぞ」

「燗でよし、冷やでよし、そろそろ温かいのが欲しくなった頃だ。控えておれ。何を笑っておる。一応役目の手前だ。何がしょんべんだ。偽りにもほどがある。控えておれ。・・・・…大分泡だっておるな。燗をつけたら、そーっと持ち歩かないといかん。酒の気が飛んでしまう。・・…泡が邪魔だな。・・…目に染みるなこれは。燗のつけ過ぎでござろう。うわー!何じゃこれ。このような不埒なものを持参しおって!」

「ですから、私は最初から小便だと申しております」
「小便は判っておる。うわー!この正直者めが」

山柳さんりゅうさん ● おなじみの「禁酒番屋」。人間国宝の故柳家小さん師匠のもちネタでございました。小さん師匠のお侍は貫禄がありました。私ごときでも、こんなことをやっておりますと芸名が欲しくなります。そこで「山柳さんりゅう」と名乗っております。私、実は最初、ほんとの落語家になりたいと思った時期もあります。今こんなことになっておりますが、親が見たら泣くでしょうね。人様に笑われないようにと一生懸命育てたわが子が、好き好んで笑われようとしているのですから。ほんとに親不孝な息子であります。

ご存知の介護保険が3年前から始まりまして、あれから、私の出番が増えました。主に高齢者が集まっている施設で演ずることが多いのですが、週の決まった曜日に、和室でお弁当を食べて、お風呂に入って湯上りでのんびりした所で一席伺います。介護保険が始まってから日帰りのディサービスが増え、そういう所へ月に二三度呼んで戴いております。

私は、本職は勤め人ですが、そういう所は平日に呼ばれることが多いので、うっかりすると首になってしまいますから、そこそこにやらせて貰っています。私のモットーはボランティア。基本的にギャラを下さるところはお断りしております。予算があるのでしたらプロを呼んで下さいと申しております。その方が面白いです。

若手でも結構聞けます。落語には前座、二つ目、真打とあって、一応二つ目から上は個人営業が出来るようになっております。前座では自分が金を払っても話をしたいという人もおりますが、二つ目から上はノーギャラでは参りません。たとえ安くても、お金は戴きます。かたちはお車代、ご祝儀であっても同じです。

私は予算のないところなら、どんなところでも行きます。交通費も要りません。場所によってどんなボランティアの方でも、来て貰ったら千円とか、オレンジカード一枚とかを差し上げる決まりになっている所もありますから、断って却って困る場合にはあり難く頂戴します。基本的にはギャラ無しの活動をしております。

次に多いのは学校です。ここに寄席の「めくり」風の紙がありますが、月に一度、筑波大付属大塚養護学校へ参ります。ここは養護学校の児童と地域の子どもたちが一緒に遊ぶ場所があって、オヤツを食べる時間に子供にわかるような落語をやっております。そのとき用の「めくり」ですから落語に「らくご」と「やまやなぎ」にかなを振っております。

総合的学習という、学校独自になにをやってもいいという時間にも呼んで戴くこともあります。公立の学校は予算がありませんから、地域のお年よりで一芸に秀でた方を呼んで、昔遊びなどをやって貰っているようです。よかったら私を使ってください。これまで一番遠いのは軽井沢の老人センターでした。申し訳ないことに新幹線の指定席往復分の交通費を頂戴しました。自由席で往復しましたから、心ならずも儲かってしまいました。

そこを指して、ボランティア落語家なんて威張っております。ご承知のように、自ら喜んで奉仕することがボランティアであります。私の場合ボランティアの典型です。お客さんが嫌がっているのに、話す私が喜んでいる訳ですから。イヤなボランティアですね。お年寄りの施設の出演が多いですから感じるのですが、お客さんの方が落語に詳しい。

昭和20、30年代の落語黄金時代に寄席へ通いつめたという方のお話は、勉強になります。
しん生は、こうだったなどのお話は5回でも6回でもなさるので、時間があるときはほんとうに勉強になります。自分が寄席に通うようになった時は、三遊亭円生、林家正蔵、昇六などの全盛でした。それまではラジオでした。親が好きだったから一緒に聞きました。

受講生 「長屋の花見」などが、子供のころに大好きでした。先代三遊亭金馬、三代目金馬の話は絶品でした。私は埼玉県の生まれですが、父親の実家は練馬にありました。練馬のお爺ちゃん・おばあちゃんは私を猫可愛がりしてくれました。そのなじみのある練馬が「長屋の花見」の舞台です。大根のお香こを「かまぼこ」に見立てた後、「ね、大家さん、最近練馬へ行ってもかまばこの畑がなくなりましたね」と、練馬が出てくると子供心に嬉しかった。

判り易くて面白かった落語です。ところが、この話は最近通じなくなった。「かまぼこ」と「卵焼き」をなぜ、「大根」と「たくあん」にしなければならないかが、判らない。スーパーで買うと、下手すると「かまぼこ」より「大根」が高いこともある。ただ、「違う」ということの面白さしか判ってくれない。この落語の、「貧乏人のみじめさ」の裏にある面白さは、通じないんですね。したがって笑わせ所の使い方も、変わってくる。

お年寄りには判って貰えるので、若い人対象の場合と演じ分けを致します。こういうと何か偉そうですね。子供の頃から落語が好きでしたから、ほんとに落語家になりたかった。しかし、結論としてなれなかった。小学校時代は親の転勤で札幌におりました。入学と卒業が同じ学校で、間が抜けていたので「キセル」ですよ。

北海道弁はあまり訛りがないと言われます。これがいけなかった。東北や九州人は訛りがあると思うから一生懸命に直す努力をします。そして直るのです。私は訛りがないと思っていましたが、中学を卒業して落語家の弟子入りを志願したときに、「君は訛っているね」と言われた。「ぼく、訛ってないですよ」と懸命に言った言葉が、また訛っていた。

どのお師匠さんも「弟子になりたい」と弟子入り志願がいうと、最初は必ず「止めなさい」というのです。ある意味の根性ためしと、自分がしてきた苦労をさせたくないと二つの意味があると、あとで落語家の友人に聞いたことがありますが、私は座り込むほどの根性が足りない方でしたから、そう言われて、あっさり高校進学を決めてしまったのでした。

山柳さんりゅうさん 私は高校まで行けば、あとは遊んでいられると思ったのですが、今はその考えが大学から大学院にまで及んでいると聞いて驚きました。学校は行きたくなかったのですが、親も薦めるので、歩いていける県立高校へ進むことにしました。中学にはいい先輩がいて、朝のワイドショウにしばしば登場します。袋叩きされたこともあるくらいスゴイ先輩だった。

県立高校は新設でしたから、先輩はひとりもいない。そこだったら行ってもいいと一つだけ受けたら合格でした。無事に卒業できました。その頃にまた落語家志願をしましたが、今こうなっているわけですから、根性が無かったのですね。ただ、中学のときよりは落語志願が強かったので、今度はどんなに言われても大学へは行きませんでした。いや、受けても受かったかどうか。

「就職します。働きます」といって、学校を通じての就職も断りました。とにかく落語家になりたかった。ただ、落語家になれない間、家でごろごろしているのも悪いと思い、新聞広告を見て勤め先を探しました。立派な大企業でした。本社に名前だけの社長がいまして、実質仕切っている専務がいて、部長がいて、主任がいて、その次が私でした。

親元から通うのに遠すぎたので、練馬のおばあちゃんの近くにアパートを借り、そこから通勤しました。ただ、働きはじめてしまうと、寄席にも通ったりして落語家になりたい気持ちはあったのですが、日々の忙しさに紛れてしまうのですね。その頃、もうひとつの趣味、プロ野球日本ハムの応援団になりました。後楽園でやっても客が千人しか入らない人気チームでした。

ちょうど、優勝した大沢監督が酒樽に飛び込んだりした頃です。スポーツ新聞に出たその写真の後ろ方に私が写っていました。当時は客も少なかったから、優勝のビールかけあいに選手と一緒に参加できました。そんなことをやるためには、会社勤めの方が便利だなという頭があって、打算的な怠け者というか、楽な方楽な方へと進んでいきました。

そのあと、一度転職していますが、野球は夏しかありませんで、冬は暇になります。そこで、児童文学専門学院という学校へはいりました。童話や民話の研究をする訳ですが、その学校は福祉施設の餅つきなどのイベントの手伝いをするので、一緒にやるとこれが中々楽しい。体の不自由な人々が相手でした。

その頃は、素人相手に落語をすると、悪い癖がつくと思い、やりませんでした。それは正しい判断でしたが、いまは悪い癖の塊になっていまして、もう手遅れです。たとえば、イベントのとき司会などを引き受けたりすると、結構受けたりします。そこで、司会ボランティアをすることになったのが、ボランティアとの出会いであります。

20歳あたりから車椅子の方の一泊旅行介助などについて行ったりして、お客さんと話をすると、結構落語の好きな方がおられて、一度やって見て頂戴なんてことになる。ところが、落語は宴会芸にはならない。飲み食いをしていますから、お隣との会話が盛り上がって注いだり注がれたりで、話を聞いてくれません。そこで20分の話を3分くらいにして司会の合間にやったりしているうちに、落語とボランティアの関わりが出来たという訳です。

それから、日帰りのリクレーションで、落語を喋るようになったのですが、そうこうする内に、お年寄りの施設などで落語をするならこういう所がいいと、紹介されたり、仲間と一緒に行ったり、22、23歳の頃からその気になって喋るようになりました。そんな暮らしをしているうちに、変わった女が現れて25歳のとき結婚しました。

そうすると、もう本職になろうかという夢は遠くなってしまいます。そのまま、ずるずるとやっているうちに老人福祉が充実して来、介護保険制度が出来たりで、私の落語ボランティアの出番も増えて参りました。人間、二番目に好きなことを職業にすると一番幸せだと、よくいわれます。要するに、一番好きなことは趣味として取って置いたほうがいい。そういうことを考えると、私はいまとても幸せな状況にあるということでございます。この4月から、ケースワーカーの仕事につきます。では、もう一つご機嫌を伺って見たいと思います。

「お葬式」(後略)                             
終わり
                          

会場写真撮影:橋本 曜
文責: 三上 卓治
HTML製作:和田 節子