平成15613日(金)
神田雑学大学
166回講座


「アジアの民話で未来を拓く」

講師  野崎 斐子さん 大竹桂子さん


大竹 桂子さん

 皆さん今晩は。

 武蔵野市から参りました「むさしのスカーレット」の代表をしている大竹桂子でございます。1989年から6年間に渉って、武蔵野市はアジアの各国に女性親善使節団を派遣いたしました。また、その使節団は中国北京で行われたNGOの国際婦人会議にも出席をするなど、大いに民間外交に貢献した実績がございますが、「むさしのスカーレット」とは、それらに参加した女性市民によって8年前に結成されたクラブでございます。

 

 使節団に参加した女性たちが、自分たちがアジアでそれぞれ体験したことをベースに、よりグローバルな視点に立って、活動していくことを目的としております。今日のお話は

「お話部会」のリーダーである野崎斐子(のざきあやこ)さんが致します。野崎さんは大変積極的に活動しておりますが、この会の趣旨については後ほど野崎さんから詳しくご説明致します。

 明日、栃木県のココ・ファームワイナリーにバス見学に参ります。ココ・ファームワイナリーは、こころみ学園の知的障害者たちの、自立のための施設です。そこでは葡萄の栽培からワイン製造まで一貫して行っています。そのワインは、沖縄のサミットで乾杯に使われたほどの素晴らしい品質のものございます。その仕事を指導しておられる川田先生からお話を聞きながら、ワイン工場を見学致します。

 

 また、秋には山崎康子さんのトーク&コンサートを予定しております。トークの山崎さんは武蔵野市民で、事情があって家庭で育てられない子供たち50人を預かって生活をする「のぞみの家」の園長さんです。コンサートはアイルランド音楽の演奏家・守安功さん雅子さんご夫妻です。私たちの年間会費は2千円ですが、これだけのことがこの金額でできるのは、スカーレット会員のボランテイア精神のおかげでございます。

 

 今日の講師の野崎さんも、お話に使う大型絵本のカラーコピーなども会からは一切お金が出ないものですから、全部自前で奮闘中でございます。目で見て、耳で聞いて、心で感じるということが、子供たちの成長にとって大切なことであります。それを皆さんにちょっと味わって頂きたいと思っております。それでは、これから野崎さんにアジアの民話を主題に、お話をさせて戴きます。

野崎 斐子さんのお話

 

 こんばんは。

 私ども「アジアのお話の会」は、今紹介がありました「むさしのスカーレット」の中の一つの部会として活動をしております。「むさしのスカーレット」はアジアの各国への女性親善使節のメンバーがコアになって結成いたしましたが、自分たちの経験を何か市民に還元したいと願って色々な目的をもったグループを作っています。どのグループにも共通する目標は、アジアの隣人と学びあい、高めあうこと、市民として積極的に発言して行動して行こうということ、そして男女共同参画社会を目指して世界と繋がることです。「アジアのお話部会」はその中の一つで、「アジアのお話と武蔵野の子どもをつなぐこと」を活動の目標に掲げております。

 

 お話の前に、なぜこのような活動を始めたかについて話させていただきます。私がこの活動を始めてから約3年になります。以前、私は武蔵野市教育委員会の中で、日本の学校で学ぶ外国人の子どもとその家族に対応する「武蔵野市帰国外国人教育相談室」という長い名前の部署で10年間働いた経験があります。この仕事をはじめた当初は、「外国人と中国人」などという言い方をする人もいて、外国人というと欧米人を意味し、アジア人は「中国人」とか「韓国人」などと表現するような状況でした。

 

 それが、バブルのころから沢山の人々が海外に出かけるようになり、バブルがはじけてからは、また沢山の人々が海外から帰ってきました。この10年の間に人々の考え方は変わり、今は「外国人」と「中国人」「韓国人」を分けていう人はいなくなりました。しかし、私たちの中にいまだに、外国人とは、背が高くて鼻が高い、目が青いというイメージがあることは否定しがたいと思います。

 

 なぜそうなるのか。日本が開国してから現在に至るまでの長い期間の情報量が、つまり童話といえばアンデルセンであり、グリムである西欧ものが殆どで、アジアのものといえば孫悟空ぐらいしかないという偏ったものであったことが、感じ方に影響を与えているのではないでしょうか。私は「武蔵野市帰国外国人教育相談室」での10年間の仕事の集大成として、スカーレットの中で「アジアのお話部会」の活動を始めたいと思いました。メンバーの皆さんのご協力を得て、現在、順調に推移しております。

 

 これから世界に出て行く子どもたち、出て行かなくて国内にいる子どもたちも、これから国際化がどんどん進む中で、「外国人」は「こういう人」という固定観念に捉われているようでは、とても対応できなくなるのではないでしょうか。日本人の子どもたちのためにも、私たち自身のためにも、ぜひ「アジアのお話部会」の活動を進めていきたいと思っています。小さいときからバランスの取れた情報を子供たちに与えて、偏った世界観をもたない市民に育って欲しいものです。

 

 欧米の童話がたくさん翻訳されていること自体は素晴らしいことです。近頃まで私は、福沢諭吉の「脱亜入欧」ということもあって、欧米の童話がたくさん紹介されて、日本ではアジアの童話があまり翻訳されていないのではないかと思っていました。ところが、ある機会に読んだ本で、このことは、社会の中で子どもがどのように扱われてきたかに関わりがあることを知りました。

 

 欧米では、産業革命によって、比較的早く豊かな社会を創出したため、子どもは可愛いもの、学ぶものとして社会的に捉えられるようになったのですが、それ以前の18世紀までは子どもは労働力であって、蝶よ花よと育てられる存在ではありませんでした。工業化が始まって社会に余裕ができてから子どもは、大切にされるもの、可愛いがられるものになったといわれております。

 

 アジアは欧米先進国による長期の植民地時代が続き、大人も子どもも貧しい期間が長かった。大人が働くから子どもは勉強しなさいという環境ではなく、大人も子どもも懸命に働かなければ食べていけない社会だったのです。そういう状況がアジア諸国での童話の発達を遅らせたという風にも思えるのです。

 

 日本はアジアの端にある小さな島国です。ここから引越しするわけには参りませんから、私たちはこれからもずっとここに住み続けます。アジア各国と力を併せて仲良くしていかなければ日本の将来はないと、私は日頃から考えております。少し口幅ったいようですが、そういう意味からも、将来を生きる子どもたちがアジアの人々と相互理解がうまく進むような下地づくりのお手伝いをすることが、私たち大人の役目ではないかと思っております。

 

 IT時代は、瞬時に情報が世界中を駆け巡ります。このような時代に、アジア人とか欧米人とか区別していたのでは、日本人の将来はないと思うのです。このことを意識して、「何が私たちにできるか」を考えました。そして、最初に武蔵野市内の小中学校で図書購入の際の情報として、現在出版されているアジアの児童書がこれだけあるというリストの提供を始めました。

 

 洪水のように出版される児童書の中から、アジアのお話が小中学校の先生の目にとまることは難しい。私たちが出版社へ問い合わせて調査した「アジアのお話出版物情報」配布が、アジアのお話の購入につながると考え、出版社別のインデックスつきパンフレットにして各校に配っています。配布するタイミングも大切です。

 

 新しい図書を購入することを決めるのが5月ですから、4月末までに間に合うよう市内の18校に配ります。できれば校長先生にお目にかかって、自分たちの活動趣旨を聞いていただくようにしています。今年3年目になりますが、だんだん手ごたえがよくなり、大いに話が弾むようになりました。ある校長先生は、日本もアジアなんですから、日本の童話も読むようにいってくださいと私たちに言われたりしました。

 

 というような訳で、だんだん学校にも私たちの考えが浸透してきたように思います。最近、千代田区の先生からお電話を戴きました。「友人から聞いたのですが、武蔵野市ではアジアの童話出版物の資料を配っているようですけど、当校にも送って欲しい」という内容でした。すぐその日に、資料を送りました。私たちの活動も、武蔵野市から少し外へ広がっているようで、嬉しい限りです。

 

 私たちの活動内容は、3つに分けられます。第1は、出版情報を小中学校へ配布すること。第2は、アジア諸国から来て市内に隣人として住む方々から、子どもの頃に聞いたお話を語っていただき、それを聞き書きしたことを纏めて、将来出版したいという大きな望みを持っております。昨近、出版業界も厳しい状況ですから、私たちも出版費用を捻出するためにお金儲けをしなければならないと考えております。

 

 聞き取った各国のお話を出版することは最大の目的ですが、そのことによって、私たちもその方々の国の一面を理解することができるし、私たちの活動を知ってもらうことによって、その方たちも日本および日本人を理解して頂けるかなとも思うのです。いつかそれが形になる日が来ることを願いながら、夢を大きく持って楽しい交流を続けております。

 

 第3は読み聞かせ活動です。市内の小学校で「読み聞かせ活動」をしていることが判りましたので、私たちも参加することに致しました。朝の830分から45分までの短い時間ですが、一クラス単位の生徒を対象に読むことになりました。アジアの民話を知ってもらういいチャンスと思い、去年から学校にでかけております。

 

 子供たちも結構楽しく聞いてくれます。私たちも活動が広がったことで、勇気づけらております。ただ、読み聞かせの技術は未熟ですから、なるべく絵を使うようにしています。他の学校にも、自分たちの活動を紹介して、読み聞かせの機会があったら、ぜひ参加させてくださいとお願いをしているところです。そうしましたら、一昨日、千代田区の小学校の先生から、千代田区にも来て戴けますかという電話がありました。まあ私たちは出張しなければならないかしらと、ちょっと元気が出てきました。

 

 以上、3つのことを柱に私たちは活動して参りました。

 

 ここで、子どもたちが大半の時間を過ごす日本の学校について、私の感想を述べます。

私は、小さい時に父の仕事の関係で、色々な国を渡り歩いてきました。日本の学校は、かなり高いレベルの教育をしていると思います。日本では、どこの地域にいてもほぼ同じ内容の教育が受けられますが、世界中でこんな国は少ないです。

 

 アメリカでも、州の財政事情によって、今年は税収が足りないから音楽の授業がありませんという州もあるようです。それに較べて日本は、かなりいい教育をしていると思います。ヨーロッパ系の国や南米の国などでは、厳しく落第させる教育をしているのですが、教育の内容や先生の質が高い日本の教育は、全国均等な教育を受けられるという大きな利点があります。

 

 しかし、質の高い日本の教育は裏を返すと一つの弱点になります。日本の学校は、日本人の子どもだけだということです。いま、問題解決能力の向上を目指した総合的学習が話題になっておりますが、日本の学校のようにまったく同質の教育環境の中では、問題解決能力は育ち難いのではないでしょうか。

 

 色々な国の人々が日本に来て、私たちが望む形だけでない様々な人々と、どうやって暮らして行くかが問題解決能力に繋がるものと考えます。様々な国の人が来て、私たちの暮らしが根底から揺るがされることが起きるかも知れませんが、そこから得られものも沢山あるのではないでしょうか。子どもたちが将来ほかの国へ出て行っても、そこで逞しく生きられる力が得られるようになるかも知れない。

  

 私たちは、日本の国内の国際化ということを、前向きに受け止めて行きたいと思っております。相手を「外人」とか「外国人」と受け止めるのではなく、一人の人間として接していくことから問題解決が行われていきます。となりのミヤンマー人、向かいのモンゴル人とかではなく、隣のセレーさん、お向かいのスーチーさんと名前で呼びあうようになると、国際社会の中で自分をはっきりと打ち出していける私たちになれると思います。

 

 子どもたちには、ぜひとも世界の色々な文化に親しんでもらい、お話を通じて国際理解を進め、沢山の国々の子どもたちに学校に来てもらい、また沢山の言語に触れて欲しいと願っております。いま外国語といえば、まず英語を思い浮かべます。小学校でも英語教育を始めたところもあります。世界の中で英語が共通語のようになっています。しかし、言語はその背景に色濃く残る文化が反映されます。

 

 世界中が英語になると、それぞれの国の固有の文化が失われ、世界中が英語の考え方になってしまう恐れもあります。それも寂しい限りです。色々な文化と言葉は大切にしたいものです。英語だけなく、中国語、韓国語、スワヒリ語等々、少なくとも2カ国語以上を学ぶことによって、世界観がずいぶん違って参ります。ぜひ、子どもたちに幾つかの言葉を身につけて貰いたいと考えております。ちなみにブラジルでは、小学校で7カ国語を勉強します。

 

 アルファベットを使うので、漢字文化圏の日本人が習うよりは楽でしょうが、2カ国、あるいは3カ国語以上の言語を学ぶということは、たしかにその人の世界観を変えていきます。これからの子どもたちにぜひ勧めたい。その意味でも、これからご覧戴く絵本のお話をするときには、その国の言語の文字で書いてある絵本を見てもらうことが大切だと思います。

 

 タイ語とか、カンボジア語の文字を見ても、実際には読めません。しかし、その文字を見て、まったく縁のない文字だとは思わないで、まず親しんでみるということは、子どもに限らず、その方の世界がグーンと拓けてゆくことになります。ぜひ皆様にもトライして戴きたいと思います。

 

 では、前置きが長くなりましたが、パプアニューギニアの「魔女の火」から始めたいと思います。年配の方はご存知ですが、オーストラリアとインドネシアの間にある大きな島(日本の1.25倍。人口500万)で、ブーゲンビル島、ラバウル島などともに、第二次世界大戦では激しい戦闘が行われました。戦闘のあとの残骸が野ざらしのまま残っており、芭蕉ではありませんが、現在ののどかな風景に比べ「夢の跡」の感を深く致します。

 

 日本からは航空機で6時間半。キリスト教徒が多く、祖先崇拝の伝統があり精霊の島とも言われている。お祭りになると沢山の精霊たちが街に出てきて、わが国の「なまはげ」のように悪い子はいないかなど、怪異な姿で練り歩く。その中の一つの話と思って聞いてください。最初にケロンというカエルの人形が挨拶をします。

 

 カエルはアジアの民話にしばしば登場してきます。

国によって、いい動物であったり、ずる賢い動物であったり、冷たい動物であったり、色々な捉え方がありますが、南アジアには特にたくさん登場するようです。北のモンゴルのお話にさえ登場しますが、なぜか日本では出場の機会がありません。

ケロン「では今晩は。ぜひお話を聞いてくださいね」

『魔女の火』

 ずっとずっと昔には、火を持っている人は、少ししかいませんでした。南の方のブーゲンビルの島では、火を持っていたのは山のなかほどに住んでいる何人かの魔女たちだけでした。海のそばの村の人たちの方は、火がないので、食べるものを煮たり焼いたりできないし、寒い夜には「ううぅぅ寒い」と震えていなければなりませんでした。

 

そこで、村の人たちは火種を分けてもらいたいと、魔女たちのところへ何度も使いを出しました。けれども、魔女たちはどうしても火を分けてくれませんでした。そこで、村の人たちはいろいろ話し合ったすえに、村で一番利口な犬を呼んできました。そして、その犬に何とかして魔女たちの火を持ってきてくれと頼みました。

 

すると犬は、すぐ藪に飛び込んで、友だちを呼んできました。それは緑色の羽のオウム。長くてふさふさした尻尾をもっているクスクス。長〜い尻尾のカエル。そのころカエルには尻尾があったのです。そしてブタでした。犬はこのみんなに仕事を手伝って欲しいと頼みました。

 

 さて、犬はどうやって火を持ってくるか計画を立てました。そして魔女の住家へと続いている小道のあちこちに、このお仲間たちを待たせておくことにしたのです。まず、その小道の始まるところに高〜い木が一本ありますが、オウムは飛び上がって木の枝に止まりました。それから小道の中ほどまで行くと、川が道を横切って流れています。

 

その川のこちらの岸には、クスクスがいることにしました。そして、向こうの岸にはカエルがいることにしました。それから小道のおしまいあたり、魔女の住家のすぐ近くにはブタが待っていることになりました。それが済むと、犬は焚き火が燃えている匂いをかいで、クンクンクンクン、とうとう魔女たちがいるところに着きました。

 

それは寒〜い朝のことだったので、魔女たちは木の皮で作った上っ張りを着込んで、大きな焚き火の周りに座っていました。焚き火は明るく燃えて、本当に気持ちよさそうでした。

魔女たちは犬がそばに来ても、別に気にしませんでした。そして犬が火にあたらせて欲しいと頼むと、「ホラ、ホラ。こっちへおいで」と、火のそばへ寄らせてくれました。

 

 ところが、そのうち体が暖まってくると、魔女たちはいい気持ちになってだんだん眠たくなり、しまいにはみんな眠りこけて、いびきをかき始めました。「グワー、グワーグウーグウ」。そこで犬は、そーっと焚き火に近寄りました。そして燃えている焚き木を一本ひょいと口にくわえると、走り出しました。

 

魔女たちは、犬が走っていく足音を聞きつけて、パッと目を覚ましました。そして、犬が火を持って逃げたのを覚ると物凄く怒って、怒鳴りたてながら犬を追いかけました。

「やい、待てぇ犬め。火を持ち出すことは許さんぞー」。犬は夢中で逃げました。そして、やっとあの小道のところまで来ました。そこにはブタが待っていました。

 

犬は大急ぎで、燃えている焚き木をブタに渡すと、自分は藪の中に駆け込みました。そして、今度はブタが火のついた焚き木を口にくわえて、逃げていきました。「コラー。ブタめ。

火を持ち出すことは許さんぞ。待てぇ」。魔女たちは犬なんかほっておいて、ブタのあとを追いかけました。ブタはどんどん小道をかけ下って、「ブウブウブウブウ」川のそばまで

やって来ました。

 

 川のそばにはカエルが待っていました。ブタは燃えている焚き木をカエルの尻尾にくるっと結びつけます。自分は藪の中に逃げ込みました。カエルはセッセと川を泳いでいきました。それを見ると魔女たちは、皮で作った上っ張りを脱ぎ捨てて、ドボンと川に飛び込み、カエルを追いかけます。「ヤイヤイヤイ、カエル。お前の尻尾を引きちぎるぞ」。

 

でもカエルは捕まらずに向こう岸に着きました。けれどそこまできた時、火がカエルの尻尾に燃えついて、尻尾は焼け落ちてしまいました。だから、今ではカエルには尻尾がないのです。さてカエルが燃えている焚き木をクスクスに渡して、自分は水に飛び込んでしまうと、今度はクスクスが火を持って駆け出しました。

 

魔女たちは川から上がって、クスクスを追いかけました。「待てぇ。クスクス。お前の尻尾を引きちぎってやる。待てぇ」。クスクスは必死に走って、やっとオウムが止まっている高い木に着きました。でもクスクスが木に登りだした時、一人の魔女が追いついて「待てぇ。クスクス」とクスクスの尻尾を掴んだので、そこの毛だけが抜けてしまいました。

 

だから、今、クスクスの尻尾の先には毛がないのです。それでもクスクスは捕まらないでヒョロヒョロっと木を登っていきました。魔女たちがあんぐり口を開けているまに、クスクスはテッペンまで登りついて、火のついている焚き木をオウムに渡しました。オウムはそれをくちばしにくわえると、空に飛び立っていきました。ヒューッ ヒューッ。

 

 それを見ると、魔女たちは仕方がないと思って追いかけるのをあきらめました。

「あーぁあーぁ。行ってしまった」

オウムは茂っている森の木の上をパタパタ飛んで行きました。ヒューヒュー。海のそばの村を目指して早く、早くと急ぎました。ヒョウ ヒョウ ヒョウ。

 

でも、そうして飛んでいく間にくわえていた焚き木の火が、なんとオウムの胸の緑色の羽を焦がして赤くしてしまいました。だから、今このオウムの仲間は、胸が赤いのです。判りましたか?とうとうオウムが火を持ったまま、村まで来ると、みんなはどんなに喜んだことでしょう。

 

 「ありがとう。みんなありがとう」

これでみんなは、やっと火が使えるようになったのです。これからは、もう寒くて震えなくてもいいし、食べ物も煮ることもできるのです。

みんな乾いた木をいっぱい集めて、盛んに火を燃やしました。

 

 それから火を持ってきてくれた犬やオウム、クスクス、カエル、ブタたちを呼んで、みんなで楽しく、楽しくお祝いをしました。それからずーっとパプアニューギニアの人たちの家には、どこの家にも火があって、料理をしたり、暖まったりして、幸せにくらしましたとさ。

 

韓国の民話

 

 外国から来られた人々の中に、韓国からの子供たちが比較的多い。しかし、わが国の年齢の高い層の人々は、韓国人に対して特別の感情を抱いており、それが子供たちにまで伝わっているので、日本にいるときは非常に嫌な思いをして帰るのです。それでもオリンピックがあった後、特にワールドカップ・サッカーのあとは画期的に変わったと思います。

 

 スポーツの力は流石です。卓球を介して中国との国交が開けたし、ワールドカップでは日本と韓国が一緒に戦ったという点で、国民感情が大きく変わりました。国と国との交渉はもちろん大切ではありますが、私たちがやっているような草の根的なお付き合いの仕方が、結果的に国家間の外交にまで関わって行くのではないでしょうか。

 

 いま、韓国の児童書は、デザインも紙も印刷も、美しい本がたくさん出ております。韓国の若い画家は、非常に斬新な絵を描く人が多く、児童書に力を入れているようです。また韓国の現代の童話は、環境問題に非常に力を入れております。私は韓国語が読めないので、装丁の美しさに見とれるばかりですが、これから邦訳の絵本を読むことに致します。

 

『朝鮮の昔話』

 

「木陰にごろり」

 山を越え、また山を越えた山里に、それはのどかな村がありました。百姓たちは働き者で、みんな助け合いながら、仲良く暮らしていました。でも一つだけ、困ったことがありました。百姓たちに土地を貸している地主がとっても欲張りで、お米や麦などをどっさり横取りをすることです。その上、地主は暇さえあれば家の前の木陰に座って、百姓たちがしっかり働くように見張っていたのです。

 

 ある夏の日のことです。

心地よいそよ風に、地主はウトウト眠り始めました。汗びっしょりの百姓が一休みしようと木陰に入ろうとしたとたん、眠っていたはずの地主が目を覚まして、怒鳴りつけました。

「こらー!誰の許しを得てわしの木陰に入ろうとする」

 

「地主さま、ここはみんなが使う広場でございます」

「広場はそうでも、この木は違う。これはわしの爺さまが植えたものだから、この木陰もわしのものだ。入りたければ、木陰を買い取ってから入れ」

しかたなく、百姓たちはたくさんのお米や、かぼちゃ、ブタや鳥などを村中から集めて、

木陰を買い取りました。

 

 それから一月ほど経った夕方のことです。地主が外から帰ってくると、一人の百姓が門の前で、何とねっころがっていました。

「これぁ!誰の許しを得て、わしの門の前で寝ておる」

「地主さま。木陰がどこまで伸びているか、しっかり見てください。木陰は間違いなく私たちが買ったものでございます」

 

 たしかに木陰は、きっちりと門の前まで伸びていたので、地主は黙って中に入って行きました。それからまた一ヶ月ほど経った夕方のことです。地主が外から帰ってくると、今度は何と中庭で、三人の百姓が寝転がっていました。「こら!誰の許しを得て、わしの中庭で寝ておる」「地主さま。木陰がどこまで伸びているか、しっかり見てくだされ。木陰は間違いなく私たちが買ったものでございます」 たしかに木陰は、くっきりと中庭まで伸びていたので、また地主は黙って家の中に入って行きました。

 

 秋風が吹き始めたころのことです。地主の家ではご先祖様を供養するお祭りをすることになりました。肉に魚、お餅に煮付け、ともかく沢山のお供えものを作らなくてはなりません。親戚の人たちもやってきて、準備に大忙しです。ところが夕方になると、中庭に百姓たちが入り込んできて、一人がごろりん、二人がごろりん、三人がごろりんと寝っころがりました。

 

 そのうち木陰が板の間まで伸びて行くと、百姓たちは待っていたかのようにひょいと板の間にあがりこんで、一人がごろりん、二人がごろりん、三人がごろりんと寝っころがりはじめたのです。大変です。驚いた地主が飛んできて、「これぁ!誰の許しを得て、わしの板の間で寝ておる」「地主さま。木陰がどこまで伸びているか、しっかり見てくだされ」

 

 「なに?木陰じゃと」。慌てて地主が振り返ると、中庭いっぱいに百姓たちがごろりん、

ごろりん。こうなってはもうお祭りどころではありません。

「えぇ。飛んでもないものを売ってしまったー」。地主は頭を抱えて、そのまま地べたにへたりこんでしまいました。喜んだのは百姓たちです。みんな手をふり、足を上げ「やったぞ。やった。そーれ、そーれ」「やったぞ、やった。そーれそれ」

 

 親戚の人たちは、呆れかえって、みんな自分の家に帰ってしまいました。そうしている間に、木陰がごちそうの上まで伸びていきました。「あっ。俺たちの木陰にごちそうが入った」と言って百姓たちはごちそうを全部平らげてしまいました。

さて、地主は真夜中になって、「このままではご先祖さまに申し訳ない」。そう言ってごちそうを絵に描いてお供えしたということです。

終わり


(文責:三上卓治、写真撮影:橋本 曜、HTML制作:田口和男)