神田雑学大学 7月4日 講義




プロフィルhttp://www.geocities.jp/teruya1934/



白い壁に照り返す陽光、赤い闘牛士の容姿等のイメージで連想する太陽の国、スペインではあるが、北スペインは、このイメージとは対極にある気象条件、緑豊かで、雨多くグリーンベルトと呼ばれる地帯が、大西洋岸につならる。  

この地の突端ガリシア地方に建つ聖堂、サンチャゴ・コンボステラは、ヴァチカン、エレサレムと.共に、キリスト教三大聖地の一つに数えられ、フランス国内の諸都市を起点として築かれた巡礼の道は、今日なお徒歩での巡礼を志す人々が後を絶たない。スペイン国内900kmの行程を、バスを利しての巡礼にサンチヤゴ参りに思いを馳せる。(02.4.19 講師記)

 旅の足跡


スペインの首都マドリードにあるソフィア王妃芸術センターに展示されているパブロ・ピカソの代表作「ゲルニカ」 を鑑賞する。抽象的ではあるが、戦いの悲惨を訴えているのに触発されて、大西洋岸の小都市ゲルニカを訪れる。  

ゲルニカの木 1936年に始まったスペイン内戦、人民戦線とフランコとの争い、フランコ将軍派を加担したナチスドイツ軍は、 人民戦線派の拠点であるゲルニカを空爆した。ピカソの絵は、当時の惨状が描かれているが、訪れた町の印象は、 半世紀以上を経て壊滅から再建した町並みには萌える新鮮な息吹が感じられる。  

町の中央に建つ議事堂の庭に、古来からこの町の象徴として人々から敬われている「ゲルニカの木」 と呼ばれる樫の老木が保護されている (写真1)。  

このバスク地方は、19世紀まで住民に自治を与えられ、この木を囲んで人々は町の運営について討議した。 わが国も往時、各村に鎮守の森があり、住民の意思疎通の場として活用されていた歴史がある 。ともに木を愛する民としての親近感が湧く。

大西洋岸とアストウリアスの山並みの間に位置する北スペインは、スペインの広がる青空、 輝く太陽と明るいイメージとは裏腹に湿潤多雨で緑に覆われ車窓に入る風景に 、時として日本国内を旅しているかの錯覚に襲われる。    

フランスのパリ、ベズレー、アルルの諸都市を起点として築かれたサンチヤゴ・コンボステラヘの巡礼の道は、 スペイン国内に入り、大西洋岸にやや内陸ではあるが、平行する道として東西に走る。フランスとの国境ピレネー山脈を越え、 パンブローナ、ブルゴス、レオン等の町を経て目的地に達する。  イスラエルの聖都エルサレムで殉教した12使徒の1人、聖ヤコブの遺体は船でガルシアの地に運ばれ、埋葬された。 A・D813年、墓が発見され、聖堂が建立された。

ローマ法王庁は聖地としての指定を下し、以後エルサレム、ローマと並ぶ三大聖地の一つとなり、 今日でもこの聖地を詣でる巡礼者は跡が絶えない。(写真1ゲルニカの木)  聖堂建設期のイベリア半島は、 イスラム教徒が首都コルドバを中心に、半島の過半を手中に収め、キリスト教徒は北部山岳地帯から 大西洋岸に至る帯状地帯を死守していた。

この地帯に築かれた巡礼の道に、ヨーロッパ各地から訪れるキリスト教徒がスペインのキリスト教徒に 与えた同胞愛は、イスラム教徒から国土を奪還する、国土再征服運動の大きな活力となつた。    

緑に彩られたバスクの町ゲルニカを後にして、巡礼の道をパンプローナから辿る。パンプローナは 「チゴイネルワイゼン」の作曲で知られるパブロ・サラサーテ生誕の地である。

曲名はジプシーの旋律とも解されるように、ジプシーの多数居住している町で、 町の雰囲気もなんとはなく野性的で素朴な印象を受ける。    旧市街に建つカテドラルは、A・D1530年の建立で、様式はスペイン・ゴシック様式であるが、 前面道路が狭く、曲がっているために建物全体の景観を掌握できないのが残念だ。

フアサードは、後年バロックと新古典様式との折衷様式に改修されている。 内部に安置されているナバラ王カルロス三世と王妃の墓は、フランスの彫刻家ジャナン・ロムの作品であるが、 その彫刻はゴシックの 室内空間に不協和音を奏でる。  

カテドラルを出て喧喋の町を数分歩くと、市役所の出口前で新婚カップルを祝福する人の群に出会う。 役所で婚姻の届けを出し、正装したカップルは、花束を胸に記念撮影、4月の陽光を浴び一段と広場に熱気と迫力がみなぎる。   古代ローマ皇帝ボンベウスが築いた町パンプローナから離れて西南に120血、カステイヤ平原に羊の群が牧草を食む。
糸杉 平原に散在する寒村の一つにサント・ドミンゴ修道院がある。村の小さな教会といった感じの簡素な入り口を入ると、 中庭の中心に1本の糸杉が植わっている。その中庭を囲む回廊は、64本の対になつた列柱からなる2階建て 、11世紀に建立されサント・ドミンコ修道院回廊 たベネディクト派の修道院である (写真2)。 閑静な回廊を歩いていると、次第次第に異次元の世界に誘い込まれる。

「巡礼の姿のキリスト」等の彫刻も印象に残つたが、とりわけ聖ドミンゴの御遺体、臥像は果てゆく 人間の形をリアリズムに表現し、東南アジアの寺院で見かける、釈迦の涅槃像のやすらぎでない現世との 別れの対極にある人間の姿を見た。 かすかな音ではあるが、院内にテープから流されたグレゴリオ聖歌の調べは、ロマネスク建築の美の世界に虜にさせられる。 (写真3サント・ドミンコ聖人臥像)  

ドミンコ聖人臥像 巡礼の旅はブルゴスへと続く。この町は、中世期スペインの地をイスラム教徒から奪還した、 国土回復運動に大きな貢献をなした英雄エル・シ下の出生の地として知られている。 フランスの劇作家コルネイユの作品「ル・シッド」が彼の名を世界に広めた。

英雄エル・シドの霊眠るカテドラルは市の中央にある。天空を突き刺す尖塔は、フランス、 ドイツのゴシック様式の影響を多分に受け、聳えている。内部空間の装飾にも粋をこらした金細工が施された13の 礼拝堂を内包する。    

ブルゴスからレオンを経ての最終目的地サンチャゴ・コンボステラまでの距離は、336km残す。 今ここで少し脇道にそれて、大西洋岸サンタンデールの港町に出る。スペイン無敵艦隊がイギリスとの海戦で、 イギリス・プリマス沖で敗れた(A・D1588年)。

北海を迂回して、このサンタンデールの港に逃げ帰っ たことは、歴史上で大きな事件であるが、 今日イギリスのプリマスと日々フェリーが行き交い、EU内経済の活性化を促進していることに今昔の感がする。  

ガウディ奇想館 この港町の近郊、コミーリャスの地に建つアントニオ・ガウディの作品、ラ・カブリチョ(奇想館)は、 コミーリアス侯爵の邸宅の庭園の一隅に奇抜な形を顕している。(写真4ガウディの作品「ラ・カフリチョ(奇想館)」)  周辺ののどかな田園風景とは調和していないが、庭のベンチに腰掛けているガウディの彫像と出会うと、

思わず話しかけたくなる。  この町に隣接するサンティリヤーナ・デル・マルは石畳の歩道、石造りの壁、 屋根は木造、整然と軒を並べて建つ家々は木製のバルコニーが出て、小さな植木鉢が置かれ、 可愛い花が石と木で構成された空間に、絶妙なアクセントをつけている。

町全体が国定記念物の指定を受けている。その町のシンボルでもある聖人フリアナを祭る参事会教会は、 12世紀に建てられた典型的なロマネスク様式の建物である。町の中心にあるのか、教会内は信者や、観光客で雑然としている。  

18世紀に改修されたので回廊内に歴史のもつ威厳は感じられないが、 柱頭装飾はシロス修道院が怪物や抽象的な装飾であるのに対して、 この教会は聖書伝道にまつわる説話が彫られていて理解しやすい。  また元の道に戻り、レオンに入る。

レオンは、古代ローマ帝国がこの地方を統治していた時代、軍団の拠点が置かれた歴史ある町である。 この町に遺された建築として、ロマネスク期、サン・イシドロ教会、ゴシック期、カテドラル、そしてルネサンス期、 サン・マルコス修道院が挙げられる。 旧レオン王国は、今日のスペイン国形成の中核をなしている周知の事実であるが、 王国時代にはレオンが首都であった経緯もあり、ブルゴス、パンプローナにより町の概況が洗練された味わいがある。

三大建築物の中でも突出して名が知られるカテドラルは、フランス・ゴシックの聖堂の建物を基本として建てられ、 一日の時間によって受ける太陽光線の変化で、ステンドグラスの美しさが代わることで有名である。この建物を訪れる人々は、 光を求めてその光の中に身をつつみ、宗教心に浸る。概してロマネスクの建築は、壁面に多くのフレスコ画が描かれ、 その画を通じて聖書の伝道を信者に施した。    

ゴシック建築は、建築技術の発達、とりわけフライング・バットレスが考案、用いられるに及んで、窓面が広く取られ、 その窓面を美しいステンドグラスに聖書伝道の画が描かれて人々の心を魅了させた。 ゴシック建築のステンドグラスの美が覚めない間に、サン・イシドロ教会を訪れたのが災いして、太い柱、 ドーム状の天井に描かれたフレスコ画は、時代に遡った素朴さに印象づけられた。 

ベルネスガ河畔に建つサン・マルコス修道院は、典型的なルネサンス様式の建物で、 現在バラドール(高級ホテル)として使われているので、見学は外観のみである。 ゴシック建築の表現に真摯に天への強いあこがれからインパクトを受けるのに対して、 ルネサンス様式の修道院の、大地に悠然と構える表現に親近感がわく。  

レオンからサンチャゴヘの道は、ガリシヤ地方に入る。途中、アストルガにあるアントニオ・ガウディの作品、 司教館は一見城のような外観を見せ、その隣地に建つ15世紀に建てられたバロックのファサードをもつ 教会との様式上での奇妙なコントラストを感じる。  

高床式倉庫 ビヤンカ・デ・ビエルゾの聖堂騎士団の小さな町を過ぎると、道は山間に入り険しくなる。 緑彩る巡礼の道に相応しいガリシア地方の山道、年間の降雨量が多く、湿度が高い気候条件はオレオと呼ばれる この地方独特の高床式の穀物倉庫を作りだした。壁の板が堅羽目で、支柱と床との取合に鼠がえしが付けられて、 独自の景観を呈する。

(写真5 オレオ高床式倉庫) 車はエニシダの可愛い花に飾られた、つづら折りの道の、ようやくセプレイ峠に着く。車を下りると海抜1300m、季節は4月中旬でも風が吹き寒い。この峠は巡礼の道で最大の難所と言われ 、巡礼の途上、自然災害に苛まれて、命を落とした人は古の時代には数限りないと聞く。歳月を経て磨耗した標識、 巡礼路を示すホタテ貝の殻の印とサンチヤゴ聖堂に至るまでの距離、215kmと刻まれている。 

ケルト人の家 眼下を見下ろすと、山村 にはプレロマネスクの石積みの小さな教会に混在して、 乱石積みの壁に粗朶(そだ・木の小枝)葺き屋根の家が見える。この形式は、鉄器時代から存在する今日イングランド、 スコットランド、アイルランドに定住する民俗の祖であるケルト人の住居で、この地に今なお残るケルト人の遺産である。 (写真6ケルト人民家) ようやく道は下りにかかり日も傾き、まぶしい光線が車内に差し込む。やがてサンチヤゴ・コンボステラ近郊、 ゴソーの丘に着く。

遂に見えた。夕日を浴びた聖堂の雄姿。丘の上に立つ聖人ヤコブの青銅像に寄り添ってみた。昔の人々は、 歳月をかけて、徒歩で一途な信仰心から、聖堂参りの目的を果たした。車で辿った巡礼道は、一週間ではあり、 信仰心など持たない身ではあるが、この丘からの聖堂の景観は美しく感激する。サンチヤゴ・コンボステラは「 星の野の聖人ヤコブ」を意味する。

キリスト教の三大聖地であるが、エルサレム、ローマと異なり、この地はこの聖堂だけが孤高する。    1071年〜1152年にかけて、僧正ディエゴ・ペラーネスにより、当時最高のロマネスク建築として完成した。 その後、幾度となく増改築が繰り返されて、現在の正面入り口は、バロック様式に改修されているが、 聖堂内に導く栄光の門は、ロマネスク様式で創立当初の門が伝わる。

ヤコブ像 中央の柱の上部には、聖人ヤコプの姿、右手に巻物、左手に杖、周辺を黙示録に縁のある聖人の像が囲む。 内部中心にある金細工が施された祭壇は、大空間に高貴な輝きを放つ。地下へ階段で下りると、 聖ヤコブの棺が安置されている。(写真7聖人ヤコブ像)  祈りを捧げてオプラドイロ広場(スペイン広場)へと充実感に満たされてカテドラルを去る。 

スペインの北部地方は、巡礼の道に沿って、巡礼者 のために教会、修道院、救護施設等が数多く設けられて、 ロマネスク建築の様式が普及した。しかし、後年スペインの国力が盛大になり、国家の財政が豊かになると、 潤った資金を教会の建築保全のための増築改修に供した。国運栄える15〜16世紀、当時の建築様式、 バロック様式で成された。

アルハンプラ宮殿 その結果、ロマネスク様式、ゴシック様式の建築物にバロック様式が加わった混在様式が多くみられる 現状のスペインの建築の景観となつた。わが国でも日常問題となる建築物の文化財保護の問題を考えると、 再考を促された思いがする。    

旅行の際に携えていて読んだ堀田善衛氏の 「スペイン断章」(岩波新書)の について述べた章は、スペインの建築について趣深い。「このアルハンプラ宮殿ほどにもその系統性を 度外視した大建築物は、世に希であろうと思われる。赤褐色の外壁(中略)だけ見ていると気付かないが、 その内部は木筋モルタル建築である。(中略)

建物の芯は北アフリカのアトラス山脈やレバノン杉などであり、ある部分に石膏に穴をあけて、 その芯の柱を観客に見せているところがある。」(写真8アルハンプラ宮殿)  アルハンプラ宮殿をはじめとする南部スペインのイスラム建築は、 イスラムの威厳を西欧社会に放つテーマパークと見る。この指摘は、スペイン建築に対する人々の固定観念を根本から覆す。  

緑彩る巡礼の道、北スペインは建築的にも、また文明論の上でも、ともすれば見落とされがちな地帯であるが 、今回訪れてここに隠されていた歴史の教訓を受けた感銘は大きい。                  
終わり


写真提供:田中 瑛也
文責:田中 瑛也 
HTML製作:和田 節子