神田雑学大学 平成15年9月12日講義録



神田雑学大学講座181回
夢の自転車「トライク」

講師 工藤 敏之

講師 プロフィル

潟Aバンテク代表
1941年生まれ。北海道出身。ガソリンポンプメーカーのタツノメカトロニクスで36年間営業職。55歳の定年を待たずに退職し、97年「潟Aバンテク」を設立。ホンダの技術OBと6年間かけて開発した「パラレルリンクシステム」搭載の前2輪、後1輪のトライクを2002年5月から販売開始。

● 私は高校を卒業して、タツノメカトロニクスという機械メーカーで36年間営業を担 当していた。仕事柄海外に出る事が多かったため、外国から日本という国を見るチャンスがあって、定年を前に会社や仕事に疑問を感じることが多かった。あるとき、ホンダのOB二人と一杯やる機会があった。その席で彼らは「21世紀は環境問題なくしてありえない。これまで環境を汚す自動車を大量に作ってきた。公害の出ない、安全で21世紀に相応しい商品は出来ないだろうか」と話すのだった。

私はその話を聞きながら、熱い思い込がこみあげて来た。「よし、私の退職金でその未知なる乗り物を作ろうじゃないか」といってしまった。第2の人生を技術屋の二人に賭けたともいえる。しかし、これが苦労の始まりだった。 彼らはホンダの創世記を支えた男たちで、創業者の本田宗一郎に三角スケールで頭を叩かれ、物を投げられて、仕事をした。 どこに逃げても追いかけてくるので、何と最後には便所の中が彼等の仕事場だったという。そうやって体で覚えた彼等の技術屋魂と、 私がそれに負けない、諦めない根性を持ち続ければ形になるだろうと踏んだのである。

そして、いよいよトライクの技術開発が始まった。 技術はその二人が担当し、私が資金調達と販売を受け持った。 しかし、それはもう地獄をみた思いであった。日本のベンチャー企業はの99%はだめになっている。受け入れ態勢がまだ日本にはないし、せっかくの開発品も資金が続かなくて諦めてしまったケースが多い。とくに千葉県はベンチャー企業が育たないと言われている。 だからこそ、私は千葉県から世界に発信できる企業にしたい一念で、ここまで頑張ってきた。

最初は自転車を作ろうとして始めたわけではなかった。人力で走る新しい乗り物を作う・ 安全で環境に優しいオンリーワンの商品というのが課題だった。そして大量に作って大量に売ればいいというものではなく、ものの価値を理解して買って戴ける商品を作ろうとした。だからメーカーになるつもりはなく、自転車メーカーと組んで販売して行こうと考えていた。で、このプランを日本の自転車のトップメーカーに持ち込もうとしたら、「持ってこないでくれ」といわれた。

そのメーカーは過去に膨大な金を使って新しい商品を開発したけれど、訴訟の起きるよう な乗り物しかできなかったという苦い経験を持っていた。もう1社は、量産化して世の中に出すのに、5年から6年かかるという。 我々は5年も6年も塩水なめて生きていくわけにはいかない。また、この技術は自転車メーカーでは出来ないということも分かった。 だから我々がやるしかないと。そこからまた苦労がはじまった。自転車メーカーの技術常 識では、なぜ出来ないかというと、それは2輪車だったからだ。自転車は発明されてから200年の歴史があって、 日本に入ってきてからちょうど100年になるが、前1輪、後1輪の基本構造はまったく変わっていない。

ではトライクが今までの自転車と基本的にどこが違うか。 今までの自転車は、倒れる方向とは逆に体重をかけてバランスをとって乗る乗り物ですから、簡単に転倒する。トライクは前輪2輪、後輪が1輪の三輪自転車ですから倒れません。前2輪のバランスを保つ「パラレルリンクシステム」が基礎技術になっており、これは人間の骨盤の機能と一緒である。

「百聞は一見に如かず」実は、当社の二人の若者がトライクに乗って、新川からこちらに 向かっており、間もなく到着する予定である。私の下手な話をきくより、広いスペースがあれば乗って、この三輪自転車のすごさを味わって戴きたい。何しろ、この世界にないものを作ってしまったので、体験して知って戴くほかに方法はない。
ここで三輪自転車「トライク」が到着。中央区新川から漕いできたという若者たちの表情には、別段疲れた様子は見受けられない。一同、トライク二台を取り囲み、デザインや構造を仔細に検討する。この間10分間休憩。 PRビデオ上映。

人間は、骨盤でバランスを取っている。「パラレルリンクシステム」とは、骨盤と同じように、平行に揺れて高さを一定に保つ働きがあるシステムで、トライクは体重移動で乗る乗り物である。スキーと同じように、曲がる方向に体重をかけて乗ればいい。これまでの自転車は、曲がる方向、倒れる方向とは逆に体重をかけ、前に進むエネルギーを両サイトに振り、バランスを保ちながら進む。これに対してトライクは前を2輪で支えているから後ろのエネルギーを100%前に生かし、前に進む力が理想的に働く。

これが画期的な理由である。 だから、止まることも、ゆっくり走ることも自在。ゆっくり走れる乗り物というのは、 実は速く走れる乗り物だということが分かった。私の脚力で時速45km、最高は55km くらい出る。雪の上でも走ることができる。 千葉大学と共同で進めているが、来春には千倉町で貸し自転車のネットワークをつくって、滞在型観光のモデル事業を始める。トライクを高齢者用に扱いやすく改良するが、県の産業振興センターから補助金を戴くことになっている。

この事業は、ある意味での町おこしにもなる。"人に優しく、高齢者にも安全" でも価格が10万円―15万円と少し高い。いま自転車は5000円から10000円で買える。一般的には、自転車は子どもの時に練習する。練習しなかった人は乗れない。したがって 日本人の4割の人しか乗れないのである。ところがトライクなら乗れないと諦めていた人も乗れる。需要が倍もあることが見えてきた。

 自転車に乗れなかった人が乗れるということは、素晴らしいと思う。去年9月、千葉大付属養護学校の生徒さんが1ヶ月間実習にきて、シール貼りや簡単な組み立ての手伝いをしてくれたから、そのお礼に学校へトライクを2台持ち込んだ。最初先生は「57名の生徒のうち、自転車に乗れるのは3名―5名だから2台もいらない」という。でも置いてきた。すると、10日も経たないうちに先生から電話があって、「30名の生徒が乗れるようになった」。

実に嬉しかった。お父さん、お母さんも自分が乗れた以上に喜んで、わざわざ会社まで来てくれた。我々のトライクは人に感動を与える新しい乗り物である。だから、そういう意味で価値の判る人に乗って貰いたいと思う。それが私の企業理念でもある。 この仕事をはじめて、お客さんに教えられたことがたくさんある。サラリーマンの時は、お客様は神様という言葉はピンとこなかったが、自腹を切って苦労していると、よく分かるようになった。

3年前のこと、奥飛騨の国立聾唖学校の先生から電話がかかってきた。 「素晴らしい薬を作ってくれましたね」と。障害を持った子どもが風に当らない、汗をかかない、だから一つの言葉を教えるのに何ヶ月も費やす。聾唖者もトライクを練習して乗れるようになれば、汗をかいて風に当る、そうすると脳をすごく刺激する。今までの10倍から100倍早く言葉が教えられる。だから私の会社は素晴らしい"薬"を作ったといわれたのだ。

最初、トライクは若い人に買ってもらおう考えていた。ところが買ってくれたお客さんの80%以上は高齢者、およびこれまで自転車に縁のなかった人だった。お年寄りは歩くのが一番いいと言う説もあるが、歩くという運動は関節に100%荷重がかかる。しかも行動半径は限られる。ところが自転車はサドルに座ると関節にかかる負担は3割で済むし、行動半径はぐっと広がる。行動半径が広がって、風に当って汗をかくチャンスが多くなると、脳が 活性化する。

今年2月、日本一自転車が普及している静岡市で自転車のお祭りがあった。声がかかったので、参加料も払ってトライクを持っていった。30代の男性5人がトライクに試乗した。実はその方々は聾唖者だったが、私の手を握って「ありがとう」っていった。それを静岡市の職員が見ていたらしく、30分も経たないうちに市長が来て、来年から「トライク」コーナーを設けるから、毎年イベントに参加してしてくれと…。

地元の市川市でもそのようなイベントの計画があればいいのだが、それはまだない。商工振興課にお手伝いしてもらいないかと取り組んでいるところです。会社がある地域の習志野市では、危機的財政になっており、寝たきりのお年寄りがひとり増えると、市民税を納める市民が40名増えないとまかなえない。だから、寝たきりのお年寄りを増やさないためにも、元気な人は元気でいられるようにしようという動きがあり、トライクがそのお手伝いを出来ればと考えている。

千葉県外房に千倉町という町がある。昔は鯨捕りで有名だったところだが、鯨が捕れなくなって、いま住人はじいさん、ばあさんだけの高齢化の町である。浅井晋平写真館と料理の神様の神社があるだけだが、1年間を通して町の周りに花が咲いているという観光地になっている。国土交通省が自転車道路を整備して長期滞在型のリゾートにする計画だが、肝心の道路がボソボソ切れている。自転車道路は予算をつけて整備中であるが、我々のトライクが倒れ難いということが分かって、お年寄りがゆっくり走って観光できるような乗り物にしようと、千葉大と共同研究をしている。来年3月までにはモデルケースが出来る予定である。

このパラレルリンクシステムは、他ではできないオンリーワンの商品だから、これを如何にして世の中に認知させるかが問題である。 競争のない世界で市場をリードしたい。そこで特許申請は世界中に出している。既に特許がおりているのはアメリカと台湾、韓国。

11月までには中国、EU7カ国。日本は特許に時間がかかるから多分、最後になるのではないか。 開発からこれまで600台くらい売れた。全体を10と考えると、物づくりは2か3.あとの7、8はどうやってそれを世の中に出すかである。 パラレルリンクシステムが出来たとき、私はホッとしたが。しかし、売ることはその何倍も大変だってことは身をもって体験した。 家族にもずいぶん迷惑をかけてしまった。

今後電動式のものや、二人乗りのトライク計画もある。二人乗りで、前にお年寄りを乗せて走るとか。 元気なお年寄りは風に当たること、汗をかくことが必要だと思う。脳に刺激を与えるには自転車が一番いい。危険だからと、自転車に乗ることを止められた86歳のおじいさんが池袋から習志野までワゴンタクシーでやってきて、これは安全だとトライクを買ってタクシーに積み込み、窓から手を振りながら帰って行ったこともある。87歳くらいのおじいさんが買ってくれたトライクを届けに行ったら、家族全員が外で待っていてくれた。嬉しかったし、これには感動でした。

前段でお話したように、自転車が発明されて200年である。日本に紹介されて100年の歴史であるが、前輪後輪の2輪という基本構造は全く変わっていない。この自転車の歴史の中で、日本発の三輪自転車の情報が世界中に発信される日がまもなくやってくる。それは 9月28日、ハワイのホノルルで「センチュリーライド・2003」がある。今年22回目を迎える自転車のマラソン大会である。

いよいよスタート
 

ゴールまじか


ゴール


今年は、テロ、サーズ、イラク戦争の問題などがあってJALを含めた旅行業界は大きな減益となって苦戦した。 たまたまJALの次期社長と噂される役員の方が、ある機会にトライクに試乗されてから強い関心を持たれたことがきっかけで、 私がJALにトライクを2台持ち込むことになった。JALの役員の皆さんが交互に乗り回して、「これは面白い。格好もいい。 これをホノルルの自転車マラソンへ出したら、世界中のメディアが殺到するよ」。

この自転車マラソンには世界中から、総勢1,650人くらいの自転車野郎が集まるといわれている。日本からも650人ほどツアーに参加するそうだ。 ハワイの青い海を背景に、日本人が乗った前2輪のトライクが出場したら、世界中の注目を集めるにちがいない。 9月25日にスポーツタイプのトライク10台を積み込む。そのトライクにはJAL会長、次期社長候補、ホノルル支店長、スチュワデス8名が乗ることも決まっている。

 車社会が進めば、地球社会の破滅につながる。それはみんな知っていることだが、具体的にどうすればいいか方法が探せないでいる。もっと便利に、 もっと速くという限りない人間の進歩欲は止められないけれど、抑制することは知恵を使えばできる。 そういう意味でトライクは、私たちの際限ない科学文明への欲求を、身の丈スケールにもう一度戻すツールの一つになると思う。


  文 責  三上 卓治
会場撮影 橋本 曜
HTML制作 上野 治子