神田雑学大学 2003年11月21日 講義録

講師 元日本相撲協会 呼び出し 三郎さん

実技披露 両国相撲甚句会 工藤明幹事長ほか7人




目 次

(クリックすれば該当の項へ進みます。
ブラウザの「戻る」ボタンで目次に戻ります。)

講師紹介

「若乃花一代記」から盛り上がった甚句人気

相撲甚句 花尽くし

甚句の主題は多種多様

相撲甚句 ノミとシラミ

唄いもののいのちは母音の響き

相撲甚句「当地興行」

角界こぼれ話---質疑応答から




講師紹介

呼び出し三郎

本名 荒俣武雄。

昭和2年 富山県生まれ。

呼び出しとして28歳で日本相撲協会花籠部屋に入門。張りのある美声の呼び出しとして人気は高く、相撲甚句の絶妙な節回しは「三郎節」とはやされた。

平成4年、定年退職後は地元の両国甚句会をはじめ、全国の甚句同好者の会を回って相撲甚句の指導・普及に努めている。

●「若乃花一代記」から盛り上がった甚句人気

 三郎でございます。
相撲甚句への関心が高まって、声を出して唄ってみようという方が増えました。あちこちへ伺って相撲甚句を語り、実際に唄っておりますが、実は私自身、甚句を教わったことはないのです。相撲界には、お相撲さんのほかに、行司、呼び出し、床山さんなど、幾つかの職種がありますが、原則的にはどの職種もみな、この社会では、仕事は見て覚えろ、盗んで身に付けよということが伝統です。 私の甚句も、巡業の土俵や、いろんな集まりで、お相撲さんが唄う相撲甚句を聞き覚え、見覚えたものでございます。

 ところで、相撲甚句が世間の注目を集めるようになったのは、昭和38年、横綱初代若乃花(勝治)の引退・二子山襲名披露相撲で、「若乃花一代記」の見事な詞を呼び出し永男(のりお)さんが作り、私が唄ってからのことです。
以来、巡業で各地の地名、名物、人情風俗を織り込んだ相撲甚句永男さんが作詞し、私が唄って紹介するたびに、相撲好きの方々の耳になじんでいただき、土俵に漂う相撲の哀歓、力士の心情などが日本人の心に響き合って、こんにち、多くの人々に親しまれるようになってまいりました。

 そうなると、甚句を教えてほしいという方が増えました。ところが、聞いて覚えろの相撲界の唄ですから体系立った方法があるわけでなし、結局、私はこう考え、こういう発声をすることで自分の方法を編み出したということをお話しすることで、甚句を通じてお相撲さん社会と世間の方々を結ぶことができるよう、努めております。
楽譜もなければ、楽器もない。ドスコイ、ドスコイのかけ声だけを頼りに唄い上げてゆく相撲甚句は、単純であるだけ考えようによってはいろいろ工夫もできる、奥の深さもあるというわけです。

 相撲甚句の文句や詞は自分で作れます。実際、自分で甚句の詞を作って自分で唄う方もいらっしゃる。楽しみは広がろうというものです。
転勤祝い、新築祝い、誕生祝いなど、ネタは幾らでも転がっておりますね。 何はともあれ、相撲甚句を両国相撲甚句会の皆さんに唄ってもらいましょう。 前唄、本唄、後唄、囃子があることにご注意ください。

●相撲甚句 花尽くし


(かけ声)
アーァ ドスコイ ドスコイ
(前唄)
土俵のヤー 砂付け 男を磨き 
錦をヤー 飾りて 母待つ故郷(くに)へ

(後唄)
さらばヤー ここいらで 唄の節を変えて
今もヤー 変わらぬ 相撲取り甚句

(本唄)
ハーァーエー
花を集めて甚句に詠めばヨー
正月寿ぐ 福寿草
二月に咲くのは 梅の花
三月 桜や 四月 藤
五月 あやめに かきつばた
六月  牡丹に舞う蝶や
七月  野山に咲く萩の
八月 お盆で蓮の花 桔梗 苅萱 女郎花
冬は 水仙 玉椿

あまた名花のある中で 自慢でかかえた太鼓腹
繻子の締め込み 馬簾付き
雲州束ねの櫓鬢 清めの塩や化粧水
しこ踏み鳴らす土俵上
四つに組んだる雄々しさは
これぞ まことの 国の華ヨー

(囃子) 
ハーァ 
立てば芍薬 座れば牡丹
歩く姿は百合の花

近頃 世の中不景気で
土俵の上の関取衆
立てば借金 座れば家賃
歩く姿は質屋へ お使い お使い

  (会場 笑い)



●甚句の主題は多種多様

 地方巡業では、けいこ披露のあと、取り組みまでの間、また取り組みの合間にも飛び付き五人抜きや初っ切り、相撲甚句などをお客様のお目にかけるわけで、声自慢の若い力士が円陣を作って、相撲甚句を幾つも紹介します。

甚句には力士を花にたとえたこういう美しいものから、もっとくだけたユーモラスなもの、さらには色っぽいものまで多種多様にわたります。

 ユーモアに溢れたものとして、ノミとシラミを主人公にした甚句をご紹介しましょう。ノミもシラミも今の生活では縁遠くなりましたが、ここにお集まりの年配の方々、随分、お世話になったことでしょう。懐かしいというか……(会場 笑い) 。 学校の先生であるノミと、町内きっての色男であるシラミが立ち話をするという場面設定になっております。

●相撲甚句 ノミとシラミ

ハーァーエ
ちょいと出ましたお笑い話よ
ノミとシラミの立ち話
そこでノミめが言うことにゃ
わしは学校の先生で 読み方知らない子供でも
書き方知らない生徒でも わしが食い付きゃ かきたがる

そこでシラミが腹を立て
おれは天下の色男 どんな大家の娘でも
亭主と別れて十五年 どんなにお堅い後家さんも
わしが食い付きゃ ヨー ホホイ
帯を解くヨー

ハーァ 一罐 二罐はヤカンの手 鍋釜こするはおさんの手
白壁塗るのは左官の手 夜中に手を出すあんちゃんの手
その手を握ったら 黙っちょれ  黙っちょれ

     (会場 大爆笑 大拍手)
 厳しい勝負の世界に生き、本場所と巡業に明け暮れる男だけの生活の中で、甚句に唄われるこういうお色気やユーモアはひとときの息抜きでもありましょう。

もっとも、横綱の初代若乃花さんは「おれは出世が早かったから、甚句を覚える間がなかったヨ」と言って、もっぱら聞き役に回っておられました(笑い)。

●唄いもののいのちは母音の響き

 実際に声を出して相撲甚句を唄ってみましょう。
声を出すうえでいちばん大事なことは、母音を正確に、しっかり発声することです。ア、イ、ウ、エ、オの5種の音を母音といいますが、日本語は子音に母音がくっついて単語を作っているので、母音をきちんと発声すれば、言葉はそれだけ、はっきり、大きく、やわらかく、それでいて力強く聞こえるのです。落語、講談、朗読など、語り物の場合も同様でしょう。

 実はこれ、音声表現の専門家がそう言ったんですが、それを聞く以前に、私は甚句を自分流に身に付けていく段階で、母音の大切さを体験的に認識していきました。
口の開け方、音のつながりを考え、私はア、エ、イ、オ、ウと口を大きく開けて発声することが最も効果的だということ分かり、それに従って自分で実行し、人さまにもお勧めしています。

 声を出すときは思い切り口を開けましょう。家の戸締まりはきっちりしなければいけませんが、口の戸締まりは甚句の稽古ではまったく不要です(笑)。

(ここでアエイオウと続けて発声練習の実習)
相撲甚句の唄い出しは「ハーァー」で、この際、ア音の出し方が非常に重要な役割をします。この音に引っ張られるように後に続く母音、それにつながる言葉を正確に、やわらかく、大きく、美しく響かせるのです。

(両国甚句会員による実技紹介)

 アードスコイ、ドスコイという掛け声は相撲甚句の一大特徴で、甚句の唄い出しを導く大事な役割を持っています。何人で組んで唄おうと、それぞれの役割分担があって、それらがうまくつながり合うところに甚句を唄う楽しさ、面白さがあるのです。

(「相撲甚句・東京名所」を受講生一同実習)

 実習してお分かりかと思いますが、一つの節から次に移るとき、ともすれば音が下がります。ここで母音をはっきり発音することで、音は下がらず、次の節にスムーズに移っていくことができます。シャッキリと意味が立ち、唄って楽しく、聞いて美しい甚句になります。甚句は腹から声を出します。両国甚句会のご婦人連、入会当初肥っておられたが、甚句の声出しを始めてスマートにおなりになった。甚句にはこういう効用もございます(笑)。

さて、本場所と本場所の間、地方巡業に明け暮れるお相撲さん達は、巡業地、興行地を去るに当たって甚句で別れの挨拶をします。 両国甚句会も、雑学大学で皆さんになじんでいただいたお礼に、「甚句・当地興行」を唄ってご挨拶といたします。

●相撲甚句「当地興行」

当地興行も本日限りヨ 勧進元や世話人衆 ご見物なる皆様よ
いろいろお世話になりました
お名残惜しゅうは候えど 今日はお別れせにゃならぬ
我々立ったるその後は お家繁盛 町繁盛
悪い病の流行らぬよう 陰からお祈りいたします
これから我々一行は しばらく地方を巡業して
晴れの場所で出世して またのご縁があったなら 再び当地に参ります
その時ゃこれにまさりしご贔屓を
どうかひとえにヨー 願いますヨー

(囃子)

折角なじんだ皆様と 今日はお別れせにゃならぬ
いつまたどこで会えるやら それともこのまま会えぬやら
思えば涙が パラリ パラリと
(拍手 拍手 拍手)


◎ 角界こぼれ話……質疑応答から

●発声練習はどれぐらいやるのですか?

三郎 両国甚句会では準備運動として3〜5分間です。甚句に限らず声を出すものは、それだけの準備は必要だと思います。
それと忘れてならぬのは終わったあとにも、整理運動として1〜2分の発声をします。これが大事ですよ。

●相撲界各部屋の仕組みについて教えてください。

三郎 部屋はそれぞれ、親方、力士、行司、呼び出し、床山、そのほか若者頭などの職種の人で構成されます。
テレビなどでご覧になっていると思いますが、行司さんは土俵上の仕事のほかに、決まり手や顕彰の紹介などの場内放送をする、番付を書く、また所属部屋ではいろんな事務をこなす、いわば秘書的な業務をします。
呼び出しは土俵上の呼び出しが第一ですが、太鼓をたたくこと、それに本場所の土俵造りから、巡業、また部屋の稽古土俵造りの全責任を負います。ほかにこまごました日常業務に目配りをします。 床山さんはもっぱら力士の髪を扱いますが、ベテランの床山になると、髪を触るだけでその力士の体調まで分かるそうで、床山さんに「病院に行ったら……」と言われ、その言葉に従って病気を未然に防いだ力士の例は幾つもあるそうです。

●力士には番付がありますから上下関係は一目瞭然ですが、その他の職種の格付けはどういうことで?

三郎 それは入門順の登録によります。だから年少で入門した者が、年長で入門した者の上位にランクされていることは珍しいことではありません。
定年で上が辞めると、以下、順送りに繰り上がるのが原則です。

●三郎さんの場合はどうでした?

三郎 私が相撲界に入ったのは28歳の時だったんです。実は、富山にいた私は花籠親方から「呼び出しになる人を探してほしい」と頼まれました。そこであちこち当たってみたんですが、誰もみつからない。約束の日限がきた。「困ったなぁ。じゃあ、おれが行くか」、お袋にそういって、トランク一つを持って夜行列車で上京した。
花籠部屋に行きますと、だれも28歳が呼び出しになるとは思わない。越中富山の薬売りが来たと間違えられた(場内 爆笑)。

昭和30年10月11日のことでした。
28歳の呼び出しの新弟子なんて今後、出ないでしょうなぁ(笑)。ヒネた新弟子に、親方が「オイ、頼むよ」の一言。これで私の人生が決まったんです。
自分より十何歳も年下の呼び出しとしての先輩がたくさんいました。その人たちからどんなに無理を言われても「兄弟子はムリへんにげんこつ」。ハイハイと従うことで段々相撲社会に慣れていきました。

●角界は男だけで構成される社会だけにいろいろな珍談奇談が伝えられていると思いますが、その中から幾つかご紹介ください。

三郎 一晩かけても語り尽くせない程、逸話はありますが(笑)、皆さん御存知の立て行司ヒゲの伊之助さんの話をしましょうか。
昭和33年秋場所、栃錦北の洋戦の判定を巡り、検査役と対立、土俵をたたいて北の洋の勝ちを主張したが通らず、それがもとで引退を余儀なくされた硬骨の行司さんです。ヒゲがトレードマークでした。 風格も十分でしたがそそっかしいことでは古今、これほどの行司さんはあるまいと相撲界では伝説になっている名物行司さんです。
ある巡業で横綱どうし朝潮・栃錦戦を裁いて、勝った朝潮への勝ち名乗りが「栃錦イー」。巡業といえども結びの横綱戦の勝ち名乗りを立て行司が間違うなんて……と、場内がざわめきました。しかし、ここは行司伊之助、しまったというそぶりはいささかもみせず、続けておもむろに「に勝ったる朝潮!」。場内はこれでドッと沸きました。この機転、しみじみ感じ入った覚えがございます。

そそっかしい例としては「今、何時ですか」と聞かれ、ちゃんこの汁椀を左手に持ちながら左手首の腕時計を見ようとして中身を袴にぶちまけたり、目薬を注そうと上を向いて口を開けて、目薬を口に注してしまったりとか(爆笑)。そんなことが随分あったようです。時代離れしたエピソードをたくさん残されました。
時代離れといえば、頬から顎にかけての伊之助親方のヒゲは水戸黄門を思わせる威容がありましたが、ある年の九州場所でのこと。

和服でモンペ姿、杖をついて場所入りをしたところ、入り口の整理をしていた学生アルバイトが行司さんとは知らず「ダメだ、おじいちゃん、そこから入っちゃ」と咎めました。伊之助すっと背筋を伸ばして一言「余は式守伊之助である」(場内 大爆笑)。
相撲界の人多しといえども、「余」を自称したのは伊之助親方のほかには双葉山の師匠だった立浪弥右エ門だけだったと伝えられております(笑)。

●相撲甚句の話から角界の裏話など非常に楽しく伺いました。最後に、三郎さんにとって呼び出しというお仕事はどういうものでしたか?

三郎 相撲社会で過ごしてきて思いますのに、力士、行司、呼び出し、床山など、どの職種をとっても、土俵を「職場」だと思う人は居ないんじゃないでしょうか。
じゃぁ、何かと言うと、みんな相撲界を「修業の場」と捉えていると私は思います。辛抱して、修業して、一段一段上がっていくところが相撲世界なんです。 だからこそ、この世界には、昔から「辛抱する木に花が咲く」とか「辛抱する木に金がなる」という言葉があります。

辛いこと、苦しいことはあっても、それは修業には付きものです。
相撲甚句の前唄の「土俵の砂付け男を磨く」というのは、力士だけでなく、人間みんなの生き方の底に流れる大事な、大事なものを教えていると私は思い、その気持を多くの人に伝えたいと、甚句を唄い、相撲の心を伝えることに努めております。
相撲の世界で私は40年間、過ごさせていただきました。小さい体ながら、大きな仕事をさせて貰った。それに感謝する気持ちを込めて、相撲甚句を通じて一般の方に相撲を、相撲の世界を知って頂き、それによってわずかながらでも相撲界にご恩返しができればと願っております。
今日はいい機会を与えていただきました。ありがとうございます。

(拍手 拍手 拍手)
おわり

構成:神田雑学大学 阿部 宏

講座企画・運営:吉田源司
会場写真撮影:橋本 曜
HTML制作・編集:大野令治