神田雑学大学 2004年2月27日講義録 No.204

私の行く道・馬の銅像

講師 西村 修一

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目 次

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1.講師紹介

2.はじめに

ビデオ放映

銅像のスライド

エッセイ「馬耳東風」から




1.講師紹介

 西村さんは日本で一番大きい紙の販売店に昭和27年に入社後、経理の仕事を10年くらいされ、そのあと独立して自分で仕事を始められました。
 その紙の販売店に慶応大学体育部出身者がいて、「西村さんはオリンピックの馬術選手に選ばれたことがある凄い人だ」と言っていました。

 その西村さんが「最近馬の彫刻で素晴らしい活躍をされている」ということを小耳にしました。

 調べてみると大変なご活躍で、なおかつ「馬耳東風」というエッセイを出されており、これは読ませて戴くと素晴らしい文章の作品でした。何かの賞を受けるだけの価値があるご本と思います。(三上 卓治)

2.はじめに

 ただいまご紹介戴きました西村でございます。本日は神田雑学大学にお招き戴き有難うございました。私が紙屋にいたのは、只今ご紹介にありましたように約10年間くらいでした。私は東京オリンピックの馬術の強化選手になった関係もあって会社を辞め、自分で仕事を始めました。実はそれが私の人生の転換のはじまりで、いままでに2度ほど会社を整理しています。

 その関係で私の娘は、私のことを「パパ」とは言わずに「倒産とうちゃん」と言います。ですが実際には倒産している訳ではありません。実は私の名誉の為に一言申し上げますと、会社の内容が一番よく分かるのは社長な訳ですが、「これは整理した方が良いな」と思ったので整理をしました。そのとき社員は80名くらい、支店が7ヶ所ありました。社員は完全に全員再就職させました。お得意先を全部分けて、持参金付きで再就職させました。ですから、今でもその80名とは盆暮の付き合いとか、年末年始の挨拶は欠かさずにやっています。

 それ以来、私はいまだに何が本職なのか、全く分からずに仕事をやっています。今は大手会社の代理店をやりながら、彫刻をやったり、馬に乗ったり、月刊誌のエッセイなど書いたりしています。そうかと思うと、父がたいへん邦楽の趣味があったものですから、三味線に合わせて新内・常磐津・清元・都都逸・端唄・小唄などをやって、結構芸者に褒められたりもしました。

 それとまた、手術をしたものですから抹香臭くなり池上の本門寺さん――あそこは日蓮宗ですから辻説法を毎月やっています――でお坊さんが大体120〜130人入るのですが、お坊さんが半分くらい辻説法を行っています。そこでお坊さん相手に話をしたり、いろんなことをやっていますので、先ずは雑学に関しては相当経験を積んでいると自負しています。

 本日は自分の宣伝のようになるのですが、3年ほど前の70歳の「敬老の日」にビデオを撮りましたので、それをご覧戴き、そのあとに彫刻のスライドをご覧戴きたいと思います。こんな生き方をした男がいた、ということをご覧戴ければ幸いです。

ビデオ放映

ナレーター 4月、上野の森が新緑に萌え尽くされています。5日から21日にかけて、東京都美術館で日本彫刻会による第30回日彫展が開催されました。日本の彫刻を代表する数々の作品が出品されています。そのなかに馬術家でもあり、随筆家でもある西村修一さんの作品、「我、勝てり!」がありました。ゴールを駆け抜ける人と馬、その息遣いが伝わってきます。

西村修一  来年の春にはオープンする新潟競馬場のドームの中に、これともう1頭この四分の三馬身くらい前に出てゴール板を通過しているところの馬と2頭並べて3メートルくらいの銅像が置かれる筈です。その原型がここにあります。

ナレーター  西村修一さん、70歳。日本で最年長の現役の馬術家です。最も難度の高いグランプリ種目において、常に素晴らしい成績を挙げ続けています。しかも、8年前には心臓の大手術をなさっている、というのですから驚きです。
東京・田園調布にある西村さんのご自宅。西村さんは現在馬術家として、また馬の彫刻家として、更に随筆家として活躍を続けています。馬の彫刻を始めたきっかけについて伺ってみました。

西村 本格的に創(ハジ)めたのは7年くらい前からですけれど、心臓弁膜症で僧帽弁の、上下の弁が全部素っ飛んでしまい、馬に乗れなくなってしまいました。そのときドイツから買ってきた馬2頭がいました。その馬にどうしても乗りたかったのですが、手術はしなければならないことになって、手術をする前後、前が半年くらい、手術後がまた半年くらい息切れがするので、何もしなかった。しかし、私は昔から一度馬の像を作ってはみたい、とは思っていました。

 馬をドイツに買いに行きますと、ヨーロッパは馬の銅像があちこちいっぱいあります。ところが、彫刻として見ると、私は芸術家でないので解かりませんが、例えばドン・キホーテやジャンヌ・ダルクなどは馬に乗っていますが、また、ルイ14世などの彫刻・銅像もあります。人間はものすごく上手く出来ているような気がしますが馬がそぐわない。キチッと乗っていなく、座りが悪かったり、馬の足の出かたがおかしかったり、そのことがとても気になりました。

 私なら作れるのではないかと思ったことと、約50年以上馬のお世話になって、馬からいろんなことを学んできて、私なりに馬の美しさを自分でも分かってきたような気がする。そうしたら、私のような者でも、乗せてくれた馬に対して恩返しのつもりで、「馬ってこんなに美しいんだよ!」というのを、作れるのではないかという気がしました。
 それで「馬の銅像を造ろう!」という気になりました。

 最初は心棒で粘土を着けても、馬の足は細いですからクルクル回って蹄(ヒヅメ)が後ろ向きになってしまうこともありました。途方に暮れました。ところが棕櫚(シュロ)を巻きますとセットされます。それでやってみたのがここにある二つが最初の作品です。とても楽しかった。

ナレーター 西村さんはこれまでにも、いろいろなところから注文を受けて、馬の銅像を製作しています。1999年4月にオープンした兵庫県にある「三木ホースランドパーク」、3頭の馬が空中を跳んでいるダイナミックな作品。こちらは2頭の馬が寄り添い互いにブルーミングを交わしている戯れ。また、馬事公苑の入口にはフランスの馬術家フィリスの言葉を題材に刻んだ銅像が人々を迎えています。ホース・ギャラリーの中にも西村さんの彫刻がいくつも展示されています。
馬と少女を題材にした作品。この作品は第29回の日展に出品し、見事に入選をしています。「仲良し」と名づけられた愛犬と馬の彫刻、西村さんの馬と犬への深い愛情と熱い眼差しが感じられます。

西村 私は、いまは彫刻をするようになりましたが、絵が好きだった。小学校は田園調布小学校、それで絵を描いていました。
ナレーター 西村さんが学生時代アルバムの片隅に描いたデッサン、その中にも生まれながらにして備わっている、美術への優れた才能が読みとれます。

西村 私の母が私の描いた絵を持って、何とか言う芸大の先生のところへ行きました。「小学校は田園調布小学校ですが、この子を絵描きにしたらどうでしょうか」と相談に行きました。先生は私の描いた絵を観て、「大変器用だ、上手く描けている。ただ、模倣性が強すぎる。この子は!独創性が無いから、絵描きとしては出世しないだろう」と言われ、母はガッカリして帰って来ました。それで私は慶応の普通部に入りました。そうしたら馬術部があり、親戚のお兄さんが馬術部にいました。そんな関係で馬術部に入りました。

ナレーター 幼い頃から自宅前で親戚のお兄さんと馬に乗っていた西村さん。以来小学校、中学、高校、大学と乗り続け、なかでも学生時代には自由活発な障害競技を得意としました。

西村 「執った手綱に血が通う」という言葉がありますが、その執った手綱に血が通うときがあります。拳(コブシ)のところに。拳を伝わって手綱で口にいく、その血が通ったときの感じは何とも言えない感じです。それが障害にもあります。障害はそれがもっとシビアに感じます。前足でポ〜ン叩いて跳び上がり、後足で飛節が降りてきて、踏み込んできてパ〜ンと跳ね上がり、背骨が丸くなり、人間が「随伴」と言いますが、下につくと下から馬がパ〜ンと上がってくる、その弾道が何とも言えない気持ちが良いです。

ナレーター 優勝回数は全日本大会をはじめ国体競技など数えきれず、なかでも六段飛越競技において4回連続優勝を成し遂げたときには、日本スポーツ賞を受賞。当時の新聞に「これは技術が優秀であることはもちろん、天才的才能も無ければできないことである」と書かれています。馬に乗り続けて60数年、70歳になった今も、西村さんは毎日のように馬に乗りに出かけます。奥様に見送られ千葉県八街(ヤチマタ)にある乗馬クラブまで1時間半の道程を出かけます。

西村 一週間のうち4〜5回行かないと、馬とのコミュニケーションがとれないですね。行っても常に乗るかというとそうではなく、馬の身体のコンディションを見るときもあり、また、いっぱい乗るときもあり、10か15分くらいで止めるときもあります。馬の顔を見ていると気分が落ち着きます。

ナレーター 「MSGライディング・デビジョン」は健康づくりを目指す企業、MSGの一部門として6年前に創られました。趣味として乗馬を楽しむのではなく、競技会を目指す人たちのための、会員制の乗馬クラブです。西村さんが出場するのは、グランプリ及びグランプリの自由演技という、馬場馬術のなかでも最も難度の高い種目です。馬も乗り手も高度の技術と才能がなければ出場することができません。
大変な練習を重ねて、なお西村さんを馬術競技の現役であり続けさせるものは何なのでしょうか?

西村 例えば、ゴーギャンやゴッホなどは、止むに止まれずに描いているのではないかと思うのです。自分の血を油絵具の中に溶け込ませて、衝動的に描いているのではないかという気がします。馬に乗っていますと「衝動的にどうしても乗りたくなってしまう」という衝動に駆られます。「痴人の愛」という本がありますが、止むに止まれずのめりこんでいく、何が魅力かと言えばよく分からないのですが、いま乗っている馬は自分の胸の前から馬の平ッ首が出ているような気がする時があります。滅多にないことですが‥‥。大きく歩くし、まるで雲の上を大股で歩いているような感じがする時がたまにあります。その魅力が忘れられないですね。

ナレーター 1999年9月17日から19日にかけて山梨県小淵沢で第35回東日本馬場馬術大会が行われました。

西村 小学校の時から馬に乗り出して、自分で馬を持ち出したのが大学卒業してからで、それから14頭くらいになります。その中には学校の馬もいたし、乗馬クラブの馬もいました。

ナレーター 東日本大会に西村さんがエントリーしたのは3種目です。暑さのなかでの競技にも拘らず、1種目目は4位に入賞しました。今年4月の大会ではグランプリ及びグランプリの自由演技2種目優勝という快挙を遂げています。

 「どの分野にも才能がおありというか、ものを書かれたり、彫刻ですとか、勿論馬術も芸術ですから、すごく素敵なお父様ですよ!」(三好由里子・全日本トップライダー)


ナレーター 馬を題材とした「馬耳東風」というエッセイ集、西村さんは10年前から毎月月刊誌に書いたエッセイを3冊の本に纏めました。もうすぐ4冊目も出版の予定です。馬のこと、人生のこと、仏教的なことなど多くの示唆に富んだエッセイ集です。

西村 いろいろな事がありますが、「善因善果・悪因悪果」という言葉があります。善い行いをすれば必ず善い報いがきます。その代り、悪い行いをすれば悪い報いがきます。これは人間が生きていく上での真理だと思います。最も大事な真理が無くなってしまうと、「人間悪い事をしても善い結果が出てくる」ということになると、どうやって生きていいか分からない。「善因善果・悪因悪果」は人間が生きていく上で、絶対守らなければならない。それがあるから人間は生きていける。それを翻って考えると、では「善因」とは何であろうか?というと、馬の場合には馬にとっていい善因でなければならない。こちらが善因と思ってやっても、馬にとってそれが悪因であったら悪果で返ってきます。

人間の独(ヒト)り善(ヨ)がりで馬に「こんなにお前に尽くしているのに、なぜお前は俺にこんなに反抗するのか」と言ってもよく考えると、それは馬にとって善因では無かった、ということです。馬にとって人間が善いことさえしてやれば、必ず善い結果が返ってくる。それが真理と思います。それは人間に対しても同じです。「こんなに私が可愛がっているのに、子供が非行に走ってしまった」。これは子供にとって愛情――プラスの愛情もあれば、マイナスの愛情もある――「善い結果が出るような愛情を注いでやらないと善い結果は出てこない」ということをこの50年で学びました。だから「馬に憑かれて50年」ということにしています。

  それから次は、毎月エッセイを7〜8枚書いていますが、一つのものを捉えて風呂敷を拡げたら7〜8枚のうちにその風呂敷を閉じなければ結論が出てこない、一つのものに対して一生懸命考えて、言葉文章は一人歩きしますから、誰に読まれても恥ずかしくないよう勉強をしながら書いていって、「一つの言葉に対して結論を出していく」、ということをやる事によって自分がすごく勉強になる、それが生涯学習にもつながっていくのではないかと思います。

 どうしても偉そうなこと、仏教的なことも書きますから、「あんな偉そうなことを言っていながら、あんなことをした」と言われるのが癪ですから、つい自分で自分を縛り付けてしまう、「自縄自縛」、それが自分にエッセイを書かせて貰った効用ではないかと思います。

ナレーター 彫刻をなさっているときは、どんな気持ちで制作されているのでしょうか?

西村 人間は分からないのですが、馬を造っているときは楽しいです。触っていると馬の震えを感じたり、馬の鼻息がフッとかかってくる感じがしたり、自分の馬を触っていると同じような調子で他人のを触っていると、チラッと横目で見たり、そんな感じがするときがあります。大変楽しいです。

ナレーター ますます高齢化が進む日本、その時代をどう生きるベキか、西村さんに伺ってみました。

西村 いつも常に、「60歳の時に70歳になったときに履く草鞋を作っておきなさい」。60歳の時の人生の坂道と70歳の時の坂道とは険しさが違ってくる。険しい坂道を登るのに適した草鞋を作っておかないとダメ。70歳になってから「さあこれから草鞋を編もう」と思っても間に合わない。ですから60歳の時に70歳のときに履く草鞋を、趣味とかアソビを常に作っておき、頭に置きながら準備をしておけば、70歳の坂道が割合と楽にいけると思います。

「会社をリタイヤしました、これから私は第二の人生を歩こうと思います」というような挨拶文をよく手にします。それは違っているのではないかと思います。私に言わせると、第一の人生は「迷いの人生」、「煩悩の人生」及び「相対の人生」だと思います。これは人間として生きていく上で、避けられない人生で、常に迷いながら過ごす人生、煩悩が常に働く人生、それから何時も隣の人と比べながら生きていかなければならない人生、これが人間としての生きていく上での宿命の人生、これが第一の人生です。

それに対して第二の人生は、迷いに対して悟りの世界があります。煩悩に対して涅槃(ネハン)の世界があり、相対に対して絶対の世界があります。ですから、「悟りと涅槃と絶対の世界」というものが、第一の人生と並行して、生まれた時から常にあります。従って、第一の人生が終ってから第二の人生がやってくるのではなく、第一の人生と第二の人生が常に一緒になって並行していく気がします。

そういう世界を歩いて行くと、山本有三の「路傍の石」ではないが、たった一つの人生だから、より楽しく、より人間らしい生き方ができる。最初の第一の人生は動物的な人生、第二の人生は仏さまに近い悟りの人生、それを常に持っていれば良いという気がします。今日は敬老の日だから言うのではないですが、常に目を輝かせて生きる生き方、目を輝かせて生きた時間が長ければ長いほど、人生としてはあの人は長生きだなあ、と言えることができます。

90歳まで生きるのが100まで生きても何もそれは長生きではない。30歳で亡くなった石川啄木や樋口一葉など若くして亡くなった人が沢山います。だけどあの人たちは本当の長生きです。これは目を輝かせて人生を燃焼しつくした人たちだからです。それが本当の長生きではないかという気がします。 もう一つ最後に言わせてもらうと、去年の全日本選手権の時に、ベタージュさん――オランダのジャッジですが――世界一の馬を見るジャッジです。今度のオリンピックでも主任ジャッジを務めます。彼女が私の銅像を見て、抱きついてくれました。これは彫刻界ではあまり評判のよくなかった銅像ですが、それに抱きついてくれました。「西村さんってなかなか素晴らしい。馬を見ることを知っている」と言ってくれました。

私は一時期、「日本では馬の彫刻は評価してもらえないので駄目ではないか」と思ったのですが、世界一の馬を見る人がそう言ってくれて、「今度、世界大会などのときに自分たちも応援するから、是非個展を開きなさい」と言ってくれました。それでまたファイトを燃やして、丁度いま私は70歳ですけれど、よく「もう70歳」と言います。そうではなくて「まだ70歳」と言う人もいます。私は「やっと70歳」になった、「もう」ではなく「まだ」ではなく「やっと」70歳になったという気持ちで、これからまだ、心臓の手術をして日本でこの手術での生き残りの一人として、もう少し生かさせてもらって、「目を輝かせながら、やっと70歳になった」という気持ちでやっていきたいと思っています。
―――ビデオ放映おわり―――


銅像のスライドを西村さんのホームページからリンク

西村さんのホームページ

@兵庫県・園田競馬場にいれた銅像


銅像の除幕式に出席
記念事業のため大きなレースもありスポーツ新聞社の重役7社が来場
そこで現在兵庫県知事をされている井戸さんに紹介を受ける
   「夢を追って」というタイトル
この原型は美浦のトレーニングセンターにある

A新潟競馬場
日本にある競馬場で面積が一番広い1,000mの直線コース(コーナーワークが無い)を3年前につくる短距離用の馬が2頭競って走っていて、ゴール板を通過するところ

馬の銅像の製作過程

@デッサンしてから木組みを作り、粘土を付けていく。
A粘土を付け終ったものは切金(キリガネ)という薄い金属板をパラパラと周りを貼っていく。何故貼るかといえば、その上に石膏を吹きつけ、石膏を補強して取るときに金属の薄い板があるのでパカッと剥がれる。普通の馬で15型から20型のメス型の割り型が必要。
Bメス型の切金をパカッと剥がし、中の心棒や粘土を掻きだす。
C掻きだしたメス型の石膏の中にプラスチックを流し込む。回りの石膏のメス型を壊して取ると、プラスチックの馬が出てくる。これを今度は砂型で鋳物にする。中子(ナカゴ)といって馬の一回り小さな馬を、5ミリなら5ミリ、1センチなら1センチ小さい馬を砂で造って、その砂型の中に入れ込んで湯(銅の溶かしたもの)を流し込む。1頭の馬になると大きさも大きいので、湯を一気に流し込んでも、湯流れは途中では分からないので、全部流し込んでみないとショート(湯が万遍なくいき渡っていない状態)していないかどうかは、砂型を壊してみなければ分からない。壊してみて湯が全部に回っていない(ショートしている)と、また最初からやり直しになる。大変手間がかかるのと、固まる時に肉厚がバラツイテいると(5ミリのところが1センチあるとか)ヒケができ、穴が開いたりする場合がある。固まるときにガスが出るのでガス抜き穴を無数に開けて、ガスを抜いて製作する。頭は頭、胴体は胴体、尻尾は尻尾で別々に作って、溶接で繋げ色をつける。色は自由になる。緑青を吹かせたり、おはぐろ、赤など自由にできる。今は酸性雨が強いから酸性雨に強いような銅にして吹き上げていく。

普通鋳物ならひとつ造ってあれば何個でも出来ると思いがちですが、一つひとつ砂型から造っていかなければない。鋳物ひとつ作るのに鋳物屋で半年くらいかかので、結構時間を要する。最初造り出してからひとつの銅像を造り上げるまで1年くらいかかります。

(休憩)   (リライト  桑垣 俊宏)

西村修一 エッセイ「馬耳東風」から

 「一人の人間の生活や、その一生の運命をきめるのは、ほんの一瞬である」とゲーテは言っています。長い人生のうちには、まったく偶然の出来事によって今までの人生が一瞬にして大きく変ってしまったという経験をお持ちの方も少なくないと思います。ある日突然、目には見えない非常に大きな力によって、まったく思ってもみなかった幸運にめぐり会えたり、またはその逆に、想像もできないような不幸が身にふりかかるということもあるでしよう。

 1991年7月末の、なんともいえない蒸し暑い日の午後、家族の猛反対を押し切って出場した馬術競技大会で演技の途中、以前から悪かった心臓がついに耐えきれず「心房細動」というやっかいな発作にみまわれて、あやうく名誉の馬上死を遂げるところで、私の人生最大の楽しみともいえる乗馬も、当然のことながらドクター.アンド・ファミリー・ストップとなってしまいました。

 以来、乗馬クラブヘ自分の馬の顔を見に行くのも辛(つら) く、よい年をして失恋男よろしく悶々の毎日を送っておりましたが、それから約半月後、以前から仕事の合間を見つけて始めていた自己流の馬の彫塑が、まったくの偶然が幾重にも重なって、中央競馬会のある人の目にとまり、都内の公園の目抜き通りに面した所に、略等身大の馬の銅像を造らせていただくことになりました。

 そしておそらく私の造る銅像は、なにか特別な事情のない限り、何十年もいや百年以上も、その場所に立ち続け、想像もできないような大勢の人達に見られることになるのだと思った時、馬に乗ることのできなくなった今、今度は全身全霊をこめて決して悔いの残らない馬の像を造ってみようと決心しました。

 このように馬に乗れなくなって僅か半月で銅像造りの話が決まったことによって、私の人生は非常に大きく変りました。心臓弁膜症というやっかいな病気にかかったおかげで、彫塑の楽しさを味わい、今までとまったく違う世界の人達と知り合うことによって、一味違う美の世界を知り、またその心臓病の悪化によって、手術をよぎなくされた折にも、人工弁をつけさせられて半病人のまま、これから何十年続くかわからない人生を家族の厄介者として送るより、一個の人間として、より人間らしく生きたいと思い、私なりに仏教書を読み、心の整理をつけ、家族の同意も得て、あえて成功率の低い形成手術に挑戦することに覚悟を決めました。

 そして、手術前の検査のための入院生活のなかで、何人かの同じような心臓病の人達と出会い、「人間万事塞翁が馬」の例えの如く、それぞれの人の心の持ち方によって、まったく同じ環境や境遇にあっても喜んで生きようとする人と、まったく喜べない人がいることを知りました。喜べる人は喜べない人を気の毒に思い、反対に喜べない人は喜んで人生を送りたいと願う人を馬鹿だというでしょう。

 しかし私は今の境遇を、仏様から与えられた有難い試練と受けとめて、幸いにして手術か成功したら、新しく仏様からお預りする生命を大切にして、本当の意味での第二の人生を、決して後悔のないようにせいいっばい生きようと決心しました。

西村さんのホームページ
                         
おわり

編集:三上 卓治