神田雑学大学平成16年3月12日講義録

第206回 平成16年3月12日

講義名 「ホツマ伝 第二回」

講師 福持 貞考




「ホツマ伝第二話」の福持貞孝さんは、千代田区神保町の九段歯科医院長ですが、古古代史の「ホツマ伝」研究家とて著名です。 最近、ホツマ関連の出版物も増え、郷土史家、古文書愛好家に静かなるフームになっていますが、正統派と称する学者、 歴史家にとっては今だに「触れてはならない」禁忌であります。

しかし、「ホツマ」こそわが国の正しい歴史を伝えるものと、 詳しい資料をもとに福持先生は第二回目の講座を開設しました。

超古代文、スーパー古代というか、私は古々代文と呼んでいる。「ホツマツタヱ」漢訳で「真秀政情記」とある。 千代田区の九段社会教育会館で、神田雑学大学の二回目の講演をさせて頂いた。講演後記というか、 文章による「考記」を第一回講演後、『本の街』に記述させて頂いたので、三上理事長から、「二回目の解説文が出ると思っていたが」と、 大変有難く、関心を持っておられることに感激した。  

二回目の講演の最後で、会員のお一人が「ギリシア神話の時代に、日本にも皇族、民衆のロマンに満ちた文章が存在していることは 素精しいですね。 ギリシア神話以上に艶のある物語ですね。日本の古代ロマン神話を書いて下さいよ」と、楽しく理解して下さった。 私も、そうした現代人が共感できる「ホツマ」によるロマン文学が書けたらと切に思っている。 申し訳ない。寿命と才能がないので御期待に添えないかなと思うと残念である。

★世界の理解を超えた日本人の思考



日本の天地創造感覚から、近畿地方に輩出した王族のまとめとして、イザナギ、イザナミ(ナギは男性を示す、 ナミは女性のこと)の英明な天照大神の第一王子が、 日本統治の統領「スメラ」即ち「スメラビト」「皇」を宣言するまでの青春のロマンと、十三妃との葛藤とその中から、 内妃から正妃(マサヒメ)を選ぶ苦悩の時代、弟君「スサノオ」が内妃八人をかたらい、 兄の政権奪取への造反、そして、スサノオの追放、有力部族の娘八人の内妃の離脱と反政と鎮圧、そして、内妃の償いが、スサノオの恭順「ホツマ」には詳細に語られ、 記述されている。

天智天皇の弟、大海人皇子が大友皇子を拭逆した天皇家の汚辱の歴史「王申の乱」を経て、皇位につき、天武天皇を名乗り、 十二万語の歴史正書「ホツマ」を集約(実は分断)して、漢和語訳「古事記」を編纂するに至る。

そのため、日本人の心の原点ホツマの真意と事実は分断されて、 様々な歴史家、後世の学者の誤解と解釈が百家鳴動の如く乱立して、 日本人が「心のルーツと支え」をどこに求めてよいか迷走している。

天武天皇以後、より高度な文明社会を作りあげた中国の代表的教義、即ち、仏典、仏教が、現代で言う精緻な哲学的思考に満ちた仏教の日本渡来により、 いささか哲学的教義としては稚拙な神道と天道信仰宗教は、皇室と仏教の政治的支配権の確立のための浸透により、「ホツマ」という皇統の祖道と概念は閉され、 むしろ抹殺され、皇室により闇に葬られて、ホツマ法典、教典は古代に続き宮内庁により秘匿、秘蔵されてしまったのである。

それが、西暦1900年代初頭に、民間人の手で再発見され、神道郷土史の愛好者や民間郷土史家により、最近次々と出版物が刊行され、「源氏物語」ブームには及ばないが、 言語、文典、歴史解明に、国際的にも異常なインテリ度、知能指数の高い日本人の嗜好にマッチしたのか、日本の一部に多少のブームらしきものが発現している。

私は、私の遠祖が伊勢神宮、外宮(ソトミヤ)の祭神「卜ヨケ(豊受神)」であることもあり、日大法学部大学院の同期の友人の紹介で、ホツマ文典、天地人三部のほぼ当初より五年間、 中野区役所で高畠氏の講演会を受講している。やっと天の巻、地の巻を経て、人の巻後段を受講している。私は、ホツマが漢訳で「政傳」とあるように、 古代日本人に王や皇の「ノリ」、即ち、法典の法=ノリの普及の為の神典であるために、古代、王と皇のミコトノリ=法治教典の部分に多大な興味があり、 聖徳太子五箇条御誓文以前の古代王族の法的政治動勢、姿勢、政治志向の解明に法学的興味があるのである。

日本皇室の、仏教に対する政治的密着干三百年の中で、それ以前の干三百年の神道、天道、信仰が地方の村々に神社が残り、神道行事がからくもというより、 根強く残り、仏教施政の中で、日本文化の源流として温存されてきたこの強靭さと、日本人の柔軟な生活姿勢に驚きを持っているのである。日本人の生活規範としての神道。 死後の祭祀としての仏教。現今は天皇の政治発言さえもないが、つい五十年前は「天皇の勅語」一つで終戦、即ち敗戦を決断した。日本人の直感とまとまりは、 世界民族の理解を越えた日本人、日本民族思考であると思う。

★回教徒とキリスト教徒の十字軍の悲劇のひきずり

五千年の伝統文化をもつアラフ人、二千年の文化史をもつキリスト教徒、今なお激突して血を流している。日本が島国であったことが幸いしたとしても、 彼等が「王の王たる人」天皇をもたなかったことの悲劇が哀れである。縄文後期にアマテラスとスサノオ、オオクニヌシの政治的確執と造反があったにもかかわらず、 それぞれ異教をたてて国士を分割蟠踞しなくてよかったと思う。神武天皇の時代でも、シヤーマン信仰、土着信仰のあった部族が数多くいたのであるから、 古代皇族の天道への意思統一がなかったら、イランの部族、多信仰民族が残存し、ヒステリックなキリスト教徒、イスラ工ル、アラフアトの相剋の悲劇を日本人も共有していた筈である。

 「平和」と、日本人のいう「和」とはいささか次元が違う様に思える。 日本人の「アイマイ」の思考が奇妙で高度の「和」をもたらしていると思う。 アメリカの名誉市民である私は、アメリカ人のメカニックな思考が好きだが、一方でピストル思考を捨てきれないアメリカ国民が世界指導民族になりきれず、 国際的に「大恥をかいている姿」が哀れである。

さて、「親の心子知らず」「子の心親知らず」、イラクの日本人拉致一件落着で日本人がホッとしているが「国家」ないし「首相」を親と見立てれば、子は国民ということになる。 首相小泉氏が、「自衛隊のイラク派遣は国策である」と国会で発言した。「国策」とは、戦時中以宋、久し振りに聞いた「言葉」である。 国策とは「国是」のことであろうが、日本人の約半数がそれを「国是」と思っていない政治環境である。他国イラクに興味と関心をもった子の親が、 「政府、国民に税金の無駄遣いをさせた親達」ということで「負い目」をかぶり、責められている。庶民レベルですべての日本人は、「親の心子知らず」であろう。  

日本人から見たら「分らず屋の最たる国」北朝鮮、これまた「世界という親の心子知らず」であろう。万景峰号に物資を80トン積み、三百人の北朝鮮人の往来をみて、 不法な拉致をされた家族は「心が掻きむしられる思い」であろう。共産主義の親分、中国が、「北朝鮮」をかばい、 日本政府が「マァ、マァ」の姿は「やりきれない」 と思うは、私だけではないであろう。

イラク侵攻であんなに火傷をするなら、米国は現に「原爆準備国」北朝鮮の侵攻を先にした方が、 これほど「火傷」をしなかっただろうと思うことがある。断っておくが、文化の紹介者韓国北鮮民族は、私の尊敬る民族である。 彼等も又、祖国分割は高祖という「天皇家」を存続しなかった「ムクイ」である。  

ホツマ人に朗報である。今月の日経新聞文化で皇室や宮内庁、皇統派学者が偽書と決めつけいた数々の古文書、ホツマを含めて「義書」として再認識するという論旨であった。 朝五時、教育テレビの宗教問答で、五十寛之氏が仏教の慈悲心、概念をシリーズで語られているが、 尊敬する五木氏、司馬氏が知ってか知らずかホツマをさけて語っている。

小説に歴史検証をなさっているので、歴史の的を射てない掻痺感を覚える。例えば、空海が高野山に荘大な「神社を包容」している語っているが、 地元の人は、高野神社に最初に詣でないと「高野参り」でないと伝承しているのが事実。我が遠祖「夕カミムスビノカミ」が東征し、干五百人のハタレ・蛮族を高野に埋葬、天照大の命で霊山とし、 高野王の称号を賜った。仏教が天皇家の霊地を借用した山で、高野王が祭神である。




文 責:福持 定考(本の街6月号より転載 会場撮影:橋本 曜 HTML制作:上野 治子