神田雑学大学 2004年6月18日 講演録




 講師:笠川 晢

漆との出会い

 鎌倉に移り住み、子供時代から続けていた年賀状の木版画製作に輪をかける技術の要求される木彫の鎌倉彫に出合うことになりました。早速入門コースに飛び込むと、彫刻刀の研ぎ方から始まり、器胎の選択やら砥石の入手に飛び回る生活が始まりました。やがて彫り終わった作品を塗りに出し、完成したものが帰ってきました。

 漆塗りのなんと美しいこと。早速、自画自賛のうぬぼれに浸り、「これだ!」と膝を打ちました。それが漆塗りにのめりこむ更なるきっかけとなりました。そうこうしているうちに、漆は手に入るし、必要な道具を作ったり購入したり、塗るべく作品もたまり、塗り初めの機が熟してきました。

 しばらく、第一ステップをいかにクリアーするか悩んでいるとき、偶然に浅草橋の駅近くの漆器作業所で「ある動作」を目撃することが出来ました。輪島の漆器製作実演を、ひねもす見ていても発見することの出来なかった技が、いともたやすく目のあたりにすることが出来たのです。それは、「刷毛の始末」です。この業なくしては、塗りの作業に取り掛かることが出来ません。なぜならば、刷毛をその都度削りだしていては捗かどりません。高価なのなのでその都度削り直すわけにも行きません。
 以来、塗りの技術の向上と作品の美しさ、すなわち自分が何を表現したいかを念頭に置きつつ、試行錯誤を重ね、失敗につぐ失敗を経て、今日に至っております。

 私の考える漆塗というか漆器は、見た目や手に取ったとき「何を訴えているのか」、「何を表しているのか」、「美しい!と感じてもらえるだろうか」ということなのです。美しさには普遍性があります。自分で満足するためには、自分の製作能力以上に鑑識力が問われます。それが自分の作品に力を与えるのです。そして、満足することが出来るのです。そのため、他の人の作品、すなわち、漆器に限らず陶器にしても書画・骨董品さらにあらゆるジャンルの美を知り、評価できる必要があります。

 漆器の場合、完成に至るまで、どの段階でも手を抜いたり、基本をおろそかにすると、必ずその罰が与えられ、修復には、手抜きの幾総倍の手間がかかるということも、いやおう無しに知ることになりました。真似しても同じものにならないどころか、先達の足元にも及ばぬものとなり、かえって惨めになりました。

 これからお話させていただく内容は、学術的な裏づけがあるわけではありません。研究の成果を述べるものでもありません。はなはだ取り留めの無いものになります。経験と、失敗に基づくものと、工夫や創造の結果を述べるのであります。この機会を通じて、皆様が漆器や、それにまつわる故事来歴に関心を持っていただき、日本の伝統工芸全般に、関心を深めていただくきっかけになることが出来れば幸せに感じます。美しいと感じる心は気の持ちようで、さらに深化し、自分にとり好ましいものとして受け容れることが出来ます。また、美しさを求めるように前向きになるものです。こうした結果、日々の生活に漆器が取り入れられ、漆の美が身近にあり、それを喜び、いつも楽しむことができる、こんなことを願っております。

漆とは:

“Japan”という言葉は世界中の人の知る「漆」。すなわち、「美しいもの」を意味しています。ウルシ科に属する紅葉落葉樹の樹液が漆です。日本を始め、中国・ベトナム・タイなど東南アジアにひろく生育していて、生活の場で使われ、美しさと、その価値が人の心をひきつけてきたのです。

漆の特性:

 漆は自然・天然産品であり、人畜無害は歴史が証明しています。優れた性質を持っていて、塗膜は強靭であり、柔軟性を有し、科学的に安定しています。一旦乾燥すると、酸・アルカリ・塩分・アルコールなど、あらゆる科学的成分に強く、年月を経るに従い、透明性と光沢が増し、漆独特の深みがます
 また、塗り重ねができ、作者の意図する仕上がりに導くことが出来、美術・芸術性が高められるのです。つまり、研ぎ出しの技術、薄貝や金銀の板金や粉を用いて加飾する「蒔絵」・「螺鈿」・「彫漆」・色漆を用いた「漆絵」など限りない技法が可能になっています。

 物理的な性能として、強靭な接着力を指摘させていただきます。蜂の巣の付け根の黒い色をしたものは漆であり、自然の産物の接着力を本能的に生活に取り入れているのです。石器時代の先祖はやじりの石をウルシで軸に固定していることが古墳からの出土品から確認されています。

乾燥=固化:

 漆液は、ウルシオールを主成分とし、ラッカーゼ・ゴム質・含窒素物・水分などがエマルジョンの状態で構成されています。これらが渾然として、固化に携わるのです。最終的には巨大な高分子を構成することになるのです。固化の仕組みは、ウルシオールが酸化酵素ラッカーゼと空気中の水蒸気の手助けを得て、ウルシオールキノンなり、これがラッカーゼ高分子を構成し固化します。壮大な化学反応の結果が固化なのです。たとえば、洗濯物の乾きは水分の蒸発によるし、ペンキなど可塑剤が蒸散して、残った成分が皮膜を構成し、乾燥します。漆の場合はこれらとはことなります。
 漆の固化の場合、気温20度C、湿度80%という自然界の普通の条件で、理想的な固化が期待できます。

歴史:

 漆塗りの櫛や(福井県三方町・鳥浜貝塚 縄文前期)朱塗の琴(静岡県・登呂遺跡 弥生期)などが出土し、人類が漆をとっくの昔に生活に取り込んでいたことが証明されています。樹木から生産される漆は木材との合性・噛み付きが良く、生活用具の多くに漆塗りが施され、古くから密接なかかわりが築かれてきました。

 漆がはじめて文字として表されたのは、大化の改新(645年)の折に「漆部」という社会的地位が記されていることから始まります。その後、古事記・日本書紀・万葉集などいたるところに漆器(漆)が記述されています。
 平安末期ごろから、貴族専用の漆器が庶民の生活に広がってきたことも分かってきました。鎌倉時代、華美な漆芸は京の都に残し、鎌倉彫・根来塗り・春慶塗など、質実的な漆器が庶民の生活に浸透してきました。

漆について:

 漆は、「漆掻きさん」が、漆の木から採集することから始まります。芽が出てから、11年目の樹木(樹径約20cm)一本から200mlほど採取できます。入梅の頃から、11月までが採集時期であります。一人の漆掻きさんが6ヶ月休みなしに働き、約400本の木から約80kg採集することになります。現場渡しキロ2万円とすると160万円くらいの収入を得ることになります。
 国内総需要量は500トンと言われれています。国内産の生産量は5トン、すなわち1%ほどしか国産漆が生産されません。価格は、国内産(生正味)kgあたり10万円で輸入物(中国産)は8千円で、国産品は実に12倍もするのが現状です。

 採集したばかりの漆液を「荒味」と言います。これを漆掻きさんが精製業者などに引きすのです。生成の作業では、夾雑物(樹皮のかけら・水滴・虫など)を除去し、目的にあった性質を持たせるべく精製するのです。
 なやし(エマルジョンの均一化・光沢・肉のり・乾燥性の向上と自家発酵の抑制)くろめ(水分の除去・漆の粘調度増加と、透明度・艶・耐久性向上)を考えながら、時間と温度を調節し、生漆・透漆・黒漆・下塗・中塗・上塗などに仕上げます。

「生漆」は、木地に塗る下地用、摺仕上げ・艶出しに適しています。
「透漆」は木地(木目)が透けて見えるための透明度の高いものです。これに顔料を混ぜれば色漆となります。また、加飾のため金銀貝等の貼りつけのためのにもこの漆が使われます。
「黒漆」は唯一漆そのものの有する色漆で、鉄分を加え発色させます。安定した黒色となります。いわゆる漆黒かこれです。

用具と材料:

「漆」は、外気と遮断される容器に入れられています。アルミニュームのチューブに入ったものや、桶など使用量に応じた荷姿のものを求めることになります。使いきらなかった分は密閉して保存します。また、中塗りや特に仕上げ塗りの場合、含まれているごみを除去するため、漆を和紙で漉して使います。色漆の場合には、顔料が緊密になるよう良く混ぜ、漉します。こうしないと、塗ったときにむらになったり、ざらついたりして、始末に終えなくなります。

 「刷毛」は、漆の粘稠さに負けず、磨耗しにくいという条件を満たすために、人毛が使われます。漆で練り固め、周りを薄い板で保護してあります。芯を木の部分で守るという構造は鉛筆と似ています。芯が減れば削りだし、使用します。作業が済めば、菜種油などで、毛の部分に残っている漆を徹底的に除去しないと、次の作業では残っていた漆が個化していて、2度と使えません。

 「へら」は漆を練ったり下地付けや目止めなどに使います。弾力性のある檜・アテ・にれ・かえでなどの素材で作られます。削り方しだいで、作業に効率がはかどったりそうでなかったりするので、目的にあった腰の強さや先の形状に削らなければなりません。削りの技術的レベルは給金の判定基準だったそうです。

 「つく棒」は、ゴム製の吸盤状のものと、ホットメルトを用いた握りのものがあり、後者はアリ板にぶら下げることのできる構造になっています。

 「定盤」は絵を書くときに使うパレットと同じ機能のもの。「漆風呂」は、乾燥室。塗りの後、これに収納し、外気と遮断し、乾燥・固化させます。水分を行き渡らせるため、水道栓の設けたものもあります。

 「顔料」(天然石の粉末・弁柄・松煙・油煙ほか)・「貝類」(夜光貝・蝶貝・鮑貝)・「金銀粉・粒・板金」・「研ぎ炭」(朴炭・椿炭)・「サンドペーパー」(#400・1000・2000)「木炭」・「砥石」・「塗師小刀」(タンバ)、「濾紙」、「たわし」などが必要になります。

 さらには、蒔絵や平文、彫漆仕上げなどの仕上げにする場合、「置目刷毛」・「金切鋏」・「粉筒」・「真綿玉」・「彫刻刃」・「うすめ液」・「角粉」(つのこ)・「刻苧綿」・「との粉」も揃えなければなりません。

 かぶれ防止のための「ゴム手袋」や、漆が皮膚につぃたときその個所をふき取るための「片脳油」、かぶれてしまったら「リンデロンVクリーム」(シオノギ製薬)も準備しておかなければなりません。

塗りの技術:

 初めに漆を塗る器胎を手にして、先ず始めることは「木地調整」です。あらゆる場合必要と考えてください。サンドペーパーなどで、木地の表面を慣らし、手垢などを取り去る作業です。角張った部分などは、漆が薄くなりやすいので、面取りの要領で角を取ったほうが良いでしょう。最終的には、ペーパー(#400)で終了となります。

 「木地固め」は、あらかじめ、漆の層を器胎表面から内部に向かい浸透させ、層を組成することです。これは、表面の保護とその次の塗りに適した表面とするための下地つくりの作業です。

 「刻苧かい」は、表面に残っている轆轤作業の爪あとや節・ひび・凹みなどの修正作業のことです。漆・木粉・コクソ綿などを練り、それらの個所に充填します。刻苧の中心まで充分に乾燥・固化させ、周りと同じレベルになるよう研磨して終了です。一回で埋まらなければ繰り返しの作業となり、最終的に、傷や凹みが完全に埋まれば終了です。

 「布着せ」は、椀の縁や畳ずれの個所の補強と場合によっては布地が残って見えるようなアクセント付けのため、糊漆などで布を貼ることです。また、水分の多い料理などに用いる鉢などで、器胎を守るために鉢の底などに布を貼ることがあります。

 「地付け・地固め・さび付け」木目の夏目(柔らかい部分)のやせ(収縮による凹み)を出さないよう、また、それらを埋めるために、そして器胎の表面に強度を与えるために、粒子の小さい砂や粘土を漆に混ぜ、塗り重ねることです。この場合、へらなどを使うこともあります。

「地研ぎ・さび研ぎ」は地付け・さび付けの後を平滑に研ぐことです。
「下塗り」は最初の漆層を構成することです。
「中塗り」は下塗りに強度を与え、上塗りの下地になるための塗りです。
「塗りの仕上げ」には、塗りっぱなしと研ぎ出しの二法とその混合型があります。

 いずれにしても、中塗り以後使う漆は、丁寧に漉す必要があります。ごみなどが残っていたりすると、乾燥したときにそれが中心となり、周囲の漆を引き込み山を形成することになります。すると、次の作業のため表面を研ぐと、その部分にドーナツ状のくぼみが残り、痕跡を残すことになります。和紙を5重6重に重ね、2回3回と漉しごみを除去し、刷毛からもごみが出ないよう徹底的にごみを突き出さなければなりません。室内の空気中、床、衣服などの塵も対象に環境を整えなければなりません。

 「研ぎ」は毎回必ず次の塗りを重ねる前に行なわなければなりません。次の漆層とのかみつきをよくするためなのです。そして、刷毛目などを消すことも研ぎの段階で考慮しなければなりません。水研ぎと言って、水で洗い流しながら研ぎ、研ぎかすは徹底的に水で洗い流します。

 「胴ずり・摺りうるし」は、上塗りの研ぎの段階でつけられた微小な傷を漆で埋めることです。毛羽立たないコットン玉などで、生漆を摺りこみ、傷を埋めることです。摺りこんだ後は、すぐに和紙などで拭い去り、新しい漆の層は限りなく薄く残る程度にとどめます。これを数回繰り返すと鏡面のような輝きと平面を持った仕上がりになります。

 「塗りっぱなし」はもっとも手間のかかる仕上げで、完全なごみ・塵のない世界を作らないと、結果がおぼつかないのです。加えて、漆層の厚みと風呂の中の湿度管理や漆の選択を誤ると、出来栄えがさえません。

「拭きうるし」は、木地調整が済めばすぐに始めます。塗っては拭い去り、塗っては拭い去りを繰り返し、所望した輝きと色に仕上げることです。漆のちじみ・たれ、刷毛むら・残った刷毛目なども著しく景色を損ないます。紛い下地といわれる柿渋・オーラミン・砥粉の目止めなどは、やがてペコリ・パカッと漆層がはがれる原因となり得ます。戦後、こうしてはがれる安物が出回ったため、漆のイメージがダウンし、いまだ払拭しきれていません。

漆器の取扱

毎回、使用前にぬるま湯をくぐらせ、すぐに乾燥した布巾でぬぐう
使用後は、速やかにぬるま湯で汚れを落とす。
必要があれば、中性洗剤も差支えがありません。ただし、すすぎ洗いを徹底的に行い、洗剤の成分を完全に洗い流し去ることが必用です。その後で、すぐに乾燥した布巾でぬぐい、風通しの良いところに保管してください。

長時間水につけておかないこと。漆の層を通過した水分で器胎が膨張し、やがて、漆層にひびが入ったりすることがあります。
電子レンジ(気体の加熱膨張・過熱による水分の急激な減少などで、漆の層がひびわれをおこすことがあります)・皿洗機は避ける(温風乾燥は漆層の部分的過乾燥をもたらし、ひび割れの原因となります。しまいっきりにしておくより、適当に使用したほうが、美しさが保持されます。

いい漆器を求める方法・見分方:

 信頼のおける店で、ラベルを確認し、紛い物は買わないことです。天然漆・本漆・天然木などの表示のものがいいでしょう。ラベルのついていないものは買わないほうが無難です。塗りむらのないこともご確認ください。使用上問題が無ければ買得品かもしれません。

金継:

 陶磁器などで、ニュー・ほつ(欠け、ひび割れ)などをコクソ漆で充填し、乾燥後、金粉を蒔いて仕上げれば金継となります。これは故障を修復するのみならず、美的価値をますことにもなります。

以上、漆に関する基本的な知識のご説明を致しました。

<<<参考>>>>

漆器の数々

 経済産業大臣指定の「伝統的工芸品」に指定されている漆器部門の作品と地域だけをピックアップいたしました。

津軽塗り 青森県弘前市 変わり塗り・ななこ塗り
川連漆器 秋田県稲川町 彫漆
会津塗 福島県会津若松市
村上堆朱 新潟県村上市 彫漆
高岡漆器 富山県高岡市
輪島塗 石川県輪島市 蒔絵・螺鈿・平紋・
山中塗 石川県山中市
越前漆器 福井県河和田市
若狭塗 福井県小浜市 螺鈿
木曽漆器 長野県楢川村
飛騨春慶塗  岐阜県高山市 透き漆仕上げ
京漆器 京都市
香川漆器 香川県高松市 キンマ・存星
紀州漆器 和歌山県海南市
鎌倉彫 鎌倉市
小田原漆器  小田原市
金沢漆器 石川県金沢市
秀平塗 岩手県平泉市
琉球漆器 沖縄県 豚血・堆きん

漆器の収蔵として著名な施設

正倉院
国立博物館
東京藝術大学美術館

漆芸作品の見られるところ

日展
日本伝統工芸品展
国立博物館

漆塗りの施された建造物

竹生島(滋賀県琵琶湖)
中尊寺(青森県)
東照宮(栃木県)

<<<―――――>>>

漆工房・蕎麦打道場 「南鴨庵」

庵主
笠川 晢
Hikaru Kasakawa

電話:0465−48−5699
携帯:090-7239-4311

〒250-0875小田原市南鴨宮1丁目7番1−504号
7-1-504 Minamikamonomiya 1-chome
Odawara, Japan 250-0875
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文責 笠川 晢 会場写真 橋本 曜; HTML化 山本 啓一