第220回 平成16年6月25日 講義録 

  

「蕎麦を通して人の輪を広げたい」
―そば追っかけ人生―

講 師  寺西 恭子

第8回素人そば打ち名人



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講師紹介

全日本素人そば打ち名人大会とは

そば打ちのきっかけ

大会出場

各地の大会へそば打ち追っかけ

全日本素人そば打ち名人大会

そば打ちの練習

そばの輪(そば仲間との交流)

質問 




講師紹介

はじめに
講師の寺西恭子さん 昨年11月、福井で行われた「全日本素人そば打ち名人大会」で女流名人になった、ということが経緯でこれからお話させて頂きます。

1.全日本素人そば打ち名人大会とは

「全日本素人そば打ち名人大会」は、1996年から毎年1回、福井で開催されている素人そば打ちの全国的な競技大会で、 昨年で8回目を迎えました。

この大会には全国(東京・大阪・名古屋・北海道・長野・福井など)から地区予選を通過した人と推薦された人で40〜48人が出場します。 東京地区予選の場合、およそ20人が参加して6人が通過しましたが、他の地区でも同じような割合だったと思います。

                                                         競技大会は、粉1キログラム(そば粉800グラム、つなぎの小麦粉200グラム)を制限時間30分以内に準備から始めて「打ち、水回し、練り、のし、切り」といった技術的な点に加えて、衛生面、態度や姿勢、服装、道具の片付けなどまで、細かく採点されます。 30分といっても、実際にそばを打っている時間は25分足らずで、結構厳しい戦いです。

この競技大会では茹(ユ)ではしません。 審査員は「上野藪蕎麦」の鵜飼先生を審査委員長として、プロの先生方や蕎麦に詳しい大学教授など7名の方々によって行われ、 48人の中から10名が入賞します。名人1名、準名人2名、優秀賞3名、努力賞4名が表彰されます。

歴代の名人を獲得した人で、プロに転向した人もいます。7代目の名人は私が所属している蕎麦の会の同人です。従って、7代目、8代目は同じ会に所属している人が名人を獲得しました。 競技大会では各段階で減点されます。「練り」では、粉がこぼれると減点対象になり、「のし」では、厚みがばらついたり、破れたりするとこれも減点の対象になります。また、「切り」では、大事な事は切り幅の揃い率、どのくらい揃っているか、幅がバラバラではいけない。リズム、早さ、姿勢などもチェックの対象となります。 競技大会の様子は地元の新聞にも報道されました。

2.そば打ちのきっかけ

「そば打ち」を始めたきっかけは、私は「何でも、最初から最後まで自分で出来る」というのが好きなタイプです。 それまではパンをやっていたのですが、1996年ころ、そば打ち教室のことが新聞広告に出ました。 2回の講習でしたが、興味で参加したことがあります。

ちょうどその頃、福島の知り合いの農家が蕎麦栽培を始め、収穫したそば粉で「そば祭り」をしようという話が出て、 「私もそば打ち講習を受けたから出来るからね!」と言ってやりました。たまたま、講習を受けたことがあるというだけで、 私が打ち手になりました。それがそば打ちの最初でした。もちろん、たった2回講習を受けただけでしたからヒドイそばでした。 打ったら短いそばで、みんなからは「フォークでなければ駄目だね!」。

でも、「自分たちで撒いて作ったそばを、石臼で挽いたそばはとても美味しね!」といって食べました。

次の年は、もう少し蕎麦らしくしたいと思って、福島で休耕田を借り、自分たちで蕎麦栽培をしました。 これまで畑仕事をしたことが無いので、農業に対する基礎知識は全く無く、農家の方にいろいろ教えて頂き、勉強になりました。

栽培し、収穫し、天日干しをした後に脱穀をし、その後の萼(ガク)落としも終り、石臼で挽き、食べたらとても美味しかったです。 石臼で2キログラムのそば粉を製粉するのに3時間かかりました。 その前、収穫した頃に、会津の檜枝岐の民宿で「裁(タ)ち蕎麦」というのを教わりました。 この年のそば祭りでは、裁ち蕎麦の方法で打ちました。前年よりはマシでしたが、太さもマチマチ、まだまだでした。

そこで、もう少し美味しいそばを食べたいな〜と思い、「日清フーディアム」のそば教室に行ったのです。 ここで、教室の講師であった鵜飼先生や「梅島藪重」の石井先生と出会いました。 教室は1ヶ月1回あり、とても人気のある教室でした。また、多くのそば打ち仲間とも知り合うことになりました。 私のそば打ちの実際のスタートは、この教室からだったと思います。

何回かこの教室に通っているうちに、この教室の常連たちが1998年、「江戸流そば打ち 鵜の会」という同好会を設立しましたので、 私も参加しました。鵜の会では月に2回、東京・秋葉原で研鑽会を開催しています。 そば打ちのベテランで上手な人がたくさんいて、私もずいぶん教えてもらいました。

聴講生の皆さん 鵜の会では、全国麺類文化地域間交流推進協議会(全麺協)公認の段位認定会が行われており、1998年に私は初段を受験し合格しました。 次の年(1999年)、2段の認定会が開かれたのですが、私はその試験日にどうしても都合がつかず、受けられなかったのです。

とこらが、その時に、広島の豊平町で認定会が行われると聞いて、わざわざ東京から飛行機に乗って広島まで受けに行きました。 主人もいささか呆れていました。2段受験者は僅か5人で、うち4人は東京から出かけた仲間でした。

結果は全員合格しました。 この頃までは、そば打ちへの考えも甘くて、よく受かったものだと思います。 2000年は、いよいよ秋に3段に挑戦の年でした。ところが、その4月に福島で山歩きをしていて転んでしまい、 左足首を複雑骨折してしまったのです。

入院して手術を受け、ギブスが取れるまでに3ヶ月ほどかかってしまいました。

この怪我で、私はこれまで出かけていた「植物の会」や「山の会」、「わらの会」などアウトドアの活動が全部駄目になってしまいました。 そばの会にはそれほど熱中していませんでした。軽い気持ちでそば打ちも趣味の一つという程度だったのですが、 大怪我をして屋外の活動は難しくなってしまいました。そば打ちなら3段もあるし、 歩くことが不自由でも「立てれば何とかなる」と考えて、リハビを兼ねて初めて家で練習を始めました。

主人も私の落ち込みを心配して、家の中にそば打ちの設備を用意したり、練習を手伝ったりして協力してくれました。 3段はそば粉の量も1、5キログラムと多くて(2段までは1キログラム)、打つのに結構体力が要るのですが、 大怪我の後でもあり、制限時間40分のなかで打ち終わるのが難しかったです。

その頃、主人は自分ではそばを打っていませんでしたから、時計係などをしてくれたのですが、 時間を短縮するための手数(テカズ)の減らし方など、ずいぶん厳しく指摘されました。 3段の認定会も2段と同じ広島の豊平町で行われました。 怪我をした後なので、荷物も多いので、主人に10時間かけて車で送ってもらいました(笑い)。

お陰で3段認定会では合格するだけではなく3位に入り、努力賞を戴いたのです。夫婦合作の賞でした。 今までの苦労が素っ飛んだ一瞬でした。その時、「なるほど自分に合った賞だな〜」と大喜びしました。 この時の厳しい練習とその結果努力賞を貰えた感激が、それまでのそば打ちへの甘い姿勢を、一気に変えてしまったように思います。

これまでのアウトドアの趣味を全てお断りして、只々そば打ちにのめり込むきっかけになりました。 私の「そば打ち追っかけ人生」は、ここから始まったと思います。 そば打ち大会に出場するには、前にも申しましたように、結構荷物が多いので、豊平町の認定会には主人が運転する車で行ったのですが、この時の経験が主人にもそば打ちの道に踏み込むきっかけになったのです。 主人も付き添いだけでは面白くないと思ったのか、次の年には初段を受けるなど大会に出場しはじめ、 二人でのそば打ち追っかけ人生に入っていきます。

3.大会出場

(1)段位認定大会

全国麺類文化地域間交流推進協議会(全麺協)は1994年に発足しました。全麺協は、実際には段位の認定協議会ではなく、 そばで地域振興を目指す市町村が集まって、連携しながら地域おこしをお互いに頑張っていこうとする会です。 従って、正式なメンバーは蕎麦どころの市町村です。

全麺協は年に一回持ち回りで「日本そば博」を開催しています。その一環として「段位の認定」制度が行われるようになりました。 その基準として、初段を受験する人は700グラム(そば粉500+小麦粉200) ・40分で打つ、2段は1キログラムを40分、3段は1.5キログラムを40分で、ここまではおよそ二八(ニハチ)の割合で打ちます。

昨年、4段の制度ができました。4段の受験資格は3段を取得してから2年経過し、かつ講習会を受けなければなりません。 4段は1.5キログラム(そば粉1.4キロ+小麦粉100グラム)、殆ど10割近い難しいそば粉で打ちます。時間はやはり40分です。

  どんな競技?・競技内容の図  全麺協の段位制度の表


(2)各地の大会へそば打ち追っかけ

3段を取った次の年、2001年からそば打ち大会へいろいろ参加することになりました。 この年の1月には、意気揚々として福井の全日本大会の東京地区予選に初めて出場しましたが、多数の観客の前で緊張して思うように打てず、見事に落選し、落ち込みました。

しかし、7月に福島の山都町で生粉打ち(キコウチ)名人大会というのがあり、出場資格は3段を持っていること、 というものでした。3段を取っている嬉しさもあり、張り切って受験しました。この大会はそば粉を自分で持参し、 打ち終わったそばはその場で茹でて、審査員に試食してもらい、また観客の中から10人ほどの人を選び試食してもらい、 その点数も加味するという点が面白いところでした。

私は山形の契約栽培でお願いしている農家から送ってもらった、 打ちやすいそば粉を使いました。この時に初めて、つなぎを使わなくても粉によっては水でも十分打てる、ということを知りました。 この大会は女性の参加者が少なく一人でした。結果的には思いがけず強豪の中で3位に入賞することができ、 東京で予選落ちしたことも苦にならなくなりました。それよりもますます、大会追っかけに意欲をかきたてる結果になりました。

寺西恭子さんとご主人 9月になると、1月の地区予選で落ちてあきらめていた福井の全国大会に出場できるというニュースが入りました。 予選通過していた人が一人、その後蕎麦屋を開業してプロになったので空席ができたというのです。

山都町の大会で入賞していい気持ちになっていた私は、張り切って初めての全国大会に臨んだのですが、 全国大会独特の雰囲気にすっかり上がってしまい、自分で何をしているのか分からないくらいになって、結果は最悪でした。

12月には広島の3段戦でご一緒だった方から誘われて、山形の寒河江の大会に出場しました。 この大会は、地元の有志の方々が開催している手作りのアットホームな大会です。私は女性の部で優勝、 団体の部でも優勝させてもらいました。団体戦というのは、4人1組で、必ず男性3名に女性1名のチームで、 「水回し、練り、のし、切り」の4工程に分かれていて、タスキを渡しながら打つというとても楽しいものです。

賞品も地元の有志の方々が栽培したラフランスや地酒・リンゴなど豪華賞品がたくさん出ます(笑い)。 この大会には主人も一般の部で参加して優秀賞を獲得しました。 ちなみに主人はこの大会から出場するようになりました。

9月に初段の認定大会が茨城の金砂郷町であり、そこで初段を取得し、山形の大会で一般の部で出場し、 賞状と賞品を戴きました。団体の部でも私と一緒に出ていますから、結局二人でいろいろな賞品を、車に詰め込みきれないほどゴッソリと頂戴してきました。 「寺西夫妻には困ったものだ」と悪評が立ち始めた年でもありました(大笑い)。

翌2002年は、1月に福井の東京地区予選に出場しました。大会慣れしてきたせいか、ますます落ち着いて打つことができ、初めての予選通過を果たしました。 9月には、寒河江の人に誘われて、秋田の皆瀬村の生粉打ち大会に出るために遠路主人の車で出かけていきました。

この大会のそば粉は地元で用意された物でしたが、打つのが難しい、とても変った粉で、普通に打ったのでは水が足りなくなり、ボロボロになってしまいます。 私もやはりボロボロ気味になり「取敢えず辛うじて切りまで持っていってそばにした」というのが実態で、 入賞できませんでした。主人は水と粉を上手く合わせたうち方をして3位に入りました。

10月には、福井の全国大会に2度目の出場をしました。今度は上がらないようにと練習を積んで出かけ、 結果は7位、努力賞でしたが、自分では納得のできないうち方になりました。 審査員の先生からも終った後で、練りが悪いなどの厳しい指摘をされました。

11月には、金砂郷町で開催された「第一回日本一常陸秋そば素人名人大会」に出場しました。 この大会は地元産の常陸秋そばの粉を八対二の割合で1.5キロ打つのですが、打った後、蕎麦屋と同じように茹で釜が一人一人に 備わっており、その場で茹でて盛りつけ、自分で持参した蕎麦つゆで審査員の先生に試食してもらい、 また観客の人にも試食してもらい、食味も採点されるという一寸変った趣向の大会です。

今まで蕎麦屋さんにあるような大きな本格的な茹で釜で茹でたことがないので、茹で方、盛り付けなどやったことの無い私にとって、 何をどうしていいのか分からず、前の人の真似をしてやっと済ませた、という有様でした。 この大会では入賞できませんでした。 でも、このような大会は他に無いので楽しく、面白く、たいへん勉強になりました。ただ打つのではなく、 茹でてみて初めて本当の美味しさが分かるのではないでしょうか?
新聞に掲載された「そば打ち初の女性名人」
12月には、また寒河江の大会に出かけました。前夜祭から本当に楽しい会で、常連の皆さんや地元の方々と親睦を深めました。 私は、今度は一般の部に出場しましたが、優勝できず準名人になりました。優勝は主人にさらわれてしまいました(笑い)。 審査員の先生方から「ご主人が優勝して良かったね」と言われました。 団体の部では、昨年のメンバーと替えましたが、2連勝しました。 この年も帰りにはラフランスやりんごや地酒を大量に持ち帰ることになってしまいました(爆笑)。

主人はこの年から地区予選に出場するようになり、2月の名古屋地区予選に出て通過しました。秋田の大会では、同じ大会で一緒に競技を争って主人が勝ちました。福井の大会にも出ましたが、結果的には私が7位で主人は駄目でした。茨城の常陸秋そば大会にも出ましたが、私同様駄目でした。

2003年は、先ず1月の福井大会東京地区予選です。この時は落ち着いて打つことが出でき、無事通過しました。 2月には、主人がインターネットで探してきた「神奈川そば打ちコンテスト」というのに参加して優勝しました。 この大会に出たことで、私たちが住んでいる横浜の地元でそば打ちを趣味としている人たちと新しい輪ができました。

また、その縁で横浜の三吉橋にある「小嶋屋」という蕎麦屋さんのご主人である伴野さんに、 そば打ちのヒントを教えていただくきっかけとなりました。営業が終わった午後8時半頃から午後11時頃まで教えて頂きました。 それに4〜5回通いました。私にとってそれはスッテップアップになり、人の輪のお陰で本当に良かったと思いました。

9月には、北海道の幌加内で4段の認定会が初めて開催され、北海道まで出かけて4段を取得してきました。 現在4段取得者は全国で27名おります。うち、女性は2名です。 11月には金砂郷町の「第二回日本一常陸秋そば素人名人大会」に出場しました。前年は釜の使い方で戸惑っていましたが、 今回はそれにも慣れてきたせいか、思いがけず優勝してしまいました。 しかし、盛り付けが駄目で、後で先生に詳しく教わりました。

(3)全日本素人そば打ち名人大会

11月には福井の全日本大会に出ました。前年に7位に入賞できたものの、練りが悪いなど自分の欠点が直せなくて困っていたのですが、 さっきお話した横浜・小嶋屋の伴野さんに教わるきっかけができ、夜遅くまで教えて頂くことができました。 この時に教わった幾つかのポイントは自分のそば打ちにとって、たいへん役に立っています。

  また、そのほかにも全日本大会に向けていくつかの努力をしました。一つは筋力を付けないといけないので、 毎晩腕立て伏せ20回、腹筋50回と毎日夜、運動を半年以上続けました。体力の鍛錬は効果がありました。 二つ目は、そばの道具についても、例えば台の高さについては、これまでは何となくこれくらい、 と漠然としたイメージで考えていましたが、厳密に考えるようになりました。 三つ目は精神面でも自分なりのモットーを決めたり、大会前日には会場近くの永平寺に参拝してお守りを貰ったりしました。

第8回全日本大会に出場した時のモットーは、「そば粉を大切にする気持ち」、「心を込めて打つ」、「ひとつひとつの動作をキチンと行う」、の三つで、大会で待っている間でも、この三原則を自分の胸に言い続けていました。これが良かったのかも知れません。最後は神頼みです。  こういった努力をした結果だと思うのですが、本番ではゆっくりとした気持ちで自分のペースで、自分らしいそば打ちができたと思っています。お陰で予想してもいなかった名人位を戴くことができました。

 この後は、大会へは原則として出場しなくなりましたが、12月の寒河江大会は交流会だけでもと思って出かけました。出場は諦めていたのですが、「せめて団体戦だけでも出たら」ということで、にわか編成のチームで出場し、またまた優勝となりました。これが私の大会追っかけ最後の競技となりました。

全日本素人そば打ち名人大会とは?の図   審査員の方々名前の書いてある図

4.そば打ちの練習

私のそば打ちの基本は、鵜飼先生から最初に教わったものだと思います。 鵜の会の練習も大きな役割を果たしました。仲間たちから指摘してもらったりして、江戸流そば打ちの練習にずいぶん役立ちました。  また、その他に違う打ち方も勉強しようと思い、いくつかのそば打ち道場に行って見学させて戴きました。

梅島の石井先生の道場には2003年には2回くらい通いました。石井先生はプロのそば打ちの審査員も務める方で、とってもきれいな打ち方をされます。流れるような軽ろやかな動きで、身体に無理な力が一切入っていません。先生にはいつも叱咤されながら、ひとつずつ直して戴きました。  「会津桐屋」の唐橋先生の道場には仲間と一緒に何回が出かけました。江戸流に近い打ち方でした。それぞれの先生の打ち方を習っていきました。

素人の方でも、これまでに全日本大会で名人位を取った茨城の益子さんや鵜の会の田中さんには悪いところをよく指摘して戴きました。お二人ともさすが名人、という名手で、ひとつひとつの作業をとても丁寧に正確に仕上げていかれることに感心しています。

それから、磐梯町の長谷川さんという方が開いている「磐梯そば道場」にも1回行きました。また、磐梯には、寒河江の大会でご一緒した鈴木さんという方がいらして、この方は会津流の一本棒で「のす」のではなく、トントン「打ちつけて」伸ばす所謂「そばぶち」の名手ですので、自宅まで図々しく伺って見せて戴いたりもしました。このそばぶちの打ち方は自分ではまだ出来ないので、これから練習してみたいと思っていますが、なかなか難しいです。 でも、大会の追っかけが無くなってしまったので、いよいよ難関のそばぶちに挑戦しようと思っています。

それから練習という点では、自分の家で練習出来るというのは大きいです。我が家の場合は、主人もそば打ちをするようになってから、遠慮なく家で打てるようになりました。

5.そばの輪(そば仲間との交流)

いろんな大会に出て、全国にそば仲間がいっぱい出来たことはすごい財産なので、 これからもそういう人の輪を大事にしていくつもりです。 なかでも神戸の宝塚におられる小林朗子さんは、専心会という会を主宰されていますが、私のような追っかけではなく、 そば打ちを通じて知的障害の方の自立を助ける活動をしています。

障害のある方にそばやうどんの打ち方を教え、その中で向いている人を特訓して、実際に市役所などで販売するようにしています。 そば祭りなどでもそばの店を出して、その収益で車椅子を老人ホームに贈ったりして、我々の会とは全然違う行き方をしておられます。 また、大会に出られる方の中には道具に凝っている方が多いです。 手作りのもあります。大会を待っている楽屋裏は、もっぱら道具の自慢市の様相です(笑い)。

文京区の中学ではケナフを育てていて「ケナフのそばを作りたい」と言われ「ケナフそば」を作りました。 普通ケナフは紙を作る材料になります。ケナフの葉をミキサーにかけてそば粉に混ぜ、自分たちで打ち食べました。 とても美味しかったです。味覚はそばと遜色ありませんでした。ただ、ケナフを育てたので、どういうふうに役立つかということで、 紙にしたり、そばにしたりして面白い実験をしたのでした。

私たちも、今までに八王子や川崎などの公民館で親子のそば教室を頼まれたり、 中学校や小学校のそば授業のお手伝いをしたりしてきましたが、 これからは老人ホームなどでそばを楽しんでもらうようなボランティア活動を続けたいと思っています。

全日本大会で優勝してしまったので、次は何も無いと思っていましたら、「そば菓子」コンテストがあると聞き参加しました。 何時も作っているバームクーヘンの材料を全部そば粉に代えて、「ソバムクーヘン」と名づけて出品しましたら、 準グランプリを頂戴いたしました。  それから、もっと多くの方にそば打ちの面白さを知ってもらいたいと思って、「そば打ちサロン蕎(kyo)」というのを立ち挙げました。 駒場の近くの小さなアパートの一室です。そば好きの方にいつでも気楽に来て頂いて、打ったり、食べたり、そば談義をしたりと、 そばを満喫して戴きたいと思っています。

また、そば打ちだけではなく、いろいろなそば料理やそば菓子にも挑戦して、蕎麦の楽しみの幅を広げたいとも思っています。 今日は3種類ほどそば菓子を持ってきましたので後で試食していただけると幸いです。

質問1.

米にはコシヒカリ、ササニシキやひとめぼれといったブランドが確立していますが、そば粉にもそのようなものはありますか?

‥‥‥米ほどブランド化されていませんが、各地でブランド化されつつあります。 最近言われるのは、茨城・金砂郷町の常陸秋ぞばで有名な金砂郷の赤土地区で穫れたそば粉が美味しいです。 しかし、美味しいそば粉でも、その年の出来不出来もあり、いろいろな条件もありますので、一概にそうとも言えません。

他の食べ物に比べ、味を決める要素としてそば粉が7割近く占めます。そば粉がよくなければ美味しくないわけです。金砂郷のそば粉以外にもいくつかのブランドが出てきています。ただ、品種だけではなく、収穫後の保存状態や製粉方法、製粉時期、粒度の調整等々の条件によっても変ってきます。


質問 2.そば粉は国産品より輸入品の方が多いですか?

‥‥‥圧倒的に輸入品の方が多いです。秋になると蕎麦屋さんで「新そば粉入荷」とか「国産そば粉使用」とかうたっていますが、あくまでも「使用」であって、全部国産品を使用しているわけではなく、「入っています」というのが実状です。普通の蕎麦屋さんの場合は!しかし、手打ちそばで、特に味を重んじている、例えば盛そばウン千円もするようなところは、ちゃんと国産品を使用していると信じています。

そばの味としては、打ち方はある部分しか占めないです。茹で方、洗い方などが響いてきます。特に、茹で方の影響が大きいです。そばの太さや大きさに合った茹で方や火力の強弱により変ってきます。あと「つゆ」が美味しいか?店の雰囲気がどうか?などにもよります。これらの条件が揃って初めて「美味しい」と感じます。


質問 3.そば打ちの流派にどんなのがありますか?

‥‥‥全国にはたくさんの打ち方がありますが、大きく分けて二つに別けられます。ひとつは「のす」方法で、もうひとつは「打つ」方法です。のす方が一般的ですが、実際には、食べても「打つ」方が美味しいです。この方法をもっと広げたいと思っています。麺を叩きつけて、鍛造するような方法で打ちます。同じそば粉を使っても食感が違います。

質問 4.チャンピオンになったら、次の年もやはり予選から出なければならないのですか?例えばシード権があるとか?

‥‥‥全日本大会で名人になったら、もう出場できないのです。面白いのは茨城の大会で、名人の名前を3度目まで貰えるのですが、それを貰ったら更にもうひとつ上に名人があります。それが本当の名人になるということです。これまで2回行われましたが、1回目の名人になられた方はプロに転向されました。2回目は私ですが、チャンスはまだまだあります。

※この講演は「第8回全日本素人そば打ち名人」の寺西恭子さんを主演とし、ご主人の寺西大三郎さんに補足説明をして戴き、二人三脚で出来た、素敵な夫婦純愛物語でした。一人称の形で抄録させて戴きました。(編者)




講座企画・運営:吉田源司
リライター:桑垣 俊宏
会場撮影:橋本 曜
HTML制作:上野 治子

本文はここまでです



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