平成16年7月2日(金)
神田雑学大学第221回講演


アメリカの鉄鋼業と労働組合

講師 土居荘助
初めに
私が勤めていた日本鋼管(現在は川崎製鐵と合併してJFEとなっている)がアメリカの鉄鋼会社ナショナルスチールの株式50%を取得して、合弁会社を発足させたのは1984年夏のことでした。当時はまだバブルの前で、経済は右肩上がりに発展を続けるとの考えが一般的で、鉄鋼の消費は、発展途上国で一人あたり50Kg前後のものが、段々増えつつありました。

 一方、当時既に日本国内では一貫製鐵所の増設の余地がなく、会社としては規模の発展を続けるには、環太平洋圏の対岸のアメリカ大陸に進出するべきだと考え。幾つかのケースを検討してナショナルスチールの株式の半数を取得したわけです。
新しく資本投下をして設備の近代化を行い、日本の技術と生産管理を実行すれば、日本と同じように優秀な鉄鋼業に生れ変ると思ったことが、間違いのもとでした。

 特に日本鋼管(NKK)が株式の半分を買えば、相手のナショナル・インター・グループ(NII)はNKKと共に、工場の合理化のため再投資をするであろうとの期待もあったが、NIIの本音は、早くから鉄鋼業から足を洗い、売却して、売却した資金を持っていると乗っ取り(Takeover)の恐れがあるので、一刻も早く多角化の投資をしたいという考えだったのです。

 したがって、設備を新しくして、品質を良くし、能率歩留まりを上げ、労働面でも合理化、改善をしようという目論見は、結果として設備は老朽化したものを使い続け、労働面でも後述の問題などで、合理化は殆ど出来ませんでした。また、段々輸入品が増加して価格面での圧迫があり、合理化によるコスト切り下げが出来ない以上、経営悪化するばかりでした。

特に労使の問題は、我々が思いがちな「話せばわかる」ということは絶対にない、ということが当初わかりませんでした。また、マネージメントの上級職員や、社長も、雇用が流動的な米国では、鉄鋼のような斜陽産業には人材は集まらず、長年勤続の幹部に優秀な人はいませんでした。彼等の気質からも、今までのやり方の欠陥を指摘し、改善を求める日本人のいう通りにして、業務のやり方を変えることへの米国人の反感、即ち彼らの今までのやり方が悪かったとは認めないこと。目の前の問題を口先だけで、うまくやれるように言いくるめるなど、極端にいえば面従腹背であると、わかるまでに時間がかかり、米国人社長を首にしてから送り込んだ歴代日本人社長も、外国の会社を運営する能力に欠けていました。
(日本的業務のマネージメントと米国流経営の相違の認識不足)

はじめて経験した労働問題
アメリカ鉄鋼会社の役員となって驚いたのは職場のシニオリティ(先任権)とジョブデスクリプション(職務記述書)が非常に強固で手がつけられないことでした。
これが如何に馬鹿馬鹿しいものであるか実例をあげますと、圧延ラインの上工程の故障で製品が流れてこない時に薄板の巻き取り装置の工員が新聞を読んでいるのを見て近辺に散らかっている切り屑などを片付けるようにいうと、清掃は掃除人の仕事であって自分の仕事ではないとの返事でした。身辺の職場を整理整頓させるには、ジョブデスクリプションにこれを付け加えて明文化しなければならないのです。

 また、トラックで屑篭のごみを集めに来たものに、周辺に落ちているごみを拾っていけとというと、自分はごみの収集だけだと答えますが、この理屈は職制の恣意的な作業指示には従わない、掃除人が仕事を失しなわないようにしている、ということです。よく例に出されますが、ロッカールームの切れている電球を取り替えるには、職長が電気の職長に取り替えの伝票を書いて,電気工の最下級の者が電球一個の払い出しに倉庫に行き、電気工と脚立を担いだ下級作業員が来て脚立を用意して、電気工が電球を取り替えて帰るという有様で,何故自分で脚立を担いできてやらないかと聞くと、電球を取り替えるときに脚立を抑えているのは、ロッカールームにいる圧延工でなく、電気工でなければならないとのことでした。

シニオリティシステムは、一日でも早くその職についたものが選択できることは、全て先任者が権利を持つシステムのことです。鉄鋼業では3直制で操業する職場が多いのですが、先任者はその直を自由に選択できるので、新人は条件のわるい直に張り付いたまま長期間我慢しなければなりません。
先任権は経営者が恣意的に気に入らないものを一時解雇・レイオフ出来ないようにするシステムで、職務明細書は仕事の内容を明確にして、どの地方、工場でも同一の仕事にたいして同一賃金が支払われるようにして、職長が恣意的にキツイ作業をさせないようようにと、最初は労働者の権利を守るためのものであったのが、年月の経過とともに硬直化をきたしてしまったのです。

米国鉄鋼業の歴史
ナショナルスチールの本社やUSXの本社、鉄鋼労連本部のあったピッツバーグ近辺には多くの製鉄所がありました。近代の鉄鋼業は産業革命後のヨーロッパで発明された製鉄技術により、その基礎ができましたが、これを米国が採りいれて特にピッツバーグ近辺に銑鋼一貫製鐵所を建設し、鉄鋼の大量生産を始めました。即ち1865年に最初のベッセマー転炉を、1868年に最初の平炉を建設しました。これは丁度南北戦争が終り(1865年)西部までの大陸横断鉄道が完成した(1869年)時代でもありました。

 この頃の劣悪な労働条件に対抗する最初の労働者を組織として、1876年に「鉄鋼,ブリキ労働者合同組合(Amalgamated Association of Iron, Steel Tin Worker)が結成されましたが、これは白人のアメリカ生れの熟練労働者のみがメンバーであり、当時多かった東欧などからの移民や非熟練労働者は対象にしていませんでした。アメリカ労働史上最初の大ストライキは、1892年にカーネギー製鋼がホームステッド工場Homestead)で労働組合を弾圧しようとして労働者をロックアウトし、これに対抗した労働者達は工場に立てこもり、ホームステッドの町全体がこれを支援しました。

 会社側はピンカートン警備会社(警備保障の会社として現存)を使って、その社員とスト破りの労働者を艀に乗せて、下流のピッツバーグからモノンガヘラ河を上り、ホームステッド工場の河岸に上陸しようとして大乱闘となり、双方に多数の死傷者がでて、これを撃退した事件がありました。労働者は銃を発砲したり、対岸の崖の上から大砲を撃つなどの大騒乱となりましたが、州兵が介入して終結しました。
その操業再開の際に、職場に復帰する従業員を、雇用期間の長いものを優先して選びました。(スト破りを排除するため)
 これがそもそものシ二オリティ、先任権の始まりだったといわれています。その故に、これは当時90年の歴史を持つ、絶対手をつけられない労働者の権利であるということとそれによる弊害を当初我々は知りませんでした。

経営者の組合敵視
 経営者は常に組合を敵視して、組織化を妨害しました。製鐵所の作業条件も劣悪で、1920年代始めには週7日、1直12時間であった。1930年代でも組織活動をして睨まれると解雇され、名前が記載されたブラックリストが同業者に廻されて就職の機会がなくなったのです。
会社組合も一時ありましたが、全米鉱業労働組合(United Mine Workers of America,UMWA)のジョン・L・ルイス{JohnL.Lewis}の指導と、同組合の支援で鉄鋼労連の組織化が始まって、組合の力が強くなるにつれて独立した組織となり、現場ではシヨップ・スチュワート(shop steward)グリーバー(griver)が職長などの恣意的な扱いや、命令について、協定違反であると職場の組織を飛び越えて組合の地方幹部に訴えて、幹部が会社に抗議して職長をけん制するようになりました。

1930年代の現場
 1929年の大不況が始まって以来のアメリカ鉄鋼業の現場では、職長(Foreman)が絶対的な権限を持っており、朝職場に行って彼からの指示で与えられた仕事についたり、仕事がなくて帰宅するようなこともありました。職長に些細なことでも睨まれると、何ヶ月も仕事につけないということが日常的でした。その後、ルーズベルトのニューディール政策により産業復興法(NIRA)が制定され、その中に労働関連の項目があり、これを受けてUSスチールが最初に労働組合を承認しました。その後に労働組合の組織と、先述のグリーバーなどの労働習慣が成立していきました。しかし、人種や移民の出身地による偏見や、人種差別は当然のこととして受け入れられていました。

組合の行動
組合幹部は、職場での選挙で選ばれて組合の専従となり、給料も組合から貰いますが(もとの職場の給料よりはるかに良い)、彼らはその地位をまもり、再選されるために常に戦闘的な言動をして、会社にはいかなる譲歩もしません。運動方針の指示を出す本部の組合幹部も同様です。したがって、日本のように、現場での作業のやり方や、改善について会社側の管理者と話し合うことは全くありません。組合との接点は、職制の行動に対する苦情申し立て(グリーバンス grievance)のみです。苦情申し立てに対する具体的な解決や、契約更改時の合意は、組合幹部と会社のVice President Human Relations (日本のような役員でなく実質は部長)とが合意して文書化しますが、実施するのは労働担当部署でなく,製鐵所長であり彼らは組合と問題を起こすのを嫌がって手をつけません。一方、現場の組合側には先述の通り、話し合う相手がいません。

短期的視野の経営
経営者幹部は、株主から四半期ごとの業績を重視されるので、長期的観点からコークス炉とか連続鋳造設備などの投資はしません。また、短期の業績を悪くするので、新規投資は定額償却することが殆どです。大口株主は年金基金とその運用会社であり,一部を除いて配当と、短期的な売買で利益をあげることが主眼なので、安定株主がいません。

労働慣行の硬直化の原因
1969年のストライキ以後、全国組織の賃金の平準化すなわち同一職種同一賃金とするためにジョブデスクリプションを議論しました。それに書いてあること以外の仕事をする場合は、明記して時間給に何セントか上乗せして合意事項として記録することとなります。私も定期的に工場を回って、作業員と昼食を一緒にして話し合いを試みましたが,作業の合理化は直ちに労働強化となるとの固定観念があって、日本人である私の言う「改善」とはなにか理解できませんでした。作業改善を不可能にした、多能工という考えを受け入れない根拠となっているのが労働協約にある所謂2B項です。
  2B:要約すれば「確立している労働慣行は、基本的な条件に変化がない限り、これを変更しないという規定を1957年のストライキの後にいれたのです。新しい機器をいれた場合は人員削減をできるが、仕事のやり方を合理化して人員の削減はできないのです。

COLA
また、この項にCOLA(Cost of Living Adjustment)すなわち毎年消費者物価指数の上
昇にあわせて賃金を追加する条件を追加しました。

契約更改ごとの大きな譲歩
戦後のストライキは3年ごとの労働協約の期限切れの際に行なわれました。第2次世界大戦後の1946、1949、1952、1959年と行なわれ,最後の1959年のストライキは116日に及び、そのための鉄鋼不足により輸入は500万トンに達し、その後欧州と日本からの輸入は定着して、数量のみならず価格面でも大きな影響を米国鉄鋼業に与えました。すなわち、これ以前はストライキによる賃金上昇は価格に転嫁されていいましたが、この時以来、安易な値上げが一部品種について価格の安い輸入品の定着を招くこととなり、それまでの独占体制の販売方法が崩れはじめました。

年金と健康保険
米国ではソーシャルセキュリティ(社会保障)と、貧困者のための医療保護はありますが、国家としての制度はなく、年金と健康保険は、雇用者が用意する必要があります。そこで賃金協定の時に、これらについて大きな譲歩、追加をせざるを得ませんでした。
これらは直ちに賃金に跳ね返らず,年金基金の準備や既退職者のための健康保険費用などは、直接的に生産コストにどれくらい響くかわかりません。これらは目前のコストを上げませんが、将来のコスト上昇につながります。このように経営者は四半期ごとの業績のみを重視し、長期的な観点からは考慮しません。
この二つのコストは、鉄鋼業の従業員数が減っていくにつれて、現役の従業員一人で何人もの退職者の年金と健康保険を負担することになって、鉄鋼業の赤字転落の一因となりました。

1970年代以後の製造業の衰退
 1970年代から所謂スモークスタックインダストリー(煙突産業)は、その必要
とす巨額な投資や、厄介な労働問題から生じる高いコストなどのために、欧州や日などとの競争に負けて、五大湖周辺の重工業地帯は寂れて、Rust Belt(錆地帯)と呼ばれるようになりました。特に、70年代後半から80年代にかけて、マネーゲーム的に手早く利益をあげる会社の吸収合併(Take Over)が盛んになると、資本が製造業から逃げ出すようになりました。(1984年当時の鉄鋼業の平均的な収益率は4〜5%で定期預金と大差ありませんでした)

 トヨタとGMの50:50合弁のカリフォルニアに設立されたNUMIは、レイオフされた従業員を優先雇用する期限の切れた工場に、新しい労働協約で作業員を雇い入れ、ホンダは南部の組合がない地方に工場を建設し,新しい労務管理をしてUAW・自動車労連からの加入呼びかけにも、従業員が応じなかったことによって上記の労働慣行の制約をまぬがれました。

 以上申し上げたことは、失敗の実例ですが、今後東南アジア諸国に生産が移転する時に、今では種々の経験をつんでいるでしょうが、その国の文化伝統的な考え方を理解して、その上で相手と協力してやり方を作り上げることが必要だと思います。
 特に、こちら側の派遣人員は若くて現地に骨を埋める、或いは本当にその国が好きでたまらないといった人達と、経験を積んだ助言者の組み合わせでやっていくことが必要だと思います。(終)

文責:得猪外明  会場写真:橋本曜   html化:山本啓一