神田雑学大学講座NO.0222(2004年7月9日)

神保町の地域力

講師 江戸川大学 大内 田鶴子



目 次

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はじめに

1.神田古書店街の概要

2. 神保町書店街の「地域力」

結語

Q&A




はじめに

 お暑い中をお集まり戴いて、有難うございます。
今日はオバサンの井戸端会議風に、あちこち脱線しながらお話をしたいと思います。大学では、茶髪のお兄さんがこのあたりに座っており、話が通じなくてイライラすることも多いのですが、ここでは何かハードな雰囲気の方が座っておられ、自分の不勉強ぶりがバレそうな感じで、やや緊張いたしております。

 私は小石川高校の出身です。神田錦町、神保町界隈は古くからなじみの街ですから、地元人と自負しております。父は谷中の生まれで北区に住居がありましたが、現在は江東区の高層マンションの1階に住んでおります。変貌していく東京の中で、自分のアイデンテティを確かめる場所ということで、神保町が非常に気になっております。

このような都心にありながら、神保町は昔の佇まいを残している。
他の都心地域の変りように較べたら、よく踏ん張っているようです。今後はやはり変らざるを得ないと思いますが、この街の歴史について自覚を持って戴いて、汐留・六本木のようにはならないで欲しいと願っています。

神保町古書店街の謎

・大手町の隣、交通至便の地にあってなぜ大企業・大資本に駆逐されなかったのか?
・古書店は一軒も地上げに応じなかったが、なぜそんなことができたのか?
・商店街が苦戦をつづけているなかで、いまだに店舗数をふやしつづけている。
これが私の疑問でありました。
が、古書店の方がたは、全くそのように思っておりませんでした。日常生活に慣れてしまうと、あたりまえのこととして、見えなくなっていたようです。以下がその疑問に対する分析です。

1.神田古書店街の概要

(1)経営体としての古書店
・パワフルにはみえない→ 東京都古書籍商業共同組合の調査によると、東京都全体では年商3000万円未満の経営が64%、正社員数の平均は2.8人、店舗規模平均14.5坪。
・一般の小売店と異なるのは、古物の扱いで売手・買手の両方の立場にたつこと。品揃え、価格の決定が自由であること。
→ マーケティングマネジメントや、戦略経営や、チェーンオペレーションなどのアメリカ的経営論では理解できないだろうということ。

(2)まちとしての神田古書店街
千代田区には特定の商業、産業の特化地区の形成が目立つ。高度に専門化された、広域的商業集積として「秋葉原電気店街」「神田書籍店街・スポーツ用品店街」「岩本町繊維関連産業集積地」「出版印刷関連産業集積地区」などであります。
 この調査研究の対象地区(出版印刷関連産業集積地区、神田書店街)は、ウェブサイトの「BOOKTOWNKANDA」によると、売場面積5,000坪、在庫1,000万冊の世界一の書店街であり、古書店160店、新刊書店30店、取次店25店、出版社500社、が集積しています。
(http://www.book-kanda.or.jp/)


大新聞社、官庁街、大学街など情報発信地に近接しています。ただし古書店街は意図的に立地を選択したのではありません。発祥の地に100年かけて集積しました。新聞社や官庁街の方が歴史が浅い。大学も郊外に移転しています。

(3) 神田書店街の歴史
脇村義太郎氏の、1979年『東西書肆街考』(岩波新書)が、唯一の神保町に関する研究書であります。氏によれば
ア 明治前期
・学校、学生の神田への集中が書籍商の発展の基礎であった。
イ 明治後期
・明治20年に東京書籍商組合が組織されたが、当時は組合自体が営業することができなかった。この間有志の発起で大市が行われるようになり、貧乏な学生が次ぎの本を購入できるように、読終えた本を引取る新古書の取引が開始された。明治35年に組合規則を改正して、正式に組合業務として行われるようになった。 ウ 大正・昭和前期 ・ 分業化 : 古書の取引はしだいに増加し坐して売りに来るのを待っていては間に合わなくなり、他の古書店から自店で需要の多い価格の安い本を買ってきたり、「競取(せどり)」を使って、自店に向くものを探して持ってこさせるようになった。競取は取扱うものが専門化していた。
(イギリスの古書店研究の書籍にも、訳語は異なるが「競取」と同じ機能の職業があることが記録されている)。
・市場の発生: 同業者が集まり、商品を持ちよって交換する方法が自然に発生していた。場所は貸し席(会議・宴会場)が使われた。これらの交換市は交換が済んでから会食その他いろいろ楽しみがあった。こうしたルーズな会合を組織化しようとしたのが、神田書籍商同志会で後に東京全体で組織することになり、大正9年、東京古書籍商組合が設立された。

・市場の建設: この時期平行して、いちいち席亭を使わず、自己の会館を持つべきだという議論が現れた。小川町に適当な物件を見つけローンで購入し「図書倶楽部会館」と命名、組合の会合や交換会はすべてここで行うようになった。この会館(市場)を持つことによって、神田はあらゆる古書取引きの中心になるに至った。
神保町どっと.Com(http://www.jimboucho.com/)


●思いつきの仮説ですが、イギリスでは「古書の交換市」は存在しません。わが国と違って、この国の富裕層はお城のような豪邸に住み、図書は革装丁の豪華本を購入し、自分図書館を構築する傾向があります。すなわち本は売らない。したがって「古書交換市」は発生しないのではないか。日本でも田舎の百姓家の土蔵取り壊しに際して、蔵書の販売に古本屋が呼ばれることがありますが、イギリスではお城の売られる時に古本屋が呼ばれて、商売になるといわれています。しかし、わが国の農家の土蔵に貯め込まれた本と、イギリスの古城の書斎に保管された本では、本のレベルが異なっているのは当然です。わが国では、本を貯め込む余力のない大衆の存在が、本の交換市の背景にあったと思われます。
 また、神保町古書街が市場を持つに至った理由の中に、秋葉原の青果市場の影響があったことも否定できません。いずれ両者の関係を検証したいと思います。 (http://www.jimboucho.com/)

2.神保町書店街の「地域力」

・ジョンフリードマンの「力の剥奪」理論
発展途上国の貧困とは、「力の剥奪」によるもの。経済力は力の一部にすぎない。力とは社会的な力であり、「防御可能な生活空間(なわばり)」「余剰時間」「知識と技能」「適正な情報」「社会組織」「社会的ネットワーク」「労働と生計を立てるための手段」「資金」の獲得(access)しやすさからなる。これらへのアクセス不足が貧困状態とみる。
●少し脱線すると、わが国のサラリーマンは貧困な状態であります。まず、第一に「防御可能な生活空間」をもたない。家に帰っても居場所がない人がいる。「余剰時間」を持っていない。「社会組織」では会社に属しているものの、「社会的ネットワ−ク」が全く貧弱といえます。本日講座に参加されている皆さんは「社会的ネットワーク」の場におられますが、ほとんどのサラリーマンは会社組織の中に埋没して広がりがない。「資金」の獲得も現代においては住宅ローンの支払いに追われ、なおその住宅はマイナス資産化して塩漬けで、これ以上「資金」の獲得はし難い。サラリーマンは貧困な存在であると、いえるのではないでしょうか。

・これに対して自営業の方は、多様な要素の力を持っております。
特に神保町書店街の力は「商業力」「経済力」ではなく、「地域力」としてみることができます。地域(コミュニティ)を強化(エンパワメント)、または持続させる要素に着目し、神保町が持続しつづけている要因は何かを、上記の諸要素について考察します。

1 地域空間・環境
ここではまさに「なわばり」が確立しております。神保町の「なわばり」は、時間が空間を特徴づけることに注目すべきです。神保町における時間と空間の関係は次ぎの3点に要約できます。
 第1は、毎日の市場と個店との往復という一定空間内での行き来の繰り返し。
 第2は、街行く人の歩く流れのゆっくりした速度。
 第3は、約100年本屋街として継続している歴史の時間感覚。
 ヒアリングによると、地上げ屋が来た時、売り渡さないようにと有線放送が流れたといわれます。また、この街は喫茶店が多く、営業を始めてから長い喫茶店が多い。

2 時間マネジメントと余剰時間
仕事にかける時間配分の合理性は、すぐそばの市場と店との往復の繰返しという日常サイクル化と、月曜から金曜までの分野別の市の開催によって仕切られている。組合の会合や各種の勉強会もある程度、定例化されており、個人の計画性の能力を超えて、集団として計画的、規則的に町全体が動いている様は、一つの企業体のようです。これらの規則性は定款や社内規定によって強制されるものでなく、戦略性とは、およそ無縁のばらばらの個店が、主体的に守り続けている「暗黙合意」であります。

これら仕事の人間関係のオフィシャルな部分と、個店間(個人間)の「つきあい」とが未分離であり、仕事時間と余暇時間が結びついているのです。「つきあいが楽しい」と語る人がいると同時に、会社勤めを辞めて家業にもどつてきたら「仕事プラス人間関係でしんどい」と語る人もいました。この「つきあい」のなかから新しい勉強会や、共同目録作成グループが生まれてくる。仕事と余暇が結びついているのは、この街の伝統であるといっても過言ではないでしょう。

3 知識と技術−1 戦略の有無

最近時の商店街では、「商店街近代化計画」や、「中心市街地活性化計画」「まちづくり戦略」などの策定が重視される。民間市街地開発においても、「コンセプト」が必要です。神保町の面白さは、「戦略」「コンセプト」がないことです。神保町では、長い歴史の中で、時間の流れを断ち切るような、人為的まちづくりが一切行われなかった。コンピュータ関連の職を捨てて家業を継いだ若旦那はつぎのように語っています。「このまちは、渋谷や新宿のようにコンセプトを持たない」「商人だけじゃなく、お客も含めて、みんなでつくった」「不思議なまちだ」。

3 知識と技術−2 人的資源開発
(1) 動機づけ
後継者になった理由として最も多くの人から聞くことができたのは、「小さい頃から、親父の働く姿を見て育ってきた」ということです。昭和40年代の「繁盛していた様子」、「親父の充実して楽しそうな姿」を語る人もいました。「祖父から遺言されて」、「親類から圧力かけられた」「同級生から誘われた」人がいるのは、血縁関係や幼馴染の多い神保町の特徴であります。
(2) 教育機会
 古書籍店の経営者育成としては、既存の教育制度や、機関は殆ど利用されていない。市場が学校である。あるヒアリング回答者は、一般的な教育は高等学校で終わっていると述べました。
 ○個人レベル
大学に進学した後継者は、(殆ど家業の方に精を出しており)遊びに通学しただけでよく卒業できたものだと語っていました。大学に進学しなかった後継者は、「大学に行かなくとも、店が大学みたいなものだし、本もいっぱいあるし…」と語っておりました。

○制度・集団レベル
市場のなかでも、若者を教育する慣例として「経営員」があります。「経営員」とは、市場運営を手伝う、僅かな手当の奉仕に近い労働者です。「経営員」は市会ごとに調達され、募集方法は推薦・当番制・自分で申出る、など様々であります。公募は行われず、軽い審査があるだけです。後継者調査では、何種類かの市会の「経営員」を長年続けた人や、なったことのない人などいて、決まりがあるわけではありません。

「経営員」になると、どういう本が、どういう入札過程をたどるのか舞台裏のプロセスを体験できます。市に参加するだけでは、結果の「落ち値」しか知ることができない。殆どの回答者が、訓練の機会は市場へ行き、相場感覚を養うことだと語っていました。売り買いをみているうちに、自分のコミットする専門分野の書物の相場が見えてくるのだそうです。

なお、この業界では、戦前は他店で修行することが多かった。丁稚奉公ですが、「今の店には他人の息子を雇う暇はない」という。経営状態も全部知られてしまうから、「今は良くない時だから、内部を知られたらカッコ悪いということもある」「他店で修行する代わりに市場の経営員になって勉強するようになった」と言えるでしょう。

4 情報基盤
全国古書籍商組合連合会が「日本の古本屋」というウェブサイトをつくり、各個店はそこにホームページを持っています。また、神田支部でも独自に「BOOKTOWN神田」というサイトを出して、街として情報発信しています。古書の売り方としては、販売の速度を競わないこと、不特定多数の人に対して販売することが少ないことなど、この販売にとっては、情報技術があまり本質的な影響を与えないことが指摘されています。「インターネットの情報の出し方が、本当に知りたい部分じゃないんですよ。

……結局自分が一生懸命頭使って、『これはお客さんいくらで買ってくれるのかな』ってのを想定して買ってきたものを、知らない人たちに『ぼくんちにこういったものが入ったんですよ』と、不特定多数の人に流そうとは思わないですよ。だから、それだけ自分が扱ってみたいと思って買ってきた本は、それだけお客様の顔が浮かんでるんですよ。」と、若い後継者が語っていました。

5 社会的組織(価格形成市場機能の獲得)

個別の活動団体を支援する「インターミディアリー組織」、総合的な連絡調整や情報共有を支援し、地域における協同関係のファシリテーターとして活動する「タウンマネジメント組織(TMO)」、などの存在が、商店街活性化の重要な役割を果たしているといわれます。

(1)組合
「中間支援」や「マネジメント」の仕事を、古書籍商業協同組合神田支部は意識的には行っていない。しかし、恒例の青空古本市のマネジメント、親睦会、組合史の刊行、行政・マスコミとの交渉、視察の受入れなど実質的には「TMO」の役割を果たしています。これらの役割は、半ば輪番制の幹事が「適当」にこなしています。

(2)市場(イチバ)
神田神保町の強さは、商品の流通拠点を足下に持つことであります。現在、神田の市場は最も高値で取引きされる、全国の価格形成市場になっております。 市会は「中央市会」「洋書会」「資料会」「東京古典会」「一新会」「明治古典会」と、東西南北それぞれ地域ごとの市会が開催される。 市場の機能は、次ぎのようなものです。

A 物流拠点。古本の交換場であります。重要文化財からゴミまで、大量・多種の古書籍(紙媒体情報)物流の集散の場です。
B 価格の形成。すなわち、新しい価値の発見・付与、相場の形成、価格の維持があります。
C 信用の創出。定期的な取引き、公正な取引き、効率の良さなどで、市場を通した方が安心・確実なのであります。
D 保証機能。市場がないと、自分で仕入れた書籍はすべて自分で売切らなければならない。しかし、売れ残った品や、仕入れに混じってきた不要の品は、市場が買ってくれるので、マーケティングの失敗で経営が行詰まるリスクが軽減される。「例えば、ぜんぜん価値の分からない品が入ってきた時に市場に出す。誰か買ってくれた。助かったなアという気持ちになる」、と語る人もいます。
なお、このような古書市場を持つのは、世界の中でも日本だけです。

6 相互主義による自立関係のネットワーク
(1) ソーシャルキャピタル
神保町界隈は業界関係者から「神田村」と呼ばれています。出版社・取次店も多く人間関係のしがらみが重層していることによるでしょう。なかでも村的なのが古書店であります。古書店間での婚姻関係、徒弟関係で多くの店は親戚関係にあります。加えて協同組合を結成している。ヒアリングによれば、

同郷関係・暖簾分け関係・血縁関係・小学校の同窓関係・神田明神の氏子・同業協同組合(古書籍商業協同組合)関係、勉強会などが重層しています。このなかで同業協同組合は、ネットワークが全国に広がっている。この街ではネット(網)をこえて、織物のような関係の緻密さを示しております。このようなネットワークは、インターネット型と形容できるでしょう。関係が緻密になり、様々な方向に迂回できるようになると、ホストが不要になり、端末の自由度が増す。

個店が、自由で人間関係はオープンであるといわれることが、ここからも理解できます。「村」と言われるが、排他的ではないことが次ぎのように語られています。「こんなに横の繋がりが強い専門店はない。先輩・後輩の縦関係がない。規模が大きくても、小さくても店の順位がない」。「他店と凌ぎを削るということはない。いろんな情報をもらったり、他店をお客に紹介したりする」「新しい人にやさしい。……新しい店が入ってきたからといって、自分の店の売上げが落ちるとき思っていない」

(2) 本に対する価値観による連帯
このような、横の連携が成立するのはもう一つの理由は個店が売り手であると同時に買手であることによる。株式市場のように、価格を支えあう。「我々が仕入れを行う場合に、(同じものを)競争して取らなければならない時はライバルなんですけど、逆に自分の店に残っている在庫を出す時は仲間なんですよ。そこで相場ができているんです。自分はいらないのだけれど、同じジャンルを扱っている人は、その商品を分っているので、ある程度札を書いて支えあう。

そうすると、お互いに持っている在庫について、価値観というか、思想が維持できてしまう。だから一軒だけで、特定のジャンルを扱っていくというのは、逆に難しいと思います」。微妙に重なりながらの専門分化と店数の増加はこのような原理に基づいているのかもしれない。「古本は扱い分野が少しづつズレているので、共通する部分で他店を紹介することができる」「ロンドンの古書店は価格がバラバラで、店の横のつながりがなく、てんでばらばらだった。日本も明治・大正時代はそんな感じだったろうと思う」とある店主は語っています。

「他の飲食店やスポーツ店などでは扱うものが同じだから、同業他店を紹介するようなことはない」。したがって、古書店の人たちが、同じ商店街の他の業種にまったく感心を示さないのも理解できます。彼らは、喫茶店やレストランは、勝手に近接して立地いるだけだとみなしています。彼らが本屋についてくるのは効果があるからだろうが、本屋にとっては、飲食店の存在はどうでも良いことだとも語られました。

7 古書販売の特性
若手後継者に仕事の面白さがどこにあるか尋ねますと、ほとんどの人が定価がないこと、自分で値段をつけられることだと答える。自分が主導権を握るということを超えて、価値観を反映できることを意味しています。自分で値をつけて仕入れるためには、勉強しなければ価値あるものを発見できない。市場に出ることでなんらかの勉強や発見があり、面白いという。

そのようにして、発見した本に値をつけることで、「文化に貢献している」という自負も生まれる。かりに、値段の上がらないような本であっても、リサイクルに貢献すると考える。文化という意味では、買いに来るお客さんに、博物館の職員、大学の先生、芸術家、作家なども含まれ、そうした方々と直接話しをしたり、教えてもらえることもこの仕事の心理的報酬になります。

結 語

 神保町古書店街の継続に、重要な役割を果たしている経済外の要因は、以上のように豊かであります。
しかし、それだけではありません。古書店街は、他産業分野における巨大化、システム化に抗して異質性を貫いてきました。継続性の秘訣は、脇村義太郎氏によれば、「神田古書店街の過去100年間の発展は強い個人主義に立つ古書店オーナー達によって支えられてきたとともに、協調・協力の動きが結集力に高められたこと」によるのであります。

 一人の若手後継者が「自分が一生懸命頭使って買ってきたものを…(入荷情報を)不特定多数の人に流そうとは思わない……自分が扱ってみたいと思って買ってきた本はそれだけお客様の顔が浮かんでいるんですよ」と語ったように、情報発信の基本は「1人の個人から特定の人へ」であるということ、そのことを踏まえたうえでの力の結集であったと思われる(注 金子郁容、松岡正剛、下河辺淳1998年『ボランタリー経済の誕生』実業之日本社、46頁)。

 一軒の書店が一人勝ちして、他店を傘下に吸収しつつ発展した構造ではなく、一軒の大店から分離分散して小さな独立店を増加させ、かつ協同を保って、メッシュ構造を築きあげてきたのは、扱う商品(情報)の性質に適合していたのであります。自由で異質で、孤独な人間を結びつけるものが情報であるという、基本から逸脱しない範囲での仕事を伝統にしてきたことが、強さと継続の一因といえるのではないでしょうか。

 なお、以上の内容は日本都市学界の機関誌である『日本都市学界年報2003』Vol.37・2004年4月、237頁〜に正式に発表されています。

終わり
(文責 大内 田鶴子)

Q&A

Q. 神保町の路地裏に、古本屋が増えているのは何故ですか?
A. やはり、地域そのものがブランドになっているからです。神保町に住 
  所があると、それが信用につながるのです。新人を閉鎖的に排除する
  のではなく、仲間として迎え入れている地域力の表れです。

A.路地裏にお店が確実に増えております。10年前には130軒でしたが、 
  現在、支部加盟店は162軒に増えております。非加盟店を入れると約
  180軒でしょう。環境的には神保町の家賃が急落したこと、インター
  ネット検索によって路地裏でも、ビルの2階でも商売ができるように
  なったことが原因でしょう。併せて、神保町という地域名がブランド
  になって商売しやすくなったといえます。
   
   さらに、本の世界が多様化し、細分化して特定のジャンルだけのマ
  ニアがおります。それに対応するように、むかしお客さんだった人が
  リタイヤしたのち、自分の所有する本でお店を開くというケースもあ  
  るようです。一つはそれが楽しみみたいなもので、同好の士がそこに
  たむろする。本を巡って話題が展開する趣味のサークルのような形が
  出来上がる。そして、少しは商売になるという新しい形態の店です。
                     (高山肇氏=古書店経営)

Q.神保町の古本屋は増えていく傾向にあるが、出版不況で出版社がどん
  どん潰れていくという現実が傍にあります。

A.昔から神保町はそうなんです。出版業と古書販売は違う分野でしょう。
  大学認可の際、必須条件の図書館が、200,000冊の蔵書が必要になる
  が、司書に能力がないと、全部老舗古本屋まかせにして集めてもらう。
  二、三十年に一度ブームがあると、それが古本屋の財産になるから、   
  潰れない。(九段歯科・福持貞孝氏)

A.古本屋街は明治以降盛んになったと言われましたが、江戸時代のご城
  下においてはどうだったのでしょうか?

Q.東西書肆街考からの知識ですが、江戸時代の出版(本屋)は京都です。
  江戸は貸本屋が盛んでした。政治が明治政府に変ったときに、福沢屋 
  諭吉が、新しい政治や経済の動向を出版する会社(ベンチャー企業)
  を作ったのが最初です。神保町の古書店でも江戸時代からという店は
  ありません。(大内 田鶴子先生)
  
  江戸時代から続いている本屋は上野にあります。千代田区に大学が出
  来はじめてから、神保町に古書店がどんどん出来たと思います。岩波
  書店、有斐閣も昔は古書店でした。その時代、本はそんなにありませ 
  んでしたから、一度使った教科書は次の学生に、古書店を通じて伝え
  られたのです。大昔は写本、江戸時代は木版本。いずれにせよ貴重品
  でしたが、売られなかったら流通しませんでした。昔は新刊がないわ
  けですから、古書しかなかったという理解が正しい。(高山 肇氏)
●このあと、神保町の主たちの談話が延々とつづき、大内田鶴子先生は神保町に関する新しい研究テーマのために、まるで女子大生のようにインタビュービュアに変身したのでした。
(編集・文責 三上卓治)

会場写真撮影:橋本 曜 HTML制作:大野 令治