平成16年7月16日  千代田区麹町小学校音楽室
神田雑学大学特別講座 NO223 【神田パリ祭】


神田パリ祭

出演: 坂田 純治  阿部 克行  高崎 啓子  中島 隆  植木 武裕  野崎 幸子
伴奏:関 かずえ

総合司会:鈴木一郎

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パリ祭の由来
 7月14日はフランスの革命記念日ですが、日本ではその日をパリ祭と呼んでいます。1933年ルネ・クレール監督の映画「ル・カトルズ・ジュイエ/7月14日」が日本で封切られることになったとき、「7月14日」という題名ではわかりにくい為、輸入元の東宝東和映画が「巴里祭」と名づけました。戦前もフランス映画のファンは多く、シャンソンも宝塚歌劇団で歌われていました。
 今日は7月16日(金)。なぜか神田雑学大学で行うフランス革命のお祝い「神田パリ祭」であります。

坂田純治

 最初に「シャンソンとは何」というわかり易いお話を致します。
シャンソンとは、フランス独特の唄です。私などは「小唄」と数十年間思っておりましたが、最近カルチェラタンに集まる文化人がシャンソンの定義づけをしました。それによると、それは「歌謡曲」、「流行歌」であると解釈しなさいとのことであります。フランスでは民謡のことを「フォルクロール」といいます。クラシックの歌曲は「シャン」。シャンソンとは、民衆と深く繋がる歌謡曲・流行歌唄であると定義づけしましょう。

 むかし、シャンソンには楽譜がありませんでした。歌手も楽譜を読めない人がほとんどだった。唄は口伝で教わり、広がって行ったのですね。面白いエピソードがあります。パリで流行ったシャンソンの歌詞に、二匹の羊という文句があった。これが南仏のマルセーユまで行くうちに20匹になったという。これについてまた物知りがいう。パリの2匹は夫婦だった。マルセーユへ着くまでに18匹生れたということよ。
 
 シャンソンの歴史は、12世紀のプロバンスで発生した吟遊詩人をルーツとするという学者もおります。吟遊詩人とは宮廷に雇われた詩人ですが、宮廷において起こった恋物語をフィクションを交えたストリーにして吟遊したり、英雄豪傑の活躍ぶりを歌いながら叙述する仕事をしておりました。16世紀の頃に、これがシャンソンのルーツかと思われるものが現れます。内容が非常に大衆的になったきます。

16世紀の有名な詩人ロンサールの詩に、「恋ゆえの悩み果てなし」という詩があり、叙述が軟らかくなって参ります。「古いシャンソンほど、若々しいものはない」というロンサールの詩もあります。そして、18世紀―19世紀にかけてシャンソンのブームが起きます。この時代には、シャンソンはまったく庶民のものになりました。庶民階級の唄が、プチ・ブルの唄に進化し、さらにブルジョワのものになっていきました。ミレーユだとか、現代に近いシャルル・トルネなどがその例で、ブルジョワ化したシャンソンと言われています。

シャンソンのジャンル

ではシャンソンのジャンルはどうなのか。
シャンソンには、色々な作曲家や歌い手がおります。しかし、これは分けるとキリがないので、3分類しますと、
(1) シャンソン・ド・レアリスト(現実派 貧困・失恋・別離・ニヒル・死)
   このようなテーマを叫ぶように唄ってシャンソンを広めていった。三大リアリスト
   と言われるのは、語るように唄うイボンヌ・ジョルジョ。暗い日曜日のダミア。
   昭和28年に来日した際、私は全興業のおっかけをやりました。
   三人目はペペル・モコ「望郷」のフレール。「あの人はどこに」を劇中で歌っている。
   その他「パリ祭」のリス・ゴーチェをぜひ紹介したい。
(2) シャンソン・ド・シャルモ(魅惑の恋派)
(3) シャンソン・ド・ファンテジスト(コミカル・楽しい) レビュー界の女王ミスタ
   ンゲットを代表とする。モーリス・シェバリエ。シャルル・トルネなど。
  
シャンソンの場合は、一つの曲を色々なバージョンで歌う傾向がある。イブ・モンタン。グレコ。シナトラなど多くの歌い方があるが、日本でのシャンソンでは歌詞の邦訳がまた、多数存在する。どれが一番いいかは言えない。好み次第であろう。

なぜ、シャンソンなのか
 シャンソンはまず、口伝から始まった。2番目はレコードの発明(1876年エジソン)があったが、1887年にバリナーが発明した円形盤によって音の世界が一挙に広まった。
1927年ハリウッドのワーナー・ブラザースのトーキー映画の発表があった3年後、ルネ・クレーヌの「パリの屋根の下」でヨーロッパ初のトーキー映画を作り、その主題歌がどんどん広まったのであります。

 日本では、宝塚歌劇団が1927年に団歌のようなかたちで「モン・パリ」を使い、1930年に「すみれの花咲く頃」を劇団歌としました。シャンソン界も第二次世界大戦後はアメリカやイタリアのカンツオーネなどとの交流が盛んとなり、「枯葉」などはフランスでは全く顧みられず、4年経ってアメリカから逆輸入されて母国のヒットソングとなった。エデイット・ピアフの「ラビアン・ローズ」は恋人だったイブ・モンタンに捧げる恋の歌だった。
また飛行機事故で亡くなったマルセル・セルタン(ボクシング。チャンピオン)の死を悼んで作詞作曲したのは「愛の讃歌」で、話題の多いシャンソン歌手でした。
 シャンソンとは何か?を語るにはあまりにも舌足らずでしたが、歌う時間がなくなりますので、これで終わりたいと思います。


 坂田純治さんの紹介  三上卓治

1929年に生まれ、5歳にしてダミヤの「暗い日曜日」を歌って、両親を驚かせたという神童でありました。20歳過ぎて、早稲田大学演劇集団「自由舞台」を創設。大隈講堂付近を、三宅久之氏(政治評論家)とともにルパシカなどを着て闊歩しておりました。長じて、紙の会社に就職しましたが、残業をしない社員として有名でありました。何をしていたかというと、夜は演劇活動をしたり、シャンソン・バーの道場破りをしていたらしい。そのプロセスで、だんだん芸に磨きがかかり、五十歳代ではシャンソン・コンクールでしばしば優勝するなどしておりましたが、七十代になってからは、さすがに高音が意のごとくならないということに気がつき、「艶も消え失せた今はエスプリだけを大切に表現に勤めて」おりますという坂田純治さんであります。





 伴奏の 関かずえさんの紹介 鈴木 一郎


中野区生まれ、三歳からピアノを習い、桐朋学園大学のピアノ科を卒業、20歳にてプロ入りをしました。著名なミュージシアンと共演され、最近ではジャズとラテンの歌手市川加代子さんコンビを組んでコンボ編成のバンドで、ライブを続けておりました。かずえさんはクラシック、和声、オーケストレーションの理論を学び、バンドマスターとして活躍されておりました。2002年には有楽町のシャンテに出演、クラシック、ジャズ、シャンソン、ハワイアン、タンゴ、歌謡曲などジャンルに捉われないピアニストです。ご出演の皆さん、安心して歌って戴けると思います。ではどうぞ。




坂田 純治 
「街」ダミア

♪ 街よ まちよ こころのふるさと
私は 今日もまた さまよい歩く
飾り窓をひやかして 歩いているうちに
何となく 胸弾む 気の置けないまちよ
繰り返し くりかえし呼んだおんなに
心から  うちとけて 語り合える街

街よ まちよ こころのふるさと 
わたしは今日もまた さまよい歩く
土曜日の人波に もまれているうちに
好きだったあの人を ちらり見かけたよ
あい変らずに綺麗な目をしていた
あの人にもういちど 合わせて欲しい
街よ 
わたしは今日もまた さまよい歩く

阿部 克行(早坂 光平氏の同窓・盛岡第一高校。四谷「蟻んこ」の歌い手)











「抱きしめて」

♪抱きしめて わずかな時よ
抱きしめて せめての優しさがあるなら
いますぐ抱きしめて
わたしに下さい 涙を
ふり切る力と 勇気を

抱きしめて 抱きしめて
すべてはおわりね
抱きしめて
あなたは一人で新しい旅に出る
抱きしめて
覚えておいでよ
二人で重ねた夜のぬくもりを
抱きしめて 
たとへば どこかで噂をきいても
うしろ姿を見かけても
悔やんだりしないでしょう
たとえば死ぬ時がきても
それが命をかけて愛し合い
別れたあなたとのもの
たとへば どこかで噂をきいても
うしろ姿を見かけても
悔やんだりしないでしょう
たとえば死ぬ時がきても
それが命をかけて愛し合い
別れたあなたとのもの

高崎 啓子(吉川 欽也氏の紹介・墨田区生涯学習センンター「ユートリア」シャンソン   
      教室の先生)















「リヨン駅」

♪今日もまた パリは雨ね
この雨には泣かされるわ
今日限り パリの空も
しばらくは お別れね

降りそそぐ 太陽に 身をこがしに 出かけるの
大好きなイタリアへ
カプリ島やベニスへ

タクシー リヨン駅まで行って
お願い急いで欲しいの
カプリ行きに汽車に乗るの
リヨン駅までいそいでね

美しく 唄われる あのカプリを見に行くの
目もくらむ 海の青さ
すいこまれる 空の青さ

パリの秋は大好きよ
でも夏ならカプリだわ
明日はもうイタリアで
肌をやいて眠っているわ

夕暮れには ゴンドラで 舟唄を唄うのよ
バルコニーから 若者が この私に 恋するわ
タクシー リヨン駅まで行って
お願い いそいで欲しいの
カプリ行きに汽車に乗るの
リヨン駅までいそいでね

ため息の 橋の下で 愛の唄を聞きたいの
長くない この旅を
思いきって楽しむわ タクシーいそいで
リヨン駅まで


坂田 純治
「待ちましょう」

関かずえのピアノ・メドレー
「パリの屋根の下セーヌは流れる」「暗夜の小道」「シュルプールの雨傘」

休憩


後半はフロアーの方から3人の歌い手が登場します。
中島 隆



(吉川欽也氏の会社の先輩。同志社大学グリークラブ出身。60歳になったある日  
     突然カンツォーネからシャンソンへ。高崎 啓子先生の門下生)











「キリマンジェロ」

夕日が沈めば姿かすむ
かなたに聳える雪のキリマンジェロ
雪に包まれて凍り眠る
雪に包まれて凍り眠る眠る
・・・・・・・・・…
・・・・・・・・・・・…
雪のキリマンジェロ

植木 武裕 (吉川欽也氏の高校の後輩・バッハ合唱団出身。ニュー・シャンソン歌手)















「初恋」

砂山の 砂に腹這い
初恋の
いたみを遠く おもひ出づる日
初恋の
いたみを遠く おもい出づる日
あゝ おもい出づる日

野崎 幸子  (雑学大学会員の秋山 和子さんの中学以来の友人・最近箱根で歌唱力があることを発見)


「恋なんて」

♪恋は不思議ね
消えたはずの 灰の中から
何故に燃える
ときめく心 切ない胸
別れを告げた二人なのに
恋なんてむなしいものね
恋なんて何になるの


高崎 啓子
 シャンソンは、詩がとても哲学的です。フランスでは八百屋さんでも、魚屋さんでも哲学の話をするというくらいです。はじめは吟遊詩人の詩が曲になったそうですが、その後も第一級の詩人や文学者が詞をつけたものもあるし、またもっと大衆的な詞の曲もどんどんでき、ジャンルが大きく広がりました。その中でも、この曲こそはパリ市民がもっとも愛した曲ではないでしょうか。詩を大切に、聴く人に想いが伝わるように唄いましょう。
シャンソンは、自分がまず、つぶやくように(頭の音にテノートをかける)唄って見ることです。ではご一緒にどうぞ
「バラ色の人生」

「オーシャンゼリゼ」

「リラの花咲く頃」

 神田雑学大学の老いも若きも、一生懸命に「恋なんて…・」と唄って、パリ祭の夜はふけゆくのでした。

最後に、

阿部 克行さんの「初日の夜」

坂田 純治さんの「パダン パダン」


高崎 啓子さんの「懐かしい恋人の唄」

田口 和男さんのビブラフォン「オールオブミー」



                              終わり

文責;三上卓治  会場写真;橋本曜  音楽のページ(音の編集と文);山本啓一 html化;山本啓一