2004-09-03 神田雑学大学講座 NO230


新車開発のよもやま話
講師 嶋 田 幸夫


自動車の設計について


 カルソニックコンプレッサー株式会社の嶋田 幸夫と申します。
長年、日産自動車の設計部門に携ずさわりまして、現在子会社の社長をしております。主に、エアコンのコップレッサーを開発製造している会社です。千葉県習志野市にあり、セーコーインスツルメント㈱の事業部をスピンアウトした会社を、カルソニックカンセイー㈱が85.1%出資し(現在は87.4%)、以降カルソニックコンプレッサー株式会社になった会社の社長を務めております。

 大阪府立大学を卒業後、日産自動車株式会社へ入社し、ずーと自動車の設計部門におり、エンジンとトランスミッション以外の全ての部品について関係してきました。1991年から8年間、日産の役員を務めましたが、2年間は経理、原価計算(コスト)、6年間は車種ごとの商品企画(新車種の設計・開発・販売推進のプロセス)を担当しました。

 商品企画には、商品戦略グループという、いつ頃どのような車を市場に出すかを具体的に検討する部門があります。途中で、デザイン部門、品質部門の総責任者を掛け持ち致しました。99年6月にゴーンさんが登場した時期に日産自動車㈱を離れ、サプライヤーの一つのカルソニック㈱と㈱カンセイ両社の役員を務めました。その後5年が経過し、日産自動車も変わりましたので、今日は出来るだけ一般化したお話を致します。

●日本の自動車の設計・製造・開発プロセス技術レベルは世界一

 皆さんは、アメリカ、ドイツなどの車と比べて日本の自動車に対して、どのような捉え方をされていますか?色々なご意見を戴きましたが、
商品は、物を作る側からいうと、まず商品力を含め「いくらで売るのか」=「プライスとコスト」が第一。それから「製品の品質」です。次に「プロセス」=販売時期。この3点から見ると、日本の車は世界一です。
 
自動車製品の品質・・・・世界中(日欧米)JDパワーIQS(初期品質)  
            &経時劣化品質で上位はいつも日本車。ただし 
            最近は韓国 現代(ヒュンダイ)の車が上位に。
            日産が下降してゴーン社長の逆鱗に触れた。
            ‘5年度までに3位に入れとの命令。
開発期間最短・・・・・・最近はデザイン決定後10~15ヶ月(年々短縮)。
製品コスト最廉価・・・・価格アドバンテージがどの地域でもある。
サイマルテーニアス開発プロセス・・・社内だけでなくサプライヤーも含 
            めた同時共同開発(デザインインを可能にする
            サプライヤーの底辺技術が高い)。
            日本人はコンパクト化が得意。
            徹夜をしても日程を守る。
            製造現場の知恵と工夫する力が高い。

●自動車の開発の難しさ
・ 構成部品が2万点以上。
・ 設計者を一車種開発するのに、カーメーカーだけで500~1000人かける。サプライヤーを含めれば5,000人は下らない。
・ 開発費は型費・冶工具を含めると一車種1,000~2,000万円。
・ これを約1年強で安全・環境問題から車の魅力も含めて世界中の法規と使用勝手を満足させつつ作り出す大プロジェクト。
・ それを大メーカーは、年4~5車種は開発する。

・ 量産車(100台以上)は「指定車」と言って運輸省から承認を受けて工場の検査のみで所謂「車検」を車検場では受けないシステムになっている。そのために国土交通省の委託機関である審査部で認証を受ける。日本の場合国土交通省が定めた「保安基準」(車の安全を保障するための基準が詳細に決められていて、それに定められていないものとして通達による内規がある。)を満足しないものは指定自動車に指定されない。販売後この基準を満足しないことが判明すると「リコール」になる。少量生産の場合は各県の車検場で審査を受けることになる。

●日本の自動車開発の流れ(自分の生涯を振り返りつつ)
・ 日本の自動車会社は、日産もトヨタも昭和8年頃が創世期。その頃から日本人が独自に開発と製造を始めた。(トラックと小型乗用車)
・ FORDは大正13年、GMは大正14年に日本にノックダウン工場を設立
・ 私が入社した昭和38年頃は、漸く高速道路(阪神高速)や新幹線が出来始めた頃で、テストコースもせいぜい100Km出せるレベルから130Km出せるコースが出来始めた頃。
・ (今は大体200Km以上出せるものが普通)

・ 自動車工学がまだ体系化されておらず、自動車を設計するに当たっては、欧米の参考になる車をスケッチして、それをベースに改良設計をして実験は経験的な評価が多かった。すなわち「自動車の設計は経験工学」と言われていた。

・ われわれの世代は、一から全て設計し、失敗に学び技術を積み上げていった。四則計算の電卓が出始めた時代で、入社3年後位に関数計算のできる電卓が市場に出始め、秋葉原迄行ってそれを入手して全て手計算をした。その後(昭和45)すぐIBMの大容量コンピューターが出始め、シミュレーション計算も自分でプログラムソフトを作り、カードにパンチも自分でして、デバッグして技術計算をした。

・ 今や自動車のそこら中に電子部品が使われていますが、電子部品の使いはじめの頃の昭和45年頃のエピソードをひとつ。現在東海大の教授、その頃松下通信工業の役員であった唐津一さんが、品質管理の話を日産の開発部門に来て講演された時に言われたことで、「電子部品は自動車には絶対使わないほうがよいですよ、品質の保証が出来ませんから」と、

・ 電子の専門家にそんなことを言われて唖然としました。しかも、翌年の講演でも同じことを更に強調されました。今や電子部品なしに自動車部品は成り立ちません。今でも「バグ」と称して時々不具合がでますが、自動車屋は、機械的アルゴリズムを電子屋のプログラムに書き込む時に、ブラックボックスにならないシステムにして、他人が外からチェック出来るようにしています。

・ その頃から約40年設計・実験の標準化・規準化がすすみ、その上で出来るだけものを作らず実験をしないで、シミュレーションで評価できるようになって来ました。その結果として、従来の開発期間が30~35ヶ月掛かっていたものが、先に言いましたように10~15ヶ月に短縮されてきたわけです。

●ユーザーの特性
自動車のユーザーには好みというものがあります。一番多いのは形状、色、インテリアの雰囲気に好き嫌いがあるので、どのように好みに合わせるか、中々難しい要素があります。
 
 次に、車そのものの魅力。便利だとか、居住空間が広いとか、エアコン   
 が快適だとか、走行性能が安定しているとか。信頼性、安全性、経済性、
 環境対応、省資源、ブランド=ステータス、サービス性(壊れた時にすぐ 直せるか)。メンテナンスフリー。これらを開発期間の一年間に評価する。時々、手を抜くと最近の三菱のようなことが起きることになる。¬

 自動車ユーザーは不特定多数ですが、できるだけ特定・類型化して設計したいと考えます。ある国に車を売ろう とすると、性別、ライフスタイル、所得、文化、国、民族、これらは全部国によって違う。たとえば、白人たちの感じる快適温度は、私たちより3℃低い。これは長年の生活環境からくる民族性に近いものです。
 
 手の大きさも全然違う。力の強さに至っては、ドイツ人は非常に強い。したがって、ドイツの三つの車は、クラッチ、ブレーキなどみんな重たい。 ベンツなどは、シートが日本人に合わない。ドイツ人は80kgが平均だが日本人は50kgベースで設計する。同じシートに乗ると日本人は浮いてしまう。(最近は日本人仕様に合わせきているようですが)。

●地球環境化での使用
 これが設計上一番大変な点です。雨、風、砂漠、泥地、高地、寒地、熱
地。-40℃から70℃まで全部クリア出来ないと、どこかで問題が発 
 生する。また、砂が室内に入ってくるとか、ラジエターのフィンが詰まってしまうとか、色々発生する。車の運動能力はフイーリングでないと分からない。 
 
 車が走るとタイヤは転がっていますが、曲がるときは滑っています。滑 
 っている時に生じる反力(摩擦反力)で車は曲がるのです。
 人間は、千差万別です。その全部に合わなければならない。例えば、
 イヌイットは、大きなブーツを履きます。その幅はこのくらい(約20cm)あります。アクセルペダルとブレーキペダルの中にスッポリ入る。つまりブレーキを踏もうとしても両ペダルに引っかかって踏めない、結果事故を起す。そんなことも全部経験しないと判らない。

 東京にいると、気候はー5℃から40℃までですね。フィンランドなどではかつては-40℃になると学校や会社は休み、電車は動かないというほど、社会機能の全部止まりました。―40℃になると車のオイルが固まります。しかし、最近は電車も車も動いています。自動車は、それらのすべてを考えながら、設計しなければならないのです。

 ●裏話1 スカイラインの歴史と新スカイラインの命名

 
開発はじめのコンセプト
 新スカイラインは、スカイラインを止めることを前提にしていました。
 目標は、トヨタの「プログレ」を凌ぐ中型高級セダン。まったく新しい
 フロントショートデッキの室内シーマ以上の広さ、フロントミッドシッ
 プの新プラットフォーム、車体剛性の飛躍的アップとロングストローク
 のサスペンション。以上により走行性能と乗り心地最高を目指す。衝突 
 安全トップ性能、即ちスカイラインをイメージした車ではなく、別のジ
 ャンルを目指した車でありました。

スカイラインの歴史

発売年月 型式 排気量 価格
S32,2 4LSI 1500cc
(34,2) 1900cc
S38-9 S50 1500cc
2000GT
S41,8,1 S50 G15 68万円
S41,8,1 プリンス自工と日産自動車合併
S43,8,1 C10 L20 2000cc 88万円
S47,9,20 C110 L20E 87万円
S50,8,1 C210 121万円
S56,8,18 R30 L20ET 156万円
H8 R33 L30ET 220~280万円
H12新型スカイライン VQ30 290~340万円

http://car.autos.yahoo.co.jp/m0102/k01021035.html
 ところが、発売直前にP氏が、車の名前だけをスカイラインにしたのです。スカイラインの客層のベースは、若くて飯を食わずとも車を持つという金のない人です。したがって、絶対最高でも価格は250万円以下でないと買えない、従って売れない。車の買い替えの時に、下取りに上乗せするお金が50万以上不足して、若者は買えないという結果になりました。

 これは、商品企画を全く無視した名付けでありました。昔の「スカイラインイメージ」で乗る50台以上の人にはマッチしているが、デザインは全く合わない。 そういう若い人の為の車は、はじめからクーペで、スカイラインのブランドを企画していた。しかし、北米向けは初めの企画通りで、今も良く売れている。35000~40000台/年ペースで順調に推移しております。

 新車開発には、先行コンセプトがあります。市場創造とか、新しいレィアウトとか、ユニットやプラットフォーム開発したり、内装を作ったりしながら仮説を設定し、お客さん実際に見てもらう。そのダイレクトな反応を見ながら何遍もフィードバックする。それをスカイラインの中でやってきたのが、最後の最後に至って名前だけ換えられた。商品イメージが全然合わない車になったということです。

●裏話2   New「Z」

Zの歴史
 Zは1969年(S45)に作った、前身はフェアレディ(4気筒)を6気筒に、デザインをロングノーズのスポーツカーとして開発した車でした。パワーと重量的に優れており、北米で売り出した時点では、秘書の女性が飛びついて、改良型も好評裡に売れました。

 しかし、1998年で北米は発売停止となりました。
 その理由:もはや「モンスター」化したZは重量も、エンジンも排気規
 制対策が不可能になったからでした。
 ところが、北米の「Zクラブ」(メンバー2000人)からの猛烈なラブ 
 コールです。発売停止時から社長・商品本部に毎週20~30通の[Z]再    
  発売の手紙が来たのでした。
   そこで、長期戦略にない「Z」の企画・開発が始まりました。
開発をするために北米ニッサンの企画部門・北米デザインセンター・商
品部門が、アングラで開発を企画しました。

  1998年秋から、始めはシルビアをベースに4気筒エンジンで開発。
原点に戻って2シーターのみで開発を始め、デザインは北米デザインインスティチュートにやらせました。1998年の秋のディラーショーに展示すると、ディーラーの親父等から「これを出さないと日本へお前を殺しに行くから」と脅かされるほどの好評を得ました。ここで、やっと戦略グループの企画が認知されて、長期戦略に上がったという経過を辿りました。

  New「Z」開発のコンセプトの基本3要素
ハッチバック
6気筒エンジン
3万ドル以下の販価(ポルシェは4万5千ドル)
 
  1999年4月20日に商品企画を承認。
(ゴーン氏はその3ヶ月後に社長就任)
  現在、北米4000台、日本200台という商品企画の計画通りに販売中。
  http://www2.nissan.co.jp/Z/top.html


●ニッサンの業績回復と経営神話
1.カルロス・ゴーンの経営神話
 ニッサンの99年~03年度の業績については「月刊現代9月号」に詳細
 が述べられているので、それを見ていただければよいと思います。
 今やカルロス・ゴーン氏は、経営界の英雄になっていますが、それはV
 字の収益回復が目を見張るものがあるためで、それもかなりの恣意的な 
 ところがある指摘がされています。「勝てば官軍」で、多少の課題は影が
 薄くなっています。しかし、あまり評判が立ちすぎると、日本人の特性 
 か否かは判りませんが、ねたみや恨みの声が高まって来るのも、時の流  
 れ加もしれません。そういった中で、マスコミが作り上げてしまった神 
 話を、少し話しましょう。

・ テストコースへゴーンさんが来て試乗したのは役員では初めて
→これは真っ赤な嘘。1990年の初めから定期的に年3~4回の役員試乗会 
 があり、社長をはじめ開発担当役員だけでなく、本社の役員、当然営業
 の役員も、新車は必ず試乗していた。完全な広報・マスコミのヨイショ 
 であります。

・ 新Zの商品企画はゴーンさんの指示
 →これも脚色された筋書きです。これについては別途詳しくお話しま
 した。

 参考
 月刊現代2004年9月号の【カルロス・ゴーン「経営神話」の自壊】
 http://kodansha.cplaza.ne.jp/mgendai/200409/index.html
                            終わり

文責 三上 卓治  会場写真;橋本 曜  HTML編集;山本啓一