平成16年9月17日神田雑学大学講座 講義録

童戯立川文庫

講師 新島廣一郎 

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講師紹介

立川文庫の歴史

小冊子の感動




講師の新島廣一郎(にいじま こういちろう)さん

●講師略歴

新島廣一郎(にいじま こういちろう)
昭和11年生まれ。
江戸来期から昭和にかけての講談関係資料の収集家。その収集範囲は書籍のほかに玩具、レコード、映画資料、 忍術の道具など多岐にわたる。平成5年から8年まで、埼玉県熊谷市の自宅に「昭和資料館を開設。 著書に「めんこ博物志」(平成元年 私家版)、「講談博物志」(平成4年 私家版)、 「少年講談集」資料(「少年小説大系別巻二少年講談集」平成7年三一書房)。

●立川文庫の歴史

立川文庫 「天狗飛び切りの術 鞍馬八郎」 立川文庫の最大の功績は、その執筆陣の中心的役割を果した講談師玉田玉秀斎が創出した 「忍術講談」を普及、発展させたことであります。江戸後期には、歌舞使、狂言、錦絵などで仁木弾正、 天竺徳兵衡、児雷也、石川五右衛門等、悪役の主人公が大見得を切る演技に観客の喝釆が鳴り響きました。

当時、これらの役者が舞台で繰り広げた妙術は、幻術、幻戯、妖術、仙術、神術などと呼ばれ、 一種の奇術であり忍術ではなかったのでした。武芸としては、古くから十八種目に分類され「武芸十八般」と称されていて、 その中には隠形術も含まれていました。然し、これも忍(しのび)の術であって忍術ではないのです。  

明治四十三年、松本金華堂発行の新講談小説(菊判)で私の所蔵する「八重垣主人輝秀】の巻末広告に続刊日録として 「真田家三勇士猿飛佐助」「真田家三勇士霧隠才蔵」「真田家三勇士由利鎌之肋」の書名が載っていて、 いづれも講演者は玉田玉秀斎となつております。

私は同書を入手することはできなかったのですが、「立川文庫の英雄たち」 (足立巻一著 昭和五十五年)で現物に基づく詳細な考証を読み、これによって後の 立川文庫に登場する猿飛佐助や霧隠才蔵の原型が出来上っていたことを教えられました。  立川文庫としては、大正二年一月(初版)に第四十篇 真田三勇土忍術名人猿飛佐助」が忍術物として初めて出版されました。

これが爆発的人気の起爆剤となり、その売れ行きの凄じさは、再版を重ねるも追いつかなかったというほどでした。 変幻、出没自在、九字を切り呪文を称えれば煙の如く姿は消え、洪水、嵐、火焔を操ることも意のままという。 又登場する女傑も百貫の石を軽々と持ち上げ、三十貫の鉄棒を芋穀の如く振り回し、 岩をちぎつては投げ、ちぎつては投げ・・・・という途方もない怪物ばかり、 読者が興奮の坩堝と化したのも無理もありません。

奇想天外、荒唐無稽のこの展開は、編を追う毎に忍術物が増え、活動も際限なくエスカレートして、 余りの馬鹿馬鹿しさに文庫から離れていった者もあるというくらい。

●小冊子の感動

小冊子 ともあれ、この小冊子から感動と夢を与えられたのは、下町の悪餓鬼や貧しい庶民の子供達ばかりではなかったのです。 著名な政治家、学者、作家なども親の眼を盗んで愛読したことが、彼等の自伝や回想記の中に多々見受けられます。

少し大袈裟かも知れないが、この文庫の残した足跡は単に読み物としてだけでなく、 童戯や遊具の世界にも多大な影響を及ほしたことから、児童文化史における貴重な遺産として評価しても良いのではないかと私は考えております。

大正か昭和初期の童戯、遊具、絵本、漫画、映画などのほか、 縁日の露店や駄菓子で五厘から一銭で買えた小物玩具を眺めてみると、 独飛佐肋や霧隠才蔵の姿が至るところに潜んでいることに気づきました。

忍術ごつご、チヤンバラごつこなどは大正四年頃から小学校低学年から高学年の者達の間に大流行しました。 尾上松之助(通称目玉の松ちゃん)が得意として主演した忍術映画の影響である。以後レコードが売られ、 紙芝居も繁盛して昭和初期(戦後含む)までに三回の忍術ブームが繰り返されております。このごつこ遊びが加熱して、 怪我人が出るなど、社会問題にまで発展した例もあるという。

遊具としてメンコは代表的なもので、明治末期には天竺徳兵術、 仁木弾正など歌舞伎で人気の高い妖術使いが描かれたシオリカード(長メンコの一種)が売られていましたが、大正になつて立川文庫等が創出した多数の忍術使いが、 従来主役であった武将や軍人に代って剣豪と肩を並べ主役の座に就いたのであります。 中には絵柄とともに「史談文庫」と印刷されているものもありました。

カルタでは「忍術カルタ」が案出されるほど個性的な忍術使いが各種文庫から踊り出ております。 然し、カルタには立川文庫よりも亜流の「怪傑文庫(後に忍術文庫)」 「新著文庫」「武士道文庫」「大正文庫」「英勇文庫」をどから生れた忍術使いが大半を占めております。 日光写真の種紙では、昭和初期(戦前)までは忍術物が多かったのですが、戦中になつてからは軍隊物、 銃後生活の物が急増しました。

双六は、大正六年頃から文庫の影響を思わせる忍術物が頻繁に売られたり、雑誌の付録などもあって数十種は確認できる。  ブロマイドは、大正期は大型(葉書大)であったが昭和五年頃から小型(名刺大)のものが発売され大流行を見ました。 当時は、大都映画、極東キネマ、全勝キネマなどが活発に製作していましたが、内容は興味本意で”三流映画″ とか”不良少年の映画“と云われ評価は低かった。

忍術映画、剣豪映画が次々と濫作され、滅法面白かったため大人も子供も競って買い求めたと伝えられております。 又、映画のフィルムを一駒づつ切り離し、古雑誌をばらした紙の袋に一枚から二枚入れてあって、 駄菓子屋の店先に束でつるしてありました。このカットフィルムには、コレクター用の専用アルバムも同時に売られるという盛況ぶりがうかがえます。

さて、立川文庫(亜流文庫を含む)が童戯遊具に及ほした影響について幾つかの事例について紹介しましたが、 これはほんの一例にすぎず、このほか紙芝居、移し絵、ぬり絵、絵はがき、凧、パズル、御座婦貴紙(ろう紙)など小物玩具をも含めて追究すればその影響の大きさがわかると思います。
算術の苦手な貴方!!忍術に挑戦してみてはいかが!!

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文 責:三上 卓治  会場撮影:橋本 曜  HTML作成:上野 治子