第235回 神田雑学大学講演 (平成16年10月8日) 抄録 

演題 西浦流雑学の勧め

講師 西浦義夫氏 

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★自己紹介

講師の西浦義夫さん 私は西浦流雑学家宗家と名乗っております。
オスギとピーコが映画評論家といってもらうにはどうしたらいいかと、相談にいって結局自分で名乗るのが一番早道といわれたそうですが、 私も勝手に宗家と名乗っています。

宗家といいますと、和泉元弥が一時評判になりましたが、彼が小学校一年のころ銀座の能楽堂で先代の宗家に促されて挨拶していたのを覚えております。 それは新橋芸妓組合の狂言勉強会です。このとき勉強会の幹事をやっていたのが有名な、まい千代でした。 私の流儀は、深追いせず、広く浅く調べる、ということで横のつながりのひろがりを心がけています。

私の近況報告として、KKベストセラーズ社の「一個人」という雑誌に「食通たちの名料亭」として「舞踏史家西浦義夫の名料亭」が掲載されました。 ここで、私と岸朝子先生の推薦する名料亭ということで紹介されました。 また、昨年エジプトへ旅行してカイロの近くで、ギザのホテルにとまりましたが、火事に遭遇して危ない目にあいました。

世間では、「雑」というと、粗雑とか、雑な仕事というふうに、いい意味にとりませんが、幕の内弁当のようにいろんな事が楽しめて、 雑学はこれでいいのではないかと思っています。

★「財界数奇者列伝」

まず財界に就いて少し述べます。
1.三鬼陽之助は数奇者でありませんが、経済評論家で、日本に財界という言葉を浸透させるのに力のあった人でないかと思います。 明治42年うまれで平成14年に95歳で亡くなっています。三重県出身で、法政大学を出てダイヤモンド誌の編集長をやって、有名になりました。 昭和28年に、財界という雑誌の発行をはじめました。

彼が昭和37年に文春から「財界首脳部」という本をだしましたが、そのなかで四天王として 小林中、水野成夫、長野重雄、桜田武をあげています。 また、財界の幹事長として今里広記、政治部長として藤井丙午をあげています。

2.近代の三茶人
「純翁、三渓、耳庵 三大茶人が好んだ強羅」の見出しの新聞記事 明治から大正、昭和初期までの有名な財界の数奇者、すなわち風流人で、茶人の三人がからむ茶室白雲堂が箱根にあります。 益田孝 鈍翁 三井の大番頭で大正5年、箱根に白雲洞を建てる。 原富太郎 三渓 大正11年に白雲洞を手に入れる。 松永安左衛門 耳庵 電力の鬼 昭和15年に白雲洞を引き継ぐ。

この茶室は、田舎風ではありますが、史的価値があり、作家の白崎秀雄の本では、魯山人ほか近世の数奇者の話がよく書かれています。 それは「鈍翁 益田孝」「耳庵 松永安左衛門」等です。

3.高橋義雄 箒庵 文久元年生れ(イタリヤ王国ができたりアメリカ南北戦争があった年)
     三井銀行 三越の基礎を作り王子製紙を経て引退 数奇者となる。
明治26年ごろの人間関係(箒庵・大阪支店長の頃)

          藤田伝三郎(大阪時代二大数奇者の一人 藤田美術館)

                     |   平瀬露香(財閥の茶人)

   中川彦次郎(三井銀行の上司) ― 箒庵 ―  小林一三(部下)

                     |    藤原あき(彦次郎の娘)   千代子(妻)揚子(再婚相手)
             平岡煕・吟舟の次女)

4.その他財界の数奇者
 根津嘉一郎 万延元年生れ 東武グループの総帥

 五島慶太  明治15年生れ 東急グループの総帥

 大倉喜八郎 天保8年 武器商人から大倉財閥を作る

  以上三人はそれぞれ美術館を作った

 野村徳七  野村證券の創業者で南禅寺に「碧南荘」を作る。
 などが挙げられます

★日本書道史

聴講生の皆さん 1.小松茂美(1925年山口県生れ)は元東博美術館・館長。そこの研究員に学んだもののなかから、書道史の紹介をいたします。

2.三筆:(平安前期)空海 嵯峨天皇 橘逸勢(貝原益軒の和館名数で紹介)

三蹟:(平安後期)小野道風 藤原左理 藤原行成 
寛永の三筆:近衛信伊 本阿弥光悦 松花堂昭乗(松花堂弁当の由来)
これに烏丸光弘を加えてビッグフォーともいいます。

黄檗の三筆:隠元 即非 木庵

幕末の三筆:巻菱湖 市川米庵 貫名松翁

3. 法華義流(聖徳太子)現存する最古のもの

宮内庁三の丸尚蔵館東博でこれら各三筆の本物を見ることができる。尚蔵館は無料なので是非一度行かれることをお薦めします。

★近代暴力団史

1.S事件
  内容非公開

2.東映任侠映画

東映のやくざ映画の傑作に、山下耕作監督の「総長賭博」があります。 やくざ映画では、高倉健とか鶴田浩二などが有名ですが、私は池部良が最高だと思います。 背中でやくざの悲しさ寂しさを演技できるのは彼が最高ですが、彼が最初にやくざの役をやったのは松竹で「乾いた花」で、加賀まりこと共演したのが最初です。(篠田正浩監督)

3. 井出英雅先生
佐藤春夫門下で、もとやくざで作家になった人ですが、「世界やくざ事典」の執筆をしたりしている人です。著作権の問題でトラブルになったとき私が、電話でアドバイスしたり励ましたりしたことがあります。

4.風俗史学会-服装史―考現学(今和次郎)
「民衆文化とつくられたヒーローたち」のポスター
私は元風俗史学会会員でした。これは性に関係したものでなく衣食住の風俗の歴史を研究する会です。 そこでやくざ服装史を考現学の手法でやれると思いましたが計画倒れ。 昭和5年 今和次郎著の「考現学」が発行されている。今和次郎は今の芸大の図案化出身で服装史、建築史などの功績があります。

5.外国のやくざ
私がトルコに行ったときに、現地の案内人にトルコにやくざはいるかと聞いたら、「そんなもの何処にもいますよ」と一笑されました。 イランのルーティについて説明しますと、東洋文庫で年2回東洋学講座が開かれています。

昨年東京外語大学の八尾師誠という先生が、非常に興味深いことを話されました。 ルーティとは、ペルシャ語で任侠という意味ですが、ズ-ルハーティ(力の家)といって、18世紀から各地に力大将の家があって、 レスリングを練習していた。そこの序列、習慣が、イラン社会の任侠の世界そのものであったとのことです。

中国のやくざは、ちょっとジャンルが違って水滸伝が一つの例になりますが、これは国芳によって描かれています。 国芳は1797年江戸でうまれ、豊国の弟子になり、30歳の頃に通俗水滸伝を描きました。これが、日本の刺青の図柄の原型になったといわれています。

6.吉田磯吉
近代やくざの元祖ですが、慶応3年福岡県でうまれ、筑豊炭田で働くうち血なまぐさい出入りをしきって、明治32年に独立、大正2年に総選挙に出馬し、その後17年間侠客議員として活躍しました。 昭和11年、亡くなったときの葬儀には2万人が参加し、友人代表として若槻礼次郎が弔辞をよみました。

7.保良浅之助
吉田磯吉の対抗馬として明治16年大阪生れです。竹篭屋から頭角を現し、後九州で木箱屋を発展させ、かご寅組を立ち上げ初代組長となりました。 その後、政友会から立候補当選し、大野伴睦、松岡洋介、犬養健などと一緒に活躍しました。浪花節を中心とした興業会のドンでした。昭和51年93歳で亡くなっています。

8.田岡一雄 
山口組三代目としてあまりにも有名ですが、大正2年徳島県うまれです。 神戸の小学生のとき、二代目山口登の弟と同級になったのがきっかけで、山口組に入り頭角を現しました。昭和12年の大きな殴り込み事件で、山口組に田岡ありといわれるようになり、昭和21年に三代目を襲名しました。 かれは事業家として先見性に優れ、神戸芸能社を作って美空ひばりなど有名芸人の興業を とりしきり、成功をおさめました。


・文 責: 得猪 外明  ・会場撮影: 橋本 曜  ・HTML作成: 上野 治子