神田雑学大学
第239回 平成16年11月12日 講義録



  絶対平和主義のアーミッシュを撮る

講師:写真家 菅原 千代志


1.講師紹介
菅原さんは岩手県のお生まれです。おもにアメリカ南部やメキシコを放浪され、また興味をもたれていたスペイン・ボルトガルなども歩かれました。その後、経験に基づく「スペインは味な国」とか「ポルトガルに行きたい」などの著書多数があります。現在はアメリカのアーミッシュに憑りつかれております。二十年にわたる想いを撮影に成功され、本日はその写真を見ながら説明して戴きたいと思います。



2.はじめに
ただいまご紹介に預かりました菅原と申します。アーミッシュについては、米映画「目撃者―刑事ジョン・ブック」(1985年、ハリソン・フォード主演)が世界に知られるきっかけになりました。2〜3日前にも衛星放送で放映されましたが、中身は刑事の話です。アーミッシュのこどもがペンシルヴァニアの駅の構内で警察官が殺される現場を見てしまった。それが「目撃者」の所以です。そのこどもを守らなければならない、ということで刑事がこどもとアーミッシュの村に行くという話です。実は悪いのは警察部内にあったというのがオチです。一緒に行った刑事が、実は暴力の世界に生きてきた人間が、段々と非暴力主義のアーミッシュの世界に馴染んでいくという話です。
刑事が村を出るときに、こどものおじいちゃんが最後に「イギリス人に気をつけなさいよ!」と声をかけられる。普通でしたら聞き逃してしまうほどの言葉ですが、聞きようによってはどういう意味なのか解かりません。何故イギリス人に気をつけなければならないのか?実はイギリス人と訳しているのですが、アーミッシュの人たちは、自分たちのコミュニティ以外の人たちを「イングリッシュ」と呼んでいます。つまりイングリッシュに気をつけなさい、と言っているのです。おじいちゃんからすれば、刑事はもはやイングリッシュではなく、アーミッシュに近い物の考え方を持っている人なので、外部の人に気をつけなさいよ、と言ったのです。
非常に象徴的な言葉だったのではないかと思うのですが、アーミッシュは先ず「現代文明を拒否した生活をしている」と言われています。電気・電話は使わない、ラジオ・テレビは無い、家族規模の農業を営み、馬車とランプの質素な生活をしています。着ているものは柄の布地は一切認められておらず、男性は濃紺か黒地、ボタンも認められていません。カギホックを使っています。女性は基本的には無地柄の背丈の長いワンピースを着用し、オーガンジーの白いキャップを被っています。どう見ても違和感はあります。自動車が走っている中を馬車が行き交う、好奇な目で見られています。

3.アーミッシュの歴史
 十六世紀にマルチン・ルターらのキリスト教の宗教改革がありました。宗教改革がなぜ起きたかというと、当時はキリスト教と政治権力とが一緒でした。政治権力により教会が堕落していった。そのときにルターは教会の改革を唱え、ついにプロテスタント教会が独立するに至ったのです。
ルターがやったことで大きかったことは、それまで聖書は教会に1冊あるかないか、読める人も教会にも何人もいないし、殆どが口承でした。また、文盲も多かったです。教会の壁に絵を描いたり教会の外に彫刻をしたりすることで、聖書の内容を伝えていました。それをルターがドイツ語に翻訳しました。ドイツ語に翻訳した同時期に、グーテンベルグが印刷機を発明しました。そのことにより、印刷された読める聖書になりました。そうすると教会で言っていることとだいぶ様子が違うことが分かりました。

それで宗教改革が進んでいくのですが、その中で特にラジカルに聖書をもっと大事にしよう、と言いはじめた人たちがいました。その人たちは幼児洗礼を問題にしました。幼児洗礼はカトリックの場合は生まれたら洗礼を受けますが、宗教の信仰というのは、自分の判断で決めるものであって何の判断力も無いこどもに与えた宗教には意味が無い、自分たちは改めて成人になって自分の判断で洗礼を受ける、ということを決め、二度目の洗礼を受けました。同じキリスト教の間で「アナバブティスト」と言われ、「再び洗礼を受けた」(再洗礼派)と蔑称されました。

1525年、それらの人々をオランダ再洗礼派のメノー・シモンズがひとつのグループに纏めました。メノー・シモンズに因んでメノ・ナイトと称されました。メノ・ナイトはグループとして出来ましたが、それでも未だ聖書の考え方とはかけ離れていて甘い、もっと厳しくしなければ、という人が現れました。1693年、その人はスイス・メノ・ナイトのヤコブ・アマンと言い、教会が本来の目的の純粋さを失ったと考えて、メノ・ナイトを離れました。彼に同調してきた人たちはアマン派(アーミッシュ)と言われました。

 この人たちは当時の政治権力に非常に反発していたし、一方ではルターたちが唱えているプロテスタントからしても行き過ぎである、と両方から挟み打ちになり、かなりの迫害を受けました。国家と教会の分離を唱え、政治的な宣誓や戦争を拒否し、絶対平和主義を貫き、また、権威や偶像を認めなかったのです。礼拝も禁じられ、迫害を受けて、あちらこちらと彷徨(さまよ)いながら農業生活を営んでいくのですが、十八世紀になりイギリスのクウェーカ教徒(再洗礼派のひとつと看做されているグループで、絶対的な平和主義を唱えている)のウイリアム・ペンが宗教の自由を求め、アメリカのペンシルヴァニアに植民地をつくり、信仰自由な地にアーミッシュの人たちやそれ以外の多くの人たちが移住しました。結局ヨーロッパに残った人たちは迫害に耐えかねてカトリックに戻るか、そのまま消滅して今はヨーロッパにはアーミッシュと呼ばれる人たちはいません。

 アーミッシュのペンシルヴァニアへの最初の入植は明らかになっていませんが、1727年10月、フィラデルフィアに着いた船、アドヴェンチャー号の乗客名簿に数人の典型的なアーミッシュの名前が見られます。その10年後には多勢のアーミッシュの家族を乗せた船が到着しました。これに先立つ1683年には少数のメノ・ナイトが既に移住していました。

 現在アメリカの22州とカナダのオンタリオ州におよそ15万人〜20万人弱の人たちが住んでいます。ペンシルヴァニア、オハイオそしてインディアナの3州で人口の70%が住んでいます。オンタリオ、ミシガン、イリノイ、ケンタッキー、テネシー、南部のフロリダ、離れてモンタナなどにも分散して住んでいます。人数の根拠は非常に難しいです。アーミッシュのグループには大きく分けて「オールド・オーダー・アーミシュ」、「ニュー・オーダー・アーミッシュ」、「ビーチ・アーミッシュ」及び「メノ・ナイト・アーミッシュ」などに分けられます。この中で一番多いのはオールド・オーダー・アーミッシュで、通常アーミッシュと言えば一番大きいこのグループを指します。

 どこが違うかと言いますと、ニュー・オーダーはアーミッシュが持っている対立のなかで、現代の生活に合わせるために模索をし、新しいグループをつくっていった人たちのグループです。ビーチ・アーミッシュは自動車にも乗っているし、教会も持っています。普通アーミッシュと言われる人たちは教会という建物を持ちません。普通20家族〜30家族が一つの単位になって、一つの教会というグループを持ちますが、その教会は建物という意味ではありません。二週間に一度、それぞれの家庭で、交代で礼拝を行います。朝の8時ごろから始まって、長くて昼の12時ごろまで続きます。12時になると皆で食事を始め、ワイワイガヤガヤやって終りになります。翌週は礼拝が無く、休んだり友人を訪ねたりして日曜日を過ごします。

4.生活スタイル
 アーミッシュは主として農業を営んでいますが、小鳥に対して非常に寛容です。どこのアーミッシュの家の軒先に行っても、必ず巣箱があります。種類は問いません。スズメであろうとハトであろうと追い払うことはしません。小鳥たちがたくさん棲息しているのは、自然環境が非常に良いからです。
 鹿もアライグマも出てきます。雉やウサギの類は道を歩いていますと、しょっちゅう見かけます。猛獣はいません。
 お墓は一様ではないのですが、大雑把に言えば名前も何も書いてありません。アーミッシュの人たちは、人間を差別する発想が全くありません。亡くなれば一様に天国へ行くという発想なのです。
こどもたち(12歳〜13歳)は自分で牛やウサギやヒツジを育てて、オークションに持っていき、売り買いをします。そして自分の仕事をキチンと覚えていきます。自分の価値を対外的に高めていきます。
 子供の頃から動物と一緒に生活していますから、4〜5歳で足が鐙にも届かなくても馬の世話を一人で行います。 
春のペンシルヴァニア州ランカスター郡界隈(現存するアーミッシュの最も古い入植地のひとつ)は世界のガーデン・スポットとして知られています。映画「目撃者―刑事ジョン・ブック」(1985年)にも登場しました。ランカスター郡のアーミッシュとミズリー州シーモアのアーミッシュとは、その起源にしろ、信条にしろ、かなり違いはあります。
アーミッシュの農業のやり方は、とてもクリニティブな方法です。現在、結果的にみますと非常に合理的にみえます。最近スローフードとかスローライフなどと言われますが、アーミッシュの人たちはそれに譬えれば、極限の超スローな生活をしていると言っても過言ではありません。
ペンシルヴァニアの平均的標準耕地面積は80エーカーと言われています。西部へ行くほど大きくなり、大きいところでは120エーカーくらいあります。
結婚式は非常にシンプルです。結婚式のプレゼントは立派な聖書です。アーミッシュの家に必ずある3冊の本とは、聖書・マーティスミラー(殉教者の鏡―ヨーロッパ時代に受けた迫害の歴史を綿々と綴った本)それにアウスブント(宗教の歌集―礼拝の時に選んで歌う)です。
アーミッシュの社会のなかで婚姻関係を結ぶのが普通ですので、遠い・近いの差があっても、何らかの血縁関係はあります。また、結婚年齢は低く(十代後半)、産児制限をしないので兄弟姉妹が多いです。
二輪車はバギーとは言いません。日本では軽便馬車と呼んでいますが、カートと呼んでいます。10歳前後のこどもがカートをポニーに曳かせて、子供の頃から馬を操るテクニックを身につけていきます。移動は馬車(バギーと呼ばれる)で行いますが、あまり遠くへは行けません。2〜4人乗りの1頭だて馬車です。
アーミッシュの家族はこどもが多いです。平均7〜8人と言われています。多いところでは10人以上もいます。家族が多いので洗濯ものがすごいです。
服装は質素ですが、若い家族は一目で分かります。カラフルな無地を着用しています。若い人たちの特権です。一般的な洗濯風景は黒・紺・白などです。洗濯物を見れば、その家がアーミッシュかどうか、が分かります。タンスが無いので衣類はハンガーで壁に掛けています。
家族は三世代の家が並んでいます。年齢を重ねてくると、こどもたちに自分たちの家や畑を譲り、自分たちは小さな家に移り住みます。これはルールではないのですが、家を継ぐ場合、親から無償で貰うのではなく、勿論支援はありますが、こどもたちは結婚すると独立して家を出て行きます。そうすると一番下の子が残ります。最後に残った子には親はもはや支援する力が残っていません。それではどういう支援を行うかというと、残っている財産で支援します。自分の家を一番下の子に継がせるケースが多いです。但し、無償でやるのではなく、こどもが一生懸命働き、親はこどもの働きに応じて蓄えておき、こどもが独立するときにそれをもって援助してやる、というシステムです。
ランプの芯は絹で出来ており、これを加圧してガソリンを気化させて燃やすもので、電気のように非常に明るいです。
ストーブは暖房ばかりでなく、料理にも使われます。バターやアイスクリームは自家製です。オークションにはアーミッシュの家族が作ったアイスクリームが出品されます。その売り上げは教会に寄付します。
アーミッシュは昼ごはんを一番大事にします。よく食べるのがチキンです。それからヌードル、マッシュポテト、煮野菜などです。
結婚した男性はアゴ髭を生やします。口髭は絶対に伸ばしません。口髭は軍人や権威の象徴だということで、非常に忌み嫌います。結婚すると伸ばします。髭の長さがグループの特徴を表わしています。ニュー・オーダー・アーミッシュといわれる人たちは、保守的になりますと立派な髭になります。
大勢の人が集まっているときは、どういう人たちがいるのか分からないので、カメラを持っているだけで嫌悪感を示したり、また、反対に写真を撮られても平気な人もいるので、写真を撮るときは遠くから撮りました。
キルティング作業は一人で縫いこむのではなく、お姉さんやお母さんたちが集まって作り上げていきます。そのときは自分たちが作ってきたパイや料理を持ち寄って昼ご飯を楽しく食べます。
月に一回キルティング・ビートに決まった日に行うのは、ドウネンション(寄付)用です。ドウネンションとは、アーミッシュは、自分たちでは社会的な活動はしません。母体となっているメノ・ナイトのグループがメノ・ナイト・セントラル・コミュニティという組織を持っていて、そこでリリーフ・セールというイベントを行います。そこに何百というキルトをカンパして、競売にかけます。その売り上げ代金をプールしておき、どこかで災害や飢饉が起きたときに、アーミッシュとかメノ・ナイトとかいうのではなく、世界のあらゆる地域に救援基金を送ります。その基金を集めるためのセールが定期的に行われています。
アーミッシュのコミュニティというと、皆さん閉鎖された環境の中で生活していると想像されますが、実際は、隣の家は普通の家庭(アーミッシュではない)を営んでいるし、普通の家の中に点在しています。こどもたちは学校(アーミッシュ・スクール―先生と教室は一つで、1年生から8年生まで一緒に勉強する。学校を建てる余裕がなければ、公立の学校に一緒に行く)は別であっても同化しています。
アーミッシュの人たちは非常に商売が上手です。こどもの頃からオークションに慣れ、競売によってフェアーな商売をします。需要と供給のバランスがとれた商売をします。
アーミッシュの中でも当然ビジネス感覚の優れた人とそうでない人がいます。従って、金持ちもいれば貧しい人もいます。億万長者もいます。何が違うかといえば、億万長者と貧しい人の区別が外部からは分かりません。皆同じ恰好をしていますから。
同じグループの中であれば、うちは金持ちだから豪華なバギーにしよう、ということは出来ません。バギーもグループによりルールがあります。細かいルールがあります。例えばフロントガラスを認めるか認めないか、泥除けを付けるか付けないか、入口のドアーにスライド・ドアーを認めて良いかロール・カーテンだけにするか、中のクッションは板敷きのままで良いか等々です。基本的にゴムのタイヤは認められていません。
現在アーミッシュが抱えている大きな問題点は、アーミッシュは大家族主義で平均7人〜8人のこどもがいます。そのなかで、アーミッシュのコミュニティに残るのは70〜80%です。何故残るのかと言いますと、一つは非常に居心地が良いからです。それは過当な競争がない、過当な競争をセーブする仕組みになっているからです。例えば、畑は馬で耕す、馬で耕せる畑の能力は自ずから耕地面積が限られてきます。ですから無駄な土地を持っていても仕方がないのです。従って、自ずから持てる畑の面積は決まってきます。それだけ後継者に残せる土地の余地が残るという考え方です。 

5.アーミッシュの平和主義について
 所謂再洗礼派と言われる、今ではプロテスタントの場合、大人になって洗礼を受けるということは珍しくないですが、十六世紀のキリスト教の教会が大権勢を振るっていた時代に、そんなことはとんでもないことでした。彼らは追われ、最終的にはアメリカへ逃れました。
彼らは絶対非暴力をやっていたかというとそうでもなく、再洗礼派の人たちは宗教改革のときは随分と戦争をやっています。ドイツ農民戦争とか百年戦争、三十年戦争とか宗教戦争に深く関わりあってきています。彼らはそれらから逃れるなかから、グループで集まることを禁止されたり、行く場所が無くなって戦争で荒地になったところに移り住んで生活をしていく、そういう段階では権力側も容認しているのですが、そこそこ生活が落ち着いてくると重税を課したり、また追いたてられ、最終的にはアンザス地方に移りましたが、そこがフランス領になったとき、ルイ十四世に追放されました。それが十七世紀の終り頃です。

 十八世紀の初めにペンシルヴァニアに移るのですが、移った当時は別にどのキリスト教徒でも生活は同じスタイルでした。自動車は未だ無く、当然馬車でした。着ている物も同じパターンでした。では何が変っていたかというと、そこから新しい文明スタイルに合わせていった人たちと、それまでの生活スタイルを守っていった人たちとに別れました。それは何かといえば、基本的にはアーミッシュにとって何故文明を拒否する必要があったのか、彼らの考え方は聖書解釈によるもので(全てのキリスト教徒は聖書解釈によって物事を決めています)、同じ聖書解釈でも違う考え方なのです。先ず、人間関係を大事にしていくことを非常に重視します。基本的には家族、次にコミュニティを大事にすることを考えます。それらを壊す要因は受け入れられないのです。例えば、電話、電話は何故人間関係を壊すのか、電話を入れたら直接会って話をすることが無くなった、顔を見ないと何でも言えてしまう、言えないことでも言ってしまう、人と人が会わなくなってしまう、これらは人間関係を疎外する。では、今でも電話を使わないかといえば、実際は使っています。でも非常に制限があって、家の中には引きません。所謂公衆電話のようなものが道端に設置してあります。連絡するときは、お互いにこの件に関しては何時(いつ)いつの何時(なんじ)に電話が欲しいと番号を教えて、その時を待っています。

 家の中に電話を引き込むことは、外部社会とのラインを持つことになる、電気もそうである。何故彼らは外部社会と絶とうとしているのか、それはヨーロッパの迫害の歴史の中で、自分たちの考えている事と違う考えを持った人たちは、何らかの形で自分たちに危害を加えてくる、という基本的な不信感を持っているからです。では、不信感を持っているからといって、彼らを拒絶しているかというとそうではなく、用心をしながら受け入れているのです。

 非暴力主義の一つの例として、アーミッシュの研究書のなかに、ヨーロッパで迫害を受けた時に、アーミッシュのグループということで捕まり、脱獄するのですが、その時期は丁度冬で、川が凍っていたので渡り切りました。ところが追っ手も川を渡ろうとしたが、氷が割れて川の中に落ちてしまった。追われていたアーミッシュの男は戻って追っ手を助けた。その事によって彼は捕まり、火炙りの刑に処されました。

彼らの考え方は非常にそこに集約されています。殺すか殺されるかの二者選択の場合、殺される側を選びます。殺してしまえば恨みの連鎖がある、不信感の連鎖になっていく。ですから自分たちの敵であっても助ける、というのが彼らの考え方なのです。
ですからアーミッシュの人たちは社会的な活動は一切しません。そういう社会的な活動は、自分たちを何らかの形で新しい圧力の原因になる、ということを長い年月で熟知しているからです。手伝いはするが、自ら率先しては行いません。

6.アーミッシュから私たちが学べるものは何か
先ほど申し上げたメノ・ナイト・セントラル・コミュニティのグループは、非常に活動的で世界中にミッションを出しています。アメリカの中では大学も持っています。また、募金活動も行います。立派なキルトを作り、キルトを寄付します。寄付人の目録が出ます。寄付人の名前はリストに載せられます。ところが名前の書かれていないところが出てきます。それらは大体アーミッシュの方です。何故かそういうところでは自分の名前を出さない。自己顕示欲を非常に嫌います。それは慢心につながるからです。慢心は何かと言えば、人間の差別につながるからです。ですから彼らは選挙という手段は認めません。

当然、選挙というのは人間を選ぶ、選ぶということは人間を差別していくという考え方です。グループのリーダーを決めるときは、選挙ではなく推薦人を集めて、あとはくじ引きで行います。非常にユニークなやり方です。当然、裁判も認めていません。ですから国の社会保障制度にも入ってはいません。それは、お互いに助け合うというのが基本ですから、福祉制度とか社会保障制度で助けられるということは、既にお互いに助け合うという人間関係が壊れていることなのです。アーミッシュのコミュニティに行くと必ず援助を求める声が入ってきます。

隔週に集まりますから、メンバーが欠けたりすることがあります。彼はどうした?今日は礼拝に来ないではないか?そうすると誰かが「どうも病気らしいよ」とか言います。教会にはビショップとミニスター、ビーコンといって3つの長老の役割がありますが、ビショップは最高責任者です。この方もくじ引きで選ばれるのですが、任期はありません。ミニスターは説教係でビショップになる可能性はあります。ビーコンは所謂総務係です。この方は一生ビーコンで過ごします。このビーコンが病気とか結婚とかあらゆる面で調査・連絡・立ち振るまいまで行います。
何かがあれば、そこには必ず食事があります。結婚式・農作業の手伝い・キルティングディ・葬式・礼拝などあらゆる行事には食事が伴います。一緒に食べる、これが大事なのです。悪く言えばプライバシーが無いのです。

何故馬車なのか?につながるのですが、悪く言えば遠くへ行けないようにしているのです。遠くへ行くということは、違う社会に出て行く、そこから絆が壊れていく、遠くへ行く場合は教会の許可が必要で、飛行機は先ず認められません。アーミッシュの住んでいる地帯は食糧事情が非常に良いです。新鮮な食料がふんだんに入ります。犯罪率も非常に少ないです。家に鍵を掛ける発想はズ〜と無かったのですが、最近は一部鍵を掛ける家が出てきました。

そこに住む人たちにとって好都合で、物価が安い、土地が綺麗、但し、ある人たちにとっては戦争には行かない、兵役を認めないことは許せない、と言う人が沢山います。近所にアーミッシュのコミュニティが出来たが商売にならないのです。自動車を持っていないのでガソリンスタンドは商売の相手ではないし、地域の経済活動に役立たないのです。来てもらっては困るという人も多いです。
アーミッシュの人たちは、良い百姓になるのが生活目標です。彼らの得意とするものは木工です。アーミッシュ家具はすごい人気です。木工所が沢山出来ています。そうすると働いている人はサラリーマン化します。サラリーマン化する反面、こどもに対して無防備です。疑うことを全く教えませんから、外部からの悪い影響を受けやすいです。そういう心配が残されています。不思議とそういう環境になってもこどもを信じます。

厳密な意味で言えば、洗礼を受けるまではアーミッシュとは言われません。アーミッシュの家庭の中では、アーミッシュの教育を受けますから、身も心もアーミッシュですが、厳密には洗礼を受けるまでは教会のメンバーではないので、アーミッシュではありません。アーミッシュでなければアーミッシュの戒律に捉われません。自動車を持っても、ラジオを聴くも、着るものも制限はありません。親はあまり厳しいことは言いません。2〜3歳までは甘やかして育てますが、それからはこどもに対して厳しい教育を行いますが、10代になりますと、こども扱いはしません。親がビジネスの話をしていると、積極的に首を突っ込んできます(日本とは対象的です)。「ビジネスとは何か」を教えこむのです。

問題なのは土地が段々と無くなってきていることです。新しい土地に行かなければならない、新しい土地へ行く、といっても特に離れたところに行った場合、一家族だけが行っても生活が成り立ちません。そのために何家族かが纏まって良い土地を見つけてそこに行く、というスタイルをとっていますが、その土地、土地によっては必ずしもアーミッシュの人たちを喜んで迎え入れることはないのです。なかにはとんでもない奴らだ、という考え方も当然あります。そういう人たちの声が大きくなれば、住みにくい場所になってしまいます。

ただ、現実問題としてはドンドン膨らんできています。この段階でまだ小さなグループであるうちは、周りの社会は何があっても何の害があるわけでもなく、罪を犯すわけでもないので被害は無いのですが、考えようによっては目障りな存在と感じる人も出てきます。今後注目していきたい問題点です。


質問1.アーミッシュはドイツ訛りの言葉を話す人が多いと聞きましたが、国家的にはどういう編成になっているのですか?
‥‥‥ ドイツ訛りというよりも、古い南ドイツの古い方言をそのまま使っています。ペンシルヴァニア・ダッチと呼ばれていますが、この言葉を敢えて使っているのは、外部社会に対する見えない壁にしているわけです。礼拝の時にはハイジャーマンと言われる北部ドイツ語、今の標準のドイツ語に近いドイツ語を使用します。日常の会話はドイツの人も理解できない古い方言を使っています。
質問2.アーミッシュのなかで人種差別はありますか?また、誰でも入れますか?
‥‥‥ 人種差別はありません。アーミッシュに入るのは全然構いません。問題は入れるかどうかです。昨日まで自動車に乗り、テレビもある生活をしていた人が、ある時テレビも無い、腕時計も無い、ラジオも無い、自動車も無い生活に溶け込めるのかが問題です。知人の中でアーミッシュに入った人がいるのですが、その人は言葉で一番苦労したそうです。
質問3.テレビ・ラジオ・新聞などの報道はどのように受け入れているのですか?
‥‥‥ 新聞や印刷物はOKです。OKといっても、電気が無いのでテレビはありません。新聞はオハイオで発刊されている有名な「バジェット」と言ってアーミッシュ・ナイト・コミュニティ全般のニュースを扱っている新聞があります。本来は、地元の小さな町の新聞です。週刊新聞で、町のニュースが大体3〜4ページ占めています。その新聞は数十ページあるのですが、アーミッシュ・ナイト・コミュニティの地方から発信されたニュースが並んでいます。その日の出来事・天候のこと・火事の様子・結婚・葬式等々細かいことまでニュースとして並んでいます。バジェットのほか別にローカルな新聞もあります。言語は英語で書かれています。アーミッシュ同士はペンシルヴァニア・ダッジで話しますが、一般の人たちとは英語で会話します。
質問4.病気になった時の治療と人が亡くなった時の葬儀、医者になるための特別な勉強方法は?
‥‥‥ 医者はいません。医者になるにはアーミッシュの教会から離れなければなりません。医者は認めていますが、自分たちはならないということです。近所には病院があります。もともと病気はホームメディカルでやっていた時代もありますが、アーミッシュの世界でもなくなってきました。なかでも多いのが交通事故です。小さなこどもたちは徒歩で学校に行っていますが、特にオハイオの場合は丘陵地帯ですから、自動車が猛スピードで走っています。5〜6人のこどもが一緒に亡くなったり、バギーによる事故(馬が何かに驚き暴れだす)等交通事故が多いです。そういう場合は町の病院へ行きます。
質問5.偶像崇拝というのはありますか?
……… 偶像を嫌います。何故かと言うと聖書のなかに「汝の偶像をつくるな!」と言う項目があります。それが根拠になっています。基本的には写真を撮るということ以前に、自分の絵を残すこと自体がその人の「自分を偶像化すること」だと、それが自分の慢心につながるという考え方です。私が写真を撮っている時に非常に難しかったことは、写真を撮る行為を理解してくれる人は許容度を示してくれますが、どんな場合でも「大河の一滴」といわれるように、私が写真を撮っている姿を誰かが見たら「駄目ではないか」、と言う人もいます。



文責;桑垣俊宏  写真;菅原千代志、山本啓一  HTML編集;山本啓一