神田雑学大学講義録 bQ48 平成17年1月14日


石が手を挙げ、声を掛けてくる 〜石工うらばなし〜
〜石工 うらばなし〜

講師   森田定治

 森田定治(もりた・ていじ)さんは石工(いしく)森田家の三代目。初代創業・森田定吉、二代目・寛と続く家業を継ぐ。講師の三代目・定治さんは東京・乃木神社、群馬・妙義神社、東京・杉並大宮八幡宮など多くの神社の石材工事を手がけ、また遺跡・遺構の石組みの調査・研究・復元に努めている。


石工の仕事に誇り
 祖父が創業し、父が継いだ石工の家に私は生まれ育ちました。
 半纏、雪駄姿でこちらへうかがう途中、すれ違う人達の珍しそうな視線を受けました。前時代の遺物でも見るような。いつものことですが(笑)。
 でも私は祝儀、不祝儀を問わず、このいでたちで通しております。石工の家に生まれついた私にとって半纏、雪駄は仕事着であると同時によそ行きの格好、いわば石工の正装であります。誇りを持って電車に乗り道を歩きます。
 私は、お宮、遺跡、石垣などの石工事の仕事をしています。これは、石が壊れない限り、何百年、それ以上後世に残せる事業ですから、まことにありがたく思い、誇りを持って仕事をさせていただいております。

現れた白骨は江戸期の婦人……
江戸城の石垣補修

 こちら雑学大学のある神田近辺は、江戸城のお濠と縁が深いところです。
 そして今は何本もの地下鉄が乗り入れているところです。
 地下鉄7号線建設の際、地下に埋もれた江戸城外濠の石垣を移す仕事を私どもで引き受けました。平成元年から13年までかかった工事で、シートをかけての作業でしたから人様がごらんになる機会は少なかったのですが、市ヶ谷〜飯田橋間、375メートル、撤去、保管、復旧を行いました。

 この石垣は3人がかりで運ぶ三点石(おもて:面は2尺、奥行きはその3倍はある)をちょうど人間の歯の形のように組み、周りに小さい石を詰めてずれない仕掛けになっておりました。そして、常に水に浸かるところには胴木(どうぎ)といって直径30センチほどもある松の大丸太をかませてありました。胴木は水に浸かっているので酸素と触れることがありませんから、腐ることがない。建設当時そのままに残っておりました。これはそのまま保管し、この石垣を移転したときに再利用できました。
 300数十年前の松丸太が全然腐っていないことに私ども、感嘆、感激し、これを思いつき、うまく使って、しっかりした石組みを保たせた先人の知恵と技術に舌を巻きました。

 ここでは当時の焼き物など生活用具も発掘され、文化財専門家の調査も受けました。
 ここでの工事でたいそう驚いたことがあります。
 それは、お濠跡から袈裟懸けに切られたと思われるお武家の奥方とおぼしき婦人の白骨遺体が出てきたことでした。痴情か怨恨か、はたまた出合い頭の凶行にでも遭ったか、というふうに小説的な想像をたくましくしておりましたら、白骨が出たということでパトカーがすっ飛んできて、たちまち現実に引き戻されました。
 白骨とはいっても遠い江戸の昔の人こと、事件性はないと一件落着しましたが、石工をやっていて出合った非常に珍しい、忘れられない出来事です。
 
 
龍門滝の図
早稲田大学の構内に尾張徳川家の下屋敷跡があります。大学の学生会館を建てるにあたって調査が行われた。さすが徳川御三家だけに広壮なお屋敷で、見事な庭園があり、龍門の滝など、よそでは手に入らないいい石を使っていることが分かりました。
 江戸城お濠の石などもそうですが、石ひとつみても、最高権力者、それにつながる家々では、贅をこらした、凝った高価な物が使われております。
 この石たちを復元できるように取り上げ、保管し、愛知万博会場の徳川園の石組みに使うことにしました。石たちには思いがけぬ里帰りでありましたろう。ニコニコ顔で愛知万博会場に里帰りして行きました。

削ったら石がかわいそう
 乃木神社さんとは、宮石工として、たいそう古いおつきあいになります。
今の宮司さんの三代前から仕事をさせていただいております。
 20数年前ですが、先代の宮司さんはこうおっしゃった。
「仕事を頼むが損してくれるなよ。だけどもうけすぎてはいけないよ」。
 それはこういうことでありました。「お宮さんの工事は皆様の浄財を使っての仕事だ。そのことをまず念頭においてくれ。仕事をやるうえで、損した損したという気持があとに残るような仕事はしてほしくない。もうけすぎるなと言うのは適正価格でやってくれということ。仕事がうまく運んでもうけすぎたと思ったら、それは浄財として神様に差し上げてくれ」。

 ここでの仕事では見積書は作りません。石屋である私が「大体、こういうところかな」と数字を出すと、宮司さんは「経費の見込みが少なくないか」、「言われてみればそうかな」などというやりとりがあって、まず最初の話がまとまる。お宮のコマ犬の口は一方が「ア」、もう一方が「ウン」の形を表しているのですが、宮司さんと石屋のやりとりもこうしたアウンの呼吸です(笑)。
 ただ、職人の性(さが)とでもいいましょうか、こういう仕事をやっていくうちにどんどん手間を掛けたくなっていくんです。
 接着剤やコンクリート、セメント、モルタルを使えば簡単……と一般の方はお考えになりますが、たとえばお宮さんの幟立(のぼりたて)にしても、二つの石を張り合わせて作るより、たとえ手間をかけても一つの石から切り出して作りたくなるんです。お濠の石垣の石組みがそうであるように、石たちは競い合ってそれぞれの役割を分担するのです。

 石は何億年も前から、その姿を保ってきた。石の気持ちを思うと、安易に石を切り刻むことなどできません。それだけの命あるものを、切ったり、削ったり、スライスして貼り付けたりしていいものか。スライスして張り付けた石は、ある時、躯体(くたい)が壊れたら石でなくなってしまうのです。これでは石がかわいそうではありませんか。私は石を裂いたり、薄く切って使うと言われたらお断りしています。
 ですから、修理、修復、再建といったケースでは、まず元の親石を生かすことを考えて仕事に取りかかっております。

石と石工の出会い
 女優の希木樹林さんのお宅に石を置く仕事を頼まれました。
 京都の山へ探しに行きました。
 私は石を問屋からは買いませんで、直接山へ行ってこの目で確かめて石を手に入れます。石掘りの業者さんと直接話し合って買う、土場渡しというやり方を採っております。
 京都の山で希木さんの注文に合った鞍馬石を見つけたました。石掘り業者の話では「注文を受けて採石した物で、明日、売り先の広島へ行く」。そこを何とかと口説いて売って貰いました。ちょっと強引ですが、これが土場へ出かけて交渉する者の強みです(笑)。
 
 この石は希木樹林さんに大変気に入っていただき、その後、娘婿の本木雅弘さんのお宅の石の拵えものもやらせていただきました。
 本木さんの注文は微に入り細を穿って、周囲との調和について幾つもの要求が入りました。石を求めて中国地方へ出かけて探したが希望にかなうものがない。あちこち歩きましても石を捜し得ませんでした。
 帰りに真鶴の土場に寄ったときです。雨上がりでした。山から切り出した石が並んでいた。上から見ると、くぼみに水がたまっている一つの石があった。本木さんの注文に合った石だと直感しました。これを選びました。運んで本木さんの庭に置いた。

 この石は本木さんに非常に喜んでいただきました。
 希木さんといい本木さんといい、お二人とも石への思いと言いますか、感受性といいますか、センスがすばらしくて、一流の方の感性ってスゴイと感じ入りました。
 お二人の希望にあった石がみつかったのは幸いでしたが、石と石工には一つの出会いがあると私は思います。
 
 石を求めて石工は野山を歩きます。そこにはたくさんの石が在る。うちの石の置き場にも出番を待つ石はずいぶんとあります。石工の私が、ある目的に合う石を探して見回すと、ある瞬間、手を挙げる石がある、声を掛けてくる石がある。生き物である私と、無生物である石とが、特別な感応をする一瞬があるんです。この微妙なあわいはなかなか分かってはいただけないことでしょうが、私にはその瞬間が分かるのです。石が挙げる手が見える、石が出す声が聞こえる。

 石の細工にコンクリート、セメント、モルタルは使うまい、石は裂くまい、剥ぐことはしまい。前に申し上げた石の命を大事にしようという私の信条に石が答えてくれた一瞬がこれなんだ、気が付くと身震いしそうになっている。身震いしていたかもしれません。そこに私は祖父、父、自分の三代につながる石工の系譜を思いますし、それだからこそ、祖父やら親父から受け継いだものを伝えて行こうと気持を新たにします。

 半纏、雪駄姿で道を歩く、私は職人の誇りで胸を張って街を歩きます。職人の正装ですから……。自分の仕事にいちばん胸を張れるのは職人の世界、誰がなんと言おうとこの仕事は俺のもの、その気概があるから私は石工を続けますし、このいでたちを変えようとは毛頭思いません。
 しかし、これは旧弊にこだわるのではありません。いいものはいいものとして後世に伝えていくのが私ども職人の任務だと思うからでございます(拍手 拍手)。

 会場ではこのあと、多磨霊園の大灯籠(日本最大級、高さ12メートル、総重量223トン、笠石の重量50トン、花崗岩製)の移転工事(総指揮・森田定治氏)を撮影したビデオが映写された。


文責;阿部 宏 会場写真;山本 啓一 HTML編集 山本 啓一