平成17年04月01日 神田雑学大学定例講座


「史実に遺すレバノン杉の栄光」


講師 田中 瑛也


プロフィルhttp://www.geocities.jp/teruya1934/



古代地中海沿岸を囲む山脈は緑に覆われていたことは、考古学的にも実証されている史実である。ヒッタイト帝国に莫大な木材資源を供給していたレバノン杉の辿った路を木の文化と石の文化の絡まりを求めて歩いてみる。

東地中海沿岸諸国の中でも、とりわけレバノンはこの国を縦断するレバノン山脈が海浜に迫り、風光明媚であるが、平野地帯が狭く、それ故に地勢から生ずる要因が古代通商国家フェニキアを誕生させたとも言える。
 
この地勢は、中国広東省の地勢に似て、今日の華商が東南アジアに通商という手段で活路を見出したのと同様に、古代地中海に交易という手段により活路を見出す他に国家の経済を賄う手だてはなかったと言える。レバノン地中海沿岸都市の遺蹟のことごとくは、ローマ帝国地中海制覇当時に建設した都市で、幻の帝国フェニキアの遺蹟は、この都市の下に眠り、栄光は史書によってのみ窺い知ることができる。

フェニキア人は、自国の資源を、貿易のみでなく保全にも活用していたことは、当時の東地中海の強国ユダヤとの関わりでソロモン王に使節を使わした記述に見られる。「ご存じのとおり、父ダビデは主が周囲の御名のために神殿を建てることはできませんでした。今や、わたしの神、主は周囲の者たちからわたしを守って、安らぎを与えてくださり、敵対する者も、災いをもたらす者もいません。ここに至つてわたしは、わたしの神、主の御名のために神殿を建てようと考えています。

主が父タビデに(わたしがあなたに代えて王座につかせるあなたの子が、わたしの名のために家を建てる)と言われたからです。それゆえ、わたしたちのためにレバノンから杉を切り出すようお命じください。わたしの家臣たちもあなたの家臣たちと共に働かせます。あなたの家臣たちへは、仰せのとおりの賃金をわたしが支払います。ご存じのように、当方にはシドンの人のような伐採の熟練者がいないからです。」(以下略)
 
この聖句にあるレバノン杉の名が登場する都市シドンを訪れる。首都ベイルートの南50km、地中海に浮かぶ十字軍の砦が、この町の歴史を今我々に語りかけてくれる生き証人である。古代フェニキア期以前に始まるこの町の歩みは、港湾都市としてのフェニキア期、アレキサンダー大王征服時代には、行政府の統括地であり、大王の業績はトルコ共和国、イスタンブールにある考古学博物館に置かれた「アレキサンダーの石棺」を見ることで窺い知ることができる。

この地シドンで出土した石棺の側面には大王の生き棟が克明にヘレニズム期のギリシャ彫刻に刻み込まれている。ローマ、ビザンチン、イスラムとそれぞれの宗主者が建立した建築物を、人為的に破壊し再生して活用した。存立している地中海沿岸の古建築の数多くの例と同じく、域を構成する柱、梁の主材には前時代の材が乱雑に取り入れられ、歴史空間の混乱に戸惑う。人の造った輪廻転生、今風の表現で言えばリサイクルであるが、地中海の景観に組み込まれた十字軍の域は、思いとはかけ離れて、規模が小さく一抹の失望感に襲われる。
 
ちなみにこの城塞は、聖ルイの要塞とも呼ばれ、フランス王、ルイ9世に捧げられ、13世紀半ばの建立、マムルーク朝時代、17世紀にファック・エッ・ディーン2世により再建された歴史を持つ。桟橋を戻り、陸地は海岸に沿って地中海環状道路が走り、道路の整備が悪く、車が渋滞しごつた返し、その道路端には生活感あふれるスークの露天商が、荷台いっぱいに盛られた新鮮な青果物を、大声をかけながら売り捌いている。心地よい海風、南国情緒漂う中をキャラバン・サライ(隊商宿)に足を踏み入れる。
 
オスマン・トルコが統治期に経済活動の中心として、カーンエル・フランジ(外国人の宿)のもとに建設された。内部は、アーチ型の天井を持つ2階の回廊が、噴水のある中庭を囲んでいるが、改装中で優美な庭が見られないのが残念である。

キャラバン・サライの門を出ると、スーク (市場)の網の日のように張り巡らされた路地、色鮮やかな生地が並べられている婦人服店、この国がとてもイスラム社会だと考えられない。新鮮な地中海採りたての魚介類、異臭渾然と漂うスークを抜け出て、古代ローマと地中海の覇権を争ったカルタゴの基幹となった都市ティルスを訪れる。 

イスラエルと領地を接するレバノン南部は、イスラム教徒が住民の大部分を占める。パレスチナ、シリア、イスラエル、レバノンとの相互関係が崩れると、この地域は治安上の問題が生ずるので、渡航自粛令が発せられる。そのせいか道路に沿った木陰に銃を持って、迷彩服を着込んだシリアの武装兵の姿が気になる。
 
古代フエニキアの栄光に憧憬を抱かせる地ティルスは、現在の地名はスールと呼ばれ、頑強な市壁で囲まれた島の上に築かれ、紀元前10世紀ヒラム王により海が埋め立てられて陸地とつながり、今日遺されている都市の原型が形作られた。

交易都市として栄えたが、輸出品としてはレバノン杉についでガラス容器緋色の染料が有名であった。ケルメスといわれるペルシャ原産の赤い染料を当地を経由して輸出していたのである。古代繁栄していたティルスの都市には、フエニキア期の痕跡を見出すのは至難の業である。島の先端、灯台、旧港、素晴らしい石造りの防波堤、幾重にも歴史が重なる歩道に並ぶビザンチン期の列柱、歩道を歩いていると知らず知らずのうちに、地中海に我が身を運んでしまいそうな錯覚にとらわれた。
 
十字軍の建てた大聖堂跡を通り越して、本土地域に遺す遺構に入る。 遺蹟の見学は、広大な共同墓地、生の立場から見れは墓地であり、死者にとってはネクロポリスである。ギリシャの哲人プラトンが生と死を分けて考えた論理は、現代人にとっては自明の理であるが、古代人の死後の再生を信じる人々にとっては及びもつかない思考であったに違いない。

1962年に発掘されたネクロポリスは、歴史を更に遡ってエジプトを創とし、他のオリエント諸国のネクロポリスを範として築かれたことは確かだが、このネクロポリスは大半がローマからビザンチンにかけて造られただけに、現地に置かれている遺蹟にも多数の装飾的な石材、大理石の棺の壁面に捕られた可愛いメデユサの顔が印象に残る。

 いつか南イタリアの古代都市ボンベイを訪れた時の思い出がよみがえる。人々が生きたままにして一瞬に火山の噴火灰で埋もれた都市、フランスの詩人ゴーチエが死霊の町と喚び、街路の大きな玉石を敷きつめた舗道に山地りまれた轍の跡の鮮やかさが、昨日印されたかのようであったと述べているが、いままさしく死者の町、ネクロポリスが生き生きとした再生の町として私の眼に映る。 

死の国から生の国への門に相応しく凱旋門が建っている。ビザンチン教会跡、ローマ期のアーケードと歩んで大ローマ競技場の雄姿の残存の構築物に出会う。長径480m、語り継がれた話ではあるが、2万人の観客が二輪戦車競争を見るために集まったといわれ、アレキサンタ一大王も寸暇を楽しんだかも知れない。これらの石の建築の遺産を産んだ資源であるレバノン杉の恩恵を、現在この地に住むフエニキア人の後裔達は、国のシンボルである国旗に印して報いている。
 
古代ユダヤ国のみならず、エジプトの王達もまた防腐性に優れたこの木の油をミイラ作りに、木自体は棺の材として用い、交換として輸入したパピルスは、紙の原料として使われて、フエニキア文字の普及に役立てた。しかし、乱代されたレバノン杉は、絶滅の危機に瀕している。古代レバノンの地を覆っていた杉も現在1200本、プシャーレの奥の山中、高度2000mの地帯に生えている。「宇宙の敬われた自然の記念物」

とはフランスの詩人ラ・マルティーヌの句であるが、折しも雪の降るレバノンの山中で、枝葉に雪が積りしなっている姿は、歴史の造った文明の重荷に耐えているようでもあり、レバノン杉の辿った道に、地中海の歴史が重なり合う。
この道は、また史実に遺されたレバノン杉の栄光の道である。地中海の小国レバノンの歴史には、語り程くせぬ広さと探さがある。

終り 



文責:文責 田中 瑛也
写真撮影:橋本 曜
HTML制作:和田 節子