神田雑学大学講座 282 (2005年10月7日)

鍵 と 錠

講師 加藤順一


目 次

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和鍵の収集をはじめたきっかけ

文学に見る鍵と錠

法令に見る鍵と錠

和錠の誕生と発展

アジア型の錠の誕生と普及範囲

からくり錠

おわりに




和鍵の収集をはじめたきっかけ

 父親がやっていた金物屋を継ぎ、やがて鍵の専門店として中目黒で40年鍵の専門店として営業をやっています。本年75歳になります。
 40年前、独学で錠前の勉強をして鍵屋の仕事を始め、若気の至りで「なんでも開けます」式のキャッチフレーズで得意がっていたものです。そんなとき、東京の旧家の土蔵の鍵開けを依頼されました。これが初めての本格的な和錠(日本式の古い形式の錠前)との遭遇でした。

 勇躍して出掛けたものの、持参した華奢な開錠道具では、なんとも歯がたたないものでした。内部の構造すら想像もつかないものでした。やむを得ず、かんぬきを切断して扉を開けましたが悔しくてしかたがありませんでした。その帰り道、骨董屋を何軒か回って小さな和錠を買いました。その錠前を開錠して、毎日接して洋式の錠前の構造や作動原理とは全く異なる発想に驚くとともに、私の無知、無鉄砲ぶりに赤面せざるをえませんでした。錠が開かなかったことは当然だったのです。信じられない程、単純な構造ながら、立派に錠前の機能を発揮しているのに感服しました。

 これが契機となって和錠の収集を始めました。その頃は、まだ骨董市などは無く、各地の骨董屋を丹念に廻って、大きい形の異なる錠前を探し求め、勉強を続けていきました。そして何時か、気がついた時には和錠の魅力の世界にどっぷりと漬かり、身動きの出来ない状態となっていたのです。

 和錠の魅力は何かとよく人に聞かれます。「あばたもえくぼ」の例えの通り、他人には共感して貰えないかもしれませんが、それは日本の錠前鍛冶の、仕事に対するこだわりの結晶だろうと思います。

 思いつくままに具体的に列記すると次のようになります。
(1) 目に見えない内部の隅々まで、少しも手を抜くことのない仕上げの良さ。
(2) バランスのとれたスタイル。
(3) 落ち着いた立派な衣装(この場合の衣装とは錠前の表面に施された装飾のことです)
(4) しっとりとした鉄味。
(5) 鉄製でありながら、妙に温もりを感じさせること。
 とりわけ強調したいのは同じ金属製でありながら、現代のハイテク技術を多分に取り入れた、最新型の錠前では、取り澄ました冷たさしか感じられないのは私だけでしょうか。和錠は床の間に麗々しく飾って、鑑賞する骨董品ではなく、毎日の日常生活で道具として使われていた古民具なのです。それも人間の生命・財産の安全を保障する最高の伴侶でした。この錠前の使命は今も変わっていません。

文学に見る鍵と錠

 日本の錠前の歴史について、まず書物から見ると、意外にも鍵と錠についての記述が散見されます。もっとも古いものでは、日本最古の記録文学である「古事記」では天照大神が天の岩戸にお隠れになったとき、困った神々が天宇受売命に命じて歌と踊りの大騒ぎを演じさせ、あまりの賑やかさに、大神が何事かと顔を出したところを、力自慢の天手力男神が手をとって引き出し布力玉命がすかさず、注連縄を大神の後方に張り巡らせて戻れないようにした有名な場面があります。

 この注連縄は如何なる人(天照大神といえども)立ち入ることのできない聖地、つまり注連縄は結界の役目を果たしていることになります。これは錠に鍵をかけたのと同じ行為です。このほか「日本書紀」「続日本書紀」「万葉集」「源氏物語」「今昔物語」などに頻繁に錠と鍵の話がでてきますが、長くなるので省略します。 ご興味のある方は著書「世界の鍵と錠(里文出版)」に記述がりますのでお読みください。

法令に見る鍵と錠

 中国の隋・唐時代に完備された国家制度で、大化の改新(645)で採用され、日本固有の制度・習慣を加味し、大宝律令の制定(701)で完成しました。この制度は平安中期には崩れ始め、鎌倉幕府の成立によって崩壊しましたが、形式的には明治4年、内閣制度が出来るまで続いていたのです。
 この膨大な法律のなかに、やはり「鍵と錠」に関連する法律がいくつもあります。

 たとえば
 律 現在の刑法に相当する法律。(701)
 令義解 行政法(833)
 延暦交替式 新旧官吏の交代の際の引継ぎ・責任規定(803)
 貞観交替式 不動倉内の稲穀の管理(868)
 延喜交替式 諸国の不動倉の鍵の管理(921)
 延喜典やく式 諸司の倉庫の鍵の管理
などの鍵の取り扱いにかんする記述がみられます。

和錠の誕生と発展

 実際の「鍵と錠」の誕生と発展について具体的に説明しますと、日本では引き戸についている木製の戸締り錠(落とし)と外国から導入された金属製の錠との二つの系統に分けることができます。

落とし 日本木造住宅の雨戸を思い出してください。戸袋から引き出された最後の雨戸の内側下部についているかんぬきが自重で敷居の穴に落ちて、戸が自動的に固定されます。横桟をかんぬきの切り欠けに差し込んで、こじあけを防ぎます。
 相接する引き戸同士のかまちは凹凸状態で噛み合うようになっており、上下は溝に挟み込まれているので引き戸ははずすことができません。

 雨戸は出入り口でないので内閉まりとしての役目がはたさればいいのですが、お蔵や倉庫の扉では外からカンヌキを外す道具(鍵)が必要です。扉の一部に穴を設け、先端が内側に曲がっている逆L型の鍵(蔵鍵といいます)を差し込んで、かんぬきの金具に引っ掛けて持ち上げ、そのまま扉をスライドっせてから鍵を引き抜きます。これは落としと呼ばれる日本独特のものです。

アジア型の錠の誕生と普及範囲

 イタリヤのポンペイの遺跡の発掘中カギ屋が発見されました。店内には各種の鍵や錠が並べられ、奥には仕事場があり、営業形態は今と同じです。
 アジアで独自の金属製の錠のシステムが発明されたのは詳しい時期や場所はわかりませんがシルクロード沿いに東進して中国・朝鮮を経て日本に到達し、西進して中近東からトルコまで及んでいます。

   驚いたことに、この技術が西アフリカにも及んでいました。 アジア型の鍵の原理は、錠の本体(牝金具)の上部に湾曲した長い「かんぬき」があり、右端に鍵穴があります。内部はがらんどうで、左端は開口されており、口に近い内部に鍵栓(格子)と呼ばれる、ばねの止め金具がせっちされています。

   挿入部(牝金具)の上部には、かんぬきの差しこみ口となるまる穴が開いています。下部は先端に一対の板ばねが固定されたばね軸が伸びています。 施錠に鍵は不要です。挿入部(牝金具)を本体に差込みます。上部の丸穴にかんぬきの先端が入り、下部の板ばねが本体の開口部から内部に入ります。鍵栓(格子)の内径は広がった板ばねの幅より若干せまく、挿入を続けていくと次第に板ばねがすぼまります。

   そして鍵栓(格子)を通過した途端に板ばねはパッと開き鍵栓に邪魔されて戻れなくなります。同時に挿入部は本体に邪魔されて前進できません。
 開錠には鍵を使用します。鍵の先端は鍵爪と呼ばれてU字型になっています。
鍵穴から鍵を差し込んでいくと鍵爪は板ばねを挟み込み、板ばねは次第に閉じていきます。そして、それが鍵栓の幅より狭くなると板ばねは鍵栓を通過し、牝金具は本体より抜けて開錠状態になります。

からくり錠

 アジア型の錠は鍵違いも少なく、鍵穴も大きいので合鍵で開けられやすい欠点があります。日本の江戸時代の鍵で中国の明時代の錠が開けられたり、その逆があったりします。もちろん、これは「偶然の一致」に過ぎないのですが、厄介なことにこの「偶然の一致」がしばしば起こるのです。そこで錠前鍛冶は三通りの方法をとりました。

(1) ウォード方式の採用 これには二通りあって、鍵穴に細工したものと、錠内部の通り道・旋回圏内に障害物(突起物)を設けて、本鍵ならばそれに対応する溝や切り欠きがあって鍵は回るが、別の鍵では障害物に引っかかって開かない方法をいいます。
 アジア型の錠は鍵穴に限定されたウォードを使いました。鍵羽は直立型が原則ですが、鍵の断面を「く」の字型、逆「く」の字型「いなずま」型、「クランク」型等の変形もあります。当然、鍵穴もそれに対応した形になり、ほかの鍵では入りもしませんが鍵穴の鍵違いの数はそれほど多くありません。

 ヨーロッパでは錠内部のウォード方式にこだわり続け、1800年以上の長きにわたって、ひたすら改良に次ぐ改良を続けていきました。日本を含めてアジアの錠には錠内部のウォード方式は遂に採用されませんでした。

(2)板ばねの増加 板ばねの数は基本的には一対(二枚)ですが、三枚、四枚、六枚、八枚と増やし、遂に十枚までになりました。このあたりが限界で鍵の回転鍵型錠では四枚はね、横鍵型錠では「里」字型と複雑になっています。

(2) からくり錠 錠の性能の如何を判断する目安の一つとして鍵の使い易さの良し悪しがあげられます。「からくり」錠はそれを一切無視して、錠の内部の構造に工夫を凝らし、開錠作業を複雑化したもので、事前に情報を有しない第三者がたとえ鍵を入手しても、開錠が困難、または不可能となる形式のものをいいます。パターンはいろいろあるので省略します。

おわりに

 「鍵と錠」は人類が発明した「機械」であると私は信じています。この器械は洋の東西を問わず、それぞれの時代で常に科学のトップを行くものでした。その残された立派な作品群を、最良の保存状態の下に、末永く後世に伝えて行くべきであると思っております。
 終わり (拍手)

文責:得猪外明

会場写真撮影:橋本 曜 HTML制作:大野令治