平成17114日 神田雑学大学 講演抄録

朗読上手は味わい上手

講師 島 映

 始めに

 以前、この場で「古事記の紙芝居」の朗読で皆様にお会いしたと思いますが改めて自己紹介させていただきます。

 私が朗読にかかわりだしたきっかけは、公立中学校の国語教師になって2年目に、1学年百名ほどで1つの劇を脚色し作り上げたことがあり、そのとき配役に選ばれた子の中には、テストの点が0点に近い子も入っていたのですが、ちゃんと気持ちをこめてセリフを言えたということです。この時、「文章が読める」ということの中には、@字が読める A中身を想像し味わうことができる B書かれていることを声で表現できる C中身について説明したり自分の考えを述べたりできる というようなことが含まれていて、従来、学校では主として4しか評価されていないこと、朗読を通して、能力にばらつきがあっても、1〜3を伸ばしていくことができるということに気がついたのです。

 とはいっても、当時朗読を勉強できる場もなく、またする余裕もなく、実際は、教職を辞めてから勉強して、朗読を使った指導を小学生におこなってきました。そうした中で、できあがってきたカリキュラムをまとめたのが、「朗読上手は味わい上手」です。

 この本が出た少しあとに、「声に出して読みたい日本語」という斎藤孝さんの本が出、さらにその後、川島隆太さんが「音読は脳を活性化する」と言われ、このところ朗読がブームになってきた観があります。

 私は朗読には

1) 自分のための朗読

2) 人に伝える朗読

2つがあると思います。

 斎藤孝氏の言われるように「声に出してことばのリズムを楽しむ」という文章の楽しみ方もあって良いし、「意味はそのときわからなくても、後からだんだんわかってくるのでも良い」ということもあるでしょう。それは、自分が楽しむ、「自分のための朗読」です。

 でも、文字を手元に持っていない人に耳から伝えよう、聞いてもらおうと思ったら、聞き手にわかりやすく読むということが必要になってきます。これが、「人に伝える朗読」です。著者が「何を」「どう」書いているかを捉え、「字」にない情報をどう「声」で補っていくか。これは確かに、知性と感性を必要とする業であり、脳を活性化させるものでもあるでしょう。

 そして、このことを学んでいく中で、「味わう力」すなわち想像したり他を思いやったりする力をつけていくことができると私は考えます。

 このへんになると、ことばで説明しただけでは納得していただきにくいので、これから

実際に声を出してみていただいて、このことを体感していただければと思います。

 

朗読のテクニック

 話して伝える                                                  

 春になると、たんぽぽの黄色いきれいな花がさきます。

二、三日たつと、その花はしぼんで、だんだん黒っぽい色にかわっていきます。そうして、たんぽぽの花のじくは、ぐったりと地面にたおれてしまいます。

けれども、たんぽぽは、かれてしまったのではありません。花とじくをしずかに休ませて、たねに、たくさんのえいようをおくっているのです。こうして、たんぽぽは、たねをどんどん太らせるのです。(植村敏夫「たんぽぽのちえ」)

  まず、上の文章を声を出して読んでみてください。

  2度目は、右の列の方が1文読んだら、(1文ずつですから覚えて話せますね。正面の人に話してください。)左側の正面の方、相づちを入れてください。「そうですか。」「へえー、知らなかった。」などです。それを聞いてから右側の次の方は、2つ目の文を読んで(言って)ください。そういうふうに、一文ずつ交代で読んでみてください。はい、どうぞ。

       * * * * * * * *

  どうですか。今、相づちを入れたとき、とてもわかりすくなったと思いませんか。

実は、聞いている人は、黙っているけれど、いつも心の中では、今の相づちのようなことをやっているのです。ですから、その相づちが入るぐらいの間合いが必要だということです。それが話して伝える間合いです。

 

 まとまりを正しく

信号が青にかわると、たくさんの車が、いちどに走りだしました。

   これもまず、声を出して読んでみてください。

   今、読点のとおりに切って読んで下さいました。

   初め、信号は赤です。車は止まっています。ハイ、青に変わりました。車は・・・・

そう、その様子を思い浮かべて、もう一回読んでみてください。テンの間合いが微妙に変わってきました。2つめのテンの間は、ほとんど有るか無しになりました。聞いていた方、どちらが場面を思い浮かべやすかったでしょうか。

   このように、テンがあるから止まるというのではなく、中身のまとまりでまとめて言っていった方が、聞く人は中身の状況を思い浮かべやすいのです。

   日本語のテンは、間をとったり息つぎをしたりする所ばかりでなく、少し音を上げて言い直す(修飾関係ではないことを示す)ような所で打たれている場合も多いのです。

 

      

 見えるように

ちがうちがうというように、かえるは頭をふりました。ぴょんぴょんと急いではねていきました。沼にぱちゃんととびこみました。水のおもてに波の輪がでて広がりました。その中をかえるは泳いでいきました。そうやって近づくうちに、虹の根元は向こうにいってしまいました。(浜田広介「にじはとおい」)

  これも、まず読んでみていただきます。

       * * * * * * * *

今、「ました」というのが、やけに耳に残りませんでしたか。

今の読み方だと、以前こういうことがあったんですよ、というすべて過去にあったことをお伝えする形になります。でも、聞き手にとっては、今目の前で起こっているように伝えてもらった方が、生き生きと思い浮かんで楽しいのです。で、今目の前で起こっていることを伝えるときの伝え方にすればいいわけです。ラジオのスポーツ中継などを、ちょっと思い起こしてみてください。「ウチマシタ。ホームランデス。」のように均等に等拍でいうのではなく、「打ちました。ホームラン!」と、ことばの頭の所にアクセントというか、強拍のあるような言い方、それを使えば、今目の前で起こっているように聞き手に伝えられるのです。そのためには、言う前に中身の情景・できごとをちゃんと見て(読み手が思い浮かべて)それを伝えないといけないのです。見ては伝え、見ては伝え、の繰り返しです。

 

4 自分のビデオを作る(視点)

少年は老人の手に二つの時計をわたした。受け取るとき、老人の手はふるえて、歌時計のねじに触れた。すると時計は、また美しく歌いだした。

老人と少年と、立てられた自転車とが、広い枯野の上に影を落として、しばらく美しい音楽に聞き入った。老人は目に涙を浮かべた。

少年は老人から目をそらして、さっきの男の人がかくれていった、遠くの、わらぐまの方をながめていた。

野の果てに、白い雲が一つ浮いていた。(新美南吉「歌時計」)

  新美南吉の「歌時計」という作品の最後の部分ですが、今度は、自分が映画監督か何かになって、この作品のエンディングを撮っているつもりになってください。

  自分がカメラを構えているとして、初めの2行は、どのくらいの距離からどこを写していますか。そうですね。少年と老人を、それも2つ目の文など、かなりアップで撮っていますね。

  3行目はどうでしょう。これはかなりカメラが引いて、広いアングルで撮っています。

それからまた老人の顔のアップになって、次、少年の方に向いて、さらに、少年の視線の向きにカメラが向きを変え、白い雲の遠景でディエンドになるわけです。

  作者はそういう風に描いているわけですから、声を出す読み手は、そのカメラ・アングルを的確にとらえて、その位置その距離で見て、声にしていくことが必要です。そうすることで、鮮やかに作品世界が描かれていくわけです。

 

 以上、短い時間でしたが、「人に伝える朗読」のテクニックの基本的な部分を体感していただわけです。いかがでしたでしょうか。


文責;得猪外明、島瑛子 会場写真;高松佑次 HTML編集;山本啓一