神田雑学大学  NO301  2006/3/3
「ブータン・仏様の子供達が住む国」

講師  練木允雄

回のブータン旅行の発端は高野美穂さんの計画に乗って棚橋さんのガイドで実現した楽しい旅でした。私に取りましては、昭和30年前半の学生時代に加藤泰安さんに家で京都大学簿先輩で当時まだ鎖国のブータンを旅行してきた方の話を聞き世おなかに凄い冒険家居るものだ関心をして、私もいつかそのようなお伽の国を見てみたいと考えたことが在りました、今回昔の夢見たいことが実現できたのは、高野、鈴木、六名の方々に心から感謝する者です。




ブータン王国 ラヤ。トレッキング。 23日間

2005/10/28(日)





2005/10/29(土)



2005/10/30(日)

終日、(約2時間)


2005/10/31(月) トレッキング--14km  約5時間

専用車にて、チベット軍への勝利を記念して建てられた要塞ドウゲソンへ、ドウゲゾンからトレッキング、のスタートです。パロ、チェ川沿いに農村を抜け緩やかな道を進み、川辺のキャンプ地シャナへ。シャナ/テント泊







2005/11/2(水)




2005/11/3(木)



2005/11/4(金)



2005/11/5(土)
 
    トレッキング  

2005/11/6(日) タンタンカ---シャナ


ブ ー タ ン 王 国地 理 の 概 要

まずは名前からでしょう。ブータンと言うのは英語名。ブータン名は「ドゥルッル」と言います。ドゥルックと言うのは雷龍。ユルは国です。ちなみに、ブータン人は「ドゥルック・パ」雷龍の民族といった感じでしょうか。インドの北、チベットの南、ネパールの東です。ちょうどヒマラヤの東の方の、南斜面って感じの所で、日本で言うと奄美大島くらいの緯度らい。広さは九州よりもちょっと大きいくらいだそうです。南北を通して、3つの地形に分類できる。北部はヒマラヤの高地、中央部は丘陵と谷間、南部は山麓と平野である。 気候は北部地域は高山気候で万年雪に覆われている。中部は涼しい気候である,南部一帯は蒸し暑く気温は高い。 雨量はこの影響で比較的近距離でも異なる場合がある。 標高は南部の海抜100メートルから北部の7500メートルまであります。

緯度は東経88度45分から92度10分。経度は北緯26度45分から28土5分、 面積は46500平方キロメーター。(約日本の九州の1.1倍の面積) 南北に150キロメーター、東西に300キロメーターと長く国土は交通事情も加味してバラえテイ富んでいる。 西部、中部,東部とは分れており。加えて南北の標高差も加味して歴史、言語、民族、文化、産物、農業等多様性がある。


人口は
698950人(男性50.5%、女性49.5%)、人口分布、都市部 21% 農村部 79%。
国民一人当たりのGDP---(2000年)  712.8 USドル

農業と自然 ( 国土の耕地は7.8%、森林は72.5%)
主な食用の穀物は米、トウモロコシで、外にアワ、小麦、ジャガイモ、ソバ、大麦、野菜類も栽培されている。みかん、りんごは、有り余る程採れる重要な果物である。国の大半が森林に覆われている上に、険しい斜面と高い標高の為、農業に適した土地は少なく肥沃な耕作地は南部の丘陵地帯にある河川の流域や平地に偏っている。北部の山岳地帯で万年雪に覆われていない地域は牧畜に適している。農作物の生産、果樹園などの農作物に利用されている土地は全国土の7.8%である。ブータンは、森林面積が減少ではなく、増加している世界の中でまれな国であることは、自慢に値する。それは森林資源の経済的な活用入りも、第一に保護を考える政策によっている。国王の命令で、全国土の60%以上が何時の時代にも森林に覆われていることが義務付けられている。国土の72.5%が全く自然のままの、あるいは比較的原生のままの森林に覆われている。この国は、10000平方キロメートル当たりに、3281種の植物があり、地球上でもっとも豊かな生物多様性を持っている国の一つである。そして、地球上における豊かな生物多様性で脚光を浴びた10箇所の一つであると宣言された。

ドロマイト(白雲岩)、石灰石、石膏,炭雲母、大理石、亜鉛、鉛, 銅、タングステン、米、トウモロコシ、小麦、ジャガイモ、アワ、ソバ、オレンジ、りんご、カルダモン。
潜在的に30000メガキロワットである。
698.950人 (男性50.5パーセント、  女性49.5パーセント)
都市部 21パーセント。 農村部79パーセント
平方キロメートル当たり14人

主な食用の穀物は米、トウモロコシで、外にアワ、小麦、ジャガイモ、ソバ、麦、野菜類も栽培されている。みかん、りんごは、有り余る程採れる重要な果物である。

ブータン王国の位置関係

豊 か な 水 の 恵 み
資源の少ない中で国力発展が望める水力発電
1987年にインドとアジア開発銀行からの借款で建設されたチュカ水力発電所はブータン全土の電力需要を賄って余りある(実際には送電できないので無理だが)この発電所の電気をインドに売って得る外貨は90年代には政府の財政収入の半分を賄うほどだった。現在は之に東部のクリ、チュが加わり、南部のタラ水力発電所が2005年に完成すれば外国からの支援は全く不要になる試算もある。


宗   教
ブータンでは宗教が本当に生活の一部として溶けこんでおり、ブータンでの宗教に関する作法や、やってはいけない事を知っているかいないかで、周りのブータン人の態度や自分自身の行動範囲(行けるところ)が変わる事があります。
この位のことを知っておけばブータンでひんしゅくを買うことも無く、お寺などでお坊さんがやさしく接してくれることと思います。ブータンの宗教はチベット仏教です。また、ブータンはシッキムがインドに併合され、チベットが中国に軍事占領された今、世界で唯一のチベット仏教国家です。


日本の仏教がかなり古い時期に、原形に近いものが入ってきているのに比べて、チベット仏教は後期というか、かなり新しい形の仏教らしいです。日本とは別の形に進化・発展した仏教と言うべきか、日本の仏教よりもカラフルでにぎやか。あと、ネパールの人がかなり入ってきているので、ネパールのヒンドゥ教も結構見かけます。ネパールのお祭りの時にはブータン人も一緒にヒンドゥ教の神様を祭ったりしていることもあります。ラマ教というのは間違いです。ラマというのは、高いランクのお坊さんを指す言葉で、イギリスかどっかの外人が、こっちの人がラマをものすごく敬っているのを見て、勝手につけた名前のようです。門外漢の私見ですがチベット仏教に輪廻転生(サンスクリットのサンサーラの訳。インド思想の根本概念の一つで、生物は永劫の間,その業(ごう)の応報よって生まれ変わるとする考え)輪廻の環から開放されることが解脱。仏教では三界(欲界、色界、無色界)と六道の間で生死を繰り返す、と言われております。ですから、チベット仏教の民である,ブータンの人人は来世のために善行を積む事を心掛ける。従って、皆が住み易い社会が実現する。

写真禁止の場所注意、立ち入り禁止、お寺では脱帽 煙草禁止、土足厳禁
お参りの方法 5体倒地 準備(?) 回す、回る


 衣  類・民族衣装「ゴ」(男性用)
日本の着物のような感じ。でも、胴回りがものすごくふとくて、日本流に着たらどんだけ太ってる人間が着るんだ、と思ってしまう。着る時には、この太くて余る分は腰の後ろにひだを作って自分の腰に合わせます。凹の字の、上が後ろで、てっぺんの折り目を真後ろで合わせるような感じです。そして、その状態を保ちながら腰から下の部分をたくし上げ、上げる前は裾が地面につくぐらいだったのをひざのあたりまで上げて、上げた部分は帯の上でたるませます。袖はすごく長く作ってあり、20Cmくらいおって、袖口のところは白い下着が表になるようにします。

民族衣装「キラ」(女性用)
ブータンといえば織物。織物といえば、キラ。キラの着方もちょっと口では難しい。形は長方形で単純なんですが。始めにシャツみたいな下着を着て、その上からキラを身体に巻くんですが、まずは左肩の後ろに端っこを合わせて、背中から胸を包むの後ろに端っこを合わせて、背中から胸を包む感じで反時計回りに巻いて、左肩の前のところまで約一周巻きます。そこでキラの布を折り曲げて、今度は反対方向に。右肩の前でもう一回折り返してから背中を巻いて右肩の後ろまで来たら完了。巻くときには両肩でコマと呼ばれる金具で止めながら、わきの下を通します。帯を締め、上着を羽織って、これも袖が長いんで袖を折り返して完了です。このキラも、帯の上で若干たるませますが、若い子はスマートに見せる為たるませないことです。また、最後の端っこを1、2Cmくらい、ちょっとだけおり返すのが独身の印だとか。

*食 ・ ご飯
米はブータンの赤米、日本米、インド米など種類はありますが、基本的に日本と同じ炊き方で炊けます。でも、私を初めとしてかなりの人が電気釜ではなく、圧力釜でご飯を炊いていますので、ここでは 圧力釜でご飯を炊く方法を紹介します。先ず米は出来れば事前に洗って30程度は水につけておきます。そして圧力釜に米と水を全く同量ずつ入れて、強火に駆けます。しばらくすると弁からシューっと勢いよく水蒸気が吐き出されますので、それを3回繰り返すまで待ちます。3回なったらそこで火を止めて、少しづつ弁から水蒸気が出ているのが止まるまで待ちます。
これで大体出来あがりですが、火を通す時間が足りないと芯が残り、長すぎると餅のようになって、なかなか難しいです。失敗した時にはおかゆか焼き飯に変身します。
・エマダチ
生チリを使う場合と乾燥チリを使う場合があります。基本的な料理法方は同じ瀬すが乾燥チリを使うときには水を多めにして煮こんでる時間を長くした方がいいでしょう。まず、唐辛子を縦に4分の1くらいに切ります。この時、辛いのがだめな場合は種を取り除くます、冬はインドチリと呼ばれるブータンチリよりも辛くて半分くらいの大きさものも使います。だから、冬場のエマダチはものすごく辛いです。使う量は、ブータンチリで一人前が4〜6本程度だと思います。インドチリならその1.5から2倍。あと、ブータンのチーズ「ダチ」か、プロセスチーズの塊を握りこぶしの半分くらいと、塩を入れます。好みによって、たまねぎや小松菜のような菜っ葉類、ねぎなども入れます。あと、にんにくやしょうがを刻んだ物、バターか油を入れれば美味しくなります。

日本ではこんなに大きな唐辛子はないとおもうので、鷹の爪を半分に切ったものとししとうかピーマンを半分ずつくらい使えば似た感じになるんじゃないかとおもいます。出来上がりはシチューのような感じのとろみがあり、かなりどろっとしています。本などには日本でならカッテージチーズを使うとありますが、日本でその通りやってみたけどさらさらのスープみたいになってしまってだめでした。何が悪かったのかわかりませんが、カッテージチーズではだめなのかもしれません。出来上がりはシチュウーのような感じのとろみがあり、かなりどろっとしています。本などには日本でならカッテージチーズを使うとありますが、日本でその通りやってみたけどさらさらのスープみたいになってしまってだめでした。何が悪かったのかわかりませんが、カッテージチーズでは駄目なのかもしれません。




チンプ  チンプーのホテルの夕食      
 

ガンテコンパの宿の夕食   

  
 おかゆ 
        

* 住宅  *住宅

 
農家(普通の一戸建て)
農家は、だいたい3階建て+屋根裏というパターンが多いです。
昔の作り方は、枠を作って、そこに土を入れて踏み固めながら、厚さ50Cmはある壁を少しづつ高くしていって作る作り方が主流だったようです。3階部分までその土の壁がある建物と、下の部分だけが土の分厚い壁で、上には木の柱を。格子状にした骨組みに壁の部分は土を塗りこめて、窓の部分は窓枠をはめた感じの建物がのっかってるような建て方のものがあります。今の新しい家は土台の分厚い壁の部分は四角い石かレンガ+セメントになっています。分厚い壁が重いんで、一階部分にはほとんど窓はありません。二階、三階と、上に行くにしたがって窓が多く、大きくなっていきます。また、二階、三階の床がそれぞれせり出していて、床面積は上のほうが広いです。だいたい、30Cmくらいせり出している事が多いんで家を見かけると、大丈夫か?と思ってしまいます。屋根は、板葺きが基本。板を並べて上に石を載せて飛ばないようにしているのが伝統的な形です。ただ、最近はトタン屋根が増えました。見た感じ、すごく適当に見えますが、割と乾燥しているところに人口が集中していたブータンでは、こんなもんでよかったのかも。ただ、季節によっては風が非常に強くなるので、1枚当りの面積が広いトタン屋根は時々飛んでます。四角い家の上に切妻の屋根が乗っかってて、高い棟の部分と三階の天井部分の間には壁はありません。よく、藁なんかがはみ出して詰め込まれていたりします。



建築途中の民家


間取り(農家)
一階部分は窓がほとんどないので家畜用のフロア。二階に人が住んで三階が物置だったり、その逆の時もあり、このあたりはあんまり決まってはいはないようです。一階から二階に登る階段もあるんですが、普通は2階にベランダのように張り出した玄関があり、そこに階段が立てかけてあって、その階段を使って入ることが多いです。この階段、直径40Cmくらいの丸太をくりぬいて作ったものが多くて、階段というよりもはしごといったほうがいいような急傾斜で、怖いです。人の住むところは、かまどが2、3ある台所兼居間、寝室、仏間の3部屋が基本。これも決まっているわけではなくて、当然違うパターンもあります。ただ、仏間が一番良い部屋とされているようで、客間としても使います。仏間に泊まると、毎朝早くすぐすぐ横でお経を唱えてくれるので、むっちゃ早起きになります。


 農家の仏間

水回り(いなか)
台所にでっかい桶やタンクなどがあり、近所の水道から汲んできた水をためておくのが普通。雨水をためているのかどうかは不明です。農家で水道が室内にきていることは少ないようです。流し台などもなくて、目に付く設備といえばかまど程度。トイレは色々。ベランダにしきりがしてあって、床に穴があいている物や、離れに穴が掘ってあって、そこに小さい小屋があるところ、小さい川の上に建ててあるもの、崖っぷちに突き出した建物の床に穴の開いているものなど。

風呂は基本的にありません。桶にお湯をためて身体を洗う程度。『ドツォ』といって、外に風呂桶があってそこに水を張り、焚き火で焼いた石を入れて入る露天風呂もありますが、めったに見ません。



 
ドツォと呼ばれてる屋外の風呂



*交 通 事 情

・ブータン人の運転
*第一に、前にトラック、バスなどが走っていたら、クラクション鳴らしまくる、日本で同じ行為をしたら確実にけんかになってるだろうと思います。でも、トラックの荷台には「ホーンプリーズ」とか書いてあるし、思いっきりクラクション鳴らしながら手を上げて挨拶なんかしてて、こっちではこれが普通なんだと納得するまであまり時間はかかりませんでした。

*第二に、カーブや対向車を怖がらない。ブータンの道は日本の林道を舗装した感じ。当然全線全線カーブです。カーブミラーやガードレールも無い。落ちたら、30秒くらい飛んでそうな崖っぷちも珍しくない。そんな道の先が見えない急カーブ、にクラクションを鳴らして突っ込んで行く対向車の運転手を信用してるというか、何というか。慣れるまではこれが一番怖いです。あとは、対向車と、すれ違う時。こっちとあっちと見比べて、こっちのほうに退けるスペースがあれば止まって待つせでもいるかのように自信まんまんで、相手がよけてくれることを前提に突っ込みます。これも怖いんですが、向こうにしかスペースが無いと判断したら迷わず突っ込みます。まるで、事前に打合でもいるかのように自信まんまんで、相手がよけてくれることを前提に突っ込みます。これも怖い。せでもいるかのように自信まんまんで、相手がよけてくれることを前提に突っ込みます。これも怖い。おまけですが、あるブータン人の運転手曰く、「死んだってまた生まれ変わるだけ。何がこわいんだ?」とのこと。それが一番怖い。

・道路
 前述の通り、「舗装した林道。」です。この一言ですべてが語れると思うんですが、あえて付け加えるとすれば、「舗装した、怖い林道。」です。どのへんが怖いかというと、崩れてたり、高さ何百メートルもある崖っぷちだったり、川が道を横切ってたり、道路に滝が落ちてたり、道路から滝が落ちてたり、牛が怒って向かって来たり、どろどろのマディで登れない車をブルドーザーが後ろから押してくれたり、垂直に近い崖を無理やりコの字型にえぐったで、荷物積み過ぎたトラックが引っかかって立ち往生してたり、そのへんが怖いです。

 ・タクシー
タクシーは圧倒的に軽バンが多いです。屋根が黄色に塗られているのがタクシーの目印。市内の短距離以外は、基本的に乗合が多いです。軽バンに、客は4人しか乗れません。メーターは乗客が要求すれば倒しますが、大まかには言い値半額くらいで交渉できる話を聞きます。

 ・バス
バスは、三種類あり、大型の日本で言うところのバス、一回りくらい小さい、ミニバスと呼ばれているバス。あと、コースターと呼ばれていて、何のことかと思ったら、トヨタのコースターっていう車種だった、20人乗りくらいのマイクロバス。小さいのほど値段は高くなります。全席指定なのになぜか補助席や通路に人がいっぱい座ってる。という状況は、最近はタクシー同様に警察の取締りが厳しくなってきたのでなくなっているようです。それでも、座席からあふれた人はいて、全席指定なのになぜか補助席や通路に人がいっぱい座ってる。という状況は、最近はタクシー同様に
、なんなんだと思ってたらチケットの二重発行
が原因らしい。これは運転手も乗せないわけに行かなくて仕方なく乗せるんですが、警察に止められてもめることも。

*ブータンのソバ
今回の旅行で食べたいもの一つに『そば』は第一にランクされる物です。ブータンの農作物の主要な産物に蕎麦がありますが、どの様に食べているかは、不明でした生産地は主に中部ブータンです。初めて蕎麦粉の加工品に会ったのは二ヶ所でした。ガンテコンパ.ここは首都テインプーからの国道から逸れて峠を下がるて行くと谷間の向かい側の丘のうえに立派な寺院。西ブータン最大のニンマ派の僧院ガンテゴンパ、優美な金色の屋根が美しい、そこに通じる門前町も立派である。ここに宿泊した宿で夕食と翌々日の朝食にソバのパンケーキが出てきた、それは直径10cm,厚さ3cmのイースト入りのパンケーキが保温なべに入れて配膳された。テーブルにはバターにジャム野菜炒め、勿論唐辛子、スープ、ミルクテイー、あのぼろぼろのご飯とカレー、肉の炒め物より、美味しい。翌朝もパンケーキを注文すると、イーストの発酵のため翌々日の朝食に出してくれた。

首都テインプーの最終日の昼食にガイドのキャンヅーさんにそばを食べる店を探して欲しい以前からお願いしていましたが、お蕎麦屋さんは見つからず、我々の旅行社のオーナーの弟さんが趣味でソバを打つので頼み込んで昼食を御馳走してくれるように手配をしてくれ調理の最中、客間に入る前にすぐにキッチンへそこには御主人、奥様、奥様の妹、三人がキッチンで調理中御主人は、コンロの前で卵料理、妹さんは面のカッターのハンドルに全体重をかけて5cmのトコロテンのカッターから蕎麦の生地をプレスして麺状に押し出す作業生地が硬いため,なかなかの重労働である、カッターの下に置いたボールに5cmから15cm位の不そろい面に落ちる、それを熱い沸騰した湯に入れて茹でる。そして加工する加工した麺は3種類でした。『写真参照』最後に蕎麦粉を分けて欲しいと要望したところこの粉は車で2日間,西に走らないと購入出来ないと、断られたが、私が日本から持参した日本蕎麦(長期保存用の生めん)交換を条件に交渉成立、ブータンの蕎麦粉約2kgを手に入れた。


蕎麦の押し切り道具 蕎麦をお湯で茹でた物 フライパンで卵焼いた具を混ぜてるところ

*懐かしい稲刈り風景
私は太平洋戦争末期に学童疎開で1年半母親の実家に縁故疎開をして学校通いながら農作業を手伝ったことが有りました、小学校の3年生ですから、たいした仕事は出来ませんでしたが、田植え、草取り、稲刈り、軍馬用の乾燥草造り、牛の世話,山羊の世話冬の麦踏、等、農作業の一年サイクルは経験しましたので稲作の家族総出での猫の手も借りたい仕事の忙しさ十分理解していました。我々がブータンに着いた日は、10/29で農家は稲刈りの真っ最中、その景色は戦後の日本の農家の稲刈り作業そっくり。田んぼのあちこちに、刈った稲を乾燥するため一家総出の農作業、見渡す限りのあちらこちらの田んぼの稲刈り風景は、亡くなったお袋や親戚,兄弟、の姿が二重卯写しになり、本当に懐かしい景色であった。
以上がブータンの第一印象でした、



 *眼がキラキラ輝いている子供達(旅人に物をねだらない、珍しい地域)
近代化以前の教育は寺院に依存しており、一部の上流階級の子弟が、インド、稀にはヨーロッパに留学する程度だった。この20年程で就学率は飛躍的に向上し、2003年現在で合計13万人以上が就学している。学制は小学生1--6、、中学生が8--10、高校は12.。高校は2004年現在全国で21校である。小学校の教育費は無料であるが、制服は有料なので現金収入がないと就学が難しい。

国語(ゾンカ)を除けば、小学校から授業は全て英語で行われている、。そもそも教師の1/3は外国人(主にインド人)でまたゾンカを母語にするのは一部の地域に過ぎない。このため、ブータン人の若者は英語が堪能である。


 * は(Haa)のホテル(RIGSUM LODGE)オーナーに会う
日本の技術留学生であった青年実業家
Mr.Rinchen khandu
KHANDU CONSTRUETIN   Proprietor  (カンヅー建設社長)
P.O.HAA  HAA;Katsho  Kingdom of Bhutan  п@(975)08-375222
1986年島根県三隅町に和紙の技術を学ぶ為研修生が来日した経歴がある。オーナーははの町で木工の仕事をしていた。7年前に日本の島根県の技術留学生の募集をしていることを知り、ブータン政府に申し込み、運良く選考にパスして日本に渡り10ヶ月研修して、日本の企業で半年の企業研修して,帰国、Haaに戻ってから6年の間に観光客用のホテルと外部の人にも使えるような兼用の食堂とバストイレつきのツインのベットルームのある二階建ての12部屋のホテルを造り,ホテル経営をする傍ら建築業経営、加えてヤクを150頭ヲ飼う牧畜業を営む青年実業かとして成功し田物語を片言の日本語と英語のチャンポンの物語は本人の努力と経営努力に頭が下がる思いであった。翌日オーナーに自宅で夕食のパーテイに招待されました、そこで留学中のビデオの記録を見ながら苦労話しを聞いた。それと研修終了の企業研修の時期に社長や奥様に大変面倒をかけた、お二人の教えは今でも胸が熱くなる、懐かしそうに話していた。その後オーナー宅の夕食に招待されて苦労話を一晩ゆっくり話しを聞いて努力話しを楽しんだ。


オーナーの自宅の居間(テレビはソニー製)


大変美味しかった小型の肉饅頭(モボ)


 2階建て6室ある立派なロッジ

巨大な要塞寺院
ブータンに各地の交通の要衝には、巨大建築物である『ゾン』が立っている。ゾンは17世紀にブータンを統一したシャブドウン,ウガワン、ナムケルが全国を統制する為の戦略的、政治的拠点として整備した城砦である。ドウク派を布教する為の国分寺として機能すると同時に、地方支配のための行政機関であり、さらに軍事的拠点としての要塞でもあった。寺院と城が一体化している。現時点ではゾンは数十人から場所によっては1000人を越える僧侶が暮らす国教ドウク派の大寺院であり。同時ににゾンカクと呼ばれる地方行政区の行政を司る県庁としての役割を果たしている。


パロの大きな『ゾン』 プナカの冬の宮殿
写真2枚
                             

*ジャイカの駐在員を慰問 (河野 宏 氏)
河野さんは旧建設省の出身で建設土木のオーソリチー現在は道路建設のアドバイザーとして近隣諸国の地質土木どうり等の関連で活躍しておられる方です。このブータンの狭い国(総人口70万人に満たない)に60名JACIの職員が活躍、している(私の長女が12年前に中米のエルサルバドルに音楽の関係で青年協力隊で赴任、3年間仕事をして苦労した話を聞いていましたので慰問を思い立ちました。)

知人にブータンを旅行する話しをしたら、知人がいるので時間が有ったら訪問して欲しいと言われてウイスキーを一本用意してチンプーでお会いした、片言の英語で色々疑問に思っていた琴を少し聞かせてもらいました。貧しい国ながら人間性、品性が高い勤勉な民族性、そして教育熱心な国、先ず最初に子供達が明るく目が輝いている理由、旅行者に好意的に笑顔で挨拶する、ハローと声をかけるが、それ以上に距離を縮めない他の国では、子供達はよって来るがその後、キャンデー、ペンシル、等何かネダルのが普通である、しかしこの国ではそのような事は皆無である。

理由、1.農業に従事する家庭は7人−−10人で子供達に眼が届く、そして部落、近所の人々は熱心な仏教徒で、子どもは仏様の子どもである認識がある。ブータンの家庭は女系社会で家は長女が継ぐのが普通である。現在の国王の奥様は4人でその4人は姉妹である。それなので、一般家庭も姉妹相続もあるそうです。



文責・写真 練木允雄      会場写真 橋本曜    HTML編集 山本啓一