神田雑学大学 平成18年6月2日 講座No313

素晴らしい日本語・オノマトペの世界

講師 得猪 外明 


目 次

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1.擬音・訳の分からない世界

2.擬態語の世界

3.日本語のルーツ

4.質疑応答






1.擬音・訳の分からない世界


 得猪です。鶏の鳴き声の研究をしているというご紹介で、今日はまた改まって鶏のネクタイをしていますが、今日は鶏の話ではなくて燕の話から始めます。
燕の鳴き声について、今から30年くらい前、森昌子がデビューした頃、越冬つばめという歌を歌ったのです。これはデビューして2曲目か3曲目の歌でレコード大賞を取った歌だと思うのですが、このなかで燕が「ヒュルリー、ヒュルリララ」と鳴くんです。愕然としまして燕は本当にどう鳴くんだろうと、図書館に行きまして鳥類図鑑というのを見て燕というところを見ましたら、「土食って虫食って渋ブーイ」と鳴くと書いてありました。これにも愕然としまして、燕が鳴いてるのを実際に皆さんきいたことがありますか?なんて鳴いているのでしょう。

 それから燕の鳴き声が気になりまして、色々町の中で燕を見ると鳴き声を聞きたいと思ったのですが、燕が鳴かないのです。子育てをしている燕は、雄と雌が交代で出て餌を咥えてきますから鳴かない。子燕が餌をもらう時は大きな口をあけて「チュッチュッチュッ」というけれど、親は餌を与えるとすぐ行ってします。で、燕はいつ鳴くのだろうかということなんですが、昔一度聞いたことがある。私が小さい頃家の前の電線に何千羽という燕が整列したのです。これは海を渡るときに燕のリーダーが集めたのだと思うのですが、とにかくある日の朝、突然何千羽と言う燕が電線にとまったのです。

 それが鳴き出したのが非常にやかましい音で、ピーチクパーチク、チョッチョッチョッというような声だったのですね。
これが燕の鳴き声なのかなと思ったんですが、決して「ヒュルリー、ヒュルリララ」とも「土食って虫食って渋ブーイ」とも鳴いていなかったというふうに思うのです。
どうしてこんな現象が起こるか、ということが私の研究している要のところなのですが、言語学と言うのは、一つの鳴き声でも聞き方によって色々な鳴き声になると言う例が多く、非常に興味があるところです。

 それが鳴き出したのが非常にやかましい音で、ピーチクパーチク、チョッチョッチョッというような声だったのですね。

これが燕の鳴き声なのかなと思ったんですが、決して「ヒュルリー、ヒュルリララ」とも「土食って虫食って渋ブーイ」とも鳴いていなかったというふうに思うのです。
どうしてこんな現象が起こるか、ということが私の研究している要のところなのですが、言語学と言うのは、一つの鳴き声でも聞き方によって色々な鳴き声になると言う例が多く、非常に興味があるところです。

 というと日本人は皆「ホウホケキョ」と鳴くといいます。本当に「ホウホケキョ」と鳴くのか? 調べると「ホウホケキョ」というのは意外に新しいのです。出来てから200年くらいしかたっていない。ではそれまで鶯は何と鳴いていたかと言いますと「ウークヒ」と鳴いていたんです。「ウークヒ」です。
言葉の発達していない所で、鳥だとか花だとかいうものには自分に非常に関係のあるもの、例えば鳥だと特別美味しい鳥だとか花だと大変美しくて好かれる花だとか、そういったものには固有の名前をつけていくのですが、関係があまりないものには名前をつけない。鳥とか花とかいう認識しか持っていないわけです。それで少しずつ生活にゆとりが出てくると身の回りのものにも名前をつけだすわけです。

 鳥は鳥という概念から一つのある鳥という名前をつけるときに、鳴き声で最初区分したようです。それに「す」をつけたのです。カラスというのは「カラ」と聞こえたのです。それに「す」をつけてカラスにしようということになった。うぐいすは「ウーグヒ」と聞こえたのです。それに「す」をつけて「うぐいす」なったのです。ほととぎすは「ホトトギ」と鳴いていた。それに「す」をつけて「ほととぎす」になった。かけすも「カケッ」って聞こえたのです。それに「す」をつけて「カケス」になった。 身近な鳥の鳴き声に「す」をつけて、あれは「うぐいす」だ、あれは「カケス」だ、あれは「カラス」だと名前をつけていったのです。

 鶯の「ウークヒ」については、本居宣長の弟子の本多明という人が書いた佐野音声考という本があるのですが、そこには鶯の鳴き声は「ウークヒ」としか書かれていない。これがある日「ホウホケキョ」になるのは何故だろうか? 
私も調べてみてはたと気がついたのですが、これはいわゆる『「聞きし(聞見做し=キキナシ)」ですね。それから「ブッポウソウ」と鳴く鳥がいます。これは「このはずく」という鳥です。それから蝉で「ツクツクホウシ」というのがありますね。これは「オーシンツクツク」という人もいますが、「ツクツクボウシ」がメインですよね。この「聞きなし」というのが、どうも仏教に関係のある「聞きなし」なのです。これらの鳴き声はみんな漢字で書けて、かつ仏教に関係のある鳴き声になっています。

 なぜかと考えたのですが、これは、おそらくお寺で座禅でも組んでいるお坊さんが、心頭を滅却してジーッとしているときにウグイスが鳴いた。それがたまたま「ホウホケキョ」と聞こえたんでしょう。 坊さんは「あっこれだ」といった。周りの人も「そうだそうだ」といった。そこで「ホウホケキョウ」というのが成立したと思うのです。その気になって聞くと、ウグイスが「ホウホケキョウ」と鳴いていると日本人は思い込んでしまったのです。そういう「聞きなし」というのは思い込みで一番最初に聞いたもので他の人がもっともだと思ったものが鳴き声になってしまうのです。

 私の専門のもですね、明治36年までは「コケコッコー」とは鳴いていなかった。文部省が小学校を義務教育にして国定教科書を作ったときに、鶏は「コケコッコー」と鳴くことになったのです。国定尋常小学読本巻2に鶏は「コケコッコー」と鳴きましたとあるのです。これは日本で「コケコッコー」が活字になって出てきた最初なのです。子供がそれを覚えそれが伝わって日本中の鶏が「コケコッコー」と鳴くようになったのです。

 聞きなしの例をもう少しお話しましょう。日本の豚は「ブーブー」と鳴く。「ブーブー」と鳴いているのは日本だけなのです。世界中の豚の鳴き声を調べて「ブーブー」と鳴いているのは日本だけでした。アメリカの豚は「ウィンクウィンク」と鳴きます。外国人に言わせると豚は「ブーブー」と鳴いてはいないと言います。確かに身近に豚と付き合っている人たちが言うのには、豚は決して「ブーブー」といってはいないそうです。「ブーブー」と鳴く声帯を持っていないのです。これもやっぱり思い込みで子供が大きくなる段階で、母親がまず豚は「ブーブー」だね。自動車は「ブーブー」だよ。と教えるわけです。子供はそれをいっぺん覚えこんでしまうともう一生豚は「ブーブー」になってしまうのです。中国の豚はやっぱり漢字で鳴いているのです。中国も広いですから北京と広東と福建とみんな鳴き声が違うのです。こういうふうに擬音語というものはいい加減なものなのです。

 うぐいすの「聞きなし」、これも「ホウホケキョウ」なんですけれども、よく言われているのがホトトギス、さっき「ホトトギ」と鳴いていると言ったんですけれど、これは皆さんご存知の通り「トッキョキョカキョック」と聞いている人が多いんです。それからホウジロが「イッピツケイジョウツカマツリソウロウ」と鳴いているそうです。それから「チョットコイチョットコイ」と鳴く鳥がいました。これはコジュケイです。それからセンダイムシクイという鳥がいるのですが、これも「聞きなし」で「ショウチュウショウチュウイッパイグイー」というのです。これは意外に知っている人が多いのです。それから雉で(ケンケンブルブルコウコウタイガク)というのがあります。その気になって聞くとそう聞こえるのです。それから「ケイリンケイリンデパーットナク」、これは赤腹という鳥です。それからジュウイチという鳥がいるのですが、これは「ジュウイチ」と鳴いています。

 聞きなしというのは昔から日本の生活の中にずーっとあって、これは調べると何百とあります。今言ったのは典型的な「聞きなし」擬音ですか。これは日本人でないと分らないものです。外国人に説明しても全く分りません。虫でマツムシがチンチロリンですか、鈴虫がリーンリーンですね。クツワムシはガチャガチャです。こういう虫の声は日本人だけが聞き分けて風流を楽しんでいるんですけれども、外国人は聞き分けが出来ないでみんな雑音としてしか聞こえないそうです。これは頭の中の右脳と左脳の使い方が日本人と外国人で違いがあるためだという学説があります。そういう意味で日本人が作り出した「聞きなし」の擬音というのは非常に面白いものだと思っています。

 日本人が作り出した擬音の傑作があるのですが、ご存知ですか? 「シーン」という音なのですよね。音のしない擬音、これをわざと「シーン」と言っているのです。これは日本人独特の感性で出来た擬音ですね。ちょっと調べていましたらフランス語の擬音で「猫の足音」という表現があるのです。猫の足音は本来しないのですが「カタポンテ」といって、フランスにはちょっと信じられないのですがこういう擬音の使い方があります。他の国の言葉ではますこういう使い方は聞いたことがありません。ないんじゃないかと思っています。

2.擬態語の世界


 いま私もちょっと書いているのでがオノマトペの世界、オノマトペというのは擬音語擬態語なんですが、これらも訳が分らないんですが感覚的に、日本人には分りあえるという非常に面白い言葉なのです。
大阪で商売やったことのある人はお分かりと思いますが、昔、船場とか道修町のような商人の町で挨拶というのはまず「もうかりまっか」という。答えは2つしかない。「あきまへん」というのと「ぼちぼちでんな」というのがある。この解釈がとても難しい。「あきまへん」というのは損をしているのかというと決して損はしていない。うっかり「もうかってま」なんていうと税務署が来るかもしれないし、借金に誰か来るかもしれない、儲かっているんなら「もっとまけなはれ」というのも出てくる。

 大阪の人は一般に物を値切るのに抵抗を持っていない。値切られるのにも抵抗を持っていないんです。値切って買うもんだと思っている。それでまあ少しぐらい儲かっていても「あきまへんな」ととぼけている。「ぼちぼちでんな」というのはこれはかなり儲かっているという意味なのです。かなり自分の思ったくらいの利益は出ているというのが「ぼちぼちでんな」です。「ぼちぼち」というのも複雑で解釈が難しい言葉で、「まあまあ」という意味もあるんだけれど、これが一つの擬態語で、漢字で書けない日本独特の訳の分らない表現じゃないかと思います。

 こういう言葉がどうして出来たか、これも面白いのですが、「いらいら」とか「むかむか」という言葉がありますね。これは日本人は感覚として分るんですが、外国人には分らないです。日本にはホツマツタエという古事記以前に字を持っていたという有力な説のもとになっている書物があり、それに出てくるのですが、「いらいら、むかむか」というのがどうして出来たかというと、神話で天照大御神というのは女性と言われていますが、このホツマツタエでは男になっているのです。彼には12人のお后がいた。そのなかに「むかつ姫」という人と「いらつ姫」というお后がいて非常に天照大御神の寵愛が深かった。2人だけがしょっちゅうお召しになり、他の后たちがむかついたのといらついた。「いらいら」と「むかむか」と言う言葉はそうしてできたと言う話が載ってるんです。

 そういう風に擬態語というのは「いらいら」の「いら」だけでは意味が通じない。「むか」でも意味が通じない。これを繰り返して4音節にして初めて意味が通じる日本独特の擬態語なのです。これは日本には何百とある。外国には殆どありません。これは後で日本人がどこから来たかということと関連して述べるのですがある国、朝鮮とモンゴルにだけはあります。
擬態語で短い言葉で効果的な言葉は新聞や雑誌のタイトルとか製品のコマーシャルに効果的に出てきます。短いので有名なのは「スカッとさわやかコカコーラ」。スカッとと言って、それだけで感覚的には分る。これを説明すると長ったらしい文章になるのです。それから最近見つけたのですが冷凍ピザの宣伝で「チンするだけでサクサク」というのがあります。チンするというのは電子レンジの音で日本では電子レンジするという動詞になっています。サクサクというのは口ざわりのイメージですね。

 広告代が新聞などで高い中で、少ないスペースに短い言葉を入れて最大の効果を出すのが広告担当者の使命ですから、彼等は必死でこういう利用を考えている。薬の広告で「あなたのグングン、メキメキ、ますますを応援します」というのがあります。これはスッポンエキスの広告なのですね。普通の人は見ただけでは分らないが、スッポンエキスの広告だと言うとニヤッと笑う人がいる。これも2音節反復型の4文字の広告で、なんなく分る広告なのです。
オノマトペの中で私が気が利いているなと思うのは、検索エンジンでヤフーというのがありますね。ヤフーの意味お分かりの方いますか?あれは英語ですが、「やった!」と言う意味なんです。「ヤッホー」とか「キャッホー」みたいにね。やった万歳と言うニュアンスの擬態語でこれがヤフーの語源になっているのです。

 その他にも色々訳の分からない擬態語がたくさんあります。昔、銀座カンカン娘と言う歌がありましたね。終戦直後の歌で高峰秀子が歌った歌ですよね。なぜカンカン娘か分らなかった。高峰秀子に聞いたら「そんなの知らないわよ」と言ったんだそうです。作詞者のところに行ってカンカン娘の「カンカン」て何かときいたら俺もわかんねーと言ったといいます。この曲のプロモーターの山本嘉治郎がいうにはカンカン娘という訳の分らないところがいいんだ。なんとなくにぎやかで元気がでるようなイメージじゃないかというのです。

 もうひとつ分らなかったのはフレンチカンカンの「カンカン」とはなにか?これも分らなかったのです。これは最近分ったのです。だいぶ前、ジャンギャバンとフランソワールアルヌールが出たフレンチカンカンという映画があったのです。フレンチカンカンと言うのはご承知のようにスカートをばーとあげて足を高くあげる踊りで日本の辞書にもスカートを捲り上げて足を高くあげる踊りと書いてあるのです。なんで「カンカン」なのだろう。

 フレンチカンカンの「カンカン」は意外な意味があって、これはアヒルの踊りという意味なんです。フランス語でアヒルのことを「カンカン」というのです。正確には「カン」というのです。要するにアヒルが踊ると細い足が何本も見えるそういう意味でフランス人は素直にカンカン踊りをアヒルの踊りだと思っているんですが、日本人には何のことだか分らない。余談ですがフランス人はフレンチカンカンに向いていないのだそうです。なぜなら意外にフランス人は短足ずん胴で見場がよくない。観光客にかっこよく見せるにはもっと足の長くてすらっとした女性がいいが、そういうのはパリにいないというので、イギリスとかデンマークとかスウェーデンとかに探しにいって、ダンサーを探してきているのだそうです。そういえばミスユニバースにもミスフランスというのは出てきませんよね。

 それからカンカン帽というのがありまして、これは昭和7年に日本で大ブレークした帽子です。パナマ帽というのは2年も3年もかぶれるのですが、カンカン帽というのは一年しかかぶらない。これは麦藁で作ってあるものです。麦桿真田というのですが麦藁を真田紐のように編んでそれを糊とプレスで堅くかためてカチンカチンの帽子にしてカンカン帽と言った物です。日本だけの物です。これはあまり堅く固めたものだからたたくとカンカンと音がするのだそうです。それでカンカン帽というのです。カンカン娘の「カンカン」とフレンチカンカンの「カンカン」とカンカン帽の「カンカン」と関係があるのかというような、訳のわからにことを悩みつつ研究しているわけです。

 もうひとつ訳の分らないことばでズンドコ節というのがあります。これは終戦直後に田端義男が歌ったのです。これはあまり売れなかった。昭和30年代に小林旭が浅丘るり子と組んだ渡り鳥シリーズでズンドコ節を歌って、これがかなり売れたのです。40年代にドリフのズンドコ節がまたもの凄く売れた。100何十万枚売れたのです。最近氷川清のズンドコ節が出てきた。これもヒットしている。ズンドコ節をやると歌手は当たるというジンクスがあります。このズンドコっていうのはなんだ。これが誰もわからないのです。もともとズンドコ節というのは海軍小唄と言われていたらしい。戦地へ行く若者が、残していく女の子を懐かしんで、歌っていたのがズンドコ節の起源なのだそうです。これが日本人の心情にわりにぴったりくるんですね。「ズンドコズンドコ」というとその音感だけで感じが分るのです。

 今、君が代をやめてズンドコ節を国歌にしたらどうかという話があります。今の君が代は難しくて意味が分らない人が増えてきている。100年もたつと歌われなくなってしまうのではないか。いっそ日本人なら誰でも心情がわかる、ズンドコをという意見です。 そういう他愛のない話はさておいて、こういう言葉は日本語がどうして出来たかという話と関係するのです。

 日本語と言うのは世界一易しい言葉だと言う説と世界一難しい言葉だという説とあります。世界一優しい言葉と言うのは、要するに「ちちはは」が「ぢぢばば」になるとか、「あに」と「あね」とか「おじ」と「おば」とか、分析していくと単純なんです。最近相撲の世界で外国人力士がやたらに来て、今、幕内に5人くらいいます。見ているとモンゴルばかりでなくブルガリアだとかエストニアとかからも来て2、3年で、インタビュー聞いていても非常にスムーズな日本語をしゃべっていますよね。

 日本人が逆にリトアニアに行ったりモンゴルに行って2、3年でそんな流暢な言葉がしゃべれるかと言うとおそらくしゃべれない。琴欧州が来た時も全く日本語が分らなかった。2年もたったら日常生活は心配ないし、インタビューを受けても動じない。日本語ぺらぺらの外国人というのは結構いるのです。そういう意味では非常に覚えやすい言葉なのです。サッカーのジーコは全然日本語しゃべらない。ですからジーコはおそらくそういった「いらいら」とか「むかむか」とか「ずんどこ」とか「かんかん」といった感覚が分っていないんです。日本語を日常使ってないから。辞書を見ても分らない、使っているうちに日本語の感覚が分ってくる特殊な言葉なのです。

 朝青龍の本名というのはドボルドスェン・ダブルドワルチというのだそうです。非常に難しい風に見えますが、モンゴル語というのは日本語と同じ表音文字なのです。モンゴルに昔字がなかったという説もありますが、ジンギスハーンが中国を席捲した時にはちゃんとあったのです。モンゴル語は縦に書くのです。ただ左から右へ改行するのです。一字づつ分けることも出来る表音文字なのです。文法も日本語と全く一緒です。ですから単語だけを覚えればすごい勢いでうまくなります。だからモンゴル出身の力士はすごく日本語がうまいでしょう。彼等が言うには日本語を覚えるのは楽なんだけれど、敬語とか印象の大きさと言うのがなかなか分らない。白鵬が来たばかりのとき、親方が「頑張れよ」といったら白鵬が「おまえも頑張れよ」といって怒られたというんです。言った方はなんで怒られたか分らない。

 日本語と言うのは、そういう微妙な使い分けというのが非常に難しいという反面があります。日本では自分のことを「わたし」とか「わたくし」とか「あたい」とか「俺」とか「それがし」とか言いますね、あなたのことも「あんた」とか「きさま」とか「おまえ」とか色々言えるんですが、英語では「アイ」と「ユー」だけしかない。相手が国王だろうがその辺のおっさんだろうが「アイ」と「ユー」だけでどんな場所でも使える。日本語はそれを使い分けしなければならない。そういう意味では日本語は非常に難しい言葉といえます。簡単なようだけれども難しいというゆえんです。

 日本語の最大の特徴は仮名を使っている限り、話し言葉と書き言葉が同じということです。ゆっくり言ってもらえば、そのとおり書けるのです。こんな言葉っていうのは世界で殆どないのです。普段はあまり気がつかないことなのですが、これを発明した日本人は偉いと思います。これは非常にありがたいことで、特にコンピュータの音声認識の場面などではずいぶん有利です。 ところが昔は必ずしもそうでないところがありました。皆さんはご存知でしょうが「ちょうちょう」は「てふてふ」と書いたし、いまでも駒形に「どぜう」という店がある。我々が小学校時代は「ちょうちょう」は「てふてふ」と「どじょう」は「どぜう」と書かないと先生に叱られた。それがおかしいと言うので今は一緒にしてしまったのです。

 もう一つ、日本語の特徴は母音が5つしかないことです。「あいうえお」ということにしてしまったのも、もの凄いことなのです。昔はそうでなかった。少なくても8つあった。今使わなくなった「ゐ」は昔は発音も「イ」でなく「ウィ」と発音出来て生きていたのです。「ゑ」もそうです。それが今は使わなくなったので、なくしてしまったのです。
ところが日本人がヨーロッパに行ってジュネーブと言っても分らない。ジェネバと言って通じたりする。ミュンヘンといっても通じない。ミューニックと言わなくてはいけない。チューリッヒも我々はチューリッヒだと思っているけれど、向こうにいったらズーリックといわなくてはいけない。食べ物でもマクドナルドと言っても全然通じない。我々が聞くと「ダナル」としか聞こえない。単語の字も分解できない。

 日本みたいにゆっくり一字一字区切って話すと、全く意味が分らなくなってしまう。要するに読み言葉と話し言葉が全く違っているのです。日本語では一つ一つの字に母音がつきます。子音がダブルことはないのです。HSMというような綴りは日本語では起こりえないのです。
   外国語では子音が重なるものがざらにあります。有名な川柳で「ギョーテとは俺のことかとゲーテいい」というのがありますが、ゲーテと言うのはGoethと書くのです。この読み方は30何とおりあるのです。こういう発音と言うのは子音が重なったりして日本人にはできないのです。

 さきほど話した、母音を5つにしてしまったということは、非常に有利な点があるのですけれど不利な点もあって、例えばRLの発音は日本人の5母音では区別が出来ない。例えばライス国務長官という方がアメリカにいますよね。Rice と書くとお米、Liceと書くとしらみです。この区別が日本語表記では出来ない。私は昔オーストラリア人でMr.Riceという人と話したのですが、日本人が名前を呼ぶと、彼は俺はシラミじゃないといって嫌な顔をするのです。しかし苦労しても我々は出来ない。小さいときに固まってしまった音韻体系というのは外れないのです。

 フランス語になると母音がいっぱいあるのです。それを覚えないとあの流暢なフランス語は出来ないのです。これは若い時にフランス語だけしゃべるところに放り込んでおくと日本人でも出来るようになるのですけれども、年取ってからではマスター出来ません。
逆にこういう多くの母音のある国から来た人にとっては、あいうえお、と50音を覚えれば、比較的早く話せるようになるのです。演歌と言うのは一つの音符に一つの平仮名が当てられています。カラオケに行って外国人がローマ字で書いたものを歌っていると、意味が分らなくても歌が歌えるのです。ところが英語の歌を見てください。一つの音符に三つも4つもアルファベットがついている。これは英語を知らない人が歌うと歌になりません。

 それから濁音と清音の区別が難しい。「がぎぐげご」とか「ざじずぜぞ」とか点々を附けることによって出来るのですが,半濁音というのは「ぱぴぷぺぽ」とぱ行音だけしかない。有名な本があるのですが「犬はビオと鳴いていた」と言う本です。今昔物語に「犬はヒヨと鳴いていた」とあるそうです。いくら何でもヒヨと鳴くだろうかということを言う人があって、これはビオではなかったかというのです。昔の仮名には濁音がありませんでした。ヒヨもビオもヒヨと書いてしまう。犬がワンワンと鳴くようになったのも比較的に新しく、狂言の演目にあるのですが、その中では犬が鳴くのを今でも「ビャウビャウ」といっていますね。そういう濁音が比較的後になってからでてきたという特徴があります。

3.日本語のルーツ

 こういう言葉がどうして出来たのか、日本語は世界の言語学者の中で謎の言葉と言われていまして、いつどうして出来たのかということが分っていない。他の国の言葉はだいたいたどっていくと、ラテン語になったりインドヨーロッパ語というところに収斂する。人間が出来たのは百万年前と言われていますが、今人類学者の間ではミトコンドリアイブというのが話題になっているのですが、DNAを分析してずっとたどっていくと、世界中の人間がアフリカの一人の女性に行き着くそうです。そこから人類は出てきたと。

 20万年前に人類はアフリカから異動した。何故移動したかと言うと大きな地殻変動があった。アフリカには住めなくなって、ヨーロッパの方に移動してきて、それが分かれてアジアにいったりアリューシャンの方からアメリカへ行ったり、人種が分かれていったのです。日本はだいたいモンゴル系でウラルアルタイ語系に入るのですが、アジアに行った人達が日本にたどり着いたというのですけれど、2万年くらい前は日本海がなくて本州がつながっていた。これは歩いて来たという説もありますし、いったん南の方におりて、それから北上してきたと言う説もあります。沖縄に港川原人という骨があるのですが、これが分析すると縄文人の祖先であるのは間違いがない。縄文人というのは、いっぺん南におりた人たちが北上して、それが日本について原日本人になる。その人たちが一番最初の、原日本語というものを持っていたのではないかという説があります。 

 日本語を分解していきますと非常に単純になるのです。例えば「ひ」というのは燃える「火」と太陽の「日」と2つ意味があります。「は」も葉っぱの「葉」と歯の「歯」がある、「め」というのも見る「目」と出てくる「芽」がある。要するに一番単純な言葉で、意味を持った言葉を使いだした。ですぐ種切れになったものですから、山とか川とか海とか雨とか米とか稲とか、みんなカタカナで書くと2文字になる、そういう組み合わせで語彙を増やしていった。日本語のアイデンティティは分解していくと2文字になってしまう。これが日本語の特徴で、これをもった人種が縄文人ではなかったかと言われています。

 しかし縄文語というのはどっかでなくなってしまうのです。縄文時代というのは1万年以上長く続いた時代で、例えば青森の三内丸山遺跡でも1500年くらい続いた遺構なのですが、最終経済は定住していた、というのは間違いのないところです。そこに産出していない黒曜石とか各地の産物が交易されていた、というのも分っていますし、ものすごく大きな木を組み立て、やぐらのようなものを作っていた。こういう文化度を見るとそうとう細かいこともしゃべれる人種だったに違いないと思われます。

 これは私の憶測もあるのですが、3000年ぐらい前に渡来人が朝鮮半島から何十万人も来た。これは何故かと言うと、中国でという国が出来た時、周りの部族は、戦って死ぬか、降伏するか、逃げるしかなかった。逃げた部族がドミノのようにあちこちに行って、最期にたどり着いたのが日本で、それが弥生人ではないのか。彼等は文明が発達していて、日本にはない青銅だと、鉄の武器を持っていた。これは原日本人とは勝負にならない差です。縄文人と弥生人が大戦争したという跡はないんです。おそらく弥生人が縄文人を使って組織をつくり、それがいくつか広がって領土争いにまでなり、小さな国家を形成していく、それが邪馬台国の卑弥呼の時代ではなかろうかと思うのです。 

 縄文人と弥生人が人種的に別だと言うことは、骨格からみても明らかです。弥生人は朝鮮から来た人たちで、日本人の主流になっていく。この人たちは朝鮮の言葉を持って来たのですが、それは前からあった縄文語と一緒になって、ごっちゃになって、訳の分からない言葉に発達してきた。これが今の日本語のルーツではなかろうかと思います。まあこういう説がある。私は結構納得出来る説だとは思っています。

 今年は皇紀2665年と言われて、2665年前に神武天皇が即位したと言われているわけですが、これはとんでもない嘘で、とても時代と歴代天皇とのつじつまがあいません。万世一系と言われていますが、皇室も昔からずっと続いているわけでもなく、色々他からの血が混ざってきているのです。桓武天皇の母親が韓国からいらしたのは今の天皇陛下が挨拶で述べたくらいで、皇室はむしろ渡来人の血の方が濃いのではないか、日本に来て、原日本人の縄文人を従えた人々の、一番強かった人たちが大和朝廷になり、天皇家になったわけですから。ルーツはむしろ向こうにあるのではないか、と言う話があります。昔そんなことを言ったら、逮捕されて刑務所行きですが。

 縄文語がなぜ南から来たかという理由のひとつに、ハワイではワイキキとかホノルルとかウクレレとか反復して使っている言葉がかなりあるということもあります。これは「いらいらむかむか」ではないけれど日本と同じような反復言葉なのです。 まあそういうことで言語学なんてやっていると、何の役に立つのかなとお思いでしょうが、これは意外に役にたつのです。今スーパーコンピュータなどで言葉同士の機械翻訳がかなり出来るようになった。日本語は特に単純ですから、「あ」と読めば「あ」と認識するし、電話機に変換器をかませれば、英語を日本語に、日本語を英語に変換するということは、かなり出来るようになってきている。しかしオノマトペは非常に困るのです。「グングン、メキメキ、マスマス」なんていうのを機械が訳すのは大変です。

 今日テレビを見ていたらスケバンデカという番組がある。これは翻訳機にかけると、かなり困るのではないかと思いましたね。ただ、論文の世界では完全には出来ませんがてにおはを直してやれば、かなりの完成度で翻訳が出来る時代にはなっています。
今日はこういうわけの分らないオノマトペの世界についての、私の取り組みの一つをご披露しました。 (拍手)

4.質疑応答

質問:劇画の世界などでオノマトペ的な言葉がたくさんありますね。こういうものを輸出するときどう翻訳しているのでしょう?

答え:そうなのです。ドカーンとかヒューとかは、訳しようがないので日本語の擬音をそのまま音で韓国語や中国語にしているようです。子供は感覚的にそれでも分るようですね。

質問:逆の場合もそうですか?

答え:たとえばイギリスの映画でチキチキバンバンというのがありましたが、これは改造自動車の排気音なのです。チュウチュウトレーンというのは汽車ポッポのシュッポシュッポという意味です。チンチン電車はリングリングトレインと言います。ですから分りにくいですけれど、聞くとなるほどと思うような言葉もあるのです。時計のチクタックというのは英語です。ジグザグもそうです。

おわり
(文責: 臼井 良雄)
会場写真撮影:橋本 燿 HTML制作:大野 令治