平成18年7月28日 神田雑学大学定例講座N0322
平成18年9月22日 神田雑学大学定例講座NO329



「写真で見る東京今昔物語・PARTT・U」



講師 石井 實





講師の石井 實氏プロフィール
1926年東京都生まれ。
1947年東京第三師範学校卒業。
1952年日本大学文学部人文地理学科卒業。

1947年から東京都公立小学校勤務、1986年まで東京都立赤坂高等学校に勤務。

1982年より立正大学文学部、東京都立大学理学部、愛知教育大学教育学部、専修大学商学部、国学院大学文学部、日本大学文理学部などの非常勤講師。日本文化大学法学部助教授を歴任。


石井地理写真塾 
 
写真は、地図と同じに接する人に何かを訴えかけています。文字や言葉と違って、一度にすべてをさらけ出します。そこで提示された写真から何を受け取る(読み取る)ことができるかということになります。その場合、接する人それぞれのもつ文化的背景、また知識や経験などの違いから受け取り方や読み方は異なるでしょう。私は地理を学んだものです。そこでこの立場から撮影してきた写真を見て頂きます。写真に込められた情報を読み取ってみませんか。

写真を読む
この写真は私の学生に対する講義に使ったものです。
1977年10月23日の撮影です。

さて皆さん。
私の目の前には、大きな風景があります。その風景からどの部分を切り取り、どのようにして、情報を伝えたかを、この写真のタイトルをつけることによって、表現してください。

住宅と畑の風景写真

110人の学生にタイトルをつけて貰いました。「0メートル地帯」「都市化最前線」「序章」「新興住宅地」「農村崩壊」「農村残照」「まあ日本だ(ただしフランス留学から帰国した女子学生)」学生の答えを二つに分けると、以下のような見方になりました。

1. 農業地帯に僅かに生まれた住宅群
2. 住宅地の中に僅かに残った農家
この場所に改めて行ってみたかったのですが、開発が進んで、どこか不明です。
私は、このときに撮ったほかの写真と比較してみました。

1. 新しい住宅が建ち出している。
2.中途半端な水田。
3.その向こうには住宅がある。
4.すごい湿地帯風景 
5.野菜を摘み取っている農家のひと。
6.その向こうに新しい住宅が見える。

次の画像は「江戸近郊の特産物」という正井泰夫先生の図で、「アトラス東京」に掲載されているものです。山手線の外側には野菜がたくさん生産されていました。小松川では小松菜が栽培され。練馬では大根などはよく知られていますね。
私の写真を撮った場所は、船堀、小松川、篠崎、鹿骨などです。
写真に写っている田安花園の看板に電話番号がありましたから、それを追跡して江戸川区篠崎だということがわかりました。

ここでイメージの話をしましょう。

♪二人暮らしたアパートを
一人一人で出て行くの (ペギー葉山の「爪」より)

窓の下には神田川  (南こうせつの「神田川」より)

あの頃二人のアパートは
 (南こうせつの「赤ちょうちん」より)
裸電球まぶしくて
貨物列車が通ると揺れた

歌、神田川に出てくるような古いアパート写真いまお集まりの皆さんは、アパートというと、あるイメージが浮かぶでしょう。ところが三畳一間と言っても、若い人には見当がつかない。文字というのは言語的な表現。時間を追って、状況を徐々に言葉で表現する方法が、つまり線条性表現です。

それに対して、言語でない表現=ビジュアル 現示性表現という言葉があります。写真・絵画・絵図などがそれです。一挙に目の前に表現するものから何かを見ていく。

ここにあげた歌詞も同じですが、本を読んだり、話を聞いたりすることは、時間の流れに沿って内容を理解することになります。これに対して写真、絵画、地図などのヴィジアルなもの(非言語的なもの)は一挙に提示され、これを現示性といいます。このように提示されたものを読み解いていくことが、写真を読むということになります。


お江戸日本橋
日本橋は江戸の中心であるとともに、日本の中心でした。右の写真には橋の中央に道路元標が建っています。また江戸時代は水運も盛んでした。千代田区内川沿いに一ツ橋河岸、鎌倉河岸、また錦町河岸、などと呼ばれる地名がありました。
魚河岸も日本橋にあった市場でした。この日本橋川を覆うように首都高速道路が建設されたのは、もう四十年ほど前のこと。この高速道路を地下に移して、日本橋の上の空を取り戻そうという声が上がっています。

1950年と2000年の日本橋
1950年と2000年の写真は、ほぼ同じ位置から焦点距離の同じレンズで撮影。これを定点撮影といいます。

銀座4丁目交差点、三愛前の変化     
1953年の写真で、当時のOLのスタイルが良く分かります。
アメリカの軍人が闊歩していました。右の写真は47年後の2000年9月撮影。


銀座4丁目交差点、三愛前の変化、1953年と2000年

ロゴ 私が写真を写すとき、まず誰のために、何を通じて何を語るか、ということを考えます。


1953年、和光ビル 2000年、和光ビル

和光のビルだけが、ランドマークのように銀座の変容を見守っている。

新宿西口

新宿駅西口 1962年と2000年 40年後の相違

新宿の変貌

新宿の変貌


講座場風景

講座風景


軽井沢の経時変化

軽井沢1970年、1971年


軽井沢、避暑客の散歩散歩のメインストリート「貸しふとん」の立看板と幟が避暑地として人口の急増することを、また「軽井沢彫」の文字が場所を示しています。軽井沢はイギリス人ショウが避暑地としたことから別荘地として発展しました。

宿場でもあった旧道は、避暑客の散歩や買い物のメインストリート。東京の店舗も夏の間だけ営業する。シャッターを下した冬は夏の賑わいはなく、淋しいばかりのようすを翌年1月に撮影しました。
 ここも別荘地から観光地へと変化しました。
「貸しふとん」の店も3階建に変っている。
 これらの写真から、同じ場所にあっても季節によってその姿を変えるし、また熱海と同じように経時的に変化することを示してみました。写真中央の樹木だけが同じ位置を示しています。

山形蔵王 ざんげ坂

1953年の10月。風で博士になった吉野正敏先生たちと蔵王に行った時のこと。
「石井さん、この木を撮れよ」と先生に言われました。何のためなのか判りませんでしたが、この隙間をちゃんと撮るようにと付け加えられました。 「この部分が雪の積雪表面。雪がここまで積もる。雪が積もらないところは、枝がこっち(東)へ伸びている。西側は雪の重みで枝が下に下がっている。下にいくほど、下に下がっています。つまり冬の卓越方向です」

山形蔵王ざんげ坂写真と図

ここからは 石井地理写真塾のHP 

http://web.sfc.keio.ac.jp/~mizukami/geographic-photo/

 石井 實の課外活動から「秘伝石井實の写真技術」へお進み下さい。

なお当HPの画像の転載はお断りいたします。

終わり



文責 三上 卓治
写真提供 石井 實講師
HTML制作 和田 節子